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情報:農業と環境 No.86 (2007.6)
独立行政法人農業環境技術研究所

資料の紹介:
佐々木多喜雄 著
宮沢賢治小私考 稲品種改良分野からのアプローチ、 北農 73(1) 84-98
宮沢賢治「雨ニモマケズ」小私考 「1日ニ玄米四合」考、 北農 73(2) 189-206
宮沢賢治「雨ニモマケズ」小私考 「ヒデリ」か「ヒドリ」か再考、 北農 73(3) 262-271
宮沢賢治「雨ニモマケズ」小私考 「サムサノナツハオロオロアルキ」考、 北農 74(1) 89-100、74(2) 203-218

農業をぬきに宮沢賢治を語ることはできない。岩手高等農林で農芸化学を学び、当時の土壌学の泰斗・関豊太郎教授の下で地質調査を行い、花巻農業高校の教師を努め、農家のために肥料設計書を書く。「グスコーブドリの伝記」「植物医師」等々の多くの賢治の作品が、こうした農業・農業技術に関わる活動を通して、生み出された。宮沢賢治に影響を受けて、農業研究を志した者も少なくはないであろう。また、農業技術者・研究者の立場から賢治を研究した者も少なくない(*1)

北海道における水稲耐冷性品種の開発に業績を上げた元北海道道立上川農業試験場長・佐々木多喜雄氏(著書に「きらら397誕生物語」がある)も、そのような一人である。佐々木氏が、賢治をめぐる問題について考察した小論が、雑誌「北農」に、5回に分けて掲載されている。

1) 稲品種改良分野からのアプローチ

賢治の時代、北東北の農業の最大の敵は「冷害」であった。当時にあっても、そして現在においても冷害克服に、もっとも有効な技術は、耐冷性品種の育種である。佐々木氏の疑問は、賢治が羅須地人協会の時代、当時普及していた「亀の尾」に代えて耐冷性品種「陸羽132号」を農家に普及することに努力していたにもかかわらず、なぜ賢治の著作に耐冷性品種や育種に関する記述が少ないのか、というものである。

佐々木氏は、賢治の農業技術への関心を、農業試験場への関心、特に心象スケッチ「旭川」(春と修羅補遺)における上川支場への訪問について論考を進める。そして、一般的に考えられているほどには、賢治は農業試験場やそこで開発される新技術、特に品種改良には興味をもっていなかったのではないかとの結論に至る。

2) 「1日ニ玄米四合」考

賢治が死の2年前に手帳に書き留めた「雨ニモマケズ」ほど、賢治の著作で人口に膾炙しているものはないであろう。「雨ニモマケズ」は、太平洋戦後、新制中学校の教科書に掲載され、そして、現在に至るまで中学の国語教育にも使われてきている。「雨ニモマケズ」には「1日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ」とあるが、佐々木氏は、賢治の玄米食について論考を進め、当時の農家の食事の実態から、賢治の食生活がかなり恵まれたものであったであろうと論じる。

昭和22年から中学の教科書に「雨ニモマケズ」を掲載されるようになるが、その当時、占領軍司令部の教育担当から、「四合」を「三合」に書き換えるよう指示があったという。1日の米の配給が1合にも満たない戦後の逼迫した食料事情の下では、やむを得ないということで、当時の文部省も、この修正を受入れたという。さらに、佐々木氏は「雨ニモマケズ」の教材としての意義について、平易な文章であるが、その内容の理解は容易ではなく、中学の教材として適当ではなかった、と論じている。

3) 「ヒデリ」か「ヒドリ」か

「雨ニモマケズ」には、「ヒデリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ、」という有名なフレーズがある。ここで、佐々木氏は、この「ヒデリ」は「ヒドリ」とすべきであると述べる。確かに、賢治の手帳の原文の写真をみると、はっきりと「ヒドリ」と記してある。他のいくつかの部分では、賢治の書き直しが入っているにもかかわらず、「ヒドリ」の部分には修正が入っていない。また、賢治の筆跡からみても、「ド」「デ」ははっきり違う。これまで、この「ヒドリ」は賢治の間違いであり、後段の「サムサ」の冷害に対応する旱魃として「ヒデリ」であろうと考えられてきた。

しかし、佐々木氏は、「ヒデリ」ではなく、日雇い業務による厳しさを示す「ヒドリ」(日取り)であるという。この小論で、佐々木氏は、賢治の生きた時代の北東北では深刻な旱魃がなかったこと、寒冷地では水不足よりも低温の方がはるかに深刻であること、花巻地方の方言からも「日照り」のことを「ヒドリ」とは発音しないことなどを挙げ、「ヒデリ」とすることに異を述べている。

この論議は、賢治研究家の間では有名な論議であり、1980年代から続いているとのことである。新聞の文化欄にも何度か取り上げられている。本稿の中で佐々木氏も述べている「旱魃に不作なし」という言葉は、本稿の筆者もかつて盛岡で勤務する時、先輩研究者から伝え聞いていたし、実感として寒冷地では「日照り」が脅威になりにくいと思う。本当のところは、病床で手帳に「雨ニモマケズ」を書いていた賢治に尋ねてみるしかないが、一方で、賢治全集の校訂者でもある入沢康夫氏は、「ヒドリ」は「ヒデリ」の書き誤りであり、この問題に関しては「もはや論議の余地は無い」と、述べている(*2)

4) 「サムサノナツハオロオロアルキ」考

佐々木氏は、長年にわたって水稲耐冷性品種の開発に従事し携わってこられた方であり、氏の経験を踏まえて、賢治の経験した「サムサノナツ」(冷夏)の実態、当時の冷害対策が述べられる。水稲の冷害生理と対策に関する佐々木氏の豊富な経験に基づく、本節の論考は読み応えがある。

後半では、冷害対策として火山を爆発させ、大気炭酸ガス濃度を上昇させるという「グスコーブドリの伝記」が取り上げられる。まず、氏は科学的な視点から批判的に検討する。火山爆発によるマイナス効果を考慮していないこの童話は、少年少女に誤った科学的知識を与えることを指摘する。さらに、氏はブドリの自己犠牲についても批判的に論考を進める。確かに「伝記」での設定は非科学的であるが、「童話」がすべて科学的に正しい必要はないと本稿の筆者は思うのであるが、いかがなものであろうか。

ただ、大気中炭酸ガス濃度の上昇による地球温暖化に関する解説やエッセーでは、「グスコーブドリの伝記」が言及されることが多い(*3)。中には、宮沢賢治があたかも温暖化を予見していたかのように論じているものもあるようだが、これらは確かに問題があるかも知れない。

いずれの小論も、佐々木氏の緻密な調査に基づく論考であり、興味深い。ただ個々の解釈については、異をとなえる読者も少なくないかも知れない。一連の論考において佐々木氏は、「従来の宮沢賢治像が、いいところばかりを拾い上げて、「農聖」としてまつりあげられたものである」という点を、農業技術者の目で洗い直してきた。賢治の作品を理解する上で、新たな視点を投げかけてくれる資料である。

*1 たとえば、故・井上克弘岩手大学農学部教授による「石っこ賢さんと盛岡高等農林」(地方公論社)など。

*2 「ヒドリ─ヒデリ問題」について (宮沢賢治学会ホームページに掲載) http://www.kenji.gr.jp/kaiho.html (対応するページが見つかりません。2014年12月)

*3 たとえば、http://jccca.org/faq/faq01_10.html (ページのURLが変更されています。2014年12月)

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