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情報:農業と環境 No.74 (2006.6)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介 202: 森の生態史 −北上山地の景観とその成り立ち−、大住克博・杉田久志・池田重人 編、古今書院(2005) ISBN 4-7722-1472-0

NHKテレビ「ダーウィンが来た」で北上山地のイヌワシの生態を追った番組が放映された。その番組の中で、絶滅の危惧(きぐ)されているイヌワシが北上山地で生き延びてきたのは、エサであるウサギなどを捕獲しやすい北上山地に広がる草原の存在が大きいこと、そして、その草原は古くからの南部馬の産地として栄えてきた北上山地の人間活動によって維持されてきたことが紹介された。そして、その北上山地の草原は、その後の畜産振興とともに拡大を続けてきたが、それが今、放棄され、そのことがイヌワシの生息を脅かしていることが紹介されていた。

ここで紹介しようとする本にイヌワシのことは言及されているわけではない。しかし、上述のテレビ番組で紹介されている北上山地に広がる草原や北上山地独特の景観について、その地質学的生成の歴史から始まり、植生、土壌、さらに土地利用や人々の生活の変遷を、紹介したのが本書である。

北上山地は古生代・中生代の古い地層の上に発達し、山の標高が比較的そろっており、山頂付近になだらかな丘陵状の地形が続いている(第1部)。そして、北上山地の景観を形作る主要な植生であるシラカンバ(早坂高原のシラカンバ林が有名)、ミズナラ、南部アカマツ、そして草原が、人間活動のかく乱の結果であることが、さまざまな事例をもとに解説される(第2〜4部)。

たとえば草原であるが、北上山地は、古くから南部馬の産地として栄え、また、江戸時代後期になると三陸地域との運搬のための牛の飼育が盛んに行われていた。沿岸部の塩を内陸部へ運ぶ「塩の道」で活躍したのが南部牛追い歌に歌われている「南部牛」であるが、こうした牛・馬の放牧や飼養のための下草刈りによって、草原が成立したことが解説される。ちなみに、それまでの草原はシバなどの在来草種によるものであり、北上山地で欧米から導入した牧草が大々的に栽培されるようになるのは、1970年代からの北上山系開発事業の一環として大規模な草地が多数造成されてからのことである。

森林についても、江戸時代の製鉄や製塩業のための薪炭用に、大規模な森林伐採が起こったこと、明治〜大正期の都市部での薪炭の需要増大によって広葉樹伐採が進んだことが、現在のアカマツ林やミズナラ林を作ったことなどが興味深いエピソードとともに解説されている(第3〜4部)。

大規模な北上山系開発により道路等は改善され、かつて「日本のチベット」と言われた北上山地の暮らしはずいぶん変化した。しかし、当時造成された多くの公共草地の経営は厳しいという。北上山地の風土に合った飼養方式と言われる「夏山冬里」方式で広く飼われていた日本短角牛(南部牛を改良した赤べこ)の飼養頭数も激減している。こうしたことが冒頭に紹介したイヌワシの危機につながっているのであろう。最後の章では、そうした厳しい情勢の中で地域の再構築に向けた試みが紹介される。

ところで、20数年前、評者が農業試験場に職を得て初めての仕事は、北上山地の造成牧草地での肥料散布であった。配属先の研究室では、造成した牧草地における施肥試験を行っていたのである。標高1000m近い北上山地の春は遅い。まだ日陰には雪の残る頃の冷たい風の中での作業であった。「あのイーハトーヴォのすきとほった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら(宮沢賢治 ポラーノの広場)」。

目次

第1部 先史時代のてきごとが景観の基盤をつくる

1−1 北上山地の地形 ―地史時代の遺跡―

1−2 亜高山帯針葉樹林の成立要因 ―早池峰山における樹種の分布とその立地―

1−3 亜高山帯林の変遷 ―化石が語る植生の歴史―

第2部 人の攪乱により森林と草地が複合した景観ができる

2−1 人為攪乱と二次的植生景観 ―草原と白樺林―

2−2 土壌と土地利用 ―黒色土の由来―

2−3 人為攪乱と野生動物 ―シカ踊る台地―

第3部 人が森林を利用し管理する

3−1 ミズナラ林の形成 ―北上山地の母なる森―

3−2 山村における森林資源の利用史 ―森は人に鉄や塩、牛と豊かな食糧を与え、飢餓や恐慌、欠配から救った―

3−3 人為攪乱に依存するアカマツ ―南部アカマツ林の形成―

3−4 マツタケと森林管理 ―マツタケ山の盛衰―

第4部 人の社会の変化が森林を変える

4−1 近代における森林利用の変容 ―ムラと森の関係史―

4−2 人と森林の関係の衰退 ―その後の北上山地―

4−3 人と森林の関係の再構築 ―地域からの模索―

索引

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