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農業と環境 No.141 (2012年1月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介 318: 私たちにたいせつな生物多様性のはなし、 枝廣淳子 著、 かんき出版(2011年7月) ISBN978-4-7612-6762-9

2010年10月、名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開催されたことは、まだ記憶に新しい。179の締約国、国際機関、NGOなどから1万人以上が参加したこの会議では、とくに遺伝資源へのアクセスと利益配分に関する名古屋議定書と、生物多様性の損失を止める実効的な緊急行動を起こすための2011年以降の新戦略計画(愛知目標)が採択され、ホスト国の取りまとめ努力が評価された。このほか、「資源動員戦略」、「持続可能な利用」、「バイオ燃料と生物多様性」、「海洋と沿岸の生物多様性」、「気候変動と生物多様性」、そしてビジネスと生物多様性の連携活動等を図るための 「多様な主体との協力」 など、広範な協議と決定がなされた。

「生物多様性」 は、遺伝子、生物種、生態系の3つのレベルで評価されるが、これをよく理解することは難しい。生物多様性の保全は、野生生物や、農地と里山、市街地など私たちの身近な場に生きる生物を、たんに守ることだけではない。こうした多くの生物と共存するために環境を守ることや、生物を保全・利用してその便益を受けることとも関わっている。

ここに紹介する本には、COP10で協議された多くの重要な議題を柱に、生物多様性の重要性と現状から、私たちと生物多様性との結びつきや保全のヒントまでが、豊富な図とイラストでわかりやすく解説されている。生物多様性を表すキーワードは、「つながりとバランス」 だと著者はいう。土や水、光、そして多様な生物からなる生態系には、常に相互のつながりとバランスが保たれてきた。豊かな地球をつくる多様な生物が地球上に存在し、生命の豊かさを示す言葉が 「生物多様性」。しかし、今や世界中でこのつながりとバランスが崩れ、多くの生物種が絶滅の危機に瀕(ひん)している。

「暮らしと生物多様性」では、人間活動が地球の与える環境負荷がテーマ。私たちの生活やビジネスがどれだけ環境に依存しているかを、必要な土地の面積で表す「エコロジカル・フットプリント」という言葉がある。この値で測るとすでに地球1個分を超えて、1個ともう半分の地球面積が必要だそうだ。地球はもう人類の暮らしを支えきれない事態になっている。日本のマグロ消費や中央アジアの綿花栽培、イースター島の悲劇などを例に、ここでは負荷拡大への警告と自然環境にやさしい暮らしのヒントを提供している。

私たちは自然から多くの恩恵を受けている。この恩恵(便益)を 「生態系サービス」 と呼ぶ。「本来尊重すべき生態系が、人間にどのくらい役に立っているか」 という一方的な考えに異論はあるが、「自分たちにどのくらい役に立っているのか」、「失われるとどのくらい困るのか」 をわかりやすく、金銭換算した数字で示すことが有効だと著者は述べる。

生物多様性が提供する生態系サービスには、供給サービス (食料、木材、燃料など)、調整サービス (気候調節、水の涵養(かんよう)と浄化、疾病制御など)、文化サービス (美観や快適性、教育貢献など)、そして、基盤サービス (栄養塩類の提供、土壌形成、光合成や化学合成による有機物生産) に区分される。生態系の経済的価値は、1年間に約33兆ドル、実に世界のGDP総額の2倍にも達するという。そして、英国の経済学者の報告(スタンレー・レビュー)を引用して、地球環境の変動や劣化はGDPにも大きな影響を及ぼすが、今ならGDPの1%の投資でこの両者を防止できると訴える。

2001年にアナン国連事務総長が呼びかけて作成したミレニアム生態系評価の報告は、今後も生態系サービスの利用はますます増えて、サービス機能の劣化は顕著に進むと予測している。また同報告には、「生態系と人間の福利に関する4つのシナリオ」 と 「6つの生態系の劣化を防ぐ方策」 が提示されている。こうした予測や提示を取り込みながらCOP会議は継続されてきたが、名古屋でのCOP10で論議された主な議題は、冒頭に紹介したとおりである。この本にも名古屋議定書や愛知目標とともに、議長国であった日本に求められる戦略を取り上げている。

COP10では、ビジネスと生物多様性のつながりについても広く論議された。この課題にも熱心に取り組む著者は、本書に一つの章を当てて解説している。世界で最初に生物多様性の保全に取り組みを進めたのは、2005年に持続可能な商品の調達基準を決めた米国の大規模小売企業である。その後、2008年に企業の生物多様性への取り組みを導くガイドライン 「企業のための生態系サービス評価(ESR)」 が発表された。ESRの手法は、企業活動と生態系との関連性を依存度と影響度の両面から評価するもので、5つのステップで構成される。最近、生物多様性に取り組む日本企業も増えている。大規模小売業や自動車、家電企業等の活動を紹介しながら、企業単独の取り組みよりもさまざまなステークホルダー(利害関係者)と協働する方が大きな成果とつながり、パートナーシップやネットワークの構築にも結びつく。

最後は、「誰にもできる生物多様性保全」 と 「自然との共生」 である。冬水たんぼ、都会の多様性保全、生態系保全に配慮した商品選択、スローフード、暮らしに農業を、など、生活の中でできる生物多様性を守る取り組みへの提案となっている。自然との共生については、「里地里山」の暮らしを日本の知恵として、COP10で「SATOYAMAイニシアティブ」の提案がなされたことや、日本人の思想の中に生態系を守るヒントとして、日本語の 「生かされている」、「もったいない」 の言葉を解説して、読者一人ひとりに生物多様性を守ることを問いかけている。

本書の著者は、地球視野の変化の担い手を育て、そのネットワークを広げることを目的として行動する環境ジャーナリストで、「環境メールニュース」 の発信でも知られる。著者は、「はじめに」 で、「私たち一人一人が、生物多様性を守る担い手になれる、ということを、本書を通じて知っていただきたいと思います。」 と述べている。著者の広範な活動をもとに書かれた本書は、生物多様性についてのわかりやすい解説書にとどまらず、読者が日々の暮らしの中で、その保全の取り組みへのヒントの提供と行動提起にもなっているのは、このためである。

目次

はじめに

Part 1 「生物多様性」って何だろう?

01 生物多様性とはそもそも何?

02 「多様性」ってどういう意味だろう?

Part 2 くらしと生物多様性の深いつながり

01 地球は人類の暮らしを支えきれない

02 私たちの食生活が森や海に影響を与える

03 コットン栽培がもたらしたアラル海消滅の危機

04 人にも環境にもいい木のぬくもり

05 生物の真似から生まれたバイオミミクリ

Part 3 生態系はどんな現状で、将来はどうなる?

01 太平洋の孤島・イースター島を襲った悲劇

02 生態系が人間に与えてくれるメリットを「見える化」する

03 生態系サービスとは何だろう?

04 世界初!地球の健康診断の結果は?

05 経済発展と引き換えに劣化する生態系

06 生態系はいくらの価値を生んでいる?

07 生態系サービスが失われると何が起こる?

08 絶滅危惧種が集中するホットスポット

09 遺伝子の多様性が失われるとどうなる?

10 食物連鎖を上る生物濃縮による被害

11 途上国で貧困と環境破壊が深刻化している

12 生態系が壊れた結果、人間が受けた大きな被害

13 2050年の生態系はどうなっている?

Part 4 生物多様性を取り巻く国内外の動き

01 なぜ生物多様性条約は誕生した?

02 COP10で決まった遺伝資源の利益配分とは?

03 COP10で採択された「愛知目標」とは?

04 COP10議長国の日本に求められる戦略とは?

05 生物多様性基本法って何だろう?

06 豊かな自然を活用して地域活性化につなげる

Part 5 ビジネスと生物多様性のつながり

01 企業はどんな動きを始めている?

02 企業はどう取り組めばいい?

03 強まる規制を企業がチャンスに変えるには?

04 森林と水源を守る仕組みをつくる

05 生物多様性オフセットとは何だろう?

06 依存する生態系の資源管理が重要になっている

07 消費者の意識はどう変化している?

08 農業問題、貧困問題と生態系保全の関わりをみてみよう

09 企業は自社の強みを生物多様性保全に生かせる

10 お金の流れを変えることで生態系が守られる

11 世界と日本の様々な組織をつなぐネットワーク

12 日本企業がつくる自主的なネットワーク

13 生物多様性を踏まえたマネジメント@生態系の変化がもたらすリスクとチャンス

14 生物多様性を踏まえたマネジメントA生態系への依存と影響の評価からみる事業戦略

Part 6 生物多様性を守るために誰もができること

01 冬の田んぼに水を張って生態系を守る

02 森林の豊かさを守る取り組みにはどんなものがある?

03 海や海岸の生態系を再生させる取り組みとは何だろう?

04 都会でもできる生物多様性の保全

05 どんな商品を買えば、生態系の保護に貢献できる?

06 スローフードで食卓の多様性を取り戻そう

07 日本は外来種天国、固有種がおびやかされている

08 暮らしに手軽な気持ちで農業を取り入れてみよう

Part 7 共生を目指す新しい考え方

01 自然と共生する日本の知恵を世界に発信

02 生態系は海・川・森の流域のつながりでできている

03 自然エネルギーへ転換すると生態系と地球環境を守れる

04 日本人の思想の中に生態系を守る大きなヒントがある

05 生態系を壊さない「成長」とはどんな道なのだろう?

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