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情報:農業と環境 No.105 (2009年1月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介264: ドングリと文明 −偉大な木が創った1万5000年の人類史−、 ウィリアム・ブライアント・ローガン(William Bryant Logan) 著、 山下篤子訳、 日経BP社(2008年8月) ISBN 978-4-8222-4691-4

原題は “Oak, The frame of civilization”。オークと文明の歴史について、新たな視点から論じている。

オークはブナ科コナラ属の総称。日本では落葉樹のオークを 「ナラ(楢)」、常緑樹のオークを 「カシ(樫)」と呼ぶ。その実がいわゆる「ドングリ」である。日本で言う「里山」はクヌギやコナラ(いずれも落葉性の楢の仲間)の林を指すことが多い。

第1部はドングリ文化。人類はマンモス等大型哺乳動物の狩猟生活から始まり、野生の山羊や羊に目を向けて次第にそれらを家畜化し、そして野生の小麦や大麦を利用するようになった。すなわち、不安定な狩猟生活から、安定した農耕牧畜生活へ進歩したと一般的に考えられている。しかし、少なくともこの話には、ドングリという大きな存在が欠落していると著者は言う。

たとえば、現在のトルコにある8000年前に栄えた遺跡では、自生の小麦や大麦をもとにした初期の農作が行われたことを示す遺物が見つかっている。しかし、収穫に使われる鎌の類がほとんど見つからないことから、穂だけではなく植物全体を引き抜いて家畜に与えていたと推測される。そこで人々が主食としていたのは、ドングリである。その後に、初めて穀物を栽培して人間が食べるようになり、逆にドングリを家畜に与えるようになった。「ドングリ文化 (balanoculture) はあきらかに、これまで人間の世界に存在したなかで最も安定で豊かな文化だった」と著者は言う。ドングリは多くの場合渋み成分が多いため、粉にひいて水洗いするあく抜きの作業が必要とはなるが、栄養豊富で手に入れやすく、貯蔵も容易である。したがって、ドングリ文化の人々は、少ない労力で日々の食料を得ることができ、余裕のある、人間らしい生活を送っていたことが想像される。たとえばイランのザクロス山脈のあたりでは、今日では人々は小麦や大麦を育てながら、かつかつの生活を送っているが、1万年前には1年分の食糧となるドングリを、数週間で採集できたという。こうしたドングリ文化は世界中に広まっていた。

だとしたら、人々はどうして平和な定住社会から変化し、生活を変えたのだろうか。その原因は、人々の移動のためと著者は考える。そして移動の要因としては、一つは人口増による食料需要の増大と社会の多様化、もう一つは定住社会によるその地域の環境の疲弊(ひへい)をあげている。木材のための木の伐採と家畜の放牧は環境破壊につながり、その結果人々の移住を促進した。ドングリ文化の欠点は、現にオークが生えているところで生活するしかないことである。オークの自生していないところでは、野生の穀類を利用し、農業が発展した。

第2部は、オーク材の文化。オークはそのすぐれた材質から、さまざまな構造物に利用されてきた。バイキングの船をはじめ、ヨーロッパ全土のオークのあるところでは船はすべてオークで作られていた。中世ヨーロッパのもっとも偉大な芸術作品と言われているウエストミンスターホールの木骨づくりの屋根は660トンのオーク材で作られており、製作されたのは1393年から1397年にかけてである。酒樽(さかだる)もオークである。その技術はすでに大方忘れ去られようとしているが、樽つくりは複雑な職業技能であった。皮なめしにはオークのタンニンが使われる。大航海時代をもたらしたのも、オーク船である。オーク製軍艦であるアメリカ合衆国のコンスティテューション号は高性能の素晴らしいフリゲート艦で、大活躍をした。

こうして 「西洋諸国を新しい時代の夜明けまで送り届けた」 オーク文化は、やがて鉄と石油を基礎とする現代技術文明を迎え、終焉(しゅうえん)を迎える。オーク製の船は沈没事故も多かったし、鋼鉄製の船の敵ではなかった。著者は、「オークは近代国家やその野心にはふさわしくなかった」 と表現している。

以上のように、人類の文化の歴史を食糧としてのドングリと材料としてのオーク材というユニークな視点から論じており、新鮮である。

目次

世界の中心にそびえる木

人名とオークのかかわり―名前と形

第1部 ドングリ文化

木の実を食べよ

古代ギリシアの食卓

粉が実る木

氷河紀の終わり

オーク時代のはじまり

オークの森と文明の移動

オークから小麦へ

カリフォルニア・インディアンの教え―オークに従え

第2部 オークの時代

シェークスピア時代の老木

オークが人類を創る

スウィート・トラック―湿原で暮らす知恵

オークの年輪と放射組織とストーンヘンジ

四〇〇万個の木片が示す英国古代文明

バルヘローステアフェルトの謎の骨組み

スペインの古代里山「デエサ」

オークの木炭が寄与するもの

鉄文明を支える

イルカの不思議を船の形に

船と墓とオーク

オークの柱とグリーンステッド教会

オーク材の接合と骨組み

ウェストミンスターホールの奇跡―中世ヨーロッパ大工の精神

樽職人、オークを樽に

皮なめし職人、オークで皮を

オークと虫が創ったダ・ヴィンチのインク

第3部 「オーク時代」の終わり

オーク船が世界を制すとき

オークの森のなかで船を探す

オーク材から船を組み立てる

オーク製軍艦―コンスティテューション号の活躍

「オーク時代」の終わり

第4部 オークよ永遠なれ

オークそのものの価値

オークの多様性

オークの生命力

オークとカケスの共進化

オークの気候適応力―ナラとカシ

オークの芽吹きの力

オークの根の力

オークの森の不思議

オークとゴール―虫たちの住まい「虫こぶ」

エッフェル塔とオークの関係

解説 岸由二 人類とドングリ文明―あるいは日本人とドングリ文明

参考文献

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