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情報:農業と環境 No.80 (2006.12)
独立行政法人農業環境技術研究所

論文の紹介: 欧州の5か国における農業環境施策が生物多様性にもたらした効果

Mixed Biodiversity Benefits of Agri-environment Schemes in Five European Countries.
D. Kleijn et al. Ecology Letters 9, 243-254 (2006)

農業の集約化や近代化が、絶滅危惧(きぐ)種を含む、農地に生息するさまざまな生物の生存に負の影響を与えていることが報告されており、農地における生物多様性の保全が、農業と保全生物学の双方にとって重要な課題となっている。西欧諸国では、以前からこの分野の研究が進められ、農業の集約化・近代化がどのようなメカニズムによって生物に負の影響を与えるかについて詳細な研究が積み重ねられてきた。現在ではそれらの基礎研究の知見に基づいて立案された農業環境施策 (Agri-environment schemes) が実施され、その効果を検証する多くの研究が進められている。

農業環境施策とは、農業が環境に与える負の影響を軽減することを目的として、「環境に優しい」農業活動を行う農家に補助金を出す制度である。EUにおける2003年の農業環境施策への支出総額は、37億ユーロ(約5,550億円)に上ると推定されている。今回紹介する論文では、西欧諸国における農業環境施策が生物多様性の保全に対してどのような効果をもたらしているかを検証している。

ドイツ、スペイン、スイス、オランダ、イギリスの5か国を対象に、表に示した農業環境施策が実施されている農地と、従来通りの管理が行われている農地における、維管束植物、節足動物(ハチ類、バッタ類、クモ類)、鳥類の5つの生物グループの生息密度が調査された。

解析の結果、オランダを除く4か国では、いずれかの生物グループが農業環境施策による正の影響を受けていることが明らかになった。農業環境施策の実施によって、ドイツとスイスでは植物、ハチ類、鳥類、スペインでは植物、クモ類、鳥類、イギリスでは植物とバッタ類で、種数や個体数が増えていることが確認され、負の影響を受けている生物グループは確認されなかった。しかし、希少種や絶滅危惧種に対して農業環境施策の効果が見られたのは、ドイツとスイスでは植物と節足動物、イギリスでは植物、スペインでは鳥類だけであった。筆者らは、農業環境施策が希少種や絶滅危惧種の保全に及ぼす正の効果は、普通種への効果に比べて限定的であると結論付けている。

これらの結果から、今後実施される農業環境施策に関して、大きく二つのことが示唆される。一つは、農業環境施策の効果を検証するこのような研究の重要性である。農業環境施策は、その多大な経費に見合う生物多様性保全の効果が本当にあるかどうかについて、活発な議論がなされているが、効果を評価するための調査が施策自体に組み込まれることはほとんどない。農業環境施策の効果を適切に評価するためには、事前に定量的な目標を立てるとともに、施策実施の前後にモニタリング調査を行うことによって、目標の達成度を数値化する必要がある。

もう一つの大きな示唆は、保全する対象ごとに異なった施策が必要であるという点である。この研究の結果は、欧州で一般的に行われている農業環境施策が、広く分布する普通種に対しては正の効果があるが、希少種や絶滅危惧種に対しては限られた効果しかないことを示している。普通種の保全によって得られる、花粉媒介や害虫管理などの生態系機能を促進するには、これまでのような施策が効果的と考えられる。だが、特定の絶滅危惧種などを保全するためには、各農家による土地管理だけでなく、地区・地域の景観要素や地質的要素などを考慮した、生物種ごとの対策が必要となるだろう。

ここで、日本の現状を見ると、農業環境施策によって生物多様性の保全にどのような効果があるかという検証、さらに農業の集約化・近代化がどのようなメカニズムで生物に負の影響を与えるかの解明について、調査研究がやっと開始されたところと言える。農地における生物多様性の保全を、科学的根拠に基づいて効果的に行うためには、具体的で定量的な農業環境施策案を提示することが必要であり、今後、農業環境技術研究所が果たすべき役割は大きいと考えられる。

表. 調査の対象とした農業環境施策

ドイツ
化学肥料・農薬・遺伝子組換え作物を使用しない、収穫後の種子・植物を残しておく、 など
スペイン
肥料・農薬の使用量に上限を設定する、作物収穫後の一定期間は耕起などの農業活動を行わない、粉衣種子を使用しない、休耕地の植生を焼かない、 など
スイス
肥料・農薬を使用しない、植生を定期的に管理する、 など
オランダ
一定期間農業活動を行わない、排水路の改修を行わない、農薬を使用しない、農地での鳥の営巣を容認する、 など
イギリス
圃場(ほじょう)の周囲に耕作しない場所を残す、植生の刈取りの時期・回数を制限する、農薬を使用しない、 など

(生物多様性研究領域 天野 達也)

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