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情報:農業と環境
No.34 2003.2.1

No.34

・国際ワークショップの開催:
     東アジアの農業生態系における物質循環と環境影響評価
     −国際共同研究に向けて−

・平成14年度農業環境研究推進会議の開催

・水不足と地下水汚染

・農業環境技術研究所案内(3):微生物標本館

・農業環境技術研究所案内(4):昆虫標本館

・侵入生物の分布拡大と景観生態学

・「情報:農業と環境」のアクセス:111,111回目の方に!

・本の紹介 101:農業技術を創った人たち、西尾敏彦著、
     家の光協会(1998)

・本の紹介 102:農業技術を創った人たち II、西尾敏彦著、
     家の光協会(2003)

・資料の紹介: Japan-Korea Cooperative Reserach on
  Sustainability and Environmental Benefits of Paddy Farming:
  National Institute for Agro-Environmental Sciences, Japan and
  National Institute of Agricultural Science and Technology, Korea

・遺伝子改変生物の環境への意図的放出に関する
  欧州議会と理事会の指令2001/18/ECの附則IIを補足する手引き書


 
 

国際ワークショップの開催:
東アジアの農業生態系における物質循環と環境影響評価
−国際共同研究に向けて−

 
 
趣 旨
 
 地球上のさまざまな物質は、大気圏、水圏、土壌圏および生物圏を通して持続的に循環している。しかし、20世紀半ば以降の活発な人間活動は、これまでの持続的な物質循環を撹乱しつづけている。その結果、温室効果ガスの増大、水不足、土壌劣化、資源の枯渇、有害化学物質の蓄積や生物多様性の減少などが進行している
 
 1992年に開催された地球サミットでは、人類存続のために地球規模での環境保全の重要性について世界中に警鐘が鳴らされた。これにともなって、現在の憂慮すべき状況に対処するため、地球温暖化防止に関する一連の国際条約や、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)、国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)が加盟国間で締結されている。また、ダイオキシンやカドミウムなど化学物質の汚染に関わる国際的な基準の設定による環境汚染や、生物種の保全を目的とした生物多様性条約による劣化防止に向けた国際的取り組みが、推進されている。
 
 東アジア諸国、とりわけ中国、韓国そして日本は、農耕地からの温室効果ガスの発生、高二酸化炭素濃度の作物への影響、重金属やダイオキシンによる土壌汚染、水質悪化、および導入・侵入生物や遺伝子組換え作物による環境リスクなど共通した農業環境問題を抱えている。このような背景の中で、農業環境技術研究所は、2001年に韓国農業振興庁農業科学技術院、2002年に中国科学院土壌科学研究所と農業環境をめぐる共通問題を解決するため、3研究所による研究協力体制の強化に向けて覚書(MOU)を締結した。
 
 このワークショップは、3研究所による研究協力の第一段階として計画されたものである。ここでは、中国、韓国、日本の農業環境にかかわる研究者が東アジアの農業生態系における不均衡な物質循環の現状を紹介し合い、その環境影響のよりよい解決をもとめて、実行可能かつ効果的な共同研究の行方を討論する。
 

開 催 日 平成15年3月25日(火)〜26日(木)
開催場所
 

 
つくば国際会議場(エポカルつくば) 中ホール200 
(つくば市竹園2-20-3)
主  催 独立行政法人 農業環境技術研究所
参集範囲 国公立・独立行政法人試験研究機関、大学、行政部局等

 
プログラム

 
◇ 325()
10:00 - 10:30
 
Opening and Keynote Address
陽 捷行(農業環境技術研究所 理事長)
 
Topic A: Regional Agriculture and Environment in East Asia
司会:石井 康雄(農環研)
 
10:30 - 11:00 Impact of fertilization on environment in China
  周 健民(南京土壌研究所)
11:00 - 11:30 Environmental and ecological aspects of Korean Agriculture
  嚴 基哲(農業科学技術院)
11:30 - 12:00
 
Agro-Climatological backgrounds for impact assessment in East Asia
  林 陽生(農環研)
 
昼 食
 
Topic B: Greenhouse Gas Emission and Sequestration in Agro-Ecosystem
司会:野内 勇(農環研)・楊 林章(南京土壌研究所)
 
13:00 - 13:25
 
Greenhouse gas emissions from agricultural sources and its control
  申 容光(農業科学技術院)
13:25 - 13:50 Options for mitigating CH4 emissions from rice fields in China
  蔡 祖聡(南京土壌研究所)
13:50 - 14:15
 
Strategies and options for mitigating CH4 and N2O emissions from Japanese paddy fields
  八木 一行(農環研)
14:15 - 14:40
 
Responses of agro-ecosystem to elevated atmospheric CO2 - China Rice/Wheat FACE experiment
  朱 建国(南京土壌研究所)
14:40 - 15:05
 
Rice-FACE: a window to which the responses of agro-ecosystems to future atmosphere
  小林 和彦(農環研)
 
休 憩
 
15:20 - 15:45
 
Estimating carbon sequestration in Japanese arable soils using RothC model
  白戸 康人(農環研)
 
Topic C: Cycling of Farm Chemicals in Agro-Ecosystem
司会:加藤 英孝(農環研)・高 文煥(農業科学技術院)
 
15:45 - 16:10 Modeling on nitrogen cycling in rice-based agricultural system
  韓 勇(南京土壌研究所)
16:10 - 16:35 Nutrient cycling in paddy soils in Taihu Lake region
  楊 林章(南京土壌研究所)
   
16:35 - 17:00
 
Analysis and evaluation system of water quality in a medium-sized river basin
  板橋 直(農環研)
   Reception  18:00 - 20:00
 

 
◇ 326()
9:00 - 9:25 Transport of water and nitrate through soils in North China Plain
  張 佳宝(南京土壌研究所)
9:25 - 9:50
 
Distribution and long-term change of polycyclic aromatic hydrocarbons in Korean Soils
  南 在 (農業科学技術院)
9:50 - 10:15
 
Degradation of POPs and release kinetics of heavy metals in acid red earth of China
  蒋 新(南京土壌研究所)
10:15 - 10:40 Temporal change of dioxins in Japanese paddy field
  清家 伸康(農環研)
 
休 憩
 
10:55 - 11:20
 
Development of a crop-soil database for evaluation of Cd contamination risk in relevant staple crops
  菅原 和夫(農環研)
11:20 - 11:45
 
Estimates and reducing techniques of methyl bromide emission from soil fumigation
  小原 裕三(農環研)
11:45 - 12:10
 
Development of risk assessment methodologies for relevant pollutants in the agro-ecosystems
  鄭 弼均(農業科学技術院)
 
昼 食
 
Topic D: GMO, Bio-Remediation and Bio-Diversity
司会:岡 三徳(農環研)・蔡 祖聡(南京土壌研究所)
 
13:10 - 13:35
 
Environmental impact assessment of genetically modified crops in relation to pollen dispersion
  松尾 和人・川島茂人・岡 三徳(農環研)
13:35 - 14:00
 
Assessment of root exudates components in genetically modified crops
  施 衛明(南京土壌研究所)
   
14:00 - 14:25
 
In situ bioremediation of herbicide simazine-polluted soils in a golf course using degrading bacteria-enriched charcoal
  高木 和広(農環研)
14:25 - 14:50
 
Assessment methods for indirect effects of introduced hymenopteran parastitoids to agro-ecosystems in Japan
  望月 淳(農環研)
 
休 憩
 
Topic E: Construction of Environmental Resources Inventory and Its Utilization
司会:上沢 正志(農環研)・鄭 弼均(農業科学技術院)
 
15:05 - 15:30
 
Monitoring of environmental resources and its utilization in Korea
  高 文煥(農業科学技術院)
15:30 - 15:55 A 1:1,000,000 digital map and reference system of China
  史 学正(南京土壌研究所)
15:55 - 16:20 Construction of soil inventory and its utilization
  小原 洋・大倉 利明・戸上 和樹(農環研)
16:20 - 16:45 Construction of insect inventory and its utilization
  安田 耕司(農環研)
 
Discussion for Future Cooperation 司会:今井 秀夫(農環研)
 
17:20 - 17:30 Closing 周 健民(南京土壌研究所)
 

  問い合わせ先 農業環境技術研究所 企画調整部 研究企画科
      305-8604 つくば市観音台3-1-3
      Tel 029-838-8180 Fax 029-838-8167
      e-mail:kikaku@niaes.affrc.go.jp

 
 

平成14年度農業環境研究推進会議の開催
 
 
趣 旨
 
 農業環境研究推進会議運営要領に基づき、農林水産省関係行政部局と関係研究機関等からの要望を受け、農業環境研究に関する意見交換を行い、研究の推進を図る。本推進会議は、本会議、研究推進部会、評価部会で構成する。
 
1.本 会 議
日 時 平成15年3月3日(月) 10時〜12時
場 所 農業環境技術研究所大会議室
趣 旨

 


 
関係行政部局及び関係試験研究機関から提出された研究問題について農業環境研究推進の観点から検討し、今後取り組むべき研究課題を明確にする。
議 題

1) 平成13年度農業環境研究推進会議において行政部局及び研究機関から出された要望等への対応状況
    2) 平成14年度研究推進状況の総括
    3) 平成14年度評議会報告
    4) 独立行政法人評価委員会による平成13年事業年度の評価結果報告
    5) 平成14年度に実施した研究会・シンポジウムの概要報告
    6) 平成15年度のプロジェクト・研究会・シンポジウム等の予定
    7) 行政部局及び研究機関からの要望
    8) その他
参集者 行政部局および研究機関の関係者

 

 
農業環境技術研究所の理事長、理事、企画調整部長、総務部長、研究部長、センター長、グループ長、研究企画科長等
 
2.研究推進部会
日 時 平成15年3月3日(月) 13時〜17時
場 所 農業環境技術研究所大会議室
趣 旨




















 





















 
 CODEX委員会食品添加物・汚染物質部会(CCFAC)において、食品中のカドミウム最大基準値案が検討されている。2003年6月に開催予定のFAO/WHO合同食品添加物専門家会合(JECFA)において、我が国で実施している疫学調査結果に基づき、カドミウムのリスク評価を再度行い、これに基づいて基準値案を見直すことが合意されている。提案されている米のカドミウム新基準値は、精米で0.2mg/kgである。また、果実、ダイズ、小麦、野菜等他の農産物に対しても、それぞれ基準値案が提案されている。一方、わが国では食品衛生法に基づいて、玄米で 1ppmの基準値が制定されているに過ぎない。もし、これらの新基準値案が承認されるとなると、わが国の農業に与える影響は計り知れない。

 本部会では、当方からCODEX委員会新基準値案検討状況、疫学的調査結果の解析、当所を中心に行っている農作物中カドミウムの低減化技術等について総括的な説明を行う。また、地域農業研究センター及び関係公立場所から、グローバル化が地域農業に与える影響を「CODEX新基準等に見られる国際環境基準値の引き下げ」を例に解析し、合わせて、その対策についても提示する。さらに、その問題の解決に向けて当所がどう支援・協力できるかを議論する。これらの論議を通じて、農業環境技術研究所と地域の連携・協力のあり方を探る。
 
議 題 「グローバル化が地域農業に及ぼす影響と環境問題:その2」

 

 
−食品中カドミウム濃度に関するCODEX新基準が
  地域農業に及ぼす影響とその対策−
    1) 理事長あいさつ
    2) CODEX新基準値案とカドミウム低減化技術
       今井秀夫(農業環境技術研究所 化学環境部長)
    3) 地域におけるカドミウム新基準に対する影響評価と対策技術
       朝倉健司(農林水産省 生産局農産振興課 技術対策室課長補佐)
       能代昌雄(北海道立中央農業試験場 農業環境部長)
       飯塚文男(秋田県農業試験場 次長)
       和田健夫(長野農業総合試験場 環境保全部長)
       山田信明(富山県農業技術センター 土壌肥料課長)
       伊藤邦夫(鳥取県農業試験場長)
       久保健一(熊本県農業研究センター 農産園芸研究所長)
    4) 連携・協力のあり方
参集者   行政部局および研究機関の関係者

 

 
農業環境技術研究所の理事長、理事、企画調整部長、総務部長、研究部長、センター長、グループ長、研究企画科長等
 
3.評価部会
趣 旨
 

 
主要成果検討会で選考された主要成果を提示し、行政部局、他研究機関等の意見を聞く
日 時 平成15年3月4日(火) 9時〜12時
場 所 農業環境技術研究所 大会議室
議 題 1) 平成14年度主要成果の評価・採択
    2) その他 
参集者 行政部局および研究機関の関係者

 

 
農業環境技術研究所の理事長、理事、企画調整部長、総務部長、研究部長、センター長、グループ長、研究企画科長等
 
 

水不足と地下水汚染
 
 
はじめに
わが国ではそこまで思い至らないかも知れないが、地球は水不足の時代へ入った。というのも、水不足による食料生産の減少で、世界人口の15%が十分な栄養が取れないなど食料問題に直結する事態が生み出されているからである。
 
今後、地球上には現在の日本の人口の3分の2に相当する人口が毎年増えると予測されているので、この水不足と食料生産の停滞は、深刻さを増すばかりである。6割(カロリーベース)の食料を海外に依存しているわが国は、水不足の問題からも食料自給率の向上を考えなければならない。
 
わが国では、梅雨、台風、雪を大きな水資源として年間1,700ミリメートルという世界平均の2倍の降水量があるので、水不足などは別の世界のことのように考えてしまう。太平洋高気圧が強く張り出す夏のある年には、たまに渇水状態になって、取水・給水を制限することはある。しかし、このことがすぐに食料生産の大幅な落ち込みにはつながっていない。
 
このように、水資源から見て極めて恵まれた食料生産の条件を有するにもかかわらず、わが国の食料自給率は40%に過ぎない。60%に及ぶ大量の輸入農産物の生産を水資源の面から見ると、水不足の問題はわが国にとってきわめて大きい。
 
農産物を1トン生産するのに必要な水の量は、米で2,500トン、麦や豆で1,000トン、肉で7,000トンといわれる。となると、年間3,000万トンを超す農産物を輸入しているわが国は、全体で580億トンの水を海外のいたるところで消費していることになる。このことも世界的な水不足が生じている原因の一つになっているのかも知れない。これを生活用水に換算すると、発展途上国では15億人分以上にもなる。World Water Vision 「世界水ビジョン」は事態の深刻さを訴えている。
 
日本がこれまで構築してきた水管理の技術を世界に役立てる時がきた。世界の貴重な水を使って生産した食料をかき集めてくる生き方を、真摯に反省する時がきた。
 
人口増加と灌漑
20世紀を定義づける特徴は、成長である。この成長の物語は人口に始まる。世界の人口は人類が出現してから1900年までに16億人に達した。人口が20億人を超えたのは1930年のことである。1960年に30億人になった。40億人になったのが1977年である。そして、わずか12年後の1989年には50億人になった。2000年には60億を超え、今や63億の人口である。
 
この人口の増加によって、21世紀に生きるわれわれが直面している限界のある問題は、おもに淡水、森林、牧草地、海洋漁場、生物多様性、そして地球の大気とオゾン層である。ここでの報告は、淡水資源の水不足と地下水汚染に焦点を当てる。
 
我々の祖先は、古代メソポタミア時代以来、ずっと水不足と闘ってきた。しかし、いま拡大しつつある水不足の問題は、新しい千年紀にこの世界が直面している資源および環境問題のなかでも、最も過小評価されている問題かも知れない。
 
水を語らずして、人類の文明史と農業を語ることはできない。農業の最初のものがたりは、より豊かな土地を求め、それを利用し、より居住可能な生産環境を得るための治水の物語でもある。メソポタミアの入植者達は、六千年前に食糧を生産するための新しい方法を見つけた。彼らはメソポタミアの高地から南下し、チグリス川とユーフラテス川にはさまれた乾燥した平野―現在のイラク南部―に移住した。この新しい定住地は、作物の発芽にも生育にも好適地であったが、収穫期がくる前に乾燥のために作物が涸れてしまう土地であった。これらの入植者は、この問題について効果的で単純な解決策を考えついた。すなわち、溝を掘ってユーフラテス川から畠に水を引いたのである。これが灌漑農法の始まりであった。
 
このような灌漑農法は、それまでの他のどんな農業活動よりも劇的に農地と人間社会を変容させた。そして、灌漑は大量の余剰食料を生んだ。そのことが、文明の開化を支え、新しい社会的発展の基盤をかたちづくった。多くの文明が、過去六千年の間に出現しそして消滅していった。そのなかで、灌漑が果した役割には、歴史的な興味だけではとうてい語り尽くせない文明と農業の物語がある。
 
灌漑の歴史は、同時に灌漑農業に立脚したほとんどの社会が、長い年月の内に必ず崩壊することをもわれわれに教えている。灌漑によって一方では土地が変容し、土壌の劣化という脅威が絶えず頭をもたげた。特に深刻なのが塩類の集積であった。たとえば、灌漑水に含まれる塩類が土壌を汚染し、肥沃度を低下させ、作物の生育・収量を次第に低減させるのである。
 
世界の水資源
淡水には、緑の水(Green water)と青い水(Blue water)とがある。緑の水の総量は、およそ6万kmである。その緑の水―土壌に蓄えられる雨と、それらが植物や有機物に取り込まれて蒸散に使われるもの―は、自然生態系や天水農業の主な水の源で、世界の食料生産の60%を生産している。
 
青い水−地上において循環している地表水と地下水−は、人間が伝統的に管理し活用してきた主な水源である。青い水の総量は、およそ4万kmである。人間はここから農業用水として2,500km、他の産業用水として750km、生活用水として350kmを使っている。その合計は、全体の約10%にあたる。人類が使用する総量3,800kmのうちの2,500kmは灌漑に使われ、これは70%に相当する。そのうちの55が大気に戻り、45%は水質が劣化した後、河川や帯水層に戻る。20世紀の世界の水利用の姿を表1に示した。
 
灌漑への依存
歴史を眺めてみると、過去に崩壊した多くの社会がそうであったように、近代社会も灌漑にその基礎をおいている。中国、エジプト、インド、インドネシア、パキスタンなど多くの国々は、国内の食料生産の半分以上を灌漑農地に依存している。今日、世界の食糧の約40%は全耕地の17%を占める灌漑した土地で生産されている。インド、中国、米国、パキスタンの4カ国が世界の灌漑地の半分以上を占め、また上位10カ国が世界の灌漑地の3分の2を占めている(表2:灌漑面積、上位20カ国と世界合計 1995)
 
世界の灌漑用地の3分の2がアジアにある。中国では穀物生産量の約70%は、灌漑用地で栽培されている。インドでは50%、米国では15%である。その他、エジプト、インドネシア、パキスタンを含む多くの国が、国内食料生産の半分以上を灌漑農地に頼っている。
 
中国、インド、北アフリカ、サウジアラビア、米国の地下水の過剰汲み上げ量は合計で1,600億トンを超えるという。1トンの穀物を生産するためには約1,000トンの水が必要なので、これは1億6,000万トンの穀物に相当する。これは米国の穀物生産量の半分にあたる。
 
21世紀が始まったが、農業は依然として灌漑に依存している。世界の食糧の約40%が、いまでは灌漑農地から生産されている。多くの農業専門家は、今後30年間に必要となるさらに多くの食料の大部分が、こうした灌漑農地から供給されると考えている。しかし、これまで順調に発展してきた灌漑ブームは、この20年間で沈静化し始めている。1970年から1982年までは、世界の灌漑面積は年平均2%の割合で増えていった。しかし、1982年から1994年の間は、この割合が年平均1.3%に下がった。今後25年間の年平均増加率は、最大でも0.6%を超えないであろう。1人当たりの灌漑面積は1978年がピークだったが、それ以後、5%少なくなっている。2020年には、このピーク時から17−18%減少するであろう。
 
現在、世界中の河川からの引水や、地下からくみ上げているすべての水の70%が、農業生産のための灌漑用水として使われている。20%が工業用水、10%が生活用水として使用されている。水に関する経済学は農民には不利に働く。1,000トンの水を農業で利用すると1トンの小麦が生産でき、これは200ドルに相当するが、おなじ水を工業生産のために使えば14,000ドルかせぐことができる。その差は70倍である。したがって、農業用水、工業用水、生活用水の需要が高まって希少な水をめぐる競争が激化すると、敗れるのはほとんど例外なく農業ということになるであろう。
 
灌漑の危険性
灌漑農地の増大はまさに極限といえる段階に達し始めた。灌漑に適した土地は、世界のほとんどの地域で既に開発されつくされた。灌漑用水を新たな土地に引くのは、困難で費用のかかるものになっている。その上、世界の灌漑システムの多くは、健全な状態で維持されていない。数十年にもわたって使用された灌漑システムは、修復の必要性のあるものが全体の50-70%に達している。だが、灌漑の基盤は過去のどの時代よりも危機にさらされている。多くの問題点が恐ろしいほどの勢いで明らかになりつつある。
 
インド、パキスタン、中国、米国西部など世界の重要な食料生産地域で地下水がくみ上げられているが、そのほとんどの地域で、地下水の利用量が自然の補給量を上回っている。地下水資源の減少がもっとも著しいのはインドと中国である。インドの大部分の地域では地下水位が低下し、何千もの村で井戸が干上がっている。帯水層の水の枯渇に伴って、灌漑用水が減少し、インドの穀物生産量は25%程減少するおそれがある。中国では、平野のほぼすべての場所で地下水位が低下し続けている。中国の穀物の40%を生産する華北平原では、地下水位が1年に1.6メートルずつ低下している。地下水の過剰揚水は目に見えないが、いっそう深刻である。インドの主要な穀倉地帯のパンジャブ州では、広い地域に渡って地下水が年に0.5メートル、ハリヤーナ州では年に0.6から0.7メートル下がっている。
 
1997年2月7日、中国文明の発祥の源である「母なる川」黄河に異変が起きた。流れが止まったのである。済南から河口まで、川底が干上がった。連続130日続いた。黄河はこの10年にわたって、毎年干上がっている。干上がる地域は河南省から河口まで、はるか600キロメートルにおよぶことも多い。
 
南アジアのガンジス川とインダス川、アフリカの北東部のナイル川、中央アジアのアムダリア川とシルダリア川、タイのチャオプラヤ川、北アメリカ南西部のコロラド川はいずれも、ダムでせき止められたり取水されたりしているので、川の水がほとんど海へたどり着けない時期がある。
 
タイのチャオプラヤ川流域では、水の需要が供給可能量をすでに超えている。川の流量は船舶航行にとっては、つねに不十分である。バンコクでは河川水が不足しているので、地下水の過剰汲み上げに依存し続けている。そのためバンコク市の一部が沈下し始めている。
 
水不足は今や、世界の食料生産にとって最大の脅威になっている。食料生産がどのような過程をたどるかは、水しだいとも言える。
 
さらに、これまでの地球規模の食料予測モデルは、水の供給量に制約があることをほとんど無視している。その結果、将来の食糧供給については過度に楽観的な予想をしている。
 
灌漑と塩類土壌
砂漠を肥沃な畑に変え、河川の流れを人間の必要に応じて変える見返りとして、自然は無数の形で厳しい取り立てを開始している。なかでも恐ろしいのは、灌漑に伴いがちな塩害である。これまで、いくつかの古代の灌漑文明を蝕んでいった。
 
農家が作物を灌漑すると、灌漑用水のなかの塩類が土にたまる。良質の水でも、200−300ppm濃度の塩類を含んでいるのが普通だ。また、耕地1ヘクタール当たり年間1万トンの灌漑用水を使用するのは標準的なことである。この量の灌漑用水を使用することによって、その土地には毎年2−5トンの塩類が追加されることになる。その塩類を洗い流さなければ、数十年の間には途方もない量の塩類が集積する可能性がある。
 
世界の灌漑農地の5分の1は、土壌への塩類集積に悩まされている。塩類集積のために、中国、インド、パキスタン、中央アジア、アメリカの広い地域で農地の生産力が低下している(表3)。
 
灌漑の未来と対策
また、人口の増加と技術の進歩が食料生産に大きな影響を与えている。毎年約8,000万人が新たに人類の仲間入りをしている。毎年、いわば日本人の約3分の2が誕生しているわけである。このまま人口が増大すれば、2025年に必要とされる食糧生産レベルに到達するためには、最大で2,000立方キロメートルの灌漑用水がさらに必要である。この量は、ナイル川の年間流量の24倍、コロラド川の110倍に相当する。
 
最近の予測では、世界人口は2025年までに28億人増えて、89億人に達すると予想されている。途上国世界では今世紀中に人口が2倍ないし3倍に増加すると予想されており、これまでよりも増加ペースが加速すると見られる。
 
地球の自然システムは拡大しないが、世界の人口は拡大し続ける。水循環によって生産される淡水の量は、今日も1950年も基本的には変りなく、2050年にもおそらく変りないであろう。このことは生活の質が低下するだけでなく、状況によっては生存そのものも脅かしかねない。
 
これから数十年間先に予測される人口を養うことがさらに困難になるのは、世界全体の一人当たり耕地面積が減少していることである。20世紀半ば以来、一人当たり穀作耕地面積は、0.24ヘクタールから0.12ヘクタールに半減した。たとえ、これから半世紀のあいだ世界の耕地総面積がほぼ一定に保たれたとしても、一人当たりの面積は2050年には0.08ヘクタールに減少するだろう。
 
これからの数十年間の世界の灌漑システムは、年0.6%程度の拡大にとどまると予想される。2020年には、世界の一人当たり灌漑面積は1978年のピークに比べ、17−28%減少すると予想されている。私たちがより一層、灌漑に依存しようとしている今、灌漑の基盤は多数の弱点を見せている。たとえば、塩類の集積、土砂の流出と堆積、インフラの不備、宗教的対立、予期せぬ気候変動など、古代の灌漑文明が知らぬ間に蝕まれていったのと同じ脅威が頭をもたげている。
 
人類の将来に影響を及ぼしつつある動向の中で最も目に見えにくいもののひとつが、地下水位の低下である。浸水、塩類集積、水路の沈泥といった灌漑に伴う問題は数千年前に遡るが、地下帯水層の枯渇はおおむね過去半世紀に始まった実に新しい問題なのである。
 
今日の灌漑農業を特徴づけるあらゆる脆弱(ぜいじゃく)性のなかで、地下帯水層の枯渇ほど重大な現象はないであろう。多くの地域で、農業活動は帯水層に自然に貯まる水の量を上回る速度で地下水を汲み上げ、地下水位を着実に低下させている。いまやこの問題は、中国の中央部と北部、インドの北西部と南部、パキスタンの一部地域、米国西部の大部分の地域、さらに北アフリカ、中東、アラビア半島などいたるところで起きている。
 
灌漑の歴史は六千年に及ぶ。近代灌漑はおよそ200年の歴史があるだけで、経験の浅い実験に過ぎず、まだ結果も出ていないのが現状である。私たちが歴史から学ぶべきもっとも重要な教訓とは、灌漑を基盤とするほとんどの文明は衰退しているということである。
 
農業用水の生産性を引き上げるのに有効な対策は数多くある(表4)。生産性を改善するためには、各地域に特有な農耕文化、気候、水文学的条件、作物選択、水使用方式、環境条件、その他の特徴に合った戦略をつくることである。
 
過去半世紀における農業が必要とした最大の課題は、土地の生産性を高めること、つまり単収を増やすことであった。21世紀に向けての新しい課題は、水の生産性を高めること、つまり灌漑用水1リットル当たりの収穫量を増やすことであろう。
 
地下水の汚染
地下水が汚染を受けている地域とそれらが直面している主な脅威の例を表5に示した。主な脅威は、硝酸塩、農薬、石油化学物質、塩素系溶剤、ヒ素、重金属、放射性物質、フッ化物および塩類である。
 
耕地から流出する過剰な窒素肥料のほかに、家畜糞尿と生活汚水から来る硝酸塩を大量に含む水が窒素の脅威をさらに大きくする。とくに家畜糞尿は、その膨大な量により環境に放出される過剰な養分の流れに大きな影響を及ぼしている。
 
中国北部の北京市、天津市、河北省、山東省では、調査地点の半数以上で、地下水の硝酸塩濃度が1リットルあたり50ミリグラムを超えていた(世界保健機構の定める飲料水基準値は45ミリグラム)。硝酸塩濃度が300ミリグラムに達していた地点もあった。この調査が行われたのは1995年なので、それ以降、施肥量の急増にともなってこれらの数値はさらに上昇したと考えられる。米国、インド、韓国、日本、インドネシア、台湾など世界の他の地域からの報告も同様な結果を示している。
 
おわりに
1ヘクタールあたりの土地で「どれだけの食料が得られるか」という「土地の生産性」が、20世紀の後半の食料生産の限界を決定したように、1リットル当たりの水で「どれだけの食料が得られるか」という「水の生産性」が、21世紀の農業生産の限界を決定する。
 
この「水の革命」、色で言えば「青(ブルー)の革命」は、過去数十年間の「緑の革命」より実行が難しいだろう。
 
農民、水の管理者、社会全体を支援し、灌漑に使われている水から、もっと多くの生産物と利益を得るための方法は様々ある。また次々と新しい技術も出てきている(表4)。
 
しかし、歴史は、灌漑を基盤とした社会はほとんど滅びることを教えている。科学的根拠と知性を無視し、基本的な環境条件を無視した方法で、より多くの収穫とより高い生産性を追求しすぎると、土地は不毛になり、それを基盤とする社会の崩壊につながると言うことである。とはいえ、灌漑はますます不可欠になっている。私たちの食糧の40%ほどは灌漑農地で生産されている。この割合はさらに増えてゆくであろう。
 
サンドラ・ポステルは「地球の水を共有する倫理」のなかで指摘する。消えていった過去の灌漑社会の問題と今日の灌漑農業の状況とがよく似ていることに、驚かされる。現在起っている塩類集積から水をめぐる争いまでが、過去の問題のくり返しである。そのうえ、現在はまったく新しい要素が加わって、状況はこれまでよりもいっそう困難である。
 
まず第1に、問題の不安な前兆が早々と現れてきている。すでに多くの土地で現在の生産性が維持できるかどうかが危うくなっている。今日の灌漑基盤の60%は建設・整備されて50年もたっていないと言うのに、すでに多くの土地で現在の生産性が維持できるかどうか危うくなっている。
 
第2に、土壌への塩類集積、貯水池への土砂の流入と堆積、肥大化する都市への灌漑用水の転用によって、灌漑農地が侵食され、灌漑用水基盤が急速に劣化している。
 
第3に、緑の革命の驚異的な成功がひとびとに過大な自信を抱かせ、その先にある問題の規模を見えなくしている。
 
第4に、人口と地球の淡水量のバランスが急速に崩れてきているために、私たちの目前にある問題は人類史上になかった規模になっている。いまから25年の間に、水不足に悩む国の人口は6倍以上に増え、現在の4億7000万人から30億人になると予測されている。
 
最後に認識しておくべきことは、21世紀に予想されている気候変化が、食糧と水の問題に全く新しい側面を加えていることである。定住農耕文化が始まって以来、いまだかってそれほどの規模で地球の気温が変化したことはない。
 
したがって、21世紀に生きるすべての人に十分な食料と水を供給するという目標を達成するためには、より賢明な政策、より優れた技術が重要な役割を果たすことになる。また、消費を抑えて、われわれ個人が、また人類全体が地球にかけている圧力を軽減することも必要である。地球というシステムに多少とも余裕を持たせなければ、やがては突然に崩壊してしまう。資源を枯渇させるのではなく、再生させ、地球の自然資源をつぶすのではなく、守るような、新しい灌漑農業の形態を構想することが必要だ。
 
だが問題は時間だ。すべての人間が、一つしかない地球生命圏に乗船している。満載となる喫水線はすべての人に同じ意味をもつ。そして、積荷を軽くするために行動する時間は、もはや少ししか残っていない。
 
参考文献 
1)水不足が世界を脅かす:サンドラ・ポステル著、福岡克也監訳、家の光協会(2000)
2)地球白書1999−2000:レスター・ブラウン編著、浜中裕徳監訳、ダイアモンド社(1999)
3)地球白書2000−01:レスター・ブラウン編著、浜中裕徳監訳、ダイアモンド社(2000)
4)地球白書2001−02:レスター・ブラウン編著、エコ・フォーラム21世紀監修、家の光協会(2001)
5)地球白書2002−03:クリストファー・フレイヴィン編著、エコ・フォーラム21世紀監修、家の光協会(2002)
6)Johannesburg Summit 2002: Global Challenge Global Opportunity, United Nations (2002)
7)World Water Vision: World Water Council, 2000, Earthscan Publication Ltd (2000)
8)農業新聞:論説、2003年1月10日
 

 
  表1 20世紀における世界の水利用  
          単位:km  

 

 

 
1900年 1950年
 
1995年
 

 
             
  農業 取水 500 1,100 2,500  
    消費 300 700 1,750  
  工業 取水 40 200 750  
    消費 20 80  
  生活 取水 20 90 350  
    消費 115 50  
  貯水施設 蒸発損失 10 200  
             
  合計 取水 600 1,400 3,800  
    消費 300 750 2,100  
 

 
表2 上位20カ国の灌漑面積と世界の合計、1995年
         

 
 国
 
灌漑面積
 
灌漑されている
耕地の割合

 
    (100万ヘクタール) (%)  
  インド 50.1 29  
  中国 49.8 52  
  米国 21.4 11  
  パキスタン 17.2 80  
  イラン 7.3 39  
  メキシコ 6.1 22  
  ロシア 5.4  
  タイ 5.0 24  
  インドネシア 4.6 15  
  トルコ 4.2 15  
  ウズベキスタン 4.0 89  
  スペイン 3.5 17  
  イラク 3.5 61  
  エジプト 3.3 100  
  バングラデシュ 3.2 37  
  ブラジル 3.2  
  ルーマニア 3.1 31  
  アフガニスタン 2.8 35  
  イタリア 2.7 25  
  日本 2.7 62  
  その他 52.4  
  世界 255.5 17  
         
出所:U. N. Food and Agriculture Organization,1996
Production Yearbook(Rome;1997)
 

 
表3 世界の灌漑地における土壌の塩類集積(1980年代後半)
         

 
 国
 
塩害を受けている
灌漑農地
塩害を受けている
灌漑農地の割合

 
    (100万ヘクタール) (%)  
  インド 7.0 17  
  中国 6.7 15  
  パキスタン 4.2 26  
  アメリカ 4.2 23  
  ウズベキスタン 2.4 60  
  イラン 1.7 30  
  トルクメニスタン 1.0 80  
  エジプト 0.9 33  
         
  小計 28.1 21  
  世界の推定値 47.7 21  
         
注:1)

 
塩類集積の推定時期とほぼ同じ、1987年の灌漑面積数値に基づく。ただし、ウズベキスタンとトルクメニスタンの灌漑面積はFAO、1996 Production Yearbookによる。

 
2)
 
塩害を受けている灌漑農地の世界の推定値については、小計の21%を仮定にして算出した面積である。
 
 
出所:Adapted from F.Ghassemi, A, J,Jakeman, and H, A, Nix, Salinisation
of Land and Water Resources (Sydney : University of New South
Wales Press, 1995)
 

 
  表4 灌漑水の生産性を改善するための技術と対策
     
  カテゴリー 技術/対策
  技 術 ・より均等に灌漑するための土地の平坦化
    ・水の配分を改善するためのサージ灌漑
    ・より均等に施水するための効率的なスプリンクラー
    ・蒸発と風による損失を減らすための低エネルギー型精密施水スプリンクラー
    ・土地への浸透を促進し、地表流出を減らすための畝間堰
    ・蒸発その他の水損失を減らし、作物単収を増やすための点滴灌漑
  管 理 ・灌漑スケジュールづくりの改善
    ・適時に水を供給するための水路管理の改善
    ・作物の単収を決定づける重要な時期における灌漑
    ・水保全型の耕転法
    ・水路と設備のメンテナンスの改善
    ・排水の再利用
  制度機構 ・農民の参加と料金徴収を促進するための水利組織の設立
    ・灌漑補助金の削減および節水促進型の水価格設定
    ・効率的で公平な水市場形成のための法的枠組みの確立
    ・民間部門による効率改善技術の普及を促進するためのインフラ整備
    ・訓練・改良普及活動の改善
  栽培技術 ・蒸散水分1リットル当たりの収量の高い作物品種の選択
    ・土壌水分を最大限に利用するための間作
    ・気候条件および利用可能な水の質により適した作物の選択
    ・土壌と水の塩分濃度が一定の条件下で生産を最大化するための輪作
    ・水供給が乏しいかまたは安定しない地域における旱魃(かんばつ)に強い作物の選択
    ・水効率の高い作物品種の開発
 

 
表5 地下水への主要な脅威
       
脅 威

 
汚染源

 
高濃度で汚染された場合の
人体と生態系への影響
リスクの高い主要地域
 
       
硝酸塩






 
化学肥料の流出;畜産糞尿;汚染処理システム




 
脳への酸素供給を阻害し、乳幼児を死亡させるおそれがあるブルーベビー症候群
消化器系その他の器官のガンに関連する;水域における藻類の異常増殖と富栄養化を引き起こす
アメリカの中西部と大西洋岸中部、中国華北平原、インド北部、東ヨーロッパ各地


 
       
農 業





 
農場、庭、ゴルフ場からの流出;埋立地からの漏出



 
有機塩素系化合物は野生生物の生殖機能と内分泌機能の障害に関連する;有機リン酸化合物とカルバミン酸化合物は神経系の障害と各種ガンに関連する アメリカの一部地域、中国、インド




 
       
石油化学物質


 
地下石油貯蔵タンク


 
ベンゼンその他の石油化学物質にさらされると、それが低濃度であってもガンの原因になることがある アメリカ、イギリス、旧ソ連の一部地域

 
       
塩素系溶剤



 
金属とプラスチックの脱脂洗浄;衣料クリーニング;エレクトロニクス製品と航空機の製造 生殖機能障害と一部のガンに関連する



 
カリフォルニア州、東アジアの工業地帯


 
       
ヒ 素


 
自然界に存在


 
神経系と肝臓障害;皮膚ガン

 
バングラデシュ、インド西ベンガル州、ネパール、台湾
       
その他の重金属
 
採鉱滓;埋立地;有害廃棄物処分場
 
神経系と腎臓の障害;代謝異常
 
アメリカ、中央アメリカ、東ヨーロッパ
       
放射性物質
 
核実験と医療廃棄物
 
一部のガンのリスクを高める
 
アメリカ西部、旧ソ連の一部地域
 
       
フッ化物


 
自然界に存在


 
歯への影響;脊髄と骨の損傷

 
中国北部、インド北西部、スリランカの一部地域、タイ、東アフリカ
       
塩 類



 
海水の浸入



 
淡水が飲料用や灌漑用に使用できなくなる


 
中国とインドの沿岸部メキシコとフロリダ州の湾岸部、オーストラリア、タイ
 

 
 

農業環境技術研究所案内(3):微生物標本館
 
 
 (独)農業環境技術研究所が設立された平成13年4月に、新しく農業環境インベントリーセンターが設置された。このセンターには、土壌分類研究室、微生物分類研究室および昆虫分類研究室とがある。それぞれの研究室は、「土壌モノリス館」、「微生物標本館」および「昆虫標本館」を維持・管理するとともに、これらの資料を研究に利活用している。先回の「農業環境技術研究所案内(2)」では、「土壌モノリス館」を紹介した。農業環境技術研究所案内(3)と(4)では、「微生物標本館」と「昆虫標本館」を紹介する。
 
●インベントリーセンターとは?
 インベントリーという言葉は、一般には財産や在庫品の目録を意味するが、自然資源の目録、目録の作成、さらには目録に記された物品の意味もある。最近では、例えば「温暖化ガスインベントリー」のように、自然科学系でもよく使われるようになってきている。
 
 農業環境問題を解決するための研究では、まず農業環境を構成する土壌、水、大気、昆虫、微生物、動物、植物、肥料、農薬など農業生態系の中で相互に作用し合っている要素をよく把握することが重要である。これらの要素の調査・観測・分析・モニタリングなどのデータや手法、分類・特性・機能・動態・予測などの知見、保全・管理などの技術に関する情報と標本は、多年にわたり多大の労力と資金をつぎ込んで蓄積されてきたものであるし、農業環境研究を推進する上でも、また研究成果を社会に役立てていく上でも、研究所にとって貴重な財産である。
 
 農業環境技術研究所が取り扱う環境や食料の安全性の問題は、長年かけてじわじわと進行し、突然問題化することが多い。地球温暖化、ダイオキシン・カドミウム・硝酸性窒素汚染、侵入・導入生物の生態系影響など問題の発生に迅速に対応し、農作物や農業生態系の安全性を確保するためには、日頃から必要なデータや標本を集積しておき、それを総合的に活用した調査や解析が必要である。
 
 農業環境インベントリーは、分散して保存されている農業環境に係わる膨大なデータや標本を整理して、データベース化を進めるとともに、それらの情報の検索・利用や新たな情報の蓄積を容易に行うことのできるシステムを開発することにより、分野を越えて情報を流通させ、高度利用、多面的利用を図ることをめざしている。
 
 また、農業環境インベントリーには、標本も重要である。現在、農業環境技術研究所には国内外の230以上の土壌モノリス(断面標本)と多数の土壌試料、約120万点の昆虫標本と500点を超えるタイプ標本、約1万1千点の微生物標本や菌株などを所蔵し、農業環境インベントリー構築の基礎となる分類・同定研究や研究素材の提供に役立てている。たとえば、過去に採取され蓄積されている土壌試料は、ダイオキシンのように新たに発生した環境問題を過去にさかのぼって明らかにし、将来のリスクの予測を行うのに活用できる。
 
 農業環境インベントリーは、研究者だけでなく、行政関係者、技術者、一般市民に対しても必要な情報が効果的に提供できたり、提供した情報が新たな情報を生産したら、これをまた、インベントリーに戻してもらうことで増殖するシステムにしたいと考えている。また、農業環境の状態を過去、現在、未来にわたって一目で見ることができるようにすることによって、かけがえのない健全な農業環境資源を次世代に継承することに貢献したいと考えている。
 
 農業環境インベントリーは、農業環境に関わるすべての分野の情報や標本の集積、提供を目指しているので、農業環境インベントリーセンターだけでなく全分野の連携、協力により構築を進めている。これがインベントリーの内容である。
 
●標本館の全容
 当所の微生物標本館は、農林水産省傘下の独立行政法人としては唯一の微生物標本保存施設である。ここでは、寄託された微生物ホロタイプ標本に農業環境技術研究所の NIAES No. を付けて保管している。さらに、1880年代から現在に至るまでの約120年間にわたり寄贈・採集された微生物乾燥標本、微生物乾燥さく葉標本など約5,000点を、標本室内で安定的に保管している。
 
 微生物種の記載を行う際に、これらの標本は学術的に価値が高く、外部からの利用者も多い。また、農林水産省微生物ジーンバンク事業の一環として、細菌および糸状菌の凍結乾燥アンプル、凍結チューブ、継代培養試験管など合わせて約4,000点が低温室に保存されている。今後は微生物乾燥標本を中心にデータベースを作成し、ネットを通して国内外に情報を公開し、微生物標本の有効利用を促す予定である。
 
 ここでは、微生物ホロタイプ標本も保管している。微生物ホロタイプ(holotype)標本とは、微生物の新種が記載されるとき、その著者が指定する正基準標本で、その微生物培養体あるいは植物感染体の乾燥体として保存されるものである。この標本館では、現在のところ以下の表に示した9種の微生物のホロタイプがある。これらは、空調設備による低湿の最適条件で厳重に保管されている。また、他からの要請があれば、正式な標本館(herbarium)としてこのような標本を受け入れる体制を整えている。
 
 また、ホロタイプと共にアイソタイプ(Isotype:副基準標本、重複標本)も同時に保管している。これらの基準標本は、微生物種の同定にはなくてはならないものである。これらを保管することは、この標本館の重要な業務の一つとなっている。
 
●所蔵する微生物ホロタイプ標本
 
標本No. 菌学名 和名 寄託者 Isotype
NIAES10463 Exobasidium japonicum
 
ヤマツツジ裏白もち病菌 江塚昭典
 

 
NIAES10472 E. cylindrosporum
 
モチツツジもち病菌
 
江塚昭典
 

 
NIAES10477 E. kawanense
 
モチツツジ平もち病菌 江塚昭典
 

 
NIAES10494 E. otanianum
 
コバノミツバツツジ裏白もち病菌 江塚昭典
 

 
NIAES
 
Cercospora rhapisicola
 
カンノンチク褐点病菌 富永時任
 

 
NIAES
 
Macrophoma aspidistrae ハラン斑点病菌 岩田吉人
NIAES20510 Claviceps sorghicola
 
ソルガム麦角病菌
 
月星隆雄
 

 
NIAES20515 Fusarium fractiflexum
 
― 
 
青木孝之
 

 
NIAES99701 F .kyushuense
 
コムギ赤かび病菌
 
青木孝之
 

 
 
●微生物さく葉標本
 この標本館では、基準標本の他に約3,000点の微生物乾燥標本を保管している。その多くはさく葉、つまり微生物が植物葉に感染した状態で押し葉として乾燥した状態で保管されている。こうした標本は、吸湿紙に包んで感染植物あるいは微生物の分類ごとに標本庫の中に体系的に整理・保管されている。これらの標本の中には、1880年代の Lagerheim, Sydow 氏らに始まる日本植物病理学の黎明期を示す貴重な寄贈コレクションも含まれている。今後は、これらを順次データベース化し、さまざまな形で情報を提供していく予定である。なお、希望する研究者への貸出も行っている。
 
●所蔵する主な微生物さく葉標本
 
寄贈者 コレクション内容(菌属名) 採集期間 標本数
Lagerheim. G. V. Entyloma, Uromyces 1887-1901  28
Sydow. P. Puccinia, Urocystis, Ustilago 1896-1902  97
河村栄吉 Botrytis, Cercospora, Pyricularia 1911-1943 255
滝元清透 Xanthomonas, Alternaria, Colletotrichum 1913-1942  54
田杉平司 Peronospora, Phytophthora, Sclerospora 1919-1042  70
明日山秀文 Phyllosticta, Sclerotium 1920-1946  32
土屋行夫 Curvularia, Scolocotrichum, Stagonospora 1956-1970 212
 
●保存場所
I.乾燥標本(俗に乾きもの):
1.微生物さく葉標本:約5,000点(保存場所:微生物標本館)
2.微生物培養標本(培養標本を乾燥したもの):約2,000点(保存場所:微生物標本館)
 
II.生きている状態(俗に生もの):糸状菌、細菌合わせて約4,000点
1.糸状菌の保存菌株:約1,000点(保存場所:微生物標本館)
*不慮の事故に備えて、同一菌株を試験管保存と、L乾燥標本保存して管理している。さらに、試験管保存、L乾燥標本保存が難しい菌を中心に100菌株程度について、液体窒素で凍結保存している。
2.細菌の保存菌株:約3,000点(保存場所:微生物標本館、本館微生物分類研究室(313)、定温培養室2(304)
*不慮の事故に備えて、同一菌株を3か所に分けて保存している。微生物標本館(凍結乾燥保存)、微生物分類研究室(313)(凍結保存)、定温培養室2(304)(凍結乾燥保存)
 
●参考文献
微生物標本館:インベントリー、農業環境インベントリーセンター、第1号、57-56(2002)
 
●問い合せ先:農業環境インベントリーセンター 微生物分類研究室
電話:029-838-8355、 E-mail : seya@niaes.affrc.go.jp
 
 

農業環境技術研究所案内(4):昆虫標本館
 
 
 (独)農業環境技術研究所が設立された平成13年4月に、新しく農業環境インベントリーセンターが設置され、このセンターには、土壌分類研究室、微生物分類研究室および昆虫分類研究室とがあり、それぞれの研究室は、「土壌モノリス館」、「微生物標本館」および「昆虫評本館」を所有していることとインベントリーの内容については、すでにこの号の「農業環境技術研究所案内(3)」で紹介した。また、「農業環境技術研究所案内(2)」では「土壌モノリス館」を、「農業環境技術研究所案内(3)」では、「微生物標本館」を紹介してきた。ここでは、「昆虫標本館」を紹介する。
 
 農業環境技術研究所の本館の裏玄関を出ると、右側に細長い2階建ての別棟がある。春になると、色合い豊かなツツジがこの標本館の玄関を飾り立てる。1階と2階には、明治32年(1899)に農事試験場に昆虫部が設立されてから、これまで長年にわたって収集されてきた昆虫標本が所狭しと保存されており、その数は現在約120万点にのぼる。また、500種におよぶホロタイプ標本も保管されている。1階は研究現場のオフィスも兼ねているので雑然としているが、研究の熱気が感じられる。2階はまさに標本館そのもので、無機的なスチールが整然と並び、その中には無数の標本が眠っている。
 
 昆虫は農業環境を構成する重要な要素のひとつである。さまざまな昆虫を分類する研究は、昆虫にかかわるあらゆる研究の基礎でもある。この研究所の昆虫分類研究室では、農業技術研究所(1950年に設立)の頃から農業害虫、天敵、花粉媒介昆虫など農業に関係する昆虫類を中心として、分類の研究を行ってきた。農業環境技術研究所(1983年〜)が設立されてからは、農業の生産の場面だけではなく農業環境全体にかかわるものに研究の対象を広げていった。
 
 昆虫標本館といえば、チョウ、トンボ、クワガタなどの大形美麗昆虫や珍奇昆虫などを展示するための館、もしくは単なる趣味として集められたものを展示する館と思いがちであるが、この標本館の標本はそのような意図で収集されたものではない。ここでの標本は、基本的には形態情報に基づく分類研究の材料とするため、あるいは種の同定の参照標本とするために保管されている。さらに形態情報以外にも、その昆虫の分布、食性、発生時期、採集当時の環境条件、DNAなど、標本から抽出できる情報を多岐にわたり保存しているので、工夫次第で様々な研究に利用することができる。この昆虫標本館では、これまで長年にわたって収集されてきた昆虫標本を保存しており、その数の総数は現在約120万点にのぼる。
 
●標本館の標本収容能力と現状
 この研究所の母体である農事試験場が設立されたのは、明治26年(1893)である。設立6年後の明治32年(1899)には、昆虫部が設けられた。この昆虫標本館には、昆虫部が設立されて以来の標本が蓄積されている。農事試験場は昭和25年(1950)の機構改革により農業技術研究所となり、現在の研究室の前身である昆虫分類同定研究室が新設された。
 
 その当時は保管するための部屋がないため、標本は標本箱に入れられ研究室のなかに雑然と同居を余儀なくされていた。西ヶ原にあった農業技術研究所は、昭和54年(1979)に筑波学園都市へ移転した。この移転に際して病理昆虫標本館が建てられ、昆虫分類研究室と改名された研究室がこの館を管理してきた。
 
 病理昆虫標本館の内部は、病理関係と昆虫関係のスペースに分かれている。昆虫関係のスペースは昆虫分類標本室3室、昆虫液浸標本室、タイプ標本室、生態・依頼同定標本室など380uの広さをもつ。平成5年(1993)には、この館に隣接して環境資源分析センターが建てられ、その2階に新たに220uの昆虫標本保存室が設けられた。これが現在の昆虫標本館の姿である。
 
 現在、昆虫標本館には大型ドイツ型標本箱44個が収納できる標本ロッカーが248台設置されている。他にもタイプの異なる標本ロッカーが、また研究本館の研究室にも若干の標本ロッカーがあるので、それらを含めると全体で約12,000箱の標本箱を収納できる設備がある。1箱あたり平均150点の標本が納められると仮定すると、約180万点の標本を保管できることになる。現在すでに約7,000箱に標本が納められているので、現有の乾燥標本数は100万点余りと推定される。
 
 上述した標本以外に、紙包み(三角紙)に入った状態の標本も数多くあるので、その実数は明らかではない。これらについては順次標本作製を行う予定であるが、毎年新たに採集されたり寄贈される標本の処理に追われ、三角紙標本の整理はなかなか進んでいないのが現状である。また身体の軟らかい昆虫を保存するためのアルコール液浸標本も保存している。液浸標本室にはチョウ目やハエ目を主体とする幼虫標本が多数保管されているが、その正確な数は現在のところ把握できていない。さらにアブラムシやカイガラムシ、アザミウマなどの微小昆虫は顕微鏡で検鏡するためのプレパラート標本として保管されている。やはり正確な数は不明であるが、プレパラート100枚入り収納ケースで約600箱、25枚入ケースで約80箱が保管されている。
 
 以上の乾燥標本、三角紙標本、液浸標本、プレパラート標本のすべて合わせると、所蔵標本の数は約120万点にのぼると推定され、毎年約2万点ずつ増加しているのが現状である。
 
●所蔵標本の内容
 標本館には様々な特徴を持つコレクションや標本シリーズが保存されている。その主なものについて紹介する。
 
1)所蔵コレクション:所蔵標本には、研究室歴代のスタッフが自ら研究対象とする昆虫群を長年にわたって収集したもののほか、外部の研究者から当標本館に寄贈されたコレクションが多く含まれる。これらのコレクションは、それぞれの研究者が自らの専門分野を中心として特定の目的を持って集めたもの、あるいは特定地域の昆虫相を反映したものが多く、研究材料としてよくまとまっており、学術的にも価値の高いものである。現在所蔵している主なコレクションを表1に紹介する。
 ★印は最近5年間に新たに寄贈されたもの。中島秀雄、佐藤力夫、杉繁郎の各コレクションについては現在も順次標本を移管中で、今後さらに点数は増加する予定。
 

表1 昆虫標本館の主な所蔵コレクション(五十音順)
   
寄贈者または研究者 コレクションの内容
 
石井  悌 コバチ類を種とした寄生蜂と東南アジアの昆虫
井上  寛 シャクガ科およびメイガ科の標本657点
岡崎常太郎 現在では採集不可能な東京産昆虫など
於保 信彦 甲虫・チョウを主とした世界の美麗昆虫
勝屋 志朗 寄生性ハチ目を中心とした標本約17,500点
加藤 静夫 ハチ目標本シリーズ
河田  党 ガ類の成虫および幼虫標本約1万点
熊沢 誠義 北アルプスの高山昆虫を中心とした標本
★熊沢 隆義 国内外の甲虫標本約5,000点
黒沢三樹夫
 
アザミウマ目のプレパラート標本と関連文献
(タイプ標本61点を含む約5,000点)
桑名伊之吉
 
カイガラムシ上科のタイプ標本を含むプレパラートおよび乾燥標本約5,000点(横浜植物防疫所より移管)
桑山  覚 南千島産昆虫およびウスバカゲロウ目、シリアゲムシ目の標本(タイプ標本52点を含む3,200点、北海道農業試験場より移管)
★佐藤 力夫 ヤガ科を中心とした鱗翅目標本約8,400点
素木 得一 ハナアブ科、ミバエ科およびアブ科のタイプを含む標本
★杉  繁郎 ヤガ科およびシャチホコガ科などのタイプを含む鱗翅目標本約29,000点
高橋  弘 ブユ科およびアブ科の標本および関連文献
常木 勝次 アリ類標本約2万点
寺山  守 アリ科のタイプ標本シリーズ
★中島 秀雄 シャクガ科、スズメガ科等の鱗翅目標本約18,000点
新島 善直 食材性甲虫キノコムシ類、キクイムシ類の標本数千点
野淵  輝 国内外の食材性甲虫キノコムシ類、キクイムシ類のタイプを含む標本約5万点
長谷川 仁 カメムシ類を主とした標本
服部伊楚子 熱帯アジア産を含む鱗翅目幼虫の液浸標本
土生 昶申 ゴミムシ科およびアシブトコバチ科のタイプ340種を含む標本シリー
早川 博文 日本産アブ科のタイプを含む標本
福原 楢男 ハエ目およびバッタ目の標本
藤村 俊彦 日本および東南アジア産カミキリムシ科および他の昆虫数万点
古川 晴男 中国大陸産を含むバッタ目昆虫
南川 仁博 茶の害虫とその寄生蜂など約2万点
湯浅 啓温 ハムシ科を主とした昆虫

 
2)ホロタイプ標本:ホロタイプ標本は新種が初めて記載された際に指定された単一の標本で、その種の種小名を担うと定められたものである。分類研究を進める上では必ず参照しなければならない重要な標本であり、またそれぞれの種にただ1個体しか存在しない極めて貴重な標本である。
 
 標本館には、現在のところ500種あまりのホロタイプ標本が整理されている。それらは、不慮の災害から守るため耐火・耐震構造をもつタイプ標本室の頑丈な標本ロッカーに入れられて保管されている。また、一般標本の中にもまだ多数のホロタイプ標本が気付かれないまま紛れ込んでいるものと考えられるので、それらについても今後早急に探索し、タイプ標本室に移す必要がある。
 
 すでにタイプ標本室に移されているホロタイプ標本を分類群別に見ると、甲虫目が最も多く237種、次いでハチ目84種、ハエ目82種、カメムシ目58種、その他の順となっている。これらのホロタイプ標本については、学名、和名、採集データ、記載文献情報がすでにデータベースとしてまとめられている。今後は各ホロタイプ標本の画像情報を付け加えて有用な分類情報データベースを作成し、インターネットを通じて世界に提供することを計画している。
 
3)同定依頼標本:外部の機関から毎年多数の同定依頼の要請がある(表2)。都道府県の農業試験場や民間会社から依頼されるものが多く、そのほとんどは農業害虫や不快害虫である。最近では食品に混入した昆虫が増加している。同定依頼の標本は、今後同様の依頼があった場合の参考とするため、同定終了の後も依頼者へは返却せず標本館で保管することを基本方針としている。そのため年々多数の標本とその発生状況に関する情報が蓄積されつつあり、その量は現在ではかなり膨大なものとなっている。長年にわたって蓄積されたこれらの標本と情報を有効に活用するため、蓄積情報のデータベース化を現在進めているところである。
 

  表2 最近6年間の同定依頼件数  
  年度 受付件数 標本数  
  1996 147 3168  
  1997 133 1998  
  1998 138 2885  
  1999  65  787  
  2000 129 1641  
  2001  64 1151  

 
4)証拠標本:研究成果を論文等に発表した場合、そこで扱った材料を証拠標本(voucher specimen)として保存しておくことが望まれる。生物種の同定には間違いが起こりうるものであり、疑いが生じたときには再調査しなければならない。また、分類研究の進展によって当時1種と思われていたものが後年複数種に分割されることも珍しくなく、研究材料の再同定が必要になる場合がある。そのような状況に対応するためには、研究で扱った材料を公共の標本館等で保存しておく必要がある。最近では証拠標本の保存を論文受理の条件としている学術雑誌もある。以上の観点から、この標本館では要請があれば証拠標本の保存を受け付けている。わが国ではまだ証拠標本の必要性に関する認識が低く受付件数は多くないが、野外調査のサンプルや交配実験で得られた個体などが保存されている。
 
●標本館の利用状況
 研究室スタッフが利用する標本は所蔵標本の一部であり、スタッフによる利用だけでは約120万点の所蔵標本の価値を十分に生かし切れるものではない。そこで当所では、希望があれば外部の研究者にも利用を許可し、所蔵標本や文献類の効率的利用を図っている。標本館に直接来訪した最近6年間の利用者数を表3に示した。外国人も含めて毎年20〜50名の利用がある。なかには3週間以上に及ぶ長期利用の例もある。これらの長期利用は、流動研究員制度、依頼研究員制度、国内の各種研修制度、外国人研究者の各種招へい制度によって滞在した研究者によるものである。それぞれの分類群の専門家に標本利用の便を図ることは、所蔵標本の分類・整理を進める上でも有益である。
 

  表3 最近6年間の標本館の研究利用者数  
  年度 長期利用者数 短期利用者数 利用者数合計  
  1996 4(1) 18    22(1)  
  1997 4(1) 42(1) 46(2)  
  1998 3(2) 38    41(2)  
  1999 3(1) 46    49(1)  
  2000 4(2) 22(3) 26(5)  
  2001 1    29    30     
流動研究、依頼研究など3週間以上の利用者数。
( )はそのうちの外国人利用者数        

 
 また、研究のための標本の貸出しは公的な標本保存機関の責務であり、標本の有効利用を図る上でも重要である。毎年10〜20件の貸出依頼があり、貸出標本数はホロタイプ標本を含めて毎年数百〜数千個体に及ぶ(表4)。
 

  表4 最近6年間の標本貸出数  
  年度 合計件数 標本数  
  1996 19( 4) 1351(143)  
  1997 17( 3) 1607(138)  
  1998 6( 2) 162( 8)  
  1999 11( 1) 2412(650)  
  2000  9     306      
  2001 15     867      
  77(10) 6705(939)  
( )はそのうちの外国への貸出数

 
 現在のところ、昆虫標本館の所蔵標本はチョウ、甲虫、ハチ、ハエ、バッタ等の目(order)レベルで大まかに整理されており、部分的にはさらに科(family)レベルもしくは属(genus)レベルまで整理され配列されている。しかし、全体的に見れば分類体系に沿った整理はきわめて不十分な状態である。
 
 所蔵標本から特定のグループの標本を探そうとする場合、現状では上述のコレクションの中からその情報に頼って探索することが多く、それ以外の場所に納められている標本については、ひとつひとつの標本箱を確認していく以外に方法がない。そのため、価値のある標本が未発見のまま埋もれてしまっていることも少なくないと考えられ、せっかく多数の標本などが保管されているにもかかわらず、それらの標本や標本情報が十分に生かされているとは言いがたい。所蔵標本とその情報を有効に活用するためには、標本の分類と整理を早急に進め、少なくとも科もしくは上科(super family)レベルまで分類・整理し、そこに含まれる標本を個別にデータベース化し、簡易に検索できるシステムを構築する必要がある。
 
 このことを完成することによって、この標本館の価値をさらに高め、さまざまな研究に有効に活用できるものにしていきたいと考えている。
 
参考文献
1)松村  雄(1996):農業環境資源としての昆虫標本、農業環境技術研究所解説シリーズNo.3:20pp.
2)松村  雄(1997):農業環境技術研究所昆虫標本館−農業環境資源としての昆虫コレクション、昆虫と自然32(13):41-44、
3)松村  雄(2000):農業環境技術研究所昆虫標本館−環境資源としての昆虫標本の収集・保存、馬場金太郎・平島義宏編 新版昆虫採集学、九州大学出版会、福岡、692-706
4)農業技術研究所八十年史編さん委員会編(1974):農業技術研究所八十年史、農業技術研究所、724pp.
5)昆虫標本館:インベントリー、農業環境インベントリーセンター、第1号、p.52-56(2002)
 
問い合わせ先
農業環境インベントリーセンター 昆虫分類研究室
電話:029-838-8354FAX029-838-8354
E-mail : kyasuda@niaes.affrc.go.jp
 
 

侵入生物の分布拡大と景観生態学
 
The Landscape Ecology of Invasive Spread
Kimberly A. With, Conservation Biology, 16, 1192-1203 (2002)
 
 農業環境技術研究所は、農業生態系における生物群集の構造と機能を明らかにして生態系機能を十分に発揮させるとともに、侵入・導入生物の生態系への影響を解明することによって、生態系のかく乱防止、生物多様性の保全など生物環境の安全を図っていくことを重要な目的の一つとしている。このため、農業生態系における生物環境の安全に関係する最新の文献情報を収集しているが、今回は侵入生物種の分布拡大と景観構造とのかかわりについての論文の一部を紹介する。
要 約
 
 生物の生息場所の消失や分断、さらには外来生物の侵入は、生物多様性に対する最大の脅威となっているが、景観の構造に及ぼす影響、より一般的には空間的配置が侵入生物の分布拡大に及ぼす影響、についての理論的研究あるいは経験的研究はほんの少ししかない。
 
 景観生態学では、空間的配置が生態学的な過程にどのように影響するかを研究する。侵入生物の分布拡大に関する景観生態学には、生息場所の分断や資源の分布などの空間的配置が、侵入の過程のさまざまな段階にどのように影響するかを理解することが含まれている。
 
 侵入生物の分布拡大や生物群集の侵入されやすさは、景観の構造によって、次のような影響を受けるであろう。
(1)景観へのかく乱がある限界値を超えると、侵入生物の分散を媒介する生物(種子を散布する動物など)に対する景観構造の影響によって、直接的あるいは間接的に分布拡大が促進される。
(2)景観の構造が、侵入の過程のさまざまな段階(たとえば分散と個体数増加)に、異なった方向、場合によっては逆方向の影響を与える。
(3)景観の構造と侵入生物の分布の相互作用によって、分布拡大が促進される(生息場所の分断によって周辺部に多数の初期個体群が形成され、これらが分布拡大を促進する)。
(4)景観構造の変化によって、生物群集への侵入が容易になるような方向に、生物種間の相互作用が強まったり変化したりする(周辺効果など)。
(5)景観が分断されると、侵入を阻止する在来生物の適応能力が弱められたり、あるいは、侵入生物の適応的な反応が強化されたりする。
(6)かく乱によって作り出される変動と景観構造との相互影響によって、利用可能な資源に空間的・時間的な変動が生じ、生態系への侵入がおきやすくなる。
 
 侵入生物の分布拡大に関する景観生態学を理解することによって、侵入生物の分布拡大を抑制したり、生物群集の侵入されやすさを最小限にするための景観の管理や復元について、新しい見識や目標達成の機会がもたらされるだろう。
 
 

「情報:農業と環境」のアクセス:
111,111 回目の方に!
 
 
 「情報:農業と環境」は、国の内外の農業と環境にかかわる情報をお知らせするページとして、平成12年5月1日に開設されました。その後、毎月1日に、読者のみなさまに最新の情報を提供し続けて、今回で34号になりました。この間、2年半以上の歳月が経過しました。最初の1ヶ月のアクセスは676件でしたが、半年経過した7月には、1,412件に増加しました。1年経過した平成13年の5月には2,839件に上昇しました。その後も、アクセス数は上昇し続け、昨年1月には4,696件にもなりました。さらに若干の浮き沈みはありますが、昨年7月からは、1ヶ月あたり5,000件をこえるアクセスが続いています。
 
 その結果、総アクセス件数は1月末に100,000件に達しようとしています。そこで、今回は111,111件目の方に記念品を差しあげることを計画しました。記念品は、農業環境技術研究所の名前が入ったTシャツとペンシルです。「情報:農業と環境」の画面の右肩にアクセス番号がのっていますので、ここに、「 0111111 」の数字が表示された方は、以下のところにその画面の複写をお送りください。記念品をお送りします。あわせて、当所で年4回発行している「農環研ニュース」も次号からお送りします。
 

複写送付先 農業環境技術研究所 企画調整部 研究企画科長 今川俊明
    305-8604 茨城県つくば市観音台3-1-3
     TEL 029-838-8180 FAX029-838-8199
     e-mail: imagawa@affrc.go.jp

 
 

本の紹介 101:農業技術を創った人たち、西尾敏彦著
家の光協会
 (1998)ISBN4-259-51747-3
 
 
 この本は、平成6年4月から10年3月までの4年間、「農業共済新聞」に書き続けられた「日本の「農」を拓いた先人たち」を骨子にして書かれたものである。著者は、昭和31年に農林省に入省し、四国農業試験場、九州農業試験場、熱帯農業研究センターなどで水稲・テンサイなどの研究に従事した経験があり、その後、農林水産技術会議事務局で振興課長、首席研究管理官、局長など研究管理を歴任した経験もある幅の広い元研究者である。
 
 生物と地球は相互に強く影響を与えて進化してきた。これを「共進化」と呼んでいる。46億年の地球の歴史は、表層の地球環境変化と生命史の事件が密接に関連することを教えている。著者はこの現象を農業にも見いだしたうえに、人の問題に焦点を当てている。
 
 農業の歴史をたどってみると、時代の流れにかかわらずその節目節目で技術がいかに大きな役割を果たしてきたかがわかる。時代と技術は共進化しているのである。だが、その技術を創ったのは人である。それにもかかわらず、その技術を創った人は意外に知られていない。著者が執筆を思いたったのは、技術を創った人たちの「顔」と「想い」を多くの人に紹介したかったからである。
 
 著者の農水省での生活が長かったからか、親切からか定かでないが、内容は水稲、畑作物・茶、果樹・野菜・花き、農業機械・施設、畜産・養蚕にわけられ一つ一つが短くて読みやすい。以下に示したように目次がきわめて簡潔かつ具体的なので、目次を見ただけで多くのことが想像できる。とはいえ、購入して読まれることに如(し)くは無し。
 
 この書には、われわれが耳にし、目にしたことのあるキーワードがゴマンとある。曰(いわ)く、塩水選・稲人工交配・藤坂五号、コシヒカリ・きらら・直播・保温折衷苗代・V字理論・ノーリン10・沖縄100号・二十世紀・ふじ・巨峰・サクランボ佐藤錦・ハクラン・ウリミバエ・自脱型コンバイン・愛知用水・蚕のハイブリッド・雌雄鑑別技術・人工授精技術などなど。
 
 農業環境技術研究所と関連がきわめて深い話をふたつ紹介する。第1話:科学農法の第一号、塩水選を開発−横井時敬−。横井時敬の揮毫によるすばらしい毛筆の掛字が、農業環境技術研究所の理事長室にある。このことは、「情報:農業と環境 No.20」で紹介した。第7話:直播にかけた執念、反骨の農学者−吉岡金市−。吉岡金市の研究の情熱は公害問題や環境問題にまで及んでいる。昭和30年代には各地のダムをまわり、冷水害などによるダム災害の調査を行っている。昭和42年に金沢経済大学の学長になると、神通川水系のカドミウム公害を追求し、イタイイタイ病の研究にも従事している。
 目次は以下の通りである。
 
■水稲
【第1話】科学農法の第1号、塩水選を開発
【第2話】稲人工交配の先駆けとなった研究者と農民たち
【第3話】品種づくり・唄づくりの名人
【第4話】稲の神様がつくった救世の大品種「藤坂五号」
【第5話】腹ペコ時代に生まれた奇跡の品種「コシヒカリ」
【第6話】北海道米のイメージを一変させた「きらら397」
【第7話】直播にかけた執念、反骨の農学者
【第8話】雑草との長い戦いにあえて挑んだ研究者たち
【第9話】顕微鏡の虫だったイモチ病発生予察の育ての親
【第10話】日本の稲作地図をかきかえた保温折衷苗代の発明
【第11話】農家の熱気に燃えて水稲室内育苗を開発
【第12話】増産時代をリードした「V字理論稲作」
 
■畑作物・茶
【第13話】世界を変えた小麦ノーリン・テンの生みの親
【第14話】食糧難時代の恩人、サツマイモ「沖縄100号」
【第15話】島原にジャガイモ王国を築いた一途な人
【第16話】テンサイの多収に貢献したペーパーポット移植
【第17話】日本の茶の香りを決めた農民育種家
 
■果樹・野菜・花き
【第18話】ごみ溜めから生まれた「二十世紀」ナシ
【第19話】「ぜいたくは敵だ」の時代に生まれたリンゴ「ふじ」
【第20話】リンゴの王様を育てた農家たち
【第21話】野に生き、徹底した技術革新で「巨峰」を育成
【第22話】イネばか苗病研究が源流の種なしデラウエア
【第23話】自由化を跳ね退けたサクランボ「佐藤錦」
【第24話】愛媛県かんきつ農業の救世主「宮内」イヨカン
【第25話】農協と村がつくった「南高」ウメ
【第26話】農家の工夫から生まれた野菜の接ぎ木栽培
【第27話】バイオ野菜第1号「ハクラン」を創造
【第28話】バイオの先駆け、ウイルスフリー農業を築いた人たち
【第29話】泡盛で乾杯、ウリミバエの根絶に尽くした人たち
【第30話】洋ランを庶民の花にした民間の育種家たち
 
■農業機械・施設
【第31話】農業機械化の一番打者、脱穀機をつくった人たち
【第32話】鉄工所と農家がつくった耕うん機
【第33話】田植機誕生の前夜、独創の芽を育てた人たち
【第34話】老農学者の最期の夢に応えた種苗田植機の発明
【第35話】農家が選択した自脱型コンバインの道
【第36話】農民が考え、最新技術が投入された「愛知用水」
 
■畜産・養蚕
【第37話】蚕で世界初のハイブリッド品種を育成
【第38話】世界を制したヒナ鶏の雌雄鑑別技術
【第39話】戦後畜産を転換させた凍結精液の人工授精技術
【第40話】世界を驚かせた手術ぬき人工妊娠牛の誕生
 
 

本の紹介 102:農業技術を創った人たち II、西尾敏彦著
家の光協会 (2003)ISBN4-259-51787-2

 
 
 「本の紹介101」の続編である。著者が「はじめに」で語る熱い思いを以下に紹介する。「農業技術を創った人たち」の足跡をたどる旅はたのしい。足跡をたどっていると、彼らの想いが伝わり、肉声まで聞こえてくるような気がして、こちらまで熱くなってくる。先人たちの足跡をたどっていると、彼らがいかに農業と農家を愛し、逆に農家にいかに敬愛されているかを知ることができて、心温まる思いがする。と。
 
 前編は294頁に40話が掲載されていたが、この編は、368頁に37話が掲載されている。この数字から、それぞれの話への思い入れが、前編より濃くなっていることが見てとれる。とくに目次にあるように、「草創期の農業研究」に掛ける著者の思いは熱い。
 
 第1話の田中芳男、第2話の福羽逸人、第3話の佐々木長淳・忠治郎では、それぞれ大村益次郎、パリ万国博、大森貝塚など歴史的によく知られた事象との絡みが語られおもしろい。第1話の田中芳男で、司馬遼太郎の作品の「花神」に異議を唱えるところなどは、著者の熱き思いが昇華されているようで、まさに圧巻である。そのほか、島木赤彦や宮沢賢治など著名なひとびとが登場し、著者の教養の深さが垣間見られる。
 
 膨大な資料の収集はさることながら、この本には当人や現場の写真が数多く紙面をにぎわしている。これが、当時の想像をかき立てる絶好の材料になっている。その上、現場に足を運ぶ著者の姿は、現場を無視した農学なぞこの世にないことを無言のうちに語っている。
 
 この本では、生きている偉人が登場する。代表的な人は、第17話に登場するサツマイモ「コガネセンガン」を生んだモーレツ育種屋「坂井健吉」である。坂井健吉は、農業環境技術研究所の初代所長であるとともに、当所の「友の会」の会長でもある。第17話はぜひ読んでほしい。焼酎とサツマイモをこよなく愛したサツマイモ一筋の坂井元所長の姿が、愛情を持って見事に書かれている。
 
 まだ紹介したいことは山ほどあるが、紹介が詳しくなると売れ行きにも影響するので、このあたりで終わる。目次は以下の通りである。
 
■草創期の農業研究
【第1話】文明開化の花を咲かせた「農の花神」
【第2話】園芸の技神といわれた施設園芸研究の草分け
【第3話】日本の養蚕技術を確立した親子リレー
 
■水田作
【第4話】道端の稲から世紀の大品種に、「亀の尾」の発見
【第5話】近代品種の先駆け「陸羽132号」、陰の育成者
【第6話】戦後飢餓を救った「水稲農林1号」と育成者の栄光
【第7話】「現場百遍」から生まれた水稲の大品種「日本晴」
【第8話】強運のおいしい米「ササニシキ」
【第9話】地域ブランド米の先駆「あきたこまち」
【第10話】冷害が教えてくれた耐冷・良食味品種「ひとめぼれ」
【第11話】水稲早期栽培とテンサイ栽培に賭けた情熱
 
■畑作・草地
【第12話】小麦の大横綱「農林61号」を育てた観察眼
【第13話】産・民の支援で生まれたうどん用品種「チホクコムギ」
【第14話】世界最高水準のビール麦「はるな二条」
【第15話】額縁から名画に、不朽の大豆品種「エンレイ」
【第16話】主婦が発見したサツマイモの女王「紅赤」
【第17話】サツマイモ「コガネセンガン」を生んだモーレツ育種
【第18話】都府県酪農の多頭飼育を可能にした「通年サイレージ方式」
 
■果樹・野菜・花き
【第19話】「菊水」「新高」などを育成したナシの神様
【第20話】補助品種から不世出の大品種に育ったナシ「幸水」
【第21話】裏庭のカキ「富有」を全国に普及
【第22話】台風がもたらしたカキの「刀根早生」
【第23話】農家の創造力がつくりあげた久能山の「石垣イチゴ」
【第24話】クリスマスに間に合うイチゴの「女峰」
【第25話】スーパー時代の完熟トマト「桃太郎」
【第26話】東京ウドを日本一にした穴ぐら軟化栽培
【第27話】雪国にチューリップ王国を築いた一途な人生
【第28話】世界にはばたけ、フェニックス輸出作戦
 
■病害虫防除
【第29話】「ウンカは海を渡る」海外からの飛来を実証
【第30話】老研究者がみつけた環境にやさしい農薬
 
■機械・施設
【第31話】北海道に稲作を根づかせた「たこ足直播器」
【第32話】農村の風景を一変させた平型通風乾燥機
【第33話】まっすぐな人柄がつくった高速乗用田植機
【第34話】茶農家の凍霜害不安を解消した防霜ファン
【第35話】ミカン農家を重労働から解放したモノレール
 
■海外農業
【第36話】台湾政府から終生感謝米を贈られた「蓬莢米」の父
【第37話】東南アジア全域に普及した水稲「マスリ」
 
 

資料の紹介:Japan-Korea Cooperative Research on
Sustainability and Environmental Benefits of Paddy Farming
National Institute for Agro-Environmental Sciences, Japan and
National Institute of Agricultural Science and Technology, Korea

 
 
 農業環境技術研究所は、日韓共同研究プロジェクト「水田農業の持続性・公益的機能の解明と環境調和型栽培管理技術の開発」の成果を公表した。このプロジェクトは、1997年5月15日付けの日本側代表三輪睿太郎農林水産技術会議事務局長と韓国側代表李銀鐘研究管理局長の覚書(MOU)により開始された。
 
 日本側は、農業環境技術研究所が中心となってプロジェクトが開始された。今後の地球的規模の食料・環境問題の解決、OECDの農業環境政策の検討に際して水田農業の特質について国際的理解の拡大を目的としたこのプロジェクトは、研究課題の柱を次の3点に設定した。1)水田農業における物質循環に関する研究、2)水田農業における温暖化ガスの発生制御に関する研究、3)水田農業の公益的機能に関する研究。
 
 この資料の「はじめに」と「目次」は以下の通りである。関心のある方は、当所の地球環境部長の林 陽生(電話:029-838-8200)にお問い合わせください。
 
Preface
 
Human activities are closely related to the changes in the Earth's environment. The cycle of materials on a global scale has been transformed as the results of the destruction of forests for increasing the arable land area, expansion of the livestock industry, and change in the chemical composition of the atmosphere by combustion of fossil fuels, discharge of wastes, cutting through mountains for mining deposits and distribution of heavy metals on the Earth. Thus, mankind is now modifying the original environment of the Earth. The biosphere of the Earth is suffering from environmental disruption including global warming, depletion of the ozone layer, deforestation, marine pollution, air pollution, acid rain, water pollution, soil erosion, pollution with metals, reduction of biological diversity, pollution through nuclear wastes, pollution through livestock and human wastes and depletion of underground water.
 
We have also reached environmental limits in the agriculture, forestry and fisheries industries. Productivity in a large number of existing farmlands has been reduced though new arable lands cannot be found easily. Deforestation, overgrazing, excessive fishing, salinization of soils and desertification have recently reduced the production of food. Water resources in many regions have been depleted and contaminated. Agricultural production and urban water resources will be strictly limited in the future.
 
Agricultural activities themselves, through the increase of food production, affect the environment. Nitrous oxide derived from the application of nitrogen fertilizers and from livestock wastes and methane produced from paddy fields and ruminant livestock affect the atmosphere and cause global warming and destruction of the ozone layer.
 
On the other hand, living things have an effect called the environment forming effect. Although their ambient environment affects living things, they, in turn, affect and create a unique environment.
 
In areas in which agriculture and forestry are practiced, the effects of the atmosphere, soil, water, plants and animals create such a unique environment. These effects become environment preservations when they work in a positive direction for nature and human beings. This is how we define environmental preservation multi-functions of agricultural ecosystems in this paper.
 
However, the beneficial effect of agriculture on the environment should not be overlooked. The Committee for Agriculture of the OECD suggested that agriculture is a major custodian of the environment and is endowed with multi-functions to conserve the environment. Sustainable agriculture is proposed as one way to solve the conflicting problems.
 
How can we maintain and increase food production and control the above load on the environment?



 
Katsuyuki Minami
Director General,
National Institute for
Agro-Environmental Sciences, Japan
   



 
Ki-Cheol Eom
Deputy Director General,
National Institute of Agricultural
Sciences and Technology, Korea
 
 
Contents
 
1. Material Cycling in Rice Paddy fields
 1) Material Dynamics in Rice Paddy Soils
    (1) Flow Model of Nutrients and Water in Paddy Soils
 2) Energy Benefit in Rice Paddy Fields
    (1) Utilization of Coated Fertilizers for Low Input Farming Systems
 3) Changes of Bio-Diversity in Rice Paddy Ecosystems for Long-Term Farming
    (1) Assessment of Bio-Diversity in Paddy Farming System
 
2. Mitigation of Greenhouse Gases from Rice Paddy Fields
 1) Emission of Greenhouse Gases from Rice Paddy Fields
    (1) Monitoring of Greenhouse Gases Emissions from Agricultural Field
 2) Mitigation Technics of Greenhouse Gases on Cultivation Management
    (1) Improvement of Organic Matter and Fertilizer Technics for Mitigation of Greenhouse Gases
 3) Improvement of Cropping System for Effective Reduction of Greenhouse Gas Emission
    (1) Effect of the Difference in Cultivation Method on Greenhouse Gas Emission
 
3. Assessment of Environmental Effects of Paddy Farming
 1) Quantitative Assessment of Beneficial Effects of Paddy Farming
    (1) Technical assessment of Paddy Farming for Land and Environmental Conservation
    (2) Social and Economic Evaluation of the Multifunctional Roles of Paddy Farming
 2) Quantitative Assessment of Environmental Loads from Paddy Farming
    (1) Quantitative Assessment of Environmental Loads from Paddy Fields
 
 

遺伝子改変生物の環境への意図的放出に関する
欧州議会と理事会の指令2001/18/ECの
附則IIを補足する手引き書

 
 
 欧州委員会は、2002年7月24日、遺伝子改変生物の環境への意図的放出に関する欧州議会と理事会の指令2001/18/ECの附則IIを補足する手引き書を制定する決定を行った。
 
 欧州議会と理事会によって2001年3月12日に採択された指令2001/18/ECは、それまでの理事会指令90/220/ECにかわり、欧州における遺伝子改変生物の環境への意図的放出についての基本法令を定めたものである。
 
 新指令は、パートA(総則)、パートB(上市以外の目的でのGMOの意図的放出)、パートC(製品としてのあるいは製品中のGMOの上市)、パートD(最終条項)から構成される本文と、附則IA(第2条(2)で言及された技術)、附則IB(第3条で言及された技術)、附則II(環境リスク評価の原則)、附則III(届け出に必要な情報)、附則IIIA(高等植物以外の遺伝子改変生物の放出に関する届け出に必要な情報)、附則IIIB(遺伝子改変高等植物(裸子植物と被子植物)の放出に関する届け出に必要な情報)、附則IV(追加情報)、附則V(異なる手順の適用に関する規準)、附則VI(評価報告書のガイドライン)、附則VII(モニタリング計画)、附則VIII(旧指令との対応表)からなっている。
 
 この手引き書は、新指令の附則IIを補足して、環境リスク評価の目的、要素、一般的原則と方法を、より詳細に述べた文書である。
 
 ここでは、欧州官報に掲載(OJ L 200, 2002年7月30日, 22ページ)された、手引き書を制定する委員会決定:
http://eur-lex.europa.eu/LexUriServ/LexUriServ.do?uri=OJ:L:2002:200:0022:0033:EN:PDF (最新のURLに修正しました。2010年5月)
を、日本語に仮訳して示す。内容が適切に表現されていない部分もあると思われるので、原文で確認していただきたい。
 
 手引き書の各章の見出しは以下のとおりである:
1.緒言
2.目的
3.一般的原則
4.方法
 4.1. GMO(遺伝子改変生物)の形質と放出
 4.2. ERA(環境リスク評価)の解析手順
5.GMOの意図的放出または上市によって予想される環境影響力についての結論
6.見直しと適応
 6.1. ERAの見直しと適応
 6.2. 手引き書の見直しと適応
 
官報 L 200、30/07/2002、22-33ページ
 
遺伝子改変生物の環境への意図的放出および理事会指令90/220/EECの廃止に関する欧州議会と理事会の指令2001/18/ECの附則IIを補足する手引き書(guidance notes)を定める2002年7月24日の委員会決定

(文書番号 C(2002) 2715)
(欧州環境庁(EEA)に関する文書)
(2002/623/EC)
 
欧州共同体委員会は、
 
欧州共同体設立条約に留意し、
 
遺伝子改変生物の環境への意図的放出および理事会指令90/220/EEC(1)の廃止に関する2001年3月12日の欧州議会と理事会の指令2001/18/EC*1、特に附則IIの第1パラグラフに留意し、
 
以下のことに鑑み:
 
(1)指令2001/18/ECに基づき、加盟国、また必要に応じて委員会は、遺伝子改変生物(genetically modified organism)(以下にGMO)*2 から他の生物への遺伝子の移動によって、直接的あるいは間接的に起こるかもしれない人の健康と環境への潜在的有害影響(potential adverse effects)が、この指令の附則IIに従って、個別事例に基づいて正確に評価されることを保証しなければない、
(2)指令2001/18/ECの第6条(2)(b)と第13条(2)(b)に基づき、GMOの放出あるいは上市(placing on the market)*2 の届け出*2 には、環境リスク評価*2 と、その指令の附則IIに従って、GMOの放出あるいは上市の起こりうる環境影響についての結論を含めなければならない、
(3)指令2001/18/ECの附則IIは、環境リスク評価の目的、要素、一般的原則、および方法に関して詳細な手引き書によって補足しなければならない、
(4)この決定で定める措置は、指令2001/18/ECの第30条(1)に基づいて設置した委員会の意見に従う、
 
以下のとおりこの決定を採択した:
 
第1条
 
この決定の附則で示す手引き書は、指令2001/18/ECの附則IIの補足として使用する。
 
第2条
 
この決定は、加盟各国に送達される。
 
2002年7月24日、ブリュッセルにおいて採択。


 
欧州委員会
Margot WALLSTRÖM
委員会委員
 

(1) OJ L 106、17.4.2001、1ページ。
*1 http://eur-lex.europa.eu/LexUriServ/LexUriServ.do?uri=OJ:L:2001:106:0001:0038:EN:PDF (最新のURLに修正しました。2010年5月)
*2 この手引き書で使用される、遺伝子改変生物、意図的放出、上市、環境リスク評価などの用語は、指令2001/18/ECの第2条で下記のように定義されている。
「生物」とは、自己増殖、または遺伝物質の伝達が可能なすべての生物体をいう。
「遺伝子改変生物」とは、交配および/または自然の組み換えでは本来起こらない方法で遺伝物質を改変された、人間を除く生物をいう
「意図的放出」とは、一般の住民と環境との接触を制限し、一般の住民と環境に対して高い安全性を与えるための特別な封じ込め手段を使用せずに、GMOまたはGMOの組合せを環境中に意図的に導入することをいう
「上市」とは、対価を払うか無償によるかにかかわらず、第三者が入手可能にすることをいう。
「届け出」とは、本指令で要求している情報を加盟国の所管当局に提出することをいう
「申請者」とは、届け出を提出する者をいう
「製品」とは、GMOまたはGMOの組合せからなる、あるいは含有する調製物であり、上市されるものをいう
「環境リスク評価」とは、直接的か間接的か、また即時的か遅延的かにかかわらず、GMOの意図的放出または上市が引き起こすかもしれない人の健康や環境に対するリスクの評価であり、附則IIに従って行われるものをいう

 
附則
指令2001/18/ECの附則IIで言及されている環境リスク評価の目的、
構成要素、一般的原則、および方法論に関する手引き書
1.緒言
 
 環境リスク評価(ERA)とは、指令2001/18/ECの第2条(8)で、「直接的か間接的か、また即時的か遅延的かにかかわらず、GMOの意図的放出または上市が引き起こすかもしれない人の健康や環境に対するリスクの評価」と定義されている。この指令の下での一般的義務の一つとして、第4条(3)は、加盟国、必要な場合には委員会に、直接的、間接的に起こるかもしれない人の健康と環境への潜在的有害影響が、導入生物と受容環境の性質に応じて環境影響を考慮して、個別事例に基づいて正確に評価されることを保証することを求めている。ERAは、この指令の附則IIに従って遂行され、またパートB、Cでも言及されている。附則IIは、導入生物と受容環境の性質に応じて人の健康と環境への影響を考慮し、達成すべき目的、検討すべき要素、ERAを実行するために従うべき一般的原則と方法を一般的な言葉で述べている。
 
 申請者は、第6条(2)に従って意図的放出のために、あるいは第13条(2)に従って上市のために、ERAを含む届け出を提出しなければならない。
 
 申請者を支援し、指令2001/18/ECに従って包括的で適切なERAの所管当局による執行を容易にし、そして一般市民に透明なERAプロセスを作るために、この手引き書は、指令2001/18/ECへの附則IIを補足し、ERAについての方法はもちろん目的、原則を概説する。
 
 ERAの6つの段階を第4.2章に述べている。
 
2.目的
 
 指令2001/18/ECへの附則IIによると、ERAの目的は、GMOの意図的放出、あるいは上市が持っているかもしれない人の健康と環境に関する、直接的あるいは間接的、また即時的あるいは遅延的なGMOの潜在的有害影響を個別事例に基づいて確認し、評価することにある。ERAは、リスク管理を行う必要があるかどうかを確認し、あるいは使用すべきもっとも適切な方法を決める目的で実施しなければならない。
 
 そのため、指令2001/18/ECで言及したように、ERAは意図的放出(パートB)と上市(パートC)を対象とする。非常に頻繁の上市が必ずしも環境中への意図的放出を含むとは限らないが、市場では意図的な導入が常に存在する(たとえば、食品、飼料および加工品の使用のみのGMOを含む、または構成する農産物)。これらの場合も、ERAを届け出の手続きに含めなければならない。たとえば、既往のデータ、時間の尺度や面積的な違いによって、一般的に意図的放出のためのERAと上市のためのERAの間には違いがあるだろう。
 
 さらに、これらの手引き書は、微生物、植物、および動物など、すべてのGMOを対象とする。これまでのところ、意図的に放出され、あるいは上市されたGMOの大部分は高等植物であるが、今後は変わるだろう。
 
 ERAは、リスク管理の必要性を確認するための基礎として(必要な場合は使用すべきもっとも適切な方法で)、また焦点を定めたモニタリングを実施するための基礎として役立つ(第3章参照)。
 
 個別的な評価の全体としては、当該GMO(GMO別の評価)とGMOが放出される受容環境(たとえば、サイト別の評価、もし可能であれば、地域別の評価)を対象にする。
 
 遺伝子改変の将来の発展によって、技術の進歩に対して附則IIと手引き書を適応させることが必要になるであろう。単細胞生物、魚や昆虫などのさまざまなGMOタイプ、あるいはワクチンの開発のようなGMOの特別な使用のために、情報要件をさらに区分することは、欧州共同体において、特別なGMOの放出についての届け出による経験が十分になれば可能であろう(附則IIIの第4パラグラフと本手引き書の第6章)。
 
 抗生物質耐性マーカー遺伝子の使用に関するリスク評価は非常に明確な問題であり、この件に関する手引きがさらに勧告されるだろう。
 
 指令2001/18/ECの附則IIに人の健康、または環境に関するGMOのさまざまな「影響区分」を記述している。共通に理解するために、指令の中の以下の用語の定義は、次のように説明されている:
 
− 「直接的影響」とは、人の健康または環境への一次的影響を指し、その影響はGMO自体の結果であり、また事象の因果連鎖を通して生じるものではない(たとえば、標的生物へのBt毒素の直接的影響や人の健康へのGM微生物の病原性の影響)、
 
− 「間接的影響」とは、事象の因果連鎖を通して、他の生物との相互影響、導入遺伝物質の移動、あるいは、使用中または管理中の変化といった機序を介して生じる、人間の健康または環境への影響を指す; 間接的影響の観察の見極めが遅れやすい(たとえば、標的昆虫の個体数の減少が他の昆虫の個体数に影響を及ぼす場合、あるいは、複数の抵抗性や全身性の効果の発達が長期の相互作用の評価を必要とする場合; けれども、農薬使用の削減のようないくつかの間接的影響は、ただちに現れるだろう)、
 
− 「即時的影響」とは、GMOの放出期間中に観察される人の健康や環境への影響をいう。即時的影響は、直接的でもあり、間接的でもありうる(たとえば、害虫抵抗性を付加した遺伝子改変植物を摂食する昆虫の死亡あるいは特定のGMOへの暴露による感受性の高い人のアレルギーの誘発)、
 
− 「遅延的影響」とは、GMOの放出の期間中には観察されなくても、放出の後期や終了後に直接的または間接的に現れる人の健康または環境への影響をいう(たとえば、意図的な放出から数世代後に現れるGMOの定着や侵入行動は、遺伝子改変樹木などのようにGMOが長期間生存している場合は非常に重要である; あるいは遺伝子改変作物と近縁種との交雑種が自然生態系で侵略的になる場合)。
 
 とくに遅延的影響が長期的にのみ現れる場合、その影響を確定するのは困難だろう。モニタリング(下記参照)のような適切な措置は、これらの影響を検出するのに役立つ。
 
3.一般的原則
 
 予防原則に従い、ERAは、以下のような一般的原則に基づかなければならない:
 
− 有害な影響を生じる可能性のあるGMOの特定された形質とその利用は、同一起源をもち、同等の利用条件の非改変生物によって示されたものと比較しなければならない。
 
生物と生物間相互作用および、それらの既知の変異など、受容環境のベースラインは、確認されうるGMOのあらゆる(有害な)形質よりも前に確定しておかなければならない。このベースラインは、将来の変化と比較することができる基準点として役立つ。たとえば、栄養繁殖作物の場合は、形質転換ラインを作り出すために使用した親作物を比較分析の中に入れなければらない。有性繁殖作物の場合は、適切な同質遺伝子系統を対象作物に入れる。作物が戻し交配によって開発された場合、実質同等性テストはもっとも適切な対照を用い、元の親作物の試料と単純に比較しないことが重要である。
 
既存のデータが十分でない場合、ベースラインは比較するための他の基準を定めなければならない。ベースラインは、生物的要素と非生物的要素(たとえば、自然保護生息地、農地、あるいは汚染地)、あるいは、さまざまな環境の組合せなど、受容環境にかなり左右されるだろう。
 
− ERAは、利用可能な科学的、技術的なデータに基づき、科学的に誤りがなく判りやすい方法で行われなければならない。
 
潜在的有害影響の評価は、科学的、技術的データと、関連データの特定、収集および判断のための共通の方法に基づかなければならない。データ、測定、およびテストは、明確に記述しなければならない。さらに、科学的に信頼がおけるモデリング手法の利用は、ERAに有用な、見逃されているデータを与えるだろう。
 
ERAは、いろいろなレベルで不確実性を考慮しなければならない。科学的な不確実性は、科学的手法の5つの特性から通常、生じる: 選択する変数、使用する測定法、採取するサンプル、使用するモデルおよび採用する因果関係。科学的不確実性は既存データに関する論争や関係するデータ不足から生じることもある。不確実性は分析の質的、量的要素に関係があるかもしれない。不確実性のレベルはベースラインについての知識やデータのレベルを反映するため、申請者は現在の慣行の科学的不確実性と比較して、その不確実性レベルを提示する必要がある(データの欠落、知識ギャップ、標準偏差、複雑さなどの不確実の評価)。
 
ERAはデータが不足するため、検討したすべての質問に明確には答えられないかもしれない。とくに、起こるかもしれない長期的な影響については、データの入手可能性が非常に低いかもしれない。この場合、人の健康および環境への有害影響を防止するために予防原則に従って、とくに適切なリスク管理(保護手段)を検討しなければならない。
 
一般的原則として、ERAは、はっきりと資料で裏付けられた比較しうる経験の他に、GMOの意図的放出、あるいは上市に伴う起こりうるリスクへの適切な調査の結果を組み入れなければならない。
 
(封じ込め利用システムでの実験に始まり、意図的放出から上市までのすべての段階について)段階的取り組みの利用が有効なことがある。各段階で得られるデータは手続きの期間中に、できるだけ早期に集められなければならない。封じ込めシステムにおける模擬的環境条件は、意図的放出に関連性のある結果を与えることができるだろう(たとえば、微生物の反応は微小生態系の中でシミュレーションすることが可能であり、または植物の反応はある程度、温室の中でシミュレーションすることができる)。
 
上市されるGMOにとって、GMOを導入する環境に近い状態は、意図的放出からの関連性があり、利用可能なデータになるはずである。
 
− ERAは、個別事例に基づいて行わなければならない。それは、とりわけGMOがすでに環境中にあることを考慮すると、当該GMOのタイプ、使用目的、可能性のある受容環境によって、必要な情報は変わるかもしれないということである。
 
さまざまな生物(GMOごと)や環境(サイトごと、そして地域ごと)の個々の特性は幅が広いために、ERAはケースバイケース(個別事例ごと)の原則で行われなければならない。遺伝子改変微生物(微細であり、相互作用がよく解明されていない)、遺伝子改変植物(食物や飼料に使用される高等植物、あるいは寿命の長い樹木など)、および遺伝子改変動物(小さく、障害を克服する潜在能力の高い昆虫; あるいは、潜在的な分布域が広い塩水魚など)は、環境影響において大きな変異がある。
 
さらに、考慮すべき環境の特性(特殊なサイト、特殊な地域)は広い変異幅がある。ケースバイケース評価を裏付けるために、GMOにかかわる受容環境の状況を映す生息地の地域データを分類することが役に立つだろう(たとえば、欧州のさまざまな農業や自然の生息地におけるGMO植物の野性近縁種の生育に関する植物学的データ)。
 
申請者は、農薬使用のように、同じGMOを繰り返して放出することなど、過去に意図的に放出したり、あるいは上市されたと思われる関連するすべてのGMOと新たなGMOとの間に、有害な相互作用があるかもしれないことを考慮に入れなければならない。時折の放出と比較して、繰り返しによる放出は、環境中に常時、存在するようになるために、そのうちGMOの経歴濃度が高くなる原因になるかもしれない。
 
GMOと人の健康または環境への影響に関する新しい情報が入手可能になった場合は、ERAは以下のために再度、実施することが必要になるかもしれない:
 
− リスクが変わったどうかを決定する、
− リスク管理をそれに応じて改正する必要があるどうかを決定する。
 
新たな情報が得られた場合、ただちに措置する必要があるかどうかにかかわらず、GMOの放出あるいは上市の認可期間を変更したり、あるいはリスク管理措置を調整する必要性を評価するための新たなERAを行わなければならないだろう(第6章も参照)。新たな情報は、調査やモニタリング計画から、あるいは、その他の関連する経験から得られる可能性がある。
 
ERAとモニタリングは、密接に連結している。ERAは人の健康と環境への有害影響に焦点をあてたモニタリング計画のための基礎となる。GMOの意図的放出(附則IIIの関連部分に対応するパートB)とGMOの上市(附則VIIに対応するパートC)のためのモニタリング計画の要件は異なる。総合的な監視を含むパートCのモニタリングは、GMOの長期的に起こるかもしれない有害影響についてのデータを提供する上で、重要な役割も果たすだろう。モニタリングの結果はERAを確認し、あるいはERAを見直すことになる。
 
− ERAの一般的原則には、放出と上市についての「累積的長期影響」の解析を行わなければならないということがある。累積的長期影響とは、動植物相、土壌肥沃度、土壌中の有機物の劣化、飼料/食物連鎖、生物多様性、家畜衛生と抗生物質に関係する耐性問題など、人の健康と環境に対して知られている蓄積的影響をいう。
 
潜在的な累積的長期影響を検討するため、ERAは次のような問題を検討しなければならない:
 
− GMOと受容環境との長期的な相互作用、
− 長期的に重要となるGMOの形質、
− 意図的放出の繰り返し、または、長期間にわたる上市、
− 過去に意図的に放出あるいは上市されたGMO。
 
とくに長期的影響、(たとえば、複数の除草剤耐性)についての情報がさらに必要であり、またモニタリング計画は累積的長期影響を評価するための重要なデータを提供することが可能であり、一部分は枠組みの中で、十分に調査しなければならない。この項目に関するさらなる手引きを勧告するだろう。
 
4.方法
 
4.1. GMOの形質と放出
 
 ERAは、次の形質について関連する技術的、科学的な細目を考慮に入れなければならない:
 
− 遺伝子改変の受容生物、すなわち親生物、
− 遺伝物質の組み込み、あるいは除去による遺伝子改変、ベクターとドナー(供与生物)に関連する情報、
− GMO、
− 意図する放出あるいは使用とその規模、
− 潜在的受容環境、そして
− これらの間の相互作用。
 
 類似の生物や類似形質をもつ生物の放出と、類似の環境とのそれらの相互作用の情報は、ERAに役立つ。
 
 指令の附則IIIAとIIIBで示した情報(GMO、ドナー、受容生物、ベクター、放出と環境の状態、GMOと環境との相互作用およびGMOモニタリングに関する情報)などの届け出は、この指令のパートBに従ってGMOの意図的放出の前に、あるいは指令のパートC部に従って上市の前に、最初に放出または上市を行う加盟国の所管当局に提出しなければならない。
 
 これら申請書類には、指令の第6条(2)と第13条(2)に従って完全なERA、すなわちERAの重要性に応じて、すべての点を立証するために必要な詳細なものを含む専門的な関係情報書類が入っていなければならない。申請者は、引用文献を提示し、使用した方法を明示しなければならない。
 
 指令の附則IIIAとIIIBで要求される情報に基づいた、受容生物、ドナー、ベクター、遺伝子改変およびそのGMOに関する情報は、GMOが実験的に放出、あるいは上市される環境や条件に影響されない。この情報は、GMOの可能性のある有害なすべての形質(潜在的ハザード:potential hazards)を確認する基礎になる。同一のGMO、あるいは同類のGMOの放出において得られる知見と経験は、問題の放出の潜在的ハザードに関する重要な情報を与える。
 
 指令の附則IIIAとIIIBで求められているように、意図的放出、受容環境およびこれらの間の相互作用に関する情報は、GMOが放出される特定の環境と、その放出の規模を含む条件と関係がある。この情報は、GMOのもしかすると有害かもしれないすべての形質の程度を決定する。
 
4.2. ERAの解析手順
 
 指令2001/18/ECの第4、6、7および第13条で言及するERAについての結論を引き出す場合、ERAにおける主な手順として以下の点に取り組むべきである。
 
 「ハザード」(有害な形質)は、人の健康、および/または環境に害あるいは有害影響を引き起こすある生物の潜在性と定義する。
「リスク」とは、ハザードの結果の状態の等級と、そのハザードが生じる可能性の程度(likelihood)との組合せである。
 
4.2.1. 第1段階: 有害な影響を引き起こすかもしれない形質の確認
 
 人間の健康あるいは環境に有害な影響をもたらす可能性がある遺伝子改変に関係のあるGMOのすべての形質を確認しなければならない。同等の放出や利用の条件下でのGMOと非GMOの形質の比較は、GMOの遺伝子改変から生じる特定の潜在的有害影響を確認することを促進するだろう。起こりそうにもないことを理由に、起こりうる有害影響を軽視しないことが重要である。
 
 GMOの潜在的有害影響は、事例ごとに異なり、以下のことが含まれるだろう:
 
− アレルギー性や毒性の影響など、人の病気、
− 毒性影響、場合によってアレルギー性の影響など、動物と植物の病気
− 受容環境中の個体群の動態と各個体群の遺伝的多様性への影響
− 感染症の伝搬を助長し、あるいは新たな病原巣やベクターの原因となる病原菌の感受性の変化、
− たとえば、人や家畜の治療に使用される抗生物質に耐性をもつ遺伝子の導入によって、人の予防と治療や家畜の治療、あるいは植物防疫処置の障害になること
− 生物地球化学(生物地球化学的循環)、とくに土壌中の有機物の分解の変化による炭素と窒素の循環への影響。
 
 上記の潜在的有害影響の例は、指令2001/18/ECの附則IIIAとIIIBで述べられている。
 
 有害な影響を引き起こすかもしれない大部分の確認可能なハザード(有害な形質)は、GMOの中に意図的に導入された関連遺伝子や遺伝子群、そしてこれらの遺伝子から発現しているタンパク質と関係があるだろう。新たな有害影響(たとえば、多面的効果)が、導入遺伝子を作成するために使用した方法の結果や、導入遺伝子が挿入されたGMOゲノムの配列位置の結果として、現れることもある。複数の導入遺伝子を受容生物に転写する場合、または、一つの導入遺伝子をGMOに転写する場合は、さまざまな導入遺伝子の潜在的相互作用を、もしかすると後成的作用あるいは調節的作用があるかもしれないことを考慮に入れて、検討しなければならない。
 
 できるだけ正確にハザードを定めることが重要であるが、多くの場合、次に示す項目に従ってハザードを検討し、その次に、ERAの目的のために確認すべき個別のハザードを定めることが有効である(たとえば特別な事例で人の健康に潜在的有害影響が確認された場合、アレルゲン性と毒素産生性は、ERAでは分けて検討しなければならない)。
 
 ハザードがGMOの中に存在するとすると、それは常に存在することを自明の事項とみなすことができる。複数のハザードは、負の結果の状態をある可能性の程度で(第3段階)生じさせることがあり、またこれらの結果の状態の階級が次々に異なることがありえる(第2段階)。結局、個々のハザードは、そのGMOについて要約されなければならない。
 
 ただし、ERAのこの段階では、有害な影響を生じるかもしれない遺伝子改変の結果、もたらされるハザードを検討することのみが必要である。第1段階では、ERAの以降の段階の科学的根拠を与える。この段階でさえも、個々の潜在的ハザードについて、後半の段階で考慮することができるように、科学的不確実性の個別水準を確認することが重要である。
 
 有害な影響は、機序を通して直接、起こること、あるいは間接的に起こることもあり、これらには次のことが含まれるであろう:
 
− 環境の中のGMOの拡大
 
分布経路は、GMOの分布の可能性のある経路を示す、すなわち環境の中への、あるいは環境の中での、潜在的ハザードの潜在的経路を示している(たとえば人間への毒性: 有毒な微生物、または、有毒なタンパク質の吸入)。
 
GMOが環境中に広がる可能性は、たとえば、以下のことに左右されるだろう:
 
− GMOの生物学的適応度(自然環境の中で競争力を高める形質の発現や、成分組成の質的、量的な改変によって、有利な環境の中で能力を高めるために設計されたGMO、あるいは病気や暑さ、寒さ、塩性のような非生物的ストレスのような自然の選択圧に対して耐性をもつGMOや微生物における抗生物質生産)
− 意図的放出または上市の条件(とくに、放出の面積と規模、すなわち、放出されるGMOの数)、
− 意図的放出または上市の可能性、または、環境への非意図的放出の可能性(たとえば加工用のGMO)、
− 生存可能な要素(たとえば種子、芽胞、その他)の風、水、動物などによる分散経路、
− 特別な環境の検討(特定場所、または、特定地域): 場所別、地域別に評価するためには、GMOに関係する受容環境の状況を映す生息地別のデータを分類することが役立つだろう(たとえば、欧州のさまざまな農業や自然の生息地において、GMO植物と交雑可能な近縁野生種の生存に関する植生データ)。
 
個々のGMOの生存期間を評価することも重要である、すなわちある種のGMOの特定の数は、一般に生き残りやすい。またGMOはさまざまな生息地に散布される可能性があり、定着しやすくなる準備性(readiness)を評価することも重要である。たとえば、下記のことを含めて、繁殖、生存、休眠型について検討が必要であろう:
 
− 植物について: 花粉、種子と栄養体の生存能力、
− 微生物について: 生存形態としての芽胞の生存率、あるいは生きているが、培養不可能な状態の微生物の潜在性。
 
全体に拡大する潜在性は、種、遺伝子改変、受容環境(たとえば砂漠での植物栽培や海での魚養殖)などに依存し、かなり変化するだろう。
 
− 他の生物への導入遺伝形質の伝達、あるいは同一生物で遺伝子的に改変されたか否か
 
あるハザードは、同じ種内で、または、他の種への遺伝子の移動を通して有害な影響を生じるかもしれない(垂直的あるいは水平的な遺伝子の移動)。他の生物(高等生物の場合、通常は他家受精可能な生物)への遺伝子の移動の速度と程度は、たとえば、次のことに左右されるであろう:
 
− 改変された遺伝子配列をはじめとするGMO自体の繁殖特性
− 放出の条件と気候(たとえば、風)のような個別の環境要件
− 生殖生物学上の違い、
− 農業行為、
− 交雑の可能性のある相手の有効性、
− 移動と授粉ベクター(たとえば、昆虫や鳥、一般の動物)、
− 寄生生物に対する受容生物の有効性。
 
遺伝子の移動による特定の有害影響の発生頻度は、放出されるGMOの数と関連がありうる。遺伝子組換え植物の大きな圃場は、比率から考えても、小さな圃場からの遺伝子の移動とは全く異なることがあるだろう。さらに、交雑の可能性がある相手植物、あるいは、受容植物の存在に関する質的、量的情報(影響する距離内に存在する植物について)が非常に重要である。
 
高等植物と動物については、同一種、近縁種、遠縁にあたる種、および無関係な種への遺伝子の移動の可能性に関して、区別がさらに必要である。
 
微生物の場合は、水平的な遺伝子の移動が、いっそう重要な役割を果たす。ある遺伝形質は、たとえば、プラスミドやバクテリオファージを介して密接に関係する生物との間で容易に移動することがありえる。微生物の高い潜在増殖率が高等な生物と比較して、比較的高い水準で遺伝子の移動を可能にしている。
 
導入遺伝子の移動によってGMOの混合集団が生じ、しばらくして、さまざまな遺伝子と植物の組合せができることにより、そこではとくに長期の有害影響の複雑なパターンが生じことがありうる。そのパターンは、より多くの遺伝物質が集団の中に移動するほど、より複雑になるだろう(たとえば、遺伝子の積み重ね)。
 
いくつかの事例では、遺伝子改変の方法が遺伝子の移動の可能性を変えることがありうる(たとえば、非組み込みプラスミド、あるいはウイルスのベクターの場合)。遺伝子改変の方法が遺伝子の移動の可能性を減少させることもありうる(たとえば、葉緑体形質転換)。
 
遺伝子の移動は、自然集団の中の導入遺伝形質の残存に帰着するだろう。あるGMOに遺伝子の移動の可能性があるとしても、それが本来もっているリスク、すなわち生存、定着し、あるいは有害な影響を引き起こす能力の変化を必ずしも意味しない。それは、導入遺伝物質、生物種、および潜在的受容生物を含む受容環境に左右されるだろう。
 
− 表現型の不安定性と遺伝的な不安定性
 
遺伝的安定性あるいは不安定性が、表現型の安定性あるいは不安定性をもたらし、ハザードとなる程度を検討しなければならない。遺伝子改変の不安定性によって、ある場合は、野生タイプの表現型への逆突然変異を起こすこともありうる。次のような他の場合も検討しなければならない:
 
− 複数の導入遺伝子が含まれる形質転換植物ラインにおいて、その後の分離過程で、後代に導入遺伝子を分割されると、導入遺伝子の少ない新たな表現型の植物になることがある場合、
− 弱毒突然変異体が不安定性に起因して(特定の突然変異が起きたため)、毒性が回復する場合、
− 導入遺伝子の複製が遺伝子不活性化につながる場合、
− コピー数が非常に多い場合、
− 転移因子の再挿入が起こり、可動遺伝因子の挿入で導入遺伝子が失活することによって、新たな表現型が生じる場合
− 導入遺伝子の発現レベルが重要である場合(たとえば有毒物質の発現が非常に低い)、調節因子の遺伝的不安定性によって導入遺伝子の発現が高くなるかもしれない。
 
表現型の不安定性は、栽培中の環境との相互作用から生じることがあるので、導入遺伝子の発現に対する環境的、農業的要因の影響を、ERAで検討しなければならない。
 
導入遺伝子の発現がGMOの特定の部分に限定される場合(たとえば、特定の植物組織)、調節の不安定性によって導入遺伝子が生物全体に発現する可能性がある。これに関連して、調節シグナル(たとえば、プロモーター)は重要な役割を果たしていることから、検討が必要である。
 
また、ある生物のライフサイクルの特定の期間、あるいは特別の環境の条件で、導入遺伝子の発現を検討する必要もある。
 
GMOが繁殖力を持たないようにするために、特定の不稔性導入遺伝子がGMOの中に導入されることもある(たとえば、ある導入遺伝子の移動と拡散を防止するために)。不稔性導入遺伝子の不安定性は、導入遺伝子の伝播をまねく植物の繁殖力を回復させ、有害な影響をもたらすことがありうる。
 
さまざまな導入遺伝子の安定性は、当代のGMOだけでなく、後代においてもとくに長期の影響にとって重要である。
 
− 他の生物との相互作用(遺伝物質/花粉の交換以外)
 
多栄養段階の相互作用の複雑性を考慮して、他のGMOを含む他の生物との相互作用の可能性を、注意深く評価しなければならない。悪影響を引き起こすかもれない直接的に有害な相互作用(hazardous interaction)には、次のことが含まれるだろう:
 
− 人(たとえば、農業者、消費者)への暴露、
− 家畜への暴露、
− 土壌、場所、水、光などの天然資源との競争、
− 他の生物の自生集団の転位、
− 有毒物質の送出し、
− 相異なる成長パターン。
 
一般に、遺伝子改変によって生物学的適応度が高まれば、GMOは、新たな環境に侵入し、既存の生物種に置き換わる可能性がある。多くの場合、特定の有害影響の発生は、放出の規模に比例する。
 
− 該当する場合には農業行為をはじめとする管理の変更
 
GMOの意図的な放出のやむを得ない結果として、管理方法の変更の妥当性は、現行の方法に基づいて評価しなければならない。農場管理の変更には、たとえば、次のことが関係するかもしれない:
 
− 作物の播種、植え付け、栽培、収穫、運搬(たとえば、小さな圃場あるいは大きな圃場に植え付ける)、タイミング
− 輪作(たとえば、毎年あるいは4年ごとに同種の作物を栽培する)、
− 病虫害防除(たとえば、植物用殺虫剤の種類と散布量、あるいは、家畜用抗生物質の種類と投与量、さもなければ、代替手段)、
− 抵抗性の管理(たとえば、除草剤耐性植物に対する除草剤の種類と散布量、あるいはBtタンパク質による生物的防除の使用の変更、あるいは、ウイルスの影響)、
− 耕作地と養殖業システムの隔離(たとえば、植物栽培の隔離距離、あるいは、養魚場の隔離の特徴)、
− 農業行為(GMO農業と有機農法などの非GMO農業)、
− 非農業システムにおける管理(たとえば、GMO栽培地区からの自然生息地の隔離距離)。
 
4.2.2. 第2段階: 有害影響が生じた場合に、それぞれの有害影響の潜在的結果の状態の評価
 
 それぞれの潜在的有害影響の結果の程度を評価しなければならない。
 
 可能性のある有害な形質が現れる可能性の程度の他に(章4.2.3、第3段階を参照)、その結果の状態の等級を評価することは、リスク評価の重要な部分である。この状態の等級は意図的に放出され、または上市されるGMOの何らかの潜在的ハザードの結果の状態がはっきりと理解できるという程度を示す。
 
 この結果の状態はベースラインとの関係でみるべきであり、おそらく以下のことによって影響される:
 
− 遺伝的構造、
− 確認された各有害影響、
− 放出されるGMOの数(規模)、
− GMOが放出される環境、
− 抑制手段を含む放出の条件、
− 上記の組合せ。
 
 確認された個々の有害影響について、GMOにさらされる他の生物、集団、種あるいは生態系に対する結果の状態を評価しなければならない。これには、GMOが放出されることになっている環境(場所、地域)と放出方法の詳細な知見が必要である。この結果の状態は、即効的で深刻な有害影響がある場合や、長期的に、永続的な有害影響なるかもしれないいずれの場合でも、「無視しうる」、言い換えると”ささいな”、および”自己制御”から、「高い」、言い換えると”かなり”までさまざまである。
 
 その結果の状態の等級を、量的表現として「高い」、「中程度」、「低い」あるいは、「無視しうる」と可能なら表現すべきである。ある場合は特別の環境では有害影響を確認することが不可能である。その場合には、特定の有害影響に関連するリスクは、「無視しうる」言い換えると、”ささいな”と、評価することができる。
 
 以下のことを非常に広い意味で解説的、定性的な実例として提案する。これらは決定的で、これだけなものではなく、結果の状態を比較考量するときに考慮してもよい表示にするためのものである:
 
− 「高レベルの結果の状態」とは、短期あるいは長期に、絶滅危惧種と有益生物など、他の1種または複数種の数がかなり変化することがありうる。このような変化では、その生態系および/または他の関連する生態系の機能に負の影響をもたらすような種の減少あるいは、完全な絶滅を含むことがあるだろう。このような変化は、おそらく逆転が容易でなく、発現した生態系の回復もおそらく遅いだろう。
 
− 「中程度の結果の状態」とは、他の生物の個体群密度にかなり変化があるかもしれないが、その種全体の絶滅、あるいは絶滅危惧種や有益種にいかなる深刻な影響も与えるような変化はないだろう。逆転が可能な場合には、集団に一時的に、かなりの変化がある場合も含まれるであろう。生態系の機能に深刻な負の影響がなければ、長期影響がある場合も含むかもしれない。
 
− 「低レベルの結果の状態」とは、他の生物個体群の密度の変化は小さく、他の生物のいかなる個体群や種も完全な絶滅にはいたらず、生態系の機能に負の影響を及ぼさない。影響を受けるかもしれない生物は、短期ないし長期に絶滅が危惧されない種、有益でない種のみである。
 
− 「無視しうる結果の状態」とは、環境中のいかなる集団や、いかなる生態系においても重要な変化を引き起こさないだろう。
 
 上記の例は、集団でのGMOの潜在的有害影響を反映しているが、場合によっては、個々の生物に影響しそうなことを検討するのがより適切なことがある。ある一つのハザードが複数の有害影響を与えるかもしれず、それどころか、個々の有害影響の大きさが異なるかもしれない。人の健康に対するある一つのハザードの有害影響は、農業や自然の生息地に対するのとは、異なるかもしれない。
 
 潜在的結果の状態は、潜在的影響と不確実性のレベルを含め、影響を受けるかもしれない生態学的構成要素(たとえば生物種、集団、栄養段階、生態系)のすべてを対象とするような方法で要約することができる。
 
4.2.3. 第3段階: 確認された潜在的有害影響の発生の可能性の程度についての評価
 
 有害影響が生じる可能性の程度つまり確率を評価する際の主要な要素は、GMOを放出しようとする環境の特性と放出方法である。
 
 ハザードの結果の状態の等級(第4.2.2、第2段階を参照)の他に、有害影響が生じる可能性の程度を評価することは、リスクを評価する上でもう一つの重要な部分である。この段階は、有害影響が実際に生じることが、どれくらいありそうかを推定することである。ある場合には、可能性の程度と頻度の両方を扱われなければならない。第2段階(各有害影響が発生する場合、その潜在的結果の状態を評価する)と同様に、ハザード自体の他に、GMOの数、受容環境、および放出の条件が可能性の程度を明確にするために重要である。気候、地理、土壌および個体群統計学的条件と、潜在的受容環境中の動植物相のタイプは、重要な検討の一部である。
 
 そのため、生存力については、意図的放出や上市のために提出された所期のリスク管理手段の範囲を超えて生き残りそうなGMOの割合を評価することが適切である。遺伝子の移動がありそうな場合は、それが起こりそうな件数、あるいは移動が生じそうな程度を検討しなければならない。GMOが病原性あるいは有毒性である場合は、影響を受けそうな環境中の標的生物の割合を評価しなければならない。
 
 さらに、ある影響が生じる可能性の程度は、そのリスクの発生を防止する特別なリスク管理手段に依存するだろう(たとえば、花粉の散布は花序の除去によって不可能になるはずである)。
 
 確認された各有害影響について、その結果の状態の相対的な可能性の程度は、量的に評価することがおそらくできず、「高い」、「中程度」、「低い」あるいは、「無視しうる」という言葉で表現できる。
 
 上記の例は、集団に対するGMOの潜在的有害影響を反映しているが、場合によっては、それぞれの生物に及ぼしそうな影響を検討するのがより適切でことがありうる。ある一つのハザードが複数の有害影響をもたらし、個々の有害影響の可能性の程度も異なるかもしれない。人の健康に対するある一つのハザードの有害影響と、農業や自然の生息地に対するものとは異なるかもしれない。
 
 可能性の程度は、潜在的な影響ならびに不確実性のレベルに関する方法を含めて、生物種、集団、栄養段階、生態系といった影響を受けるかもしれないすべての生態的要素に適用する方法で要約することがきる。
 
4.2.4. 第4段階: GMOの確認された各形質によって生じるリスクの推定
 
 有害影響を引き起こす可能性の程度をもつGMOの確認された各形質による人の健康や環境へのリスクの推定を、有害影響の起こる可能性の程度とリスクが生じた場合の結果の状態の等級とを結合して、最新技術で、できる限り行わなければならない。
 
 第2段階と第3段階で達した結論に基づき、有害影響のリスクを、第1段階で確認したそれぞれのハザードについて評価しなければならない。この場合も、量的な評価はできそうにない。各ハザードについての評価は、次のことを検討しなければならない:
 
− 結果の状態の等級(「高い」、「中程度」、「低い」あるいは、「無視しうる」)
− 有害影響の可能性の程度(「高い」、「中程度」、「低い」あるいは、「無視しうる」)、
− あるハザードが複数の有害影響を生じる場合は、それぞれの有害影響の等級と可能性の程度。
 
 各GMOは、1件ずつ検討しなければならない。前に述べたことを定量化するためのいずれの総合的試みも、かなり注意深く行われなければならない。たとえば、有害影響の高い結果の状態が無視しうる可能性の程度と結合し、高いリスクから無視しうるリスクまでのすべての範囲のリスクになることがありうる。その成績は、その事例の状況と、申請者によるある要素への重み付けに左右されるだろう。それらのすべては、登記したERAにはっきりと十分な根拠を示して提出しなければならない。
 
 確認されたリスクの総合的な不確実性は、できるかぎり次の関連資料を含めて、記述する必要がある:
 
− ERAのさまざまなレベルでの仮定と推定、
− さまざまな科学的評価と見解、
− 不確実性、
− 緩和手段の既知の限界、
− データから導くことができる結論。
 
 ERAは量的に表わされる結論に基づかなければならないが、ERAの結果の多くは質的にならざるをえないだろう。たとえそれらが質的であるとしても、できるだけ、相対的成績である必要がある(たとえば、非遺伝子改変生物を対照に比較する)。
 
4.2.5. 第5段階: GMOの意図的な放出や上市によるリスクに対する管理戦略の適用
 
 ERAはそれらを管理するための手段が必要なリスクを確認し、リスク管理戦略を定めなければならない。
 
 リスク管理を適用する前に、防止のために、なるべくリスクが無視できるまで放出方法を変更することを検討しなければならない。たとえば、有害影響を引き起すかもしれない、あるいははっきりしない遺伝的要素は、遺伝子改変の工程において差し控えるべきである。これが不可能な場合は、意図的放出あるいは上市の前に、これらの遺伝要素を、後の段階でGMOからできるだけ除去しなければならない。
 
 これについては、第1段階から4段階において考慮しなければならない。リスク管理は、確認したリスクを制御し、不確実性を適用しなければならない。保護手段は、リスクのレベルと不確実性のレベルとの均衡がとれていなければならない。関連するデータが、後の段階で使用可能になる場合、リスク管理を、その新しいデータに従って適応させなければならない。
 
 管理によってリスクを削減するためには、その手段は、その目的を明確に達成しなければならない。たとえば、作物に導入した昆虫に毒性をもつ遺伝子が近縁種に移動するリスクがある場合、特定のリスク(たとえば植物種)に暴露されない場所にそれらの近縁種から空間的あるいは時間的に隔離することや放出場所を変更することが適切な制御手段の中に入るだろう。
 
 GMOの取扱いと使用の関連するいずれの段階でも、隔離手段を管理戦略の中に入れることができる。これらには、繁殖の隔離、物理的あるいは生物学的障害物およびGMOに触れた機械や容器の洗浄など、さまざまな方法を含む広範囲な手段を組み入れることも可能である。
 
 詳細なリスク管理手順は、次のことに左右されるであろう:
 
− GMOの使用(意図的放出や上市のタイプと規模)、
− GMOのタイプ(たとえば、遺伝子改変微生物、一年生の高等植物、寿命の長い植物、動物か、単一の改変かあるいは複数の改変によるGMOか、1種のGMOかあるいは異なる種類のGMOか)、
− 生息地の通常のタイプ(たとえば、生物地球化学的状態、気候、種内と種間の交雑相手の有効性、起源の中心地、異なる生息地の連結)、
− 農業生息地のタイプ(たとえば、農業、林業、水産養殖、農村地帯、サイトの大きさ、その他のGMOの数)、
− 自然生息地のタイプ(たとえば、保護区の状態)。
 
 実験のために必要な調整、上市の条件など達成されそうなリスク削減の結果の状態に関するリスク管理との関連の記述を明確にしなけれがならない。
 
4.2.6. 第6段階: GMOの全体的なリスクの決定
 
 GMOの全体的なリスクの評価は、提案されるすべてのリスク管理戦略を考慮に入れて行わなければならない。
 
 第4段階、必要な場合は第5段階に基づいて、最終的な評価は、他のGMOからの累積的影響をはじめとするそれぞれの有害影響によるリスクの組合せに基づき、GMOの有害影響の結果の状態の等級とその可能性の程度を含む、全体的なリスクを考えなければならない。この最終的な評価は、全体的な不確実性を含む、意図的放出や上市による全体的なリスクについての要約の形で表されなければならない。
 
5.GMOの放出や上市による潜在的な環境影響力の結論
 
 第3節、第4節で概説した一般的原則と方法論に従って実施されたERAに基づいて、指令2001/18/ECの附則IIの第D1節とD2節に掲げられた事項に関する情報を、GMOの放出あるいは上市による潜在的環境影響力(potential environmental impact)に関する結論を引き出すことを支援するために、届け出の中に適宜、入れなければならない。
 
 とくに非植物領域における今後の開発によって、届け出の中に含めるべき情報についての手引きをさらに出すことになるだろう。
 
6.見直しと適応
6.1. ERAの見直しと適応
 
 ERAを固定的なものとして見るべきではない。ERAは、(指令2001/18/ECの第8条あるいは第20条に従って)関連する新たなデータを考慮するために定期的に見直し、更新し、あるいは、おそらく変更しなければならない。いずれの見直しも、調査によるデータ、他の意図的放出とモニタリングデータを考慮して、ERAとリスク管理の有効性、効率性および正確さを検討しなければならない。これは、ERAによって決定される不確実性のレベルにも左右されるだろう。
 
 このような見直しのを行った後に、ERAとリスク管理は、適宜、適応し、あるいはレベルを向上しなければならない。
 
6.2. ERAの手引きの見直しと適応
 
 遺伝子改変技術の将来の発展によって附則IIと手引き書を技術的な進歩に適応させることが必要になるだろう。単細胞生物、魚や昆虫などのさまざまなGMOタイプ、あるいはワクチンの開発のようなGMOの特別な使用のために、情報要件をさらに区分することは、欧州共同体において、特別なGMOの放出についての届け出による経験が十分になれば可能であろう(附則IIIの第4パラグラフ)。
 
 特定のGMOの上市に伴う人の健康と環境の安全性に関連する経験と科学的証拠(第16条(2))はもとより、指令の附則V(第7条(1))で定めた基準に従って、ERAの手引きの見直しとその適応は、技術的な進歩に適応させる必要性と、特定のGMOの特定の生態系中への放出に関しての経験(十分な場合)に基づいて、手引きをさらに発展させる必要性を、必要に応じて考慮に入れるべきである。
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