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農業と環境 No.138 (2011年10月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

ボン大学研究開発センター在外研究報告 〜東洋と西洋、そして中央アジア〜

筆者(岩崎)は2010年7月から2011年8月まで、ドイツのボンにある ボン大学開発研究センター(ZEF) に客員研究員として所属し在外研究を行ってきました。ZEF は、発展途上国での開発にかかわる問題をおもな研究対象として、既存の研究分野にとらわれない学際的な研究を行っています。同時に研究・教育分野の人材育成にも力を入れており、アフリカやアジア諸国からの学生が多く在籍しています。スタッフもドイツ国内だけでなく、さまざまな国の出身者の方が在籍しているため、国際色が豊かな研究所です。

私が参画したプロジェクトは 「中央アジアにおける荒廃地への植林による気候変動の緩和・適応の機会」 というものです。このプロジェクトでは、乾燥気候条件下の灌漑(かんがい)農業地帯における大きな問題である塩類集積を起こした農地(写真1)などの荒廃地に桑などの樹木を植林することによって、土壌中への炭素蓄積による地球温暖化の緩和効果や土壌肥よく度の向上、植林した樹木から作った薪(まき)の販売による経済収入の増加などをめざすことを研究しています。また、これらの植林は、気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書で定められた 「クリーン開発メカニズムの植林・再植林(CDM-AR)」 に基づいて行われるので、その点からも経済効果が見込まれます。

このプロジェクトの中で私が担当したのは、中央アジア、すなわちカザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスタン、トルクメニスタンの5か国を対象に、植林の適地、言い換えれば荒廃地が、どの程度分布しているのかを推定するために、2000年から2010年までの土地利用図を作成することでした。土地利用図の作成に当たっては、MODIS という衛星データを使用し、植物や作物の成長程度を示す NDVI (標準化植生指数) の季節変動に基づいて土地利用を決めるという方法を用いました。滞在中に基本的なデータの処理と分類方法を確立し、試験的な土地利用図の作製を行いました(図1)。ですが、年度の違いによる分類精度の向上や、作成した土地利用図の検証など、まだ多くの課題が残っています。今後も、ZEF や中央アジアの研究者と共同で、これらの点について研究を進めていきたいと考えています。

草がほとんど生えない白っぽい色の農地(写真)

写真1 表面に塩類が集積した農地(ウズベキスタン・ホラズム地域)

草地、荒廃地、各種の農耕地、森林、水面など、土地利用によって色分けした中央アジアのマップ(地図)

図1 2010年の中央アジアの土地利用図(試作版)

さて、今回の滞在したボンですが、旧西ドイツの首都ということで大都市を想像される方もいらっしゃるかもしれません。実際は人口が30万人程度の街で、落ち着いた町並みの過ごしやすい所でした。路面電車や地下鉄などの公共交通機関も発達しており、さらに市内の大きな道路には自転車専用レーンが必ず設置されており、車を利用せずに自転車を使っていた筆者にとっては、とても快適でした。首都機能の大部分はベルリンに移転しましたが、科学技術や教育、環境、農業に関する省庁は現在もボンに設置されています。また、旧連邦議会の跡地は国連キャンパスとして利用されており、国連気候変動枠組条約締約国会議 (UNFCCC) の事務局などが設置されています。ボン大学があることもあわせて、研究や教育の都市であるとともに、国際都市としての一面も持っていました。

カーニバルのパレード(写真)

写真2 ボンのカーニバルの模様

ドイツ人というと、厳格で気難しいというイメージを持っている方もおられると思います。同時に、ジョッキを片手にビアホールで陽気に楽しんでいるというイメージもあると思います。実際に一年滞在してふれあったドイツの人たちは、どちらかというと後者のイメージの人がほとんどでした。ボンでは11月から12月にかけてはクリスマスマーケットが、2月から3月にかけてはカーニバルが行われます。多くの人がこういったお祭りに参加し、とくにカーニバルの時期には、町中に仮装をした人があふれて非日常を楽しんでいました。まじめなだけではなく、楽しむときには目一杯楽しむという、ドイツ人のスタイルがとても印象に残りました。

たくさんの人が買い物、立ち話をしている(写真)

写真3 ウズベキスタンのマーケットの外観

また、現地調査のためにウズベキスタンを2回、タジキスタンを1回訪問する機会がありました。中央アジアの国々は多くの方にとっては、昔であればシルクロードのオアシス都市、最近であればサッカーワールドカップ予選の対戦相手として名前を知っているくらいではないでしょうか。そのため、ドイツに比べるとイメージがわきにくく、そのためか安全なのかどうか質問されることもあります。ですが、それほど危険ということはなく、先進国に比べれば設備などで見劣りをする場合もありますが、活気にあふれた、生き生きとした国でした。とくにマーケットには多くの人が集まり、食料品を中心に衣料品から娯楽品まで、さまざまなものが売られていて、見ているだけでも楽しめました。

まばらに草が生えている斜面、まったく草が生えていない岩の露出した斜面がほとんどで木は数本しか見えない(写真)

写真4 タジキスタンで多く見られたはげ山

中央アジアの国々のおもな産業は農業であり、人々の生活と深く結びついています。これらの国々は、旧ソ連の時代に単一作物栽培、たとえばウズベキスタンとタジキスタンではおもに綿花の栽培を強要され、その体制は現在も続いています。加えて、生産の多くの部分を灌漑農業に依存しています。これらのことは、環境変化や灌漑水の減少などが生じた場合、農業を通じて多くの国民がその影響を直接受け、単一作物栽培に依存していることは、その影響が深刻になりやすいことを意味しています。さらに、一度荒廃してしまった自然を復元することも困難で、たとえばタジキスタンで訪問した山岳地帯では、過放牧による森林荒廃が問題となっており、至る所ではげ山が見られました(写真4)。このように、中央アジアの国々では、きわめて脆弱(ぜいじゃく)な社会・環境基盤の上に人々の生活が成立しているといえます。現在行われている研究は、とくに灌漑農業地域の荒廃農地を対象に環境の復元をはかることですが、これを一歩進めて乾燥・半乾燥地域における持続的な農業のあり方とはどうあるべきなのか、そういったテーマについても、考えていきたいと思いました。

ドイツの若者たち10人と筆者、「1000 Kraniche fur Japan」の語に、大きな赤い丸と富士山を配したポスターが前に下げられている(写真)

写真5 デュッセルドルフの街頭で千羽鶴を折る呼びかけをしていた若者たちと

一年間と少しの限られた時間ではありましたが、自分の生活してきた東洋とは違う、西洋と中央アジアに滞在し、研究を行うことができたのは貴重な体験でした。その国が、ドイツと旧ソ連という1990年代初めに大きな社会変動を経た国々であったことも、印象的でした。わが国も、3月に発生した東日本大震災を契機に、大きな社会的変化を迎えようとしているかもしれません。筆者は地震発生時にはドイツに滞在していたのですが、多くの方からいたわりの言葉をいただき、そして 「難しい状況だろうけど、日本だったら何とかできる」 と励まされました。また休日に訪れたデュッセルドルフでは、日本のためにと若者達が千羽鶴を折ってくれていましたし(写真5)、ボンでもさまざまなチャリティーイベントが開かれました。

滞在中にお世話になった同僚、お世話になった方々に感謝するとともに、遠い場所から日本のために祈って下さったすべての人に、心からお礼を申し上げます。

(生態系計測研究領域 岩崎亘典)

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