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農業と環境 No.178 (2015年2月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

在外研究(ベルギー・ゲント大学) 報告

私(永井孝志)は 2014 年の4月から 12 月までの9か月間、ベルギーのゲント大学(Universiteit Gent)に滞在して在外研究を行う機会をいただきました。ゲント大学は 1817 年に設立された学生数 41,000 人、職員 9,000 人の大きな大学です (写真1)。昨年( 2014 年)には韓国にもキャンパスを開くなど、国際的にも開かれた大学です。

私はこれまで、農薬などの化学物質について、室内毒性試験データを統計学的に解析することによって、生態系へのリスクを定量的に評価する手法を開発してきました。しかしながら現在、実際の野外環境で見られるような、低濃度で多種類の化学物質に複合的に曝露(ばくろ)された場合の影響についての関心が高まっています。そのような背景のもと、ゲント大学の環境毒性−水圏生態学研究室(Laboratory of Environmental Toxicology and Aquatic Ecology)の客員研究員として、重金属や農薬などの化学物質の複合的な影響を評価する手法の開発に従事しました。ホストの Prof. Karel De Schamphelaere は私と同年齢ですが、ゲント大学のトップ5研究室の一つに認定されるほどの、非常にアクティビティーの高い研究室を率いる新進気鋭の研究者です (写真2)。

研究室では、藻類、甲殻類、昆虫、貝類など、毒性試験に使う各種の生物が飼育され、博士課程の学生を中心にレベルの高い研究が行われていました。さらに、研究室では、生データの管理が専用のシステムを使用して厳格に行われていました。STAP 細胞事件が日本の科学界を揺るがしていた時期と重なっていたため、研究室運営の面でもたいへん参考になりました。


写真1 ゲント大学の正面入口
築200年の荘厳な建築物です。


写真2 ホストの Prof. De Schamphelaere と
研究室のクリスマスパーティーにて。

ここでまず、私が渡航直前に農業環境技術研究所で公表した「河川付着藻類を用いた農薬の毒性試験マニュアル」に基づいて、珪藻(けいそう)を用いた各種金属の複合毒性試験を行いました(写真3)。複合毒性は、その組合せ(物質の組合せ、濃度の組合せ)が無限にあるため、効率的な試験が求められます。私のマニュアルに従うと、従来に比べて、はるかに効率的に多数の組合せの試験を行うことができます。この派遣期間中に、4金属の二種混合の組合せ6通り × それぞれの二種混合で濃度の組合せ 49 通り × 6連の試験 = 1,764 のデータを得ることができ、これらの実験結果を予測するモデルの検討なども行いました。

上記の手法は、単独の生物種に対する複合影響を解析するものですが、実際の生態リスク評価は、単独種ではなく複数の種からなる生物群集をターゲットとします。そこで次に、私がこれまで研究してきた、「種の感受性分布」を用いた種の多様性影響度を評価する手法を、複合影響を評価できるように改良しました。農業環境技術研究所で行った、各種の付着藻類を用いた複合毒性試験の結果を用いて、この新たな解析方法の有効性の検証も行いました。

以上のように、今回の在外研究の期間中に、さまざまな複合影響の評価手法を身につけることができました。日本の生態リスク評価の発展をめざす、今後の自身の研究の中核になると思います。


写真3 珪藻の測定を行っていた実験室
(使いにくいですが)太い柱とアーチ状の屋根がクラシカルな雰囲気を醸(かも)し出します。

私が9か月間生活したベルギーのゲントという都市は、中世の町並みが良く保存されている美しい場所で、また人口がつくばと同程度の程よく都会なところでした(写真4)。私と私の家族は、穏やかな気候、美しい町並み、おいしい食事と、ここの生活が非常に気に入っていました。日本から見たベルギーは、ベルギービール、ベルギーチョコ、ベルギーワッフルなど、美食の国としてのイメージが強いかと思います。美食の国であることは間違いありませんでしたが、それ以上に一番印象に残ったのは、ベルギーが「多言語社会」であることでした。ヨーロッパの十字路に位置するため、さまざまな大国に支配されてきた歴史を持ち、中世の時代からベルギー人はマルチリンガルとしての才能を発揮してきました。現在でもオランダ語、フランス語、ドイツ語の3つの公用語があり、人々は3か国語を話すのが当たり前の社会です(それ故に言語同士の対立もあります)。研究室内でも、オランダ語、英語、フランス語が飛びかい、それらが混ざった謎言語で会話が進みます。私も滞在中にオランダ語を学び、簡単な会話はできるようになりましたが、フランス語はさっぱりわからないままでした。ベルギーは小さな国ですが、欧州連合の本部があり、ヨーロッパの首都としての機能を持っています。これは国の中に複数の民族、言語、文化を抱えそれらをまとめてきた、まさにヨーロッパの縮図としてのベルギーの風土がなせる技なのだと感じました。小さな国が生き残るにはマルチリンガルたれ、という教訓をいつか生かすことができればと思います。

ベルギーと日本をつなぐものに、「フランダースの犬」という有名なアニメがあります。この物語の舞台はベルギーのアントワープというとても美しい町です(写真5)。主人公の少年ネロは、16−17 世紀にベルギーで活躍したルーベンス(当時7か国語を話したと言われている!)のような画家になりたいと願いました。私も滞在中にベルギーの美術館で、ルーベンスの作品を数多く鑑賞しました。その一連の作品の中に、16 世紀のスイスの科学者「パラケルスス」の肖像画があるのを見つけました。彼は「すべての物質は毒であり、毒かどうかは量が決める」という、現在の化学物質のリスク評価の基礎となる概念を築いた人として知られています。自分の研究 → ベルギー → フランダースの犬 → ルーベンス → リスク評価、という奇妙な輪が自分の中でつながった瞬間でした。


写真4 ゲントの中心部
水辺の風景がとくにきれいです。


写真5 (フィクションですが)ネロとパトラッシュが最後に亡くなったアントワープの大聖堂
中にはルーベンスの大作がずらり。

(有機化学物質研究領域 永井孝志)

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