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平成27年度主要成果

古地図にみる昔の「里山」の姿と明治時代の初期から変化してきた伝統的な農業環境の土地利用

[要約]

伝統的な土地利用は、農地や自然資源の供給地を上手に配置した、かつての農村の知恵を表すとともに、私たちが現在保全しようとする「里山」の原型を示し、多様な景観や生物多様性などの環境便益を提供する土地利用の実例を提示してくれます。

[背景と目的]

生態系便益を重視する農業環境施策の対象となる自然価値の高い農業景観が世界的に再評価されるなか、その一つのお手本となる伝統的な農業による土地利用の正確な把握が求められています。伝統的な土地利用は、後の変化を測る原点を定義するとともに、多様で豊かな地域づくりのモデルともなり得ます。そこで、本研究では、茨城県南部を例に、明治初期に作図された迅速測図に示される、農地や自然資源供給地として当時の農村の生活を支えた土地利用を解析しました。

[成果の内容]

現在の牛久市を主な対象に、明治 14年に測量された迅速測図から土地利用情報を地理情報システム(GIS)に取り入れ、その割合と配置を解析しました(図1)。この図幅内では、水田の 90%は集落の 700m以内、畑地は 600m以内に分布し、樹林地と草地は面積の約60%を占めています。日常的に利用されない草地は集落から遠く、共有地として台地の中心に集中していました(図2)。 ここに、水田を水資源の豊富な低地に耕し、集落を低地から上がった水田の近くに築き、畑を集落の周りに集中させ、薪炭や緑肥などの自然資源を自給するための樹林と草地を広く展開させていた、当時の農村の知恵が見られます。詳細は日本各地の地形の規模や起伏によって異なりますが、昔の農村が如何に地形と生物多様性を巧みに利用し、化石燃料や化学肥料がない時代、生活を持続するために必要な土地利用を身近に揃えていたかをうかがえます(図3)。

しかし、明治期においても農業環境は大きく変化しました。その後作成された地図によると、図幅範囲から広い草地は姿を消し、面積が最も広かった時期が水田と樹林は1910年代、畑地は1950年代でした。近年では、図幅の 30%以上(2000年ごろ)が都市となり、農業そのものが失われつつあります(図4)。

将来の地域づくりを考える上で、茨城県の過去の環境は重要なヒントとなります。多様な景観や生物多様性などの環境便益を確保するためにも、水田と樹林地や草地を身近に維持する、自然価値の高い農業環境による「里山」保全対策を提案することができます。

リサーチプロジェクト名:農業空間情報・ガスフラックスモニタリングリサーチプロジェクト
農業環境情報・資源分類リサーチプロジェクト

研究担当者:生態系計測研究領域 D. Sprague、岩崎亘典

発表論文等:1) Sprague, Int. J. of Geographical Information Science, 27(1): 68 –91 (2013).
2) スプレイグ、岩崎、ランドスケープ研究、72(5): 623–626 (2009).
3) Sprague et al., Int. J. of Geographical Information Science, 21(1): 83–95 (2007).

図1 1880年代の土地利用図: 迅速測図に示されている土地利用の境界線を地理情報システム(GIS)に取り込みます。

図2 台地上の草地の配置: 草地は河川と河川の間の台地の中心に集中して分布していました。

図3 伝統的な土地利用の概念図; 集落は水田の近くに築かれ、畑地は集落の周りに集中し、広大な樹林や草地が展開されていました。

図4 1880年代から2000年代への牛久市周辺の土地利用の変化

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