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情報:農業と環境 No.97 (2008年5月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介253: ジャガイモの世界史―歴史を動かした貧者のパン―、 伊藤章治 著、 中央公論社 (2008) ISBN978-4-12-101930-1

2008年は国連の 「国際ジャガイモ年」 である。「発展途上国における食糧としてのジャガイモの重要性についての認識を高める」 ことを目的に、「国際ジャガイモ会議」 など、さまざまな国際会議も予定されているという。やせた土地でも冷涼な気候でも生育し、栄養価の高いジャガイモは、世界の多くの人々を養い、歴史上の大きな場面で重要な役割を演じてきた。ジャガイモはまさに、新大陸発見の最大の贈り物ともいえよう。しかし 「貧者のパン」 といわれているだけあって、ジャガイモをめぐる歴史は暗い歴史でもある。

国際的な穀物価格の急騰 (きゅうとう) が貧しい国の人々に襲いかかっているいま、4大作物の一つであるジャガイモをめぐる世界史を振り返ることは、日本や世界の、まさにいまの食糧問題を考えることにも相通じるものがある。

本書は、作物と歴史を考える上で、興味深い話題を提供している。以下、いくつかの話を紹介する。

話は、オホーツク海から始まる。北海道常呂郡佐呂間町字栃木、かつて足尾鉱山開発による洪水で田畑を奪われ、北海道に移民した人たちが、ここに入植した。クマザサ (熊笹) に覆われた原生林を開墾。きびしい気候、酸性度の強い土地でも、ジャガイモはよく育った。しかし、入植後間もない1913年、大雪による大凶作が栃木地区を襲う。1945年終戦、極度の食糧難の中、手間がかからないジャガイモ栽培はブームとなり、栃木地区でも農地の半分がジャガイモ畑と化したという。足尾鉱毒事件は農民をオホーツクに追いやり、移住した農民はジャガイモで命をつないだ。

ジャガイモ発祥の地は、アンデス山脈のほぼ中央、ペルーとボリビアにまたがるティティカカ湖の周辺、標高3800m級の高原地帯である。そこにはいまでも多種多様なジャガイモが栽培され、ジャガイモの祖先とみられる野生種も存在する。スペインはインカ帝国を征服、滅亡させ、多量の黄金を奪って本国に送った。ジャガイモもそのころヨーロッパへと渡る。本国に送った金銀は母国にインフレを招いて負の贈り物となったのに対し、ジャガイモはその後も飢饉(ききん)や戦乱のたびに多くの人々を救い、世界の食糧事情に大きく貢献することとなる。

ジャガイモがヨーロッパに渡った正確な経緯ははっきりしないが、16世紀末にはドイツ、フランスにも移入していた。ちなみに日本には、16世紀末にオランダ人によりジャワ島のジャカトラから運ばれた。ジャガイモがヨーロッパ各地に広がった16〜18世紀、ヨーロッパでは戦争が相次いだ。またこの時期は小氷期にあたり、飢饉も頻発している。こうした飢饉、凶作がジャガイモ栽培拡大の駆動力となった。

ジャガイモというと、アイルランドの飢饉の話は欠かせない。過酷な英国支配は、アイルランド人を南部と東部の緑豊かな農地から、岩盤と石ころだらけの西部の地へと追いやってしまう。16世紀に移入されたジャガイモは、岩盤だらけのやせた土地でもよく育ったが、そこにジャガイモ飢饉が襲いかかる。アメリカ起源の「ジャガイモ疫病」は、瞬く間にアイルランドに上陸する。大惨事の背景には、栽培されていた品種がこの病気に対する抵抗性が弱かったことと、きびしい気候変動があったという。しかし、なぜアイルランドの被害が餓死者100万人と、ずば抜けて大きかったのか。ヨーロッパの他の国々でもジャガイモは全滅したが、他の作物も栽培していたために飢饉を回避できたのに対し、ジャガイモ単作という選択肢しかなかったアイルランドは、逃れようがなかったのである。1998年のノーベル経済学賞受賞者アマルティア・センの言、「飢饉は食料の不足で起こるのではない。貧しい人に食糧を買えるだけの所得を創出すれば、飢饉は防止できるのだ」は、昔もいまも当てはまる。

産業革命の時代、労働者の衣食住はきわめて劣悪であった。乏しい賃金の中で、安価で調理も簡単なジャガイモは重宝されるが、ジャガイモの重要性を見抜き、普及を訴えた一人がアダム・スミスであった。日本の 「女工哀史」 のみそ汁にも、(わずかばかりではあったが)ジャガイモが入っていたという。

緑豊かなベルリン中心部の公園(ティアガルテン)には、第2次世界大戦中から戦後、ジャガイモが植えられた。ドイツの市民農園、クラインガルテンは、同じ時期ほとんどがジャガイモ畑となり、人々を飢えから救ったという。そしてソビエト崩壊で食糧が高騰したロシアでも、人々はダーチャ(別荘)でジャガイモを栽培し、危機をしのいだ。つい最近に至るまで、食糧不足のたびにジャガイモが登場している。

日本で最初にジャガイモが上陸した長崎県。発祥の地アンデスに比べて温暖な地で栽培できるようになったのは、長崎県総合農林試験場愛野馬鈴薯支場における品種改良や病害虫対策のたまものである。昭和初期の東北の大飢饉、ジャガイモは栽培されていたが、飢饉を救うには至らなかったという。満蒙(まんもう)開拓団、戦後の逃避行、帰国後の入植、シベリア抑留、すべてがジャガイモとともにあった。

そしていま。新興国の食糧需要の増大、深刻化する世界の水問題、穀物からのバイオエネルギー生産、さらに投機筋も加わった結果としての穀物価格の急騰。ひっ迫する食糧事情の中、ふたたびお助け芋の登場か? しかし、ジャガイモがお助け芋として登場するのは、「異常な時代」であるとする。ジャガイモをめぐる歴史は、これからも繰り返すのか。

目次

第1章 オホーツク海のジャガイモ

第2章 ティティカカ湖のほとりで

第3章 ペルー発旧大陸行き

第4章 地獄を見た島

第5章 絶対王政とジャガイモ

第6章 産業革命と「貧者のパン」

第7章 現代史のなかのジャガイモ、暮らしのなかのジャガイモ

第8章 日本におけるジャガイモ

終章 「お助け芋」ふたたび?

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