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農業と環境 No.158 (2013年6月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介 335: 地図をつくった男たち −明治の地図の物語、山岡 光治 著、 原書房(2012年12月) ISBN978-4-562-04870-0

ちいさいことを重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道。
(イチロー、1973- )

地図作りというと、「ひょっこりひょうたん島」 の作者でもある劇作家井上ひさしが書いた 「四千万歩の男」 という長編小説を思い出す。ミドルエイジの50歳代から、2歩1間を目安に、日本全国の海岸線をくまなく歩測し、江戸時代末期の文政4年(1821年)に日本地図 (大日本沿海與地全図、伊能図ともいう) を完成した伊能忠敬を主人公にした物語である。

さて、本書である。著者は国土地理院のOBで、たたき上げの測量技術者である。その目線から、本書では明治時代の測量技術者に焦点を当て、近代地図作成に果敢に挑んだ技術者たちの知られざる物語を克明に描いている。

第1章では、まず伊能忠敬の偉業をはじめとする明治維新前の日本の高い地図測量技術について紹介する。次いで第2章以降は、国家経営の基盤である地図情報の脆弱(ぜいじゃく)さに気づいた明治政府が、国家体制がまだ定まらない明治初期から、国家的事業として地図づくりに邁進(まいしん)する姿を描く。

軍事、土木、鉄道、治水、農地開発、森林計画、地籍調査(徴税)などあらゆる国家的業務のため、中央諸官庁が競って、一斉に地図作りを始める。地図作りに必要な人材は海外から調達し、お雇い外国人の助けを借りる。それも、フランス式から始まり、イギリス式、ドイツ式と時代の流れで助けを借りる国も移り変わる。また、国内の人材についても、人材不足を補うため、明治政府の賊軍であった江戸幕府に仕えた技術官僚を登用し従事させる。

そして、この “群雄割拠” 状態は、明治17年(1884年)、陸地での地図測量が帝国陸軍参謀本部陸地測量部 (現在の国土地理院の前身) に統合されるまで続く。その後、日露戦争以後、地図は万民のものから国家機密に徐々に変貌(へんぼう)する。

農業環境技術研究所の研究とこの本との接点を2点紹介する。

ひとつは農業環境技術研究所が Web 公開している歴史的農業環境閲覧システム (HABS) である。これは明治時代、帝国陸軍が明治13年(1880年)から明治19年(1886年)にかけて作成した関東平野を対象にした地図 (迅速測図と呼ばれる) と、現代の地図を重ね合わせて見ることができるようにしたものである。HABS を用いることにより関東平野の自分の住んでいる周辺の120年前と今の土地利用の変化を容易に Web で見比べることができる。ちなみに、この HABS は国土地理院の主催する第1回電子国土賞を平成23年(2012年)に受賞している。

迅速測図がなぜ関東だけしかないのか常々疑問であったが、明治10年(1877年) 西南戦争で熊本の地形が分からず苦戦した政府軍が、その教訓を背景に首都防衛のため、軍事用に関東平野の地図を “応急的” に作ったことが本書を読むことで理解できる(第3章)。

もう一つのかかわりは、農地土壌図である。農業環境技術研究所では、研究所の諸先輩らがこれまで整備した紙媒体の5万分の1の農地土壌図を、デジタル化することにより、だれでも簡単にインターネットで日本全国の農地土壌の分布や土壌の性質を検索できるシステム (土壌情報閲覧システム) を開発し公開している。この土壌図のそもそもの始まりは、明治時代のマックス・フェスカ土壌図に由来する。マックス・フェスカとは、農業環境技術研究所の前身が発足する明治26年(1893年)より、さらにさかのぼること10年以上前の明治15年(1882年)にドイツから来日したお雇い外国人技師である。彼は農商務省地質調査所土性係長として日本の弟子たちとともに、明治18年(1885年)の10万分の1の土壌図 (大日本甲斐国土性図) を皮切りに、日本全国の土壌図をほぼ各県単位で作成したことで知られている。

本書では、フェスカが来日するさらに前の状況も詳しい (第6章)。ナウマン (ドイツ人地質学者) と和田維四郎 (鉱物学者、地質調査所初代所長) の建議によって明治11年(1878年)に発足した内務省地理局地質課 (地質調査所の前身) で、明治13年(1880年)ドイツ人技師シュットは、全国の地質図と土性図整備に着手する。地図のもととなる三角測量の基線は、伊能図を利用する。マックス・フェスカ土壌図は、これら先達の土台の上に作成されたことがよく分かる。

このほか、本書には興味深い様々なエピソードがちりばめられている。日本の領有権を確固とするための小笠原群島測量 (第4章)、北の守りを固めるための北海道開拓測量 (第5章)、明治期測量の名残として全国に点在する測量標石 (第9章、第10章)、明治期の無名職業測量家による測量登山 (第12章−第14章) などなど興味はつきない。

地図とは、「地表のようすを一定の規則のもとで、紙などに表現したもの」 でしかないが、地図は、私たちの日々の生活に必要であるばかりか、国を治めるためにも役に立つ。本書を読んで、「地図を作った男たち」 による地図誕生の記録を知るのも悪くない。

目次

はじめに

第1部 維新前夜から維新直後の地図作り

第1章 明治維新前夜の地図測量技術

第2章 陸軍省最初の測量技術者福田治軒

第3章 沼津兵学校から巣立つ地図測量技術者

第4章 傑出したテクノクラート小野友五郎

第5章 開拓使測量を担った測量技術者たち

第6章 もうひとつの日本全図 観(ママ)農局地質課に集った技術者たち

第7章 外国人の湯治行きを阻止した測量師

第8章 明治期の地図作りへと向かう地図方

第9章 測量標石の始め

第10章 使われなかった日本での最初の水準点

第2部 陸地測量部の地図作り

第11章 「美しさ」から「正確さ」へ 犠牲となった「かきたてるもの」

第12章 未踏の高山を目指した明治期測量隊

第13章 測量登山黎明期 登山家ウェストンのころ

第14章 剱岳登頂は柴崎芳太郎に何を与えたか

第15章 戦場に送られる即席測図手たち

第16章 報告書に見る技術者たちの日常

第17章 文豪と地図

第18章 測量標石に残された思い

第19章 職人技のドイツ式地図から合理性追求のアメリカ式地図へ

おわりに

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