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農業と環境 No.126 (2010年10月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

第26回国際化学生態学会年次大会(7月〜8月、フランス(トゥール)) 参加報告

2010年7月31日から8月4日まで、第26回国際化学生態学会 (ISCE) 年次大会 (International Society of Chemical Ecology, ISCE 26th Annual Meeting) がフランスのトゥールで開催されました。

鉄道車内と車窓の風景(写真)

写真1 鉄道車内と車窓の風景

トゥールはフランス中西部に横たわるロワール地方の中心地であり、シャルル・ド・ゴール空港からは、パリ市街と結ぶ高速鉄道や市内を縦横に走る地下鉄を乗り継いだのち、モンパルナス駅から TGV (フランス版新幹線) を利用して約2時間でたどり着きます。パリを出発して十数分ほどすると車窓には田園風景が広がり (写真1)、この国の食生活の豊かさをうかがい知ることができます。ロワール地方は 「フランスの庭」 とも呼ばれ、その美しい景観はバルザックなど多くの芸術家に愛されたそうです。15世紀のルイ11世のころにはトゥールが首都となったこともあり、周辺には王侯貴族たちが狩りなどを楽しむときに滞在した城が数多く残されています。今日では、それらの古城を巡るツアーが組まれていて、トゥールはその拠点となっています。学会はトゥールの表玄関である駅 (写真2) に面した会議場で行われました。

トゥール駅(写真)

写真2 トゥール駅

国際化学生態学会 (International society of chemical ecology: ISCE) は、化学生態学に関する理解を促進する目的で1983年に設立されました。と、当たり前のように書きましたが、“化学生態学”という言葉を見慣れない方もいるかもしれません。大ざっぱに説明すれば次のようになります。多くの生物は化学物質を使って互いに情報を送ったり、影響を及ぼし合ったりしています。このような生物個体間の相互作用に関わる物質の化学構造を解明したり、化学物質の生産・受容機構や生き物が相互作用する仕組みなどを分子のレベルから生態系のレベルに渡って明らかにしたりする研究分野が、“化学生態学”です。したがって、天然物化学や生態学、近年では分子生物学など出自の異なるさまざまな専門の研究者が関わっている複合的な学際領域となっています。

今回、私が参加したのは、そのような化学生態学の研究に携わる科学者(学生も含む)が一堂に会して、最新の成果を互いに発表し、議論し合うために設けられた年次大会であり、毎年、世界各地を移動しながら開催されてきました。今回は物価の高いヨーロッパ地域での開催だったこともあり、とくにアジア・アフリカ地域からの参加者が少ないように感じられましたが、それでも多くの国から300名近い参加者が集いました。

大会は以下の6つのセッションで構成されていました。

1. New technologies in chemical ecology

(化学生態学研究における新技術)

2. Mechanisms of intraspecific communication in animals

(動物における同種内コミュニケーションの仕組み)

3. Chemical communication between, with, and around plants

(植物を取り巻く化学的コミュニケーション)

4. The diverse roles of non-volatile compounds

(不揮発性化合物の多様な役割)

5. Evolutionary aspects of chemical communication

(化学的コミュニケーションにおける進化的側面)

6. Chemical ecology of multitrophic interactions

(多栄養段階生物間相互作用の化学生態学)

私はセッション3において、“Past or present: parasitoid attractants from Brassica rapa under caterpillar attacks ” というタイトルで研究成果を発表しました。アブラナ科植物の害虫にコナガという蛾(ガ)がいますが、この幼虫に寄生するハチ (コナガサムライコマユバチ) のメス成虫は、(1)コナガ幼虫が食害中である植物と食害後の植物とを識別することが可能であり、(2)食害中にだけ植物から放出される匂い成分を使って効率的に寄主が存在する植物を探索している、ということを初めて示した研究成果を紹介しました。同じ害虫と寄生蜂を材料に使っている研究者は多いため、会場でも関心のあるたくさんの人達から質問を受け、活発に議論する機会が得られました。

多くの発表のなかでもっとも印象に残ったのは、今回 Silverstein-Simeone Medal を受賞したコーネル大学の Schroeder 博士の講演です。この賞は、新技術を用いた研究や新しい材料を扱った研究の中から目覚ましい成果を挙げた研究者に授けられるもので、常に新しいものを取り入れようとするこの学会の気風を象徴しています。Schroeder 博士らは、化学生態学の分野では扱われることが少なかったモデル生物である線虫の Caenorhabditis elegans(C. エレガンス)を材料に用いて、配偶行動や休止期の引き金となっている化学物質の同定に成功し、ネイチャー誌や米国科学アカデミー紀要に論文を発表しました (Srinivasan et al., 2008; Pungaliya et al., 2009)。“休止期” は、線虫などに特徴的な現象で、栄養などが乏しくなって環境条件が不利になると代謝活動などを低く抑えて、好適な環境に変わるまで静止状態に入る、というようなことです。

化学物質の正体は ascarosides という一連の物質群で、複数の機能を備えていました。低濃度で存在する場合にはオスを誘引する性フェロモンとして働き、高濃度に蓄積されると発生過程を抑えて休止期を誘導することが明らかになりました。しかし、このユニークな現象のメカニズムを解明したことはおそらく受賞理由の一部に過ぎません。真にきわ立っていたのはその研究手法であったと思われます。

専門的な知識を必要とするので難しくなりますが、もう少し詳しく説明すると、二次元核磁気共鳴 (2D-NMR) スペクトル解析の手法をメタボローム的アプローチに取り入れることで、既知の活性化合物と類縁の微量化合物群を網羅的に明らかにした点がもっとも評価されたのではないかと思います。一般的に NMR 解析を行う場合、分画・精製と活性評価を繰り返して、最終的に単一化合物のみが含まれる試料を準備した後で、ようやく NMR 解析で物質の構造を決定します。この方法では精製を繰り返すほど目的の物質が失われてしまう欠点があります。Schroeder 博士らはこの精製過程をほどほどに省略して、その代わりに異なる条件下で得た複数の試料を混合物のまま 2D-NMR 解析にかけ、それぞれのスペクトルを見比べて異なっているカンター (地図の等高線になぞらえてこう呼ばれる) だけを抽出し、そこから物質群の構造を推定しました。たとえば、うまくシグナル物質を生産できない変異型の C. エレガンスと、野生型の C. エレガンスをそれぞれ育てた培養液試料の NMR スペクトルを比較し(C. エレガンスではゲノム・リソースが使えるのも利点です)、変異型で失われているカンターを詳細に解析することで、一連のシグナル物質の構造を推定し、合成して活性を確認する、といった具合です。

彼らはこの手法を differential analysis by 2D-NMR spectroscopy (DANS) と名づけています。理屈がわかれば一見簡単そうに思われるのですが、実際にこれを実行するとなると、相当な量の周辺データの蓄積と熟練したスペクトル解読能力(600 MHz で!)が必要になることに気づかされます。NMR 解析の伝統あるコーネル大学ならではのアプローチであるといえるかもしれません。そういえば、賞の名前に入っている Siliverstein 博士は、もっとも読まれているスペクトル解析の教科書を編まれた大先生でした。

最終日の懇親会が開かれた Villandry 城(写真)

写真3 懇親会が開かれた Villandry 城

このように、これまで培われてきた化学分析の技術と新しいゲノムツールやモデル生物とが出会うことによって新しい研究展開が生まれたときのようすを、研究者自身の肉声で聞き、その興奮を会場にいる人々と共有できる点もまた、国際学会の醍醐味(だいごみ)といえるかもしれません。この講演のほかにも、興味深い研究発表が盛りだくさんでした。

最終日には、郊外にある古城で懇親会が開かれました。さまざまな国から来た人々とひとつのテーブルを囲んで、研究のことやそれぞれのお国事情について語らいながら食事をする楽しい一時を過ごしました。

来年度の第27回 ISCE 年次大会は、カナダのバンクーバーで開催される予定です。

(生物多様性研究領域 釘宮聡一)

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