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16.庄内(山形)

良質米の故郷庄内

 <1984年6月4日観測画像>

山形県庄内地域は西に日本海,東および北は月山,鳥海山のある出羽丘陵,南は朝日連山によって囲まれている。また,西の海岸沿いには砂丘地が発達している。この砂丘地は日本海より吹きつける季節風により形成された。このように,庄内地域は周りを山と海に囲まれており,陸の孤島といわれている。平野部に目を転じると,庄内平野の中央を最上川が横断し,赤川が縦断している。その他,中小の河川が庄内平野を作ったが,最も大きな影響を与えた河川は,最上川および赤川である。

水田土壌は,最上川を境に大きく2つに分けられる。最上川北部を飽海土壌と呼び,南部を田川土壌と呼ぶ。飽海土壌は田川土壌に比べて有機物含量,塩基交換容量が高い。そのため,画像では,色が濃く見える。このような土壌の違いは,最上川,赤川両河川の上流地質の違いによるとされている。

庄内地域の耕地面積は46,100ヘクタールで,そのうち70%で水稲が作付けされている。庄内地域の水稲作付面積は山形県の水稲作付面積の38%を占めており,米の10アール当たりの収量は,611キログラム(平成元年度)で山形県平均収量を30キログラム上回る。その結果,収穫量は山形県全体の40%を占める。庄内地域に作付けされている水稲品種の97%は良質,良食味のササニシキである。

ところで,良質,良食味であるコシヒカリ,ササニシキの先祖をたどると,それはこの庄内地域の農民が育成した幾つかの品種にたどりつく。それらは,亀ノ尾であり,森多早生である。

亀ノ尾は1893年に東田川郡の阿部亀治によって,森多早生は1913年に東田川郡の森屋正助によって発見された。このほか,庄内の民間育種家によって育成された品種は,150をこえる。このうち,山形県における栽培面積が1万ヘクタールをこえる品種としては,イ号,大国早生,日の丸,福坊主および早生大国があげられる。このような庄内地域の民間育種は戦後の,1960年代の荘内富士1号まで続く。

庄内地域で何故民間育種が盛んにおこなわれたかという疑問に対しては,多くの意見があり,にわかに決めがたい。しかし,明治23年には福岡県より乾田馬耕の教師を招くなど,当時の革新技術の導入が積極的に行なわれたことは見逃せない。また,育成された品種の評価については,山形県立農事試験場が積極的な役割を果たした。それは,民間品種について,品種比較試験,生産力検定試験を行い,民間育成品種を正しく評価することであった。このように,庄内地域では官民協力体制が存在したことも重要な原因であろう。

庄内地域の民間での品種育成は,単に多収性,適地適作を追及したのみならず良食味も追及されてきた。昭和初期における東京の廻米問屋の食味試験結果や,白米商組合員および正米問屋組合員の試験結果の記録が保存されている。この記録は亀ノ尾や森多早生ではないが,やはり民間育成品種である羽後の華について相当高い評価が記されている。このような庄内の民間育成品種と山形県立農事試験場の努力がなければ,コシヒカリもササニシキも今日なかったことになる。

安藤 豊(山形大学農学部)

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