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13.仙台平野(宮城)

宮城県の土壌と人間活動

 <1985年6月16日観測画像>

宮城県は日本の代表的は米どころで,ササニシキやヒトメボレの故郷である。写真右側を北から南へ流れ,石巻湾に注ぐ北上川をはじめ,その支流である江合川,迫川,そして松島湾を囲むように流れる鳴瀬川が見える。これらの河川は,古来から,宮城県の穀倉である大崎耕土の天然の用水路であり続ける。画像は1985年6月中旬のもので,低地の黒っぽいのは水田,紫は市街地,その中でやや赤いのが畑地である。丘陵地で黄緑色は雑木林,濃い緑は杉植林地であり,林業の盛んな津山町や登米町(画像右側)に多い。

県内の全耕地は148千ヘクタールで湿性土壌が多く泥炭土が10%,黒泥土が15%,グライ土が22%を占めるが,とくに低地土壌では85%が湿性土壌である。中央やや上に水田の中に小区画の鮮やかな緑は南方町や米山町の田から畑への転作地である。この地域の低地土壌も湿性土壌が多いが,基盤整備で暗渠排水が進んだため麦や大豆の転作が可能となった。

近年東北地方でも弥生時代に稲作が営まれていたことが明らかになった。仙台市でも多くの弥生時代の水田跡が発掘されたが,この時代は泥炭土,黒泥土,グライ土等の湿性土壌が水田として利用された。当時,これらの土壌で耕作されたのは水が確保しやすく,窒素などの供給力の高い地下水型水田が好まれたためと思われる。平安や中世になると,湿性土壌よりも,灰色低地土や褐色低地土が使われることが多くなった。これは,稲作技術の発展で水管理のし易い潅漑水型水田土壌が好まれるようになったためと推定できる。この型の水田跡は鉄の集積層が残っているのが特徴である。明治時代以降の水田開発は永く使われなかった湿性土壌の開発が主となった。画像中央の白鳥の飛来で有名な伊豆沼や長沼とその周辺のような湿地景観が当時は方々にあったのだろう。

畑地では黒ボク土と褐色森林土が64%を占める。画像左の台地上の黒ボク土は強酸性で有害なAlを多く含み,典型的な非アロフェン質土壌で戦前までは林地や採草地としてしか利用されなかった。

黒ボク土は人間活動によって誕生した新しい土壌である。この土壌の誕生は,人為,気候,植生の変化に火山灰の存在が絡み合った結果であった。10,000年前頃から始まった温暖化に伴い,東北地方の低山性山地より標高の低い土地では,この頃から失火や火入れ等の人為により森林が消失した後にススキが侵入し,ススキ草原が形成された。このススキが火山灰土に真黒い腐植として集積し,世界で最も黒い土である黒ボク土壌が生成した。高山や中山では人為で森林が消失しても,温度が低いためススキが群落を造ることが出来ず,褐色の森林土壌のままであった。

画像左中央の江合川左岸の丘陵地で発掘された前期旧石器の年代は150,000年以前であったように,宮城県は日本でもっとも古い人間活動の証拠が発見された土地である。しかし,温暖化していない10,000年以前には土壌生成への人間活動の影響は未だ認められていない。

人間は土壌と古くから関わりを持ち,それぞれの環境下で土壌に色々なインパクトを加え続けてきた。地球規模の環境問題の解決が切実になってきている現在,人間が地球との共存方法を常に考え,実行していくことが益々重要になろう。

山田一郎(九州農業試験場)

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