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農業と環境 No.167 (2014年3月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

農業環境技術研究所の30年 (2)物質循環研究の系譜

1.はじめに

炭素、窒素、リンは農業生産に密接に関係する元素である一方、地球温暖化や水質汚濁などを引き起こす物質にもなり得る。これらの元素は、植物、土壌、資材などの固相、雨、土壌溶液、河川水などの液相に存在するとともに、炭素、窒素は二酸化炭素や窒素ガスなどの気体として、姿形を変え生態系内を循環している。人間活動の拡大はこうした物質循環に急激な変化をもたらし、その影響は身近な生態系から地球規模に及んでいる。当研究所では、これらの元素循環の最適化を目指した研究を展開してきた。

戦後の高度経済成長の裏返しとして、1960年代には、人間の健康に悪影響を及ぼす公害問題が社会問題となったが、その後、主に生活排水・畜産排水等に由来する窒素やリンなど栄養塩類による水域の富栄養化問題が顕在化したことから、農村地域に適した簡易な水質浄化技術の開発や農村地域内の湛水域の持つ水質浄化機能を評価する研究がなされた。1980年代より、畑地に施用した肥料が降雨と共に地下に浸透し、地下水の硝酸性窒素汚染の原因となる可能性が指摘され初め、農業生産活動から発生する栄養塩類による環境負荷の研究が開始された。土壌中の水移動、それに伴う肥料成分の移動などの詳細な研究が進められた。さらに、より広域な農村流域における栄養塩類等の動態研究が展開され、畑地から溶脱した窒素の水田下の浅層地下水中での脱窒の定量化や、河川での観測による流域からの栄養塩類の流出量評価の研究などが行われた。これらの成果を踏まえ、近年は流域における主に硝酸性窒素の動態を記述する数理モデルの開発が進められ、農耕地から発生する負荷の評価、下方への移動、流域の地形特性を反映した流動、水田等の水辺域の脱窒機能を組み込んだ地下水硝酸性窒素濃度の面的分布を表現するモデル開発が進められている。

地球規模の気候変動は人類にとって大きな問題であり、人間の活動が直接関与していることが、IPCCの報告書で明示されている。温室効果ガスの二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素は農業との関連が深く、特に、メタンは二酸化炭素の25倍、一酸化二窒素は約300倍の温室効果があり、近年、人為的発生源として農耕地の寄与が大きいことが明らかになっている。温室効果ガスの採取・分析には多大な手間と時間を要したため、観測と併行してサンプリングの自動化や温室効果ガス3 成分の同時・自動計測装開発などが進められた。これにより温室効果ガスの観測の効率化と高精度化が図られ、農耕地からの温室効果ガスの発生実態解明が大きく進展した。一方、水田から大気へのメタンの放出経路の解明や、環境要因の影響、メタンの基質に関する研究、一酸化二窒素発生に関わる微生物の研究など、温室効果ガスの発生に影響する要因、メカニズムの解明も進められ、メタン発生抑制、一酸化二窒素発生抑制などの対策技術の開発研究につながって行った。さらに、データベースの作成・解析による温室効果ガスの発生量評価や発生量の変化を推定する数理モデル開発が進められた。また、農地は二酸化炭素の発生源とも吸収源ともなり得るため、農業生産に伴う炭素収支の解明や、炭素動態モデルの開発、有機物として固定された土壌炭素の分解メカニズムの解明が行われた。

食糧の需給の変化は、地域や国レベル、地球規模での栄養塩のフローを変える。食糧生産や消費の変化と環境負荷の関係を大局的に把握する研究も行われてきた。国レベルでの窒素循環について、わが国の食糧生産・輸出入・加工・利用・廃棄などの食糧供給システムを巡る窒素フローを推定する研究が行われ、さらに、東・東南アジア地域の窒素フロー研究へと展開された。また、環境影響の広域評価に重要な指標である農地における窒素やリンの収支の研究がなされ水質への影響評価に利用できるデータベースが作成された。 物質循環研究は、大きくはこのような3つの流れを中心に、その時代の環境問題と関連する研究も包含しながら展開してきた。以下に個々の研究の流れを紹介する。

2.農村域からの栄養塩類等の流出の評価・制御

2.1 農耕地における水や栄養塩類等の移動・流出

畑土壌での水分と肥料成分の挙動を量的に把握するための研究が展開した。土壌の水分量と熱伝導率の関係に基づいた双子型非定常熱プローブ法によるセンサーを用い、広範囲にわたり水分計測できるシステムが開発された (粕渕, 1984)。続いて、土壌水分の長期計測と土壌の水分定数を測定できるTDR水分計の開発がなされ、鉱質土壌の体積含水率を直接測定できるが、黒ボク土では実測値をもとに校正を行うことで正確な測定が可能なことが示された(Hasegawa, 1997) 。また、硝酸塩溶液を混和した土壌を充填したカラムに水を浸潤させる方法で、ほ場条件に近い吸着態イオン組成を持つ黒ボク土による硝酸イオン吸着容量の測定方法が検討され、黒ボク土への硝酸イオンと塩化物イオンの吸着特性が解明された (Katou et al., 2001; Katou, 2004) 。

ほ場条件下の土壌中における不均一な水移動を、巨視的に見て水平方向に均一とみなせる流れ(マトリックス流)と部分的に速い流れ(選択流)に区別して定量化する手法が開発された。農環研内の黒ボク土畑ほ場における長期観測結果から、深さ1mから鉛直方向への流出はマトリックス流が主体であり、選択流は年数回しか発生しないこと、しかしその量は年浸透水量の16〜27%に達することがわかった(Hasegawa and Sakayori, 2000; Eguchi and Hasegawa, 2008)。硝酸イオンは黒ボク土壌に吸着されるため水に比べ流出が遅延するが、実際のほ場では選択流の寄与により土層内移動速度は見かけ上ほぼ同じであった。この関係を利用しこの黒ボク土畑ほ場における硝酸性窒素の浅層地下水への到達時間が1.6〜6.0年(平均2.8年)と推定され、多雨年ほど短いことが明らかにされた (江口, 2006)。さらに、ほ場内の浅層地下水位の面的分布、土壌の基本的な水理学的性質および難透水層の深さ分布を用いて、浅層地下水の水平および鉛直方向への流出量が定量化され、物質収支から、難透水層以深への鉛直方向の水と硝酸イオンのフラックス, および脱窒量が推定された (Eguchi et al., 2009) 。

一方、降雨等により、土壌粒子とともに農地から懸濁態で流出する成分(リンなど)がある。この定量評価につながる研究が進められた。斜面の土壌浸食を予測するため、裸地斜面枠流出データに掃流砂式を適用することにより、平均斜面流量と斜面勾配から流出土砂強度を求める予測式が導かれた (坂西・早瀬, 1994)。裸地面への雨滴衝撃により形成される膜状の薄層(クラスト)は、土壌への雨水の浸入と表面流出に決定的な影響を及ぼすことから、土壌の表層水分変化を精密に測定し、表面土層を3層とする浸入モデルが作成された (坂西, 1996) 。近年には、降雨による土壌流亡や栄養塩流出を解析するためのモニタリングシステムとして、降雨感知式カメラ、流量計、自動採水装置を設置することにより、土壌の侵食と表面流出の発生状況を撮影するとともに、表面流出量を測定し、水質測定のための試料を採取するシステムが開発された (芝山ら, 2012) 。また、下層土に亀裂の発達した粘土質の転換畑の暗渠からのリンの流出について研究され、暗渠から流出するリンの大部分は懸濁態であり、暗渠を通じた流出がほ場からのリンの主要な流出経路になり得ることが明らかにされた (鈴木ら, 2005) 。

2.2 流域における栄養塩類等の動態

降雨による窒素負荷の定量的評価が行われ、アンモニア態窒素濃度が硝酸態(亜硝酸を含む)窒素濃度より高い傾向にあること、無機態窒素の最大濃度は上昇し、無機態窒素の負荷量は降水量に左右されることなどが明らかとなった (岡本ら, 1992)。

水田の非灌漑期に開放された暗渠排水口からの無機態窒素の排出量が調査され、水田のみの水を排出している場合には窒素排出は少ないが、畑地の浅層地下水を含む場合の暗渠の窒素排出量は極めて多く、畑地への肥料、家畜ふん尿の施用などが流出窒素に反映していることが示された。また、さまざまな土地利用を有する農村地域の浅層地下水について、畑地に隣接する場所で高濃度の硝酸態窒素が検出されたが、林地あるいは水田に隣接する井戸では、それらより低いことが見いだされた(藤井ら, 1997)。茶栽培の盛んな洪積台地に隣接した水田群を対象として調査を行い、水田下の浅層地下水中における脱窒が農業集水域からの硝酸性窒素除去に大きく寄与していることが初めて定量的に示された (Eguchi et al., 2009) 。

一方、流域での栄養塩類の動態解明のため河川でのサンプリング法が検討され、ポンプ式採水装置とフロート式水位計からなりバッテリー電源で作動する簡易な流量計測・採水装置が開発された。ポケットベルによる遠隔スイッチで急な降雨に対応した採水ができ、河川流量増大時の窒素とリンの上昇ピークを捉えることができた (坂西ら, 1998) 。この装置を利用し赤黄色土野菜畑地帯の河川で観測がなされ、降雨出水時に河川流量の増加に伴って窒素濃度は低下するが、懸濁物質とリンの濃度が上昇すること、また、窒素流出の大部分は平水時の高濃度流出によるものであるが、リン流出は降雨時の懸濁態としての流出が大部分であることが明らかにされた (糟谷ら, 2010) 。

浄水場などでの塩素消毒の際、有機物を前駆物質として発生するトリハロメタンの発がん性が問題視され、農業分野でも調査がなされた。代かき・移植・除草などの土壌撹拌や鶏ふんの施用は、田面水の溶存態有機物濃度を高め、トリハロメタンの生成能を高めること、また、塩化アンモニウム系の肥料や鶏ふんの施用は、田面水の臭化物イオン濃度を高めて生成するトリハロメタンの組成を変えることがわかった(村山ら, 2001a,)。農村集水域小河川の平水時のトリハロメタン生成能は、灌漑期にはわずかながら水道水基準値を超える場合が認められた (村山ら, 2001b) 。

2.3 動態モデル

微細な土壌粒子に吸着し懸濁態で移動する物質(リンなど)の流出量を評価するため、土地利用連鎖情報をもとに各地目から河川までの流出経路を設定し、実測データに基づいて懸濁物質発生・堆積特性をモデルに組み込み、アメダスデータを用いて各地目から河川への懸濁物質流出量を算定するモデルが作成された (板橋・竹内, 2004) 。

流域の窒素動態を記述するさまざまなモデルの研究が継続的に進められた。水田等の湛水域が、畑・樹園地・草地と河川・湖沼等の間に大面積で存在する場合には、ここで脱窒除去される窒素量は無視できないことから、発生負荷に対する除去作用のポテンシャルを、流域内部の土地利用と地形連鎖により決まる定量的指標(地形連鎖系指標)を用いて評価する手法が提案された (Takeuchi et al., 2005) 。

地表面で生じた窒素負荷が地下水面まで到達する時間は、水の移動や硝酸イオンの土壌吸着による遅延などに影響される。土壌の種類を考慮した硝酸性窒素の地下水到達時間を求め、GISを用いた面的な推定が行われた。利根川流域内の農耕地(水田を除く)においては、地下水到達時間は約0.4〜31年と大きな違いが見られること、難透水性の粘土層の分布地域では、降雨時に浸透水の水平方向への流出がみられ、地下水到達時間も短いことが明らかにされた (坂口ら, 2013) 。農業による流域土壌面への窒素負荷の河川流出過程における主として脱窒による負荷流出低減を記述するGISモデル(MacT)が作成された。日本の農業地域における地形や土地利用の複雑さを表現するために微少サイズのメッシュを採用し、また、地下水中の硝酸性窒素の除去が盛んな水辺域(Riparian zone)の機能を数値モデルにより表現したもので、霞ヶ浦周辺のいくつかの河川流域に適用し、従来の原単位法に比べ、高い精度で予測できることが明らかとなった ( Itahashi et al., 2006; 板橋ら, 2013) 。土壌中鉛直1次元の水・炭素・窒素動態予測モデルLEACHMを、炭素動態予測モデルRoth-Cの有機物分解過程等を参考にして改良(改良LEACHM)し、日本の畑地に多い黒ボク土へなどへの適用がなされた。全国各地の異なる農地土壌における水・炭素・窒素動態に関する長期モニタリングデータを用いて、改良LEACHM予測値と実測値の比較を行ったところ、およそ良い一致を示すことが明らかとなり、改良LEACHMは広域評価に使用できる可能性が示された (Asada et al., 2013) 。

2.4 酸性降下物

欧米では1970年代ころから、酸性降下物の影響とみられる湖沼の酸性化や森林生態系の劣化が観察されている。わが国でも、酸性雨による土壌の科学性への影響を記述するモデルの研究が進められた。酸性降下物による日本の自然土壌の変化の現状を把握し、将来の影響の可能性を予測するために、酸の負荷に対する土壌の緩衝機構をモデル化した化学反応モデルが作成された (Shindo and Fumoto,1999) 。酸性物質の臨界負荷量推定のための定常マスバランスモデルを、既存データを用いてわが国へ適用する方法が開発され、臨界負荷量を有効な排出量削減の指標とするため、酸性化指標の改良が必要であることが示された(新藤ら, 1995)。土壌中での化学反応過程と物質収支に基づいて、大気からの酸性物質の負荷による土壌化学性変化を経時的に推定するダイナミックモデルが作成された。フィールド調査結果への適用により、土壌水濃度変化への鉱物風化や養分吸収によるイオンの供給、消費の寄与が生態系により異なることが示された(新藤・袴田, 1998) 。

また、主に火山灰土壌に着目し、わが国に適用できる土壌酸性化モデルの開発研究も行われた。森林火山灰土壌の硫酸イオン吸着能は、主に土壌のアロフェン含有率と表面積に依存することが明らかにされた。また、すでに多量の硫酸イオンが吸着されているため、将来的な硫酸イオン吸着による酸中和能は比較的小さいと推定された (Fumoto et al., 1996; 麓ら, 1996) 。土壌による硫酸イオンの吸着量は、鉱物表面の水素イオンが付加した水酸基に水和した硫酸イオンが吸着するというモデルで説明でき、これを土壌酸性化モデルに導入することにより、酸性降下物による土壌pHなどの変化を正確に予測できることが示された(Fumoto and Sverdrup, 2000) 。

2.5 農地からのアンモニアの発生

農地に施用される窒素肥料や家畜ふん堆肥等からのアンモニア揮散は、移流・沈着により陸域や水域の富栄養化や硝酸性窒素汚染などに関与する。水田に30 kg N(窒素換算) / ha の尿素を追肥するとアンモニアの顕著な揮散が起こること、アンモニア揮散抑制には全層施肥が有効であることが示された。また、追肥により窒素が一時的に過剰な状態になると、田面だけでなくイネもアンモニアの発生源となることが初めて明らかにされた (Hayashi et al., 2006, 2008) 。日本独自のアンモニア発生係数が算定されていなかったことから、欧州環境庁のガイドブックに準じ、水田への尿素施肥と黒ボク土畑への化学肥料施肥を加えたアンモニア発生係数が求められた, (Hayashi et al., 2009, 2011)。

2.6 水質浄化機能、簡易水質浄化技術

農業用水の水質保全のための簡易浄化法や、農業生態系の持つ水質浄化機能の研究がなされた。小規模分散型処理装置の一つである酸化池について、数理モデルにより農村地域への適用の可能性が検討された (川島ら, 1991)。海生生物由来の若い石灰質資材を充填したカラムによるリン浄化技術が開発された。リン除去のメカニズムが、吸着ではなく炭酸塩からリン酸塩への塩の組換えであるため目詰まりし難しいこと、生成塩が肥料価値の高い形態のリン酸塩であること等の利点がある (Takeuchi and Komada, 1998)。休耕田をビオトープとして造成した表面流型人工湿地において、浄化槽放流水中の栄養塩類と共に、低濃度で水生生物への毒性を示す亜鉛の浄化も効果的に行えることが示された (Abe et al., 2008)。

農業灌漑用ため池の有する窒素浄化機能が、窒素収支の観測と脱窒速度の実測との両面から解析され、ため池により集水域からの窒素流出負荷は30%削減されることがわかった(戸田ら, 1994)。用排水路底泥の脱窒速度をアセチレン阻害法で測定したところ、流速が遅く底泥表層が還元的な条件で脱窒速度が高く、硝酸性窒素除去の約半分が脱窒と評価された(駒田・竹内, 1997)。

3.農耕地の温室効果ガス等の発生実態・評価・制御

3.1 温室効果ガスの測定法の開発と観測

農業生態系から放出される一酸化二窒素フラックスの測定法が開発され、現地での測定に活用し、施肥に伴い農用地から一酸化二窒素が発生していることが明らかにされた(Minami and Fukushi, 1984)。土壌ガス拡散の簡易測定法が開発され、これにより農耕地土壌のガス交換能の実態を調査し、土層および土面における酸素ならびに二酸化炭素の流れの推定に応用できることが示された (Osozawa and Hasegawa, 1995)。二酸化炭素の測定に用いられている微気象学的手法をメタンに適用し、植物群落上の2つの高度間のメタンの濃度差を測定し、微気象学的手法(空気力学的方法)を適用することにより、メタンフラックスを自然条件下で連続的に測定する手法が開発された。これを用い草地におけるメタン濃度とメタンフラックスが自然条件下で測定され、乾燥した人工草地では下向きのメタンフラックスが、また牛の放牧草地では夜間に上向き早朝に下向きのメタンフラックスが観測された (原薗ら, 1995)。水田はメタン発生源の一つであり、チャンバー法によるメタンフラックス測定法が確立され、水田からのメタン発生の機構と量の把握が行われた。密閉チャンバーとFID(水素炎イオン化検出器)ガスクロマトグラフを用いて、温室効果ガスとして注目されているメタンの水田からの発生量を現地で計測し、時期別、有機別施用管理別の発生の特徴を明らかにし、世界でも数少ない計測値に貴重なデータを提供した (Yagi and Minami 1990)。チャンバー法による水田からのメタン発生を測定するための自動システムが開発され、水管理がメタン発生に及ぼす影響が解析された (Yagi et al.,1996)。さらにチャンバーのふたが自動開閉するように改良され、測定時のみドアが閉じられるガスの自動分析システムが開発された(Akiyama et al., 2000)。

ガス分析は、これまで成分ごとに別個に測定していたため多大な時間を要した。測定効率を上げるため、試料ガスを1回注入することによって、温室効果ガス3 成分(二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素)を同時に計測し、かつ注入操作も自動で行える画期的な分析装置が開発された。同時計測は、3成分を完全に分離するための新たな充填剤の導入とそれぞれのガスを検出するためのキャリヤーガスを共通化することで実現された (Nishimura et al., 2005a; 須藤, 2012) 。また、ガスの採取も一般的には手動が主流で、多大な労力がかかるため、測定頻度や期間を十分にとることは困難であった。先に述べたように農環研では自動サンプリング装置を開発・利用してきたが、大型の固定式装置のため他のほ場に移動することは不可能である。そこで、可搬型自動サンプリング装置の開発がなされ、これにより広範な農耕地からの温室効果ガスフラックスのより正確な推定が可能となった(須藤, 2012)。一方、最も一般的に行われている手動設置式のチャンバー法については、高い頻度で測るには労力と設置によるイネへの悪影響から限界があるため、メタン発生速度の日変化を過去の連続測定テータ解析から確認し、誤差±10%以内で測定するための最適な時間帯と頻度が明らかにされた (Minamikawa et al., 2012) 。

3.2 温室効果ガスの発生に影響する要因、メカニズム

メタンが、水田から大気への放出される経路は不明であったが、水田土壌内で生成されたメタンを水稲が溶存メタンとして根から吸収し、水稲葉鞘に存在する微小な孔より大気中に放出することがわかり、水稲のメタン放出に関わる役割が解明された(Nouchi et al., 1990)。水田から大気へのメタンの放出には季節変化が認められたことから、水稲はメタンを放出するパイプ(伝導度)で、土壌水中と大気中のメタン濃度の濃度差による分子拡散で移動すると考えると、この現象を拡散抵抗モデルで説明できることが示された(Nouchi et al., 1994) 。

熱帯の水田からのメタン発生の特徴を明らかにするために、タイ国の9地点の水田でメタンフラックスを雨期と乾期に測定し、その経日変化や日変化が温帯の日本と異なっている場合があること、栽培期間中のメタン発生量は変動幅が大きく、地温だけでなく土壌の化学的性質が大きく影響していることが解明された (Yagi et al., 1994) 。水田ライシメーター試験により、水の浸透速度とメタン発生の関係が調べられ、浸透無しに比べ浸透ありではメタン発生が少ないことが明らかにされた (Yagi et al., 1998) 。大気二酸化炭素濃度の上昇は、水田土壌からのメタン放出を促進するが、その程度は高夜温によって抑制されることがチャンバー実験により明らかにされた。この結果は、気候変化のメタン発生へのフィードバック効果の解明と温暖化の予測に役立つものである(Cheng et al., 2008) 。「未来の水田」を実際の農家ほ場に模擬した施設(つくば未来FACE実験施設)を用いた世界初の実験を行い、約50年後に想定される高二酸化炭素(+200ppm) ・温暖化 (+2℃) 環境下では、水田からのメタン発生量が現在よりも約 80% も増加する可能性があることが明らかにされた (Tokida et al., 2010) 。さらに、栽培中のイネの光合成産物が、水田土壌から発生するメタンの主要な基質の一つであることが、ほ場条件下で初めて明らかにされ、また水・地温の加湿処理によって増加するメタンの基質としても、イネ光合成産物の寄与が大きいことが明らかにされた (Tokida et al., 2011) 。

化学窒素肥料と有機質資材を全面全層施肥して野菜を栽培したライシメーター畑ほ場(黒ボク土)において一酸化二窒素と一酸化窒素の発生が調査され、施肥窒素の0.06〜1.46%に相当することが示された。化学窒素肥料からの発生量は一酸化窒素が一酸化二窒素より多く、逆に、乾燥牛ふんを除く有機質資材からの発生量は一酸化二窒素が一酸化窒素より多いことが観測された。(Akiyama et al., 2000) 。施用有機物の種類により一酸化二窒素の排出量は大きく異なり、施用有機物のC/N比と一酸化二窒素の排出量の間には負の相関関係がみられること、また、わが国の黒ボク土畑全体では、施用有機物と化学肥料からの一酸化二窒素の排出量は同程度であることが明らかにされた(Akiyama and Tsuruta, 2003a, 2003b) 。インドネシア・スマトラ島の湿潤熱帯林土壌からの一酸化二窒素フラックスが観測され、3ケ年平均値で数μgN / m2 hと、他地域の湿潤熱帯林に比較して小さく、季節変化が見られないことがわかった。伐採・焼却されると、一酸化二窒素の発生が急増したが、ゴムの植栽後は次第に減少し、約2年半後に伐採・焼却以前の値に戻ることがわかった(Nakajima et al., 2005) 。野菜腐敗過程から一酸化二窒素を発生させるのは、異化的アンモニア化を行う細菌と推定された。野菜腐敗過程では、有機物が過剰に存在するため、脱窒菌よりも異化的アンモニア化を行う細菌が優先しやすいと考えられた(駒田・竹内, 2003)。

3.3 発生抑制技術

水管理が水田からのメタン発生に及ぼす影響が調査され、間断灌水(落水)処理によるメタン発生量が、常時湛水処理の場合に比べ約1/2であることや、落水日数が長くなると、土層深くまで酸素が到達して酸化還元電位を上げ、再湛水後もメタンが生成されるレベルまで酸化還元電位が下るのに時間が要することなどがわかり、水管理によりメタン発生量制御の可能が示された(Yagi et al., 1996)。また、わが国の水田における間断灌漑水管理・慣行施肥管理は、これまでに知られていたメタン発生抑制効果があることに加え、トレードオフとしての一酸化二窒素発生も少ない技術であることが示された (Nishimura et al., 2004) 。水田を転換畑とすることにより、メタン発生は無くなるが、一酸化二窒素発生が増加することが明らかにされ、排水不良や遊離酸化鉄含量の低い土壌など、メタン発生量がわが国の平均値より多い水田では、畑転換は有効な温室効果ガス発生抑制技術であることが示された (Nishimura et al., 2005b) 。中干し(落水)期間の延長によって水田からのメタン発生を削減することは知られていたが(Yagi et al., 1996)、その効果を検証するため、全国8県9か所の農業試験研究機関ほ場における実証試験が行われ、稲わら、麦わら等の有機物を施用した水田では、中干し期間を慣行からさらに1週間程度延長すればコメ収量への影響を抑えつつメタン発生量を削減できることが実証された(Itoh et al., 2011) 。

農耕地から発生する一酸化二窒素の削減技術に関するほ場試験の文献値を収集し、統計解析を行った結果、慣行肥料と比較した平均的な削減率は硝化抑制剤入り肥料で−38%、被覆肥料で−35%であることが明らかにされた(Akiyama et al., 2009) 。これまで、農耕地から発生する一酸化二窒素の削減に微生物を用いる方法はなかったが、一酸化二窒素を除去する能力の高いダイズ根粒菌をダイズに接種することにより、ダイズ収穫後に根粒が土に帰る際にほ場から発生する一酸化二窒素を47%削減することが明らかにされた。この結果は微生物を用いた世界初の一酸化二窒素削減技術である(Itakura et al., 2013) 。

3.4 温室効果ガスの発生量評価とモデル

世界の農耕地における一酸化二窒素発生量のデータベースを作成し解析した結果から、水田からの直接発生および農耕地からの溶脱による間接発生の排出係数は、それぞれ0.31%および1.24%と推定された (Akiyama et al., 2005 )。

水田から発生するメタンのデータベースを作成・解析することにより、新しい算定方法を提案し、2006年 IPCC 改訂ガイドラインに採用された。このガイドラインは世界各国でのインベントリー算定に用いられることから、世界の温室効果ガス排出量算定の精緻化に大きく貢献した(Yan et al., 2005)。このような貢献に対し、IPCCのノーベル平和賞受賞への貢献を認定する賞状が、IPCCから陽 捷行 ・ 鶴田治雄 ・ 八木一行の3氏に贈られた。 水田の稲わら処理方法や肥料の種類によるメタン発生量の変化をコンピュータで推定できる数理モデル (DNDC-Rice) が開発された。このモデルを活用することにより、水田からのメタン発生量とその削減ポテンシャルを広域評価することが可能となった(Fumoto et al., 2008) 。IPCC ガイドラインに従って、2000年における世界の水田からの年間メタン発生量を算定し、2560万トンであることが明らかにされた。また、間断灌漑の導入と稲わらの管理の改善により、それぞれ、410万トンのメタンが削減可能であると推定された(Yan et al., 2009) 。

3.5 土壌炭素蓄積

陸稲、トウモロコシ、水稲を一毛作した耕地における炭素収支を解析した結果、畑地生態系に比べ水田生態系は比較的炭素収支のバランスのとれた系であることが示唆された(Koizumi et al., 1993) 。土壌炭素動態モデルを使った予測が、土壌炭素収支の評価法として利用されている。広域評価に適用可能で簡便かつ信頼性が高いRothCモデルについて、日本の農耕地土壌への適合性を検証し、その改良が行われた (Shirato et al., 2004; Shirato and Yokozawa, 2005) 。さらに、RothCモデルに内在する不確実性を評価するため、土壌有機物の物理・化学的分画を行い、各画分に含まれる放射性炭素同位体濃度から、RothCモデルの炭素プールと物理・化学的分画による炭素プールとの比較検討が行われた (Shirato et al., 2013) 。土壌中の有機炭素が蓄積される主要なメカニズムとして、非晶質鉱物などへの収着が挙げられるが、異なる鉱物が混在する実際の土壌において、各無機成分がどの程度の有機物を収着しているか不明であった。そこで、熱帯および温帯地域の酸性土壌を対象に、異なる無機成分を可溶化し、同時に溶解する有機窒素量を定量することで、各無機成分との相互作用により蓄積していた有機物量の推定がなされた (Wagai et al., 2013a) 。また、土壌有機物の分解による大気への二酸化炭素放出が温度の上昇によってどの程度増加するか(温度係数)を決める要因の解明が行われた。微生物分解を受けやすい土壌の低比重画分における土壌炭素の分子構造、つまりO-アルキル炭素(分解が速い)に対する芳香族と脂肪族の炭素(分解が遅い)の割合が、温度係数を決めることが、世界で初めて示された(Wagai et al., 2013b) 。

4.広域の物質フロー・地表面収支と環境影響

国レベルでの窒素循環について、わが国の食糧生産・貿易・加工・利用・廃棄などの食糧供給システムを巡る窒素フローの推定が、初めて行われた。これにより輸入食料・飼料の増加に起因する畜産・食生活から環境中への窒素負荷が急増することが明らかにされた (三輪・岩元, 1988) 。また、地域レベルでの窒素フローの現況把握と将来予測を定量的に行う試みがなされ、有機物・廃棄物などの地域内還元および地域外との出入りにより生ずる土壌呼吸・有機窒素の無機化量を容易に算出できる動態モデルが開発された。畜産の減少、非農家人口の増加などを反映して耕地への有機物投入量の減少と食生活から環境への負荷量の増加がうかがわれ、それらの対策の必要性が明らかとなった(松本ら, 1992.)。わが国の食料生産・貿易・加工・利用・廃棄等の食料供給システムを巡る窒素循環を推定した結果、1960年から1987年の間に主として輸入食料・飼料の増加に起因する畜産・食生活からの環境への窒素負荷が急増してきた特徴が明らかとなった (袴田, 1992) 。これまでの算定システムを一部拡充して、わが国の1980年代以降の窒素収支の変遷が明らかにされた。窒素の環境への総排出量は、1992年をピークとして1997年は減少している。そのなかで輸入食飼料由来の窒素量の増加はとまらず、国産由来の窒素量の減少が顕著に認められた (織田, 2006) 。 窒素フローモデルを改良し、食糧生産、流通、消費とともに窒素の無機化や脱窒を組み込んだモデルで、1961-2005年の毎年の窒素フローを推定したところ、食糧と飼料の消費は1980年代中ごろまで増大し、環境への窒素負荷もこの時期徐々に増大したが、その後減少傾向にあることが示された。推定された地下水、河川水の窒素濃度の都道府県平均値は、全国公共用水域の水質結果などの実測データと高い相関を示し、また、河川水質も1990年代ころから改善にむかっていることが推定された (Shindo et al., 2009) 。

農地における窒素やリンの収支は、環境影響の広域評価に重要な指標である。地域レベル(県・市町村)での農地を中心とした窒素収支を評価するためのモデルと、窒素フロー算出に必要となる農業関連統計情報をパソコン用表計算ソフトに併せて収録することにより、簡便かつ迅速に任意の地域における窒素収支が算出可能な窒素循環算定システムが作成された(松本ら, 1995;Mishima et al., 1997) 。また、地域における各種養分による潜在的な環境負荷量を算出するため、統計情報に基づき、作物生産量、化学肥料の施用量、家畜ふん尿の発生量等を推定し、農地での養分(窒素、リン酸、カリ)収支を都道府県・市町村単位で算出するデータベースシステムが作成された(三島ら, 2003) 。さらに、肥培管理に関する調査結果などから、都道府県における作目別窒素・リン酸収支を1985年から2005年の5年ごとに算出したデータベースが作成された。これにより日本全体では収支は逓減していることがわかり、先の新藤らの報告(Shindo et al., 2009)と同様の傾向が認められた。このデータベースにより一酸化二窒素発生量推計や水質への影響評価が可能である (Mishima et al., 2009, 2010 )。

さらに、東・東南アジア地域について研究が展開され、食料生産・消費による窒素の負荷、およびその水質への影響を広域的に推定するモデルが作成された。人口増加と急激な経済成長に伴う肉消費の拡大により、食量生産・消費に起因する環境への窒素負荷が急増し、中国東部で深刻な水質の悪化が予測されることが示された (Shindo et al., 2006) 。

阿部 薫 (物質循環研究領域長)

引用文献リスト

農業環境技術研究所が1983年(昭和58年)12月に設置されてから2013年(平成25年)12月で30年を迎えました。そこで、30年間のさまざまな研究の経過や成果をふりかえり、これからを展望する記事 「農業環境技術研究所の30年」 を各研究領域長等が執筆しました。前号から順次、掲載を進めています。

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