前の記事 | 目次 | 研究所 | 次の記事 2000年5月からの訪問者数(画像)
農業と環境 No.160 (2013年8月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介 338: 生物多様性と生態系サービスの経済学、 吉田謙太郎 著、 昭和堂(2013年4月) ISBN978-4-8122-1317-9

多様性は、楽しみの母なり。(ベンジャミン・ディズレーリ、 1804-1881)

2010年、名古屋でCOP10が開催され、SATOYAMAイニシアチブなど生物多様性に関する話題が新聞紙上を賑(にぎ)わした。しかし 「3.11」 以降、国内では、放射能問題や原子力に代わる代替エネルギー問題が浮上し、環境問題全体の中での温暖化対策や生物多様性の関心は相対的に低下した状態が続いていた。

しかし、今年になって、デフレ脱却や経済再生、「攻めの農林水産業」の展開の中で、農業・農村の多面的機能の重要性が指摘され、これに付随して生物多様性についても再び、関心が高まりつつある。

一方、国際的には、生物多様性に関する国際組織としてIPBES (生物多様性および生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム) が設立された。気候変動分野のIPCCに類似した組織として、この分野の科学的議論が深まることが期待されている。農業環境技術研究所は設立準備会合からこの会合に研究者を毎回派遣している。

このような情勢変化の中、本書は生物多様性と生態系サービスについて、一から学べる入門書としてタイムリーに出版された。

著者は元農林水産政策研究所の研究者であり、若き環境経済学者である。農林水産業における20年にわたる政策と研究事例の蓄積をもとに分析がなされており、歴史的経過も良く整理されている。

第1部は基礎編であり、生物多様性と生態系サービスをめぐる国内外の現状と課題、多様な政策、経済学における定義などが解説される。

著者はまず、生物多様性と生態系サービスの違いについて、ストックとしての生物多様性、フローとしての生態系サービスと明快に区別して説明する。生物多様性は自然資源のストックであり、生き物そのものに値段をつけることは困難であるが、一方、生態系サービスについては、生物多様性という自然資源が人類に与えるサービス (自然の恵み) であるから、これに経済的価値を見いだすことは比較的容易であるという。

次に、今なぜ生物多様性と生態系サービスについて経済学的に関心が高まっているのか、その理由が端的に示される。著者によれば、経済学は希少性を扱う学問であるが、生物多様性と生態系サービスはしばしば希少性がなく、十分な量が無料で供給されてきたため、経済学の研究対象ではなかったが、近年の生物多様性という自然資源の減少とそれに伴う生態系サービスの低下が、経済学的研究価値を高めているという。なんとも皮肉な話である。

第1部を読み進むと、生物多様性といつもペアで使われる生態系サービスという用語が、実は、生物多様性の専売特許ではなく、非常に広い概念であることがわかる。実際、国連ミレニアム生態系評価によると、生態系サービスは、基盤、供給、調整、文化の4つのサービスからなると定義されている。基盤は、栄養塩類循環、土壌形成、一次生産などのサービス、供給は食料、水、木材、燃料などのサービス、調整は気候調整、洪水制御、疾病制御、水の浄化などのサービス、文化はレクレーション機能などのサービスである。

さらに農業・農村の多面的機能と生態系サービスの関係について話がおよぶ。農業、農村の多面的機能については、農業保護や組織防衛のための議論として批判的に受け止められた過去の経緯があったが、「農業や森林の多面的機能論は、生態系サービスとしての定義を新たに身にまとい、その価値を人々に再発見されつつある段階に達している。」「生態系サービスの概念が普及して以来、国際的に多面的機能論を共有することが容易になった。」 と、多面的機能は生態系サービスとして再整理される時期にきており、「今後は、農林水産業に関わる多面的機能を生態系サービスとして議論することが必須である」 と著者は主張する。

第2部では、広い意味での生態系サービス論として、国内外のさまざまなケーススタディ (森林保全と地方環境税、飲料水の供給と水源地、自然資本と人工資本の代替関係、保護地域の非利用価値、外来種と絶滅危惧(きぐ)種、鳥獣害など) が展開される。最終章では放射能汚染と生態系サービスの関係に触れるなど、著者の関心と実践はあらゆる環境問題に広がる。

「生物多様性なんてものが、なぜ重要か。環境への関心が薄い人に対しては、この説明がいちばんむずかしい。」 と、養老孟司は、『いちばん大事なこと』(集英社新書、2003) の中で述べている。本書を読めば、この養老の問いに対する経済学からみた明快な答えが、じつにわかりやすく、かつ実例をまじえて豊富に提供されていることを読者は実感できるだろう。

目次

はじめに

第1部 生物多様性と生態系サービスの基礎

第1章 生物多様性と生態系サービス

第2章 生物多様性の危機

第3章 生物多様性保全政策と活動

第4章 農林水産業と生態系サービス

第5章 生物多様性と生態系サービスの価値

第6章 生物多様性と生態系サービスの経済評価

第2部 ケーススタディによる可視化と主流化

第7章 水源環境保全と生態系サービスへの支払い

第8章 飲料水供給サービスと回避費用

第9章 保護地域と非利用価値の可視化

第10章 外来種対策と絶滅危惧種保護

第11章 負の生態系サービスとしての鳥獣被害

第12章 食料政策と生態系サービス

第13章 放射能汚染と生態系サービス

あとがき

索引

前の記事 ページの先頭へ 次の記事