農業環境技術研究所は、30年以上にわたる衛星画像データを解析し、東南アジア山岳部の焼畑地帯における土地利用の状況と生態系に蓄積された炭素量を定量的にとらえることに、世界ではじめて成功しました。これによって、食料生産と森林資源の持続性および大気中の二酸化炭素の削減を同時に成立させ得る環境破壊リスクの少ない生態系管理シナリオを提示しました。
東南アジアの山岳地帯では焼畑農業が重要な食料生産システムとして広く行われています。しかし、近年、焼畑面積の拡大と休閑期間の短縮化が急速に進み、食料生産力の低下や森林の減少などが問題となっています。さらに、温室効果ガスである二酸化炭素の放出、生物多様性の低下などの環境問題も懸念されています。しかし、こうした実態に関する科学的データは世界的にもきわめて乏しいのが現状で、焼畑地帯の炭素蓄積量を正確に評価するとともに、食料生産を増強しつつ大気中の二酸化炭素を固定できる生態系管理方策を提案することが求められていました。
途上国の農業・食料問題の多くは地球規模の環境問題と密接につながっています。衛星画像データを使って広い範囲での土地利用と炭素蓄積量の実態をとらえることを可能にしたこの成果は、途上国における食料確保と環境保全を両立させるための方策や支援プロジェクトを進めるうえで、重要な科学的根拠と具体的なシナリオを提供します。
この研究は環境省地球環境研究総合推進費などにより、農業環境技術研究所が京都大学、森林総合研究所と協力して行ったもので、成果は7月6日から米国ボストンで開催される国際地球科学・リモートセンシングシンポジウム2008 (International GeoScience & Remote Sensing Symposium 2008) で発表されます。
研究推進責任者:(独)農業環境技術研究所
理事長 佐藤 洋平
研究担当者:(独)農業環境技術研究所 生態系計測研究領域
上席研究員 井上 吉雄
TEL 029-838-8220
広報担当者:(独)農業環境技術研究所
福田 直美
TEL 029-838-8191
FAX 029-838-8191
電子メール kouhou@niaes.affrc.go.jp
焼畑農業はタイ・ラオス・ベトナム・中国・バングラデシュ・インドなどアジア山岳地帯の広範な地域において重要な食料生産システムです。しかし、利用面積の拡大と休閑期間の短縮が急速に進んでいます。それに伴う地力の低下や雑草繁茂などのために土地生産性・労働生産性が低下し、また、森林資源の劣化、二酸化炭素の放出、生物多様性の低下も懸念されています。これら途上国では食料生産、森林資源の維持と地球環境問題に配慮した生態系管理法が不可欠ですが、その基礎となる広域的な土地利用と生態系炭素量の実態に関する科学的データは世界的にもきわめて乏しいのが現状でした。
1.そこで、農環研では、典型的な焼畑地帯であるラオス北部の山岳地帯 (図1) を対象域として解析を行いました。まず、33年間にわたる Landsat 衛星画像と最新衛星 (QuickBird/IKONOS) の高解像度画像を用い、多波長データによる領域区分化処理など新たな手法を駆使して、年々移動する焼畑利用地の区画を高精度で抽出しました。それに基づいて、焼畑面積、連続利用期間、休閑期間、樹林地の樹齢分布を空間的に明らかにすることに成功しました。
2.各年次の焼畑による作付面積は1990年以降3〜5%の年増加率で増えつづけ、現在では多くの地域で約8〜13%に拡大しています (図2)。これが年々移動するため、地域の約60〜70%を占める面積が焼畑的土地利用に使用されていることがわかりました。焼畑利用地は焼畑利用地のうちの約77%は1年作付後には放棄され、約94%は2年以下の作付で放棄されます (図3)。さらに、土地利用パターンごとにみると、1〜4年程度で短期休閑が顕著に増加しています (図4)。
3.この空間分布データと、現地で測定したデータに基づいて導きだした土地利用パターンごとの生態系炭素量(地下30cmまでの土壌と全地上群落の炭素量)を休閑年数から推定するモデル (図5) とを統合することにより、様々な生態系管理シナリオにおける生態系炭素量の広域評価をはじめて可能にしました (図6)。
4.現状が続く場合 (シナリオ1) に比べ、長期休閑地が短期休閑に組み込まれると (シナリオ2)、地域内の炭素蓄積量はいっそう減少します。また、現状の土地利用と技術のまま焼畑面積の一部を保全林に移行した場合 (シナリオ3)、炭素量は増加しますが食料生産は大幅に減少します。これらのシナリオでは、森林資源の劣化と大気への二酸化炭素放出をおさえつつ食料生産を確保することは困難と予測されました。
5.一方、現在主に行われている在来陸稲品種の作付に比べ、多収性の改良品種、マメ科の緑肥作物に加え、休閑初期に換金作物 (紙原料) のカジノキを組合せる方法が有望であることがわかってきました。この代替システムを導入し、稲を2年作付けたのち10年程度休閑する生態系管理シナリオ4、5では、地域総収益を確保しつつ生態系炭素量を増強できる可能性が明らかになりました(図6)。
6.この成果は、アジア山岳地域の同様な焼畑地帯で進行している土地・森林資源の劣化の軽減化と温室効果ガス削減への施策や支援方法を具体化するうえで、広域的な炭素蓄積量・森林資源・食料生産に関しての重要な科学的根拠を提供するものです。
焼畑: 森林や草原の植生を伐採・焼き払った跡地に、陸稲、イモ類、雑穀類などを栽培する農法。作物を1〜数年栽培した後放棄し、別の場所に移動して同様の栽培を行う。土地を耕したり肥料・農薬を入れたりすることなく、焼き払われた植物灰中の養分に依存して栽培がおこなわれるため、栽培をつづけると土壌有機物の減少とともに収量も急速に低下する。放棄された畑地は植生が回復する期間 (休閑期間) をおいて、周期的に利用される。東南アジア・アフリカ・南米などで、現在も広範に行われている。傾斜が急で植物の再生速度の速い山岳熱帯では、低投入で作物を生産するもっとも伝統的な農法である。なお、東南アジア山岳地帯での最も重要な作物は陸稲である。
休閑: 作物栽培をやめ放置すること。焼畑ではこの間に植生が回復し森林を形成する。休閑期間の短縮は収量低下と雑草繁茂をまねき、土地生産性、労働生産性とも悪影響があるとされている。
Landsat: 米国NASAが打ち上げた地球観測衛星のひとつで、1972年の1号以来、最新の7号に至っている。可視〜赤外域で7つの波長別画像を取得する。地上解像度は30m。
QuickBird/IKONOS: いずれも2000年以降に打ち上げられた商業衛星。1〜2m程度の高い地上解像度で、可視〜近赤外域に4つの波長別画像を取得する。
多波長データ: 地球観測衛星のセンサにより計測される光の波長別(青・緑・赤・近赤外・熱赤外など)の画像データ。波長ごとに水分やクロロフィルなどに対する反応が異なるため、それらを組み合わせて対象物の判別や計量に活用される。
群落齢: 樹木の樹齢に相当するもので、休閑期間の間に成長した多数の植物種からなる群落(休閑群落)の年齢で、焼畑の場合は最後に栽培利用されて以後の年数に相当。群落の成長量はほぼ群落齢によって表すことができる。
カジノキ: ペーパマルベリーとも呼ばれるクワ科の落葉小高木。樹皮が紙の原料となる換金作物。現地では自然休閑地にも自生している。シナリオ4、5では陸稲作付後、3年程度休閑地に導入して樹皮を採取したのちそのまま放置して自然休閑に入ることを想定している。
地域総収益: 地域内においては様々な土地利用パターンで焼畑が行われているため、焼畑地の土地利用パターンごとのコメ生産量、換金作物収益、労賃による収益、技術的経費(種苗費・普及経費等)等の収支を全域で集計し、全域に対する単位土地面積当たりのコメ換算値(kg/ha)で表示した。シナリオ4、5では、高収量の陸稲品種、マメ科緑肥作物であるスタイロ、換金作物であるカジノキを組み合わせた作付システムによる「2年作付+10年休閑」パターンを代替システムとして想定した。なお、生態系管理システムの改変により新たに固定される炭素量にかかわる収益は考慮していない。
図1 研究対象の領域(左)と典型的な焼畑地域の鳥瞰図(右)
青緑色の大部分が2002年の焼畑利用区域。これが年々移動しつつ周期的に利用され、集落・道路・河川・保全林・植林地などを除く広域が焼畑に利用される。鳥瞰図は衛星画像とデジタル標高図から作成。
図2 焼畑作付面積の推移 (ルアンパバーン県の約330km2 の例)
焼畑による作付面積は1990年前後から急速に増加。この地域では近年、全域の約67%が短期〜長期休閑周期で焼畑に使用されている。面積拡大に限界があり休閑期間の短い土地利用が増加している。同一年次に複数の点があるのは季節が異なる衛星データの解析結果である。
図3 焼畑として連続的に作付される年数(1993年〜2004年)
約77%が1年の利用後、約94%が2年以下の利用で放棄される。それ以上の年数連続して利用される面積はわずか。
図4 焼畑利用総面積に占める休閑年数別土地利用パターンの割合 (2003年と2004年の平均値)
前回焼畑利用されて何年後に再度焼畑に戻されたかの年数。休閑年数2年から4年の焼畑が多い。* は11年以上の合計。
図5 炭素量評価モデルにより算出した 「作付年数+休閑年数」 の各土地利用パターンにおける生態系炭素量の長期的変化と平均値
ここで生態系炭素量とは、地下30cmまでの土壌とすべての地上部分に含まれる炭素の総量をさす。焼払い直後の一般的な炭素量をヘクタール当り42トンとした。「2年作付+10年休閑」 パターンの場合の炭素量 (35年間の平均) は、「1年作付+2年休閑」に比べ、ヘクタール当り約27t多いと推定された。
図6 生態系管理シナリオを変えた場合の地域の炭素蓄積量と収益性の増減試算
作付前の土壌炭素量(42トン)を基準とした35年間の地域全域平均値。
土壌炭素量低下にともなう作物収量の低減化の影響は考慮していないため現実には短期休閑でさらに減収する可能性がある。なお、生態系管理システムの改変により新たに固定される炭素量にかかわる収益は考慮していない。
収益性は下の付表に基づき試算した。