前の記事 | 目次 | 研究所 | 次の記事 2000年5月からの訪問者数
情報:農業と環境 No.115 (2009年11月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

地名と農業:迅速測図と歴史的農業環境閲覧システム
(常陽新聞連載「ふしぎを追って」)

茨城県南部の筑波稲敷台地には 「○○原」 という地名がいくつもあります。例えばつくば市の高見原、牛久市の女化原、阿見町の阿見原などです。「原」 という文字の意味は、広辞苑によると 「平らで広い土地。特に、耕作しない平地。野原。原野。」 となっています。これらの地名の付いている場所は平らですが、畑や住宅地が広がり、「野原や原野」 とはいえません。なぜ「○○原」という地名が付いたのでしょうか?

その答えは昔の地図に見ることができます。現在とほぼ同じ方法で明治時代の初めに作られた、「迅速測図(じんそくそくず)」 という地図があります。この地図の特徴は、土地利用ごとに色分けされたカラーの地図だということです。

迅速測図(阿見原付近)

迅速測図でみる「阿見原」
(現阿見町阿見付近=迅速測図覆刻版より作成)

この地図の上で、例えば阿見原を見ると、茶色と緑のまだら模様で色づけされ、さらに 「荒」 という文字が書かれています。高見原や女化原も、似たような色で塗られ、「灌(かん)」 という文字や 「草」 という文字が書かれています。これは、そこが低木や草地などの 「原野」 だったことを示しています。つまり、「○○原」 という地名の場所は、昔は原野だったのです。

私たちの研究所は、この迅速測図を見ることのできる 「歴史的農業環境閲覧システム(略称=HABS)」 を開発し、インターネット上で公開しています。HABSを使うと、阿見原や女化原のほか、筑波山などにも原野が広がっていたことがわかります。明治時代初めにこんなに原野があったのはなぜでしょうか?

かつての農業は、堆肥や屋根の材料、家畜のえさなど、生活のために必要な資源をこれらの原野から得ていました。原野というと利用価値がないと思われがちですが、農業にとって、とても大事な場所だったのです。さらに今日では、原野を含む里地里山といわれる地域が、身近な生き物のすみかとして重要なことも分かってきました。

けれども、農業のやり方が変わって行くにつれて、これらの原野は森林や畑に、さらに住宅地などに変化し、地名が残るだけになりました。地名は、かつての農業と自然の間に強い結びつきがあったことを今に伝えています。

インターネットでHABSに接続すると、関東の迅速測図を見ることができます。アドレスは http://habs.dc.affrc.go.jp です。みなさんの身近にもこのような農業と自然の関係が見つけられないか、ぜひご覧になってみて下さい。

(農業環境技術研究所 生態系計測研究領域 岩崎亘典)

農業環境技術研究所は、一般読者向けの研究紹介記事「ふしぎを追って−研究室の扉を開く」を、24回にわたって常陽新聞に連載しました。上の記事は、平成21年2月18日に掲載されたものです。

もっと知りたい方は・・・

前の記事 ページの先頭へ 次の記事