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情報:農業と環境 No.100 (2008年8月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

論文の紹介: 河川内での脱窒を実測するための大規模なトレーサー実験

Stream denitrification across biomes and its response to anthropogenic nitrate loading
P. J. Mulholland et al., Nature, 452, 202-205 (2008)

人間活動により、生物の利用可能な形態の窒素が生物圏へ大量に流れ込んでいる。このため、陸域生態系は窒素飽和状態となり、多くの窒素が地下水や河川・湖沼へ流入している。広い面積を対象とした窒素収支によれば、生物圏へ加えられた窒素の20〜25%程度が河川を通じて海などへ流出し、残り75〜80%の窒素は、生物による窒素の取り込みと微生物による脱窒の2つの作用によって蓄積・除去されている。

生物による窒素の取り込みは、流域内に窒素を蓄積する作用であり、蓄積された窒素はやがて無機化・硝化の過程を経て、再び地下水や河川へ流れ出す可能性が高い。一方、脱窒は、流域内の窒素を大気中へ放出する作用であり、水環境への窒素負荷は軽減される。しかし、これらの2つの作用が窒素シンクとしてどの程度の重要性を持っているかの総合的評価は進んでいない。その理由として、野外での脱窒量の測定が難しいこと、気候・植生条件や土地利用条件の異なる流域間でのデータ比較が行われていないことなどがあげられる。

ここで紹介する論文は、窒素の安定同位体 (15N) を用いた大規模なトレーサー試験によって、さまざまな環境を流れる河川内での脱窒速度を調査したものである。調査対象としたのは、米国とプエルトリコの8つの地域 (北方広葉樹林×2、南方広葉樹林、トールグラス草原、乾燥針葉樹林、砂漠、湿潤針葉樹林、熱帯林)内の異なる土地利用条件(農業地域×3、都市地域×3、代表的な植生地域×3)における合計72の河川である。

研究グループは、対象とする河川(河川の大きさにより長さ105mから1,830mの流下区間)に、15N で標識した硝酸カリウム溶液を24時間にわたり流し続けた。トレーサーの投入前、投入中、および投入終了直前に、対象区間内の河川水を地点別に採取し、硝酸イオン(NO3-)、窒素ガス(N2)、および亜酸化窒素(N2O)中の15Nの量を測定した。また、塩化ナトリウム(NaCl) または臭化ナトリウム(NaBr)を流して、地下水の流入量、河川水の流速、および流路の水理学的性質を調査し、さらにプロパンまたは六フッ化硫黄(SF6)ガスを河川水中に注入して、河川水と大気の間のガス交換速度を求めた。これらの測定結果を用いて、各区間での生物による NO3- の取り込みと脱窒による除去を分けて定量した。

全データを集計した結果、農業地域と都市地域の河川では、NO3- 濃度が高く、単位面積当たりの全 NO3- 除去速度(取り込み+脱窒)も高い傾向にあった。しかし、全 NO3- 除去効率および脱窒による除去効率は、どの土地利用条件でも同様に、河川水中の NO3- 濃度の増加と共に低下した。この実測結果を流路ネットワークモデルへ取り込み、河川への NO3- 負荷に対する、流路内での NO3- 除去効率の変化を分析したところ、河川水中の NO3- 濃度(範囲: 0.00015 〜 150 mg N /L)が増大するほど、NO3- 除去効率が低下し、下流への NO3- 輸送量が増えることが示された。さらに、河川流路を小流路(流量が毎秒100 L 未満; 一次〜二次流路)と大流路(流量が毎秒100〜6,300 L 以上; 三次〜五次流路)に分けて分析したところ、NO3- 濃度が低いときは、上流の小流路での脱窒効率が高く、小流路内での脱窒が流路全体での脱窒に対して重要な位置を占めるのに対して、NO3- 濃度が高いときには、下流の大流路への NO3- 負荷が増大し、大流路内での脱窒の相対的な役割が増大することが示された。

ところで、著者らのシミュレーション結果を示すグラフからは、河川水中の NO3- 濃度が 10 mg N /L を超えると、脱窒による NO3- 除去効率は数%未満となることが読み取れる。すなわち、この結果を見る限り、高濃度の NO3- を含む水の水質浄化は河川内ではほとんど期待できないことになる。一方、河川に沿って帯状に分布する湿性陸域環境である河畔域(riparian zone)では、その地下水中で、高濃度の NO3- の大部分が除去されることが知られている。しかし、地下水中での脱窒量を現地で実測することは、河川水中と同様かそれ以上に難しい。農業環境技術研究所では、農業活動による窒素負荷の大きい流域を対象として、このような河畔域の地下水中での脱窒の役割を定量的に評価するための研究を進めている。

(物質循環研究領域 江口定夫)

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