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農業と環境 No.135 (2011年7月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介 310: 科学コミュニケーション、理科の<考え方>をひらく、
岸田一隆著、 平凡社(2011年2月)
ISBN978-4-582-85573-9

「科学コミュニケーション」 の必要性が盛んにうたわれ、科学者は市民と対話することが強く奨励されている。サイエンスカフェはその象徴であろう。しかし現実には、こうした活動の存在すら知らない人も多く、受取手である科学に関心が薄い層と、科学を伝えようとする側とですれ違いが生じていると、著者は指摘する。

いま人類は、気候変動、食糧、エネルギー、水資源など、様々な問題を抱えており、将来が強く危惧(きぐ)されている事態にある。地球の歴史を振り返ると、過去、多くの生物種が絶滅してきたが、それらは外的要因による滅亡であった。それに対して人類は、みずからのライフスタイルの持続不可能性のために危機に陥ろうとしている。だとしたら、こうした問題の解決のためには、一般市民である私たち自身の価値観、考え方、ライフスタイルを見直すことが、問題解決の大きな鍵(かぎ)を握っている。そのため、人類の未来のために、私たちがあるべき姿を模索し、コンセンサスを作り出し、それを社会のシステムとしていくことが必要であり、そのことを目的にある種の価値観の共有のために、科学コミュニケーションは役割を果たすことが期待されているとする。

科学コミュニケーションにすれ違いが生じている原因について、著者は以下のように指摘する。人間は、共感力の強さと、発達した大脳による優れた論理的思考の2つを進化適応の武器としてきた。しかし今日多くの人が、論理が生み出したはずの科学を苦手とし、大学進学時に文系と理系に分かれた後は、知識の内容だけでなく考え方や価値観まで変わってくる。科学コミュニケーションが機能不全に陥っている原因の一つは、そもそも両者の間で価値観が共有されていないからであり、その手法の限界や今後の発展について、考えなくてはいけない時期に来ている。

一方、科学とは、不動の知識の総体ではなく、「懐疑主義に基づいた合理的方法」である。科学的方法である仮説演繹(えんえき)法では、「仮説」からスタートし、論理的に演繹して「結論」を出す。結論は最後に厳密な検証にかけられ、そこで生き残ったものが本当の科学ということになる。「懐疑主義」ではあらゆることを疑い、厳しい検証と批判にさらされる。このことが科学と疑似科学や神秘主義との本質な違いである。科学とは、いま、まさに試行錯誤を繰り返しながら機能している適応のための方法である。

科学コミュニケーションで伝えるべきは体系だった知識ではなく、方法と世界観である。方法とは研究活動そのものであり、研究活動とは研究者の人生そのものとなる。そして世界観とは、世界を理解するためのストーリーであり、物語のことであるという。この辺に、科学コミュニケーションのヒントの一つがありそうである。

新書の限られたボリュームであるが、内容は幅広く奥深い。持続可能性のためには、人間の有効な武器である自然科学を最大限活用しつつ、人類の価値観やライフスタイルを地球の物質循環に反しないように変えていくことが必要だが、その作業は並大抵のことではないと指摘する。サイエンスカフェのみならず、市民講座、さらには大学の講義まで、科学コミュニケーションの送り手にとって、さらには科学コミュニケーション以前に科学のあり方について考える上で、意義深い一冊といえる。

目次

第1章 科学コミュニケーションとは何か
−情報伝達と共感・共有の違い

第2章 物理学が難しい理由
−人間の脳と思考の傾向

第3章 アダムとイブの子孫としての私たち
−進化による考え方の形成

第4章 理と神秘の間に揺れてきた歴史
−科学という強力な道具

第5章 科学への向き合い方
−文と理の分裂の地域差

第6章 第三の方法へ向けて
−共感・共有のための可能性

第7章 バベルの塔
−人間と科学の責任

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