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情報:農業と環境 No.110 (2009年6月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

GMO情報: 「明日の食卓」 カリフォルニア大研究者夫妻の夢と当惑

「無農薬で栽培した作物と農薬散布した作物。どちらを選ぶ?」 と質問されれば 「無農薬栽培の方」 と答える人が多いだろう。では、「農薬使用量を大幅に減らした遺伝子組換え作物と使用基準の範囲内で農薬を複数回散布した作物。どちらを選ぶ?」。さらに 「海外から輸入した有機農産物を買うのと、地元で栽培した農薬を使用しない遺伝子組換え食品を買う(地産地消)。どちらが環境にやさしい?」。答えに迷う人も多いかもしれない。こんな質問、疑問が飛び交う、研究者夫妻の書いた本「明日の食卓」が昨年(2008年)3月に出版された。

「明日の食卓.有機農業、遺伝子組換え、食品の未来」

妻の Pamela Ronald はカリフォルニア大学デービス校の植物病理学教授で、耐病性や冠水耐性組換えイネの研究者。夫の Raoul Adamchak は有機農業認証審査官の資格を持ち、デービス校の研究農場で学生指導を兼務している。「化学農薬、化学肥料を一切使用せず、遺伝子組換え技術も用いない」 と厳格に定めた 「認証有機農業」 と遺伝子組換え作物はあまり相性が良くなく、研究者間でもしばしば対立を招くが、この夫妻はいたって仲が良く、一男一女の親でもある。

遺伝子組換え技術であろうと有機農業技術であろうと、化学農薬の使用量を減らし環境に与える負荷を減らす技術であれば、利用すべきではないか。それが一番良い選択ではないのか。これが夫妻共通の想いである。カリフォルニア州は米国でもっとも有機農業の盛んな州であるとともに、郡・地区単位で組換え作物の商業栽培禁止を求める市民運動も盛んな土地柄だ。夫の Raoul は 「有機農業コースを選択する学生は2つに分かれる。環境や健康への関心が高い理想主義者と、付加価値が付く有機農産物はもうかるからと言う現実主義者だ」、「米国の有機農業は低賃金で大量生産されるメキシコから大量に輸入しており、健全な姿ではない」と冷静に分析する。

夫妻は有機農業生産者だけでなく、カリフォルニア州の一般市民の抱く組換え食品に対する懸念、不安感情もよく理解しており、組換え推進側の研究者にときおり見られる 「安全性を理解しない市民、消費者に問題あり」 という高圧的論調はない。組換え作物を販売しているバイテク企業はベトナム戦争で枯葉作戦として熱帯林に散布された除草剤の開発メーカでもある。「そんな企業の製品は信用できない」 と非難する彼らの友人たちにどう答えるか? 「自分たちにも明快な答えは見つからない」 と正直に述べている。「組換え作物と有機農業は両立できるのに・・・」、「組換え作物の安全性を理解してもらうにはどうしたらよいのか・・・」。現実に対する当惑と将来への希望が本書全体を通して伝わってくる。実際にこうしたら良いという解決策は示されていないが、組換え技術・組換え作物に懸念や不安を抱く知人や友人に対して、自分ならどう説明するか、どう答えるべきかのヒントを与えてくれるかもしれない。

日本語訳の出版は未定であり、原書を一般の人が読む機会は少ないかもしれない。しかし、約30ドルと価格も比較的安く、お菓子やお総菜のレシピ(組換えや有機の食材にこだわらない)も入っており、読みやすい文体で書かれている。大学院生など、遺伝子組換え、病害虫防除、そして有機農業を専攻する若手(もちろん中堅やベテランも)研究者にはぜひ読んで欲しい。

どんな情報が信用できるか?

本書の構成は下記のとおりだが、妻の Pam が書いた第6章 「誰を信用できるか?」 を紹介したい。「アメリカは合理的な国で科学に対する信頼が高いといわれるが、アメリカ人にも科学を信じない人は多い。ヨーロッパやアジアよりも多いかもしれない」 と述べ、真の科学情報とニセ情報を見分ける7か条をあげている。

  1. 情報の出所 (引用元) をきちんと示しているか?
  2. 他の研究者によって審査された論文か?
  3. 論文が載った学術誌の質は高いか?
    インパクトファクター(論文が他の研究論文で引用される回数)の高さは一つの目安になる。
  4. 他の研究者によって再試験がされているか?
    インパクトファクターの高い学術誌に載った論文でも、審査した研究者が誤りを見落としていることもある。再試験、追試験によって信頼度は高まる。
  5. 情報発信者が関連する産業界と利害関係を持っているか?
    偏った団体のデータだけ引用しているなら、行政機関発の情報でも信頼度は落ちる。
  6. 情報発信者の所属している組織の質は?
    非営利の研究組織、学会は信頼度が高いが、インターネット情報だけを発信している団体の信頼度は低い。きちんとした実験施設で得られたデータでないと信頼度は低い。
  7. 情報発信者の質は?
    科学的教育を受けているか。学位(修士、博士)の有無。学術誌に論文を掲載しているか。

1の 「引用元がはっきり示されているか」 や、5の 「特定の団体の利益代表となっていないか」 は見極めの参考になるかもしれない。しかし、2〜4や6〜7は内部の事情に詳しくないと、専門分野の異なる研究者でも判断は難しいだろう。また明らかなうそ(クロ)は分かっても、真実(シロ)との境界領域(グレー)になればなるほど判断は難しい。著者自身もそれは認めており、さらに 「遺伝子組換え食品による長期間の健康影響」 に関して発信される情報の難しさをあげている。「30年後、50年後の影響は分かっていない。その時になって悪影響が出る可能性がある」 という情報に対し、「そんなことはない。ニセ情報だ」 と断定することはできない。「30年間、50年間のデータ」 はまだ存在しないので、「ニセ情報だ」 と言った方がうそになるからだ。

なお、科学報道を見破る十カ条はサイエンスライターの松永和紀さんの著書でも提案されている。Pam の7か条と共通する部分もあるが、こちらもなかなか見極めが難しい。

本書の内容 (執筆分担)

序文 (夫妻)
Box P-1 (遺伝子工学の定義) / P-2 (慣行農業と有機農業の定義) / P-3 (有機農業と遺伝子工学で使われる農業技術)

第1章 中国・ニヘイとカリフォルニア・デービスのイネ栽培 (妻)
Box 1.1 (遺伝子とゲノム)

第2章 なぜ有機農業か? (夫)
Box 2.1 (農薬の種類)

第3章 有機農業の道具 (夫)

第4章 遺伝子工学の道具 (妻)
Box 4.1 (植物育種、馴化、受粉) / 4.2 (組換えパパイヤがハワイの産業を救う) / 表 4.1 (農業生物学発展の歴史一覧)

第5章 法制化された昼食 (妻)
Box 5.1 (遺伝子組換え乳化酵素) / 5.2 (除草剤耐性作物) / 5.3 (害虫抵抗性作物) / 5.4 (どのような組換え食品・作物を受け入れるか?) / 5.5 (ペンシルバニア州のアンモン派教徒の組換えタバコ生産者) / 5.6 (遺伝子組換え作物の規制監視体制)

第6章 誰を信用できるか? (妻)

第7章 組換え食品は食べたら危険? (妻)
Box 7.1 (イネの突然変異品種 Waxy) / 7.2 (長期間の健康影響への徴候)

第8章 野生生物の保全 (妻)

第9章 雑草、遺伝子流動、環境 (妻)
Box 9.1 (共存)

第10章 種子の所有者は誰か? (夫)

第11章 遺伝子の所有者は誰か? (妻)
Box 11.1 (安全性審査の費用)

第12章 再構成された夕食、遺伝子工学と有機栽培による夕食 (夫妻)
Box 12.1 (RNA 干渉、ジーンサイレンシング)

専門用語の解説

おもな参考情報

Ronald P. & Adamchak P.W. (2008) Tomorrow’s Table. Organic farming, Genetics, and the Future of food. Oxford Univ. Press. 208pp. (明日の食卓.有機農業、遺伝子組換え、食品の未来)
http://www.oup.com/us/catalog/general/subject/Agriculture/BiotechnologyPlantBreeding/?view=usa&ci=9780195301755

イネの耐病性関与タンパク発見(カリフォルニア大学デービス校、2008/9/23)
http://www.news.ucdavis.edu/search/news_detail.lasso?id=8778

農業と環境86号 「本の紹介233:メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学(松永和紀 著)」
http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/magazine/086/mgzn08607.html

農業と環境101号 「GMO情報:有機農業と遺伝子組換え技術」
http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/magazine/101/mgzn10109.html

(生物多様性研究領域 白井洋一)

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