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情報:農業と環境 No.105 (2009年1月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

論文の紹介: 土壌中の微生物群集のメタトランスクリプトーム解析

Soil eukaryotic functional diversity, a metatranscriptomic approach.
Julie Bailly et.al., The ISME Journal 1, 632-642 (2007)

土壌という環境は複雑であるため、微生物の群集構造や機能を解析することは難しい。1gの土壌には数百万種以上の細菌が生息し、その大多数は培養困難であると言われている。従来の微生物学の研究手法は、微生物を分離して培養し、その培養した微生物を解析するというものであったため、難培養性微生物が多くを占める土壌微生物相とその機能解析に関する研究はきわめて少なかった。

ところが、近年 「メタゲノム解析」 の進展により、これまで知られていなかった微生物種や新規の遺伝子が発見され、海洋、昆虫体内、人間の腸内、鉱山廃水、畑土壌など、さまざまな環境の微生物の群集構造が次々と明かになっている。メタゲノム解析とは、微生物を培養せずに、環境中の DNA を直接抽出してその塩基配列を調べ、どのような微生物が存在するか、あるいはどのような機能をもった遺伝子が存在するかを明らかにするものである。

しかし、メタゲノム解析では、DNA のみを対象としているため、実際に活動している微生物の遺伝子だけでなく、活動や増殖が抑えられている微生物や死菌の遺伝子まで検出してしまうという問題がある。そこで、ある環境中のさまざまな生物の RNA の全体を解析する「メタトランスクリプトーム解析」が注目されている。メタトランスクリプトーム解析によって、環境中で実際に働いている遺伝子を短時間に解析することができるようになってきた。

今回紹介する論文は、メタトランスクリプトーム解析が森林土壌中に生息する真核微生物の微生物群集の多様性や機能の解析に有効かどうかを検討した報告である。

真核微生物(酵母や糸状菌)は、原核微生物(細菌や古細菌)とは異なり、長大なゲノムを持っていること、イントロンがあること、宿主によっては形質転換による遺伝子の発現が難しいなどのため、環境中での機能を解明する研究は著しく遅れている。そこで著者らは、フランス南西部の海岸地域のマツ類からなる森林の土壌から DNA と真核生物の mRNA を抽出し、mRNAからはそのcDNAライブラリーを作成して、それらの DNA 情報をもとに微生物の群集構造を解析した。

まず、土壌から得られた DNA と、mRNA 由来の cDNA を用いて、その中の 18S リボゾーム遺伝子(18S rDNA)の塩基配列によって、群集を構成する真核微生物の分類を試みた。糸状菌(かび)のものと思われる 18S rDNA を解析したところ、全体の70%以上を担子菌類が占め、次いで子のう菌類、接合菌類が多く存在していることが明らかになった。その一方で、糸状菌のものでない 18S rDNA は、原生生物(粘菌、ゾウリムシやアメーバー等)と後生生物(昆虫、クモ類、ムカデ類等)のものと推定された。そこで糸状菌の 18S rDNA についてさらに分子系統解析を行った結果、DNA も mRNA 由来 cDNA も、ともに系統樹上で特定のクラスターに偏ることなく、広く分布し、180種以上になった。このことから、分類学的にも多様な糸状菌が土壌中に存在していると推定された。また、mRNA 由来の cDNA は、土壌中の微生物の群集構造を解析する際に、DNA と同等に有効であることが示された。

cDNA ライブラリーの中から119のクローンをランダムに選び、塩基配列データベースで既知の遺伝子と一致するものがどのくらいあるかを調べたところ、全体の32%は新規のタンパク質を作る遺伝子と考えられ、20%は機能未知のタンパク質をコードする遺伝子と相同性が高かった。残りの48%はすでに機能の明らかなタンパク質を作る既知の遺伝子であり、さらにその中の40%は完全な遺伝子を含んでいた。既知の遺伝子と相同性の高かった遺伝子の多くは、細胞の維持や増殖に必須で常に発現している遺伝子(ハウスキーピング遺伝子)であったが、未知の遺伝子は、まだゲノム解析の進んでいない原生生物の遺伝子であると考えられた。

土壌から得られた mRNA の機能解析のため、作製した cDNA を酵母に導入し、それらの遺伝子が正常に働くかどうかを、「ヒスチジン要求性相補性検定」 を行って調べた。その結果、ヒスチジン要求性を回復した株が2株得られ、土壌 mRNA 由来の cDNA を酵母で発現解析するという方法が、新規有用酵素遺伝子などを探索するのに利用できることが示された。このようにメタトランスクリプトーム解析は、個々の環境中の微生物群集構造を明らかにするだけでなく、新規有用遺伝子の探索にも有力な手法である。今後、これまでゲノム情報が乏しかった生物群の機能遺伝子等の解析も可能になると思われる。

メタゲノム解析という言葉が使われるようになってから10年が経った現在、微生物学の新たな知見が続々と報告されている。今後、農業研究においても、有害化学物質の分解・浄化に有用な遺伝子、作物病害制御に関連する遺伝子、窒素や炭素の物質循環に関連する遺伝子などの探索と、それらを利用した技術開発が、これまでにないスピードで進むことが期待される。

(生物生態機能研究領域 野口(辻本)雅子)

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