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プレスリリース
平成14年5月30日
独立行政法人 農業生物資源研究所




エンバク由来の抗菌性タンパク質遺伝子導入による細菌病抵抗性イネの開発



[要約]

 農業生物資源研究所と宮城県農業・園芸総合研究所は、作物由来の抗菌性タンパク質遺伝子をイネに導入し多量に発現させることによって、複数の重要病害に抵抗性を示すイネの作出に成功した。その成果は、植物病理関係で最も権威のある国際雑誌に掲載される予定で、耐病性イネの写真は、その表紙を飾ることになった〔資料1〕。

[背景・ねらい]

 一般に細菌病は、糸状菌病に比べて防除が難しく、水稲の場合、化学農薬による種子消毒をしても完璧に感染を防ぐことができない。イネ苗立枯細菌やもみ枯細菌は、感染もみの播種や感染苗の本田移植によって圃場イネで発病し、種子に残存することにより種もみの汚染を引き起こす。さらに、もみ枯細菌は出穂期ころにもみで発病して不稔もみ、障害もみを発生させる。このように、これらの細菌感染は、種子伝染性・難防除性の病気を引き起こすものとして恐れられている。

 この背景としては、近年、機械植えに適したイネ苗を迅速に作るため、もともと水中での生育に適したイネを陸上・好気的条件で、しかも高温・多湿下で育てるようになったため軟弱になり、これらの細菌に犯されるようになったためと言われている。

 これらの細菌病を防除するために化学農薬が使われてきたが、環境への影響や耐性菌の誘導の恐れが指摘されるようになった。そこで、新たにこの2つの細菌病を対象に微生物農薬が開発され、昨年12月にその発売が開始された。これは播種時、またはその直前に拮抗細菌を多量に処理することにより、イネ種もみ上の栄養分を横取りし、病原細菌の増殖を抑えようとするものであるが、廃液による土壌微生物相に与える影響が懸念される。

 遺伝子組換え技術により、用いるイネ品種に、植物がもともと有している細菌病抵抗性の機構を付与することができれば、従来の防除技術の弱点を克服し、手間がかからず、環境にもやさしい農業が行えるものと期待される。このような観点から、実用レベルで使用できる細菌病抵抗性組換え植物の作出が待たれていた。

[成果の内容・特徴]

 ここで開発された組換えイネは、たとえこれらの種子伝染性の病原細菌に接触しても、芽生えの段階からエンバクチオニンを多量に作ることにより、これらの細菌の標的器官である鞘葉への細菌の感染・増殖を抑えることができる。このような植物では、「一度病原細菌細菌に感染したイネではそれが植物体に残り、種子を通して次世代に伝わる」という悪循環を断ち切れるので、今までに例を見ない有用耐病性組換えイネといえる。

[参考:資料2 イネの鞘葉]

[今後の展開]

 これらの細菌病耐性を目的にする場合、全身でなく鞘葉(および根)中心に発現させることで充分な防除効果が上げられるものと思われる。今後、鞘葉特異的プロモーターを利用するなど導入遺伝子を改良すれば、「病原細菌の標的器官(鞘葉)で特異的にエンバクチオニンを作る組換えイネ」すなわち「原品種の特性をそのまま保持した耐病性組換えイネ」の作出という、より理想的な組換え体に近づくと思われるので、現在、その目的を目指して研究を続けている。

 本研究で得られた組換えイネは、省農薬・省労力で育つことが示唆された。今後、この考え方を応用し、導入遺伝子を改良すれば、未来の農業を支える、消費者にも生産者にも受け入れられる組換えイネ作出が可能になるのではないだろうか。本研究はその道筋を実験的に示したものと考えている。

[問い合わせ先]
農業生物資源研究所 理事長桂 直樹
研究責任者:農業生物資源研究所 理事中島皐介
研究推進責任者:農業生物資源研究所 分子遺伝研究グループ長肥後健一
研究担当者:農業生物資源研究所 分子遺伝研究グループ 特待研究員大橋祐子
tel:0298-38-7440
研究担当者:宮城県農業・園芸総合研究所 バイオテクノロジー開発部 研究員岩井孝尚
tel:022-383-8131
広報担当者:農業生物資源研究所 企画調整部 広報普及課長下川幸一
tel:0298-38-7004

















資料1


右の2つは、非組換え体。一番左は、エンバクチオニン遺伝子を導入した組換えイネ。
一番右は健全イネ。左の2つはイネ立枯細菌病を接種して10日後のイネ。
(植物病理に関する国際誌(Molecular Plant-Microbe Interactions(分子レベルでの植物 - 微生物 相互作用))
6月号の表紙に掲載される予定の写真)
 

資料2


図1 発芽と酸素条件
 左の二つ:土中に酸素が充分あるばあい
 右の二つ:酸素不足の深水(10cm)中で
 発芽のばあい。根は伸びず鞘葉だけが
 異常伸張する。


図2 酸素と発芽
 上:酸素十分のばあい
   鞘葉内を本葉が伸びている
 下:酸素不足のばあい
   長い鞘葉内に本葉は伸びていない
      図2の拡大図
イネの生長、星川清親、農山漁村文化協会、p.50より
 

補足説明

チオニンとは
 チオニンは、広範な植物に存在する病害抵抗性関連タンパク質であり、ムギ類でその研究が進んでいる。オオムギのチオニンには、葉と種子に特異的な分子種が存在するが、いずれも保存された8個のシステインを含む47アミノ酸から構成され、細菌や糸状菌に対して多様な抗菌性を示す。うどんこ病に感染したオオムギの葉では、抵抗性の組み合わせの時のみ、侵入部位の細胞壁にチオニンが蓄積すると報告されている。細菌の細胞膜に入り込み、膜の透過性を変化させることにより抗菌性を示すと考えられている。

本研究の特色
 イネは簡単に苗立枯細菌病やもみ枯細菌病に冒される。イネゲノムプロジェクト作成のESTを検索すると同じ構造のチオニン遺伝子をコードするものが100個以上見つかり、これは鞘葉で多量に発現していることがわかった。この遺伝子は今回用いたエンバクチオニン遺伝子とは異なった種類である。このことは、イネの内在性チオニンの発現のみではこれらの耐病性には不十分であることを示している。畑で育てられるエンバクは葉特異的エンバクチオニンの発現により病気から守られているものと考えられる。我々の研究は、エンバクチオニンを人為的にイネで作らせることにより、エンバク苗の細菌病耐性をイネ苗に付加させたことになる。

実験に用いたエンバクのチオニンと関連特許
 ここで用いたチオニンは、家畜飼料用エンバク品種「前進」の黄化幼苗で恒常的に多量に発現している葉特異的チオニンである。組換えイネの中で作られたエンバクチオニンは、細胞壁に結合しており、水で洗っても溶出してこず、高塩処理により初めて溶出されてくる。病原菌が組換えイネの細胞壁を攻撃し細胞内に侵入しようとする時、効率的に殺菌作用を示すものと考えられる。本遺伝子や、これを用いた組換え体作出法に関しては、国内外に特許出願済である(チオニン遺伝子:平成10年登録、作出法:平成11年度公開、US特許:平成12年度登録など)。

イネゲノム研究との関係
 本研究では、イネゲノムプロジェクトにより開発されたEST(Expression Sequence Tag)を活用し、イネにおける内在性チオニン遺伝子の発現を調べ、一種類の遺伝子が多量に鞘葉で発現していることを明らかにした。このチオニン遺伝子は、その構造から用いたエンバクチオニン遺伝子とは異なるタイプに属する遺伝子と考えられる。また、イネチオニン遺伝子の完全長cDNAをイネゲノムチームから分譲された。

チオニンの安全性
 チオニンはもともとパン種中の酵母の増殖を阻害する物質として小麦粉から単離された。チオニンは身近な植物が通常生産しているタンパク質であり、我々が研究に用いた葉特異的チオニンを多量に発現している黄化エンバク葉は、カナダでは肉の付け合わせ野菜として生で使用されている。また、エンバクの緑葉芽生えは、猫や犬の健康新鮮生野菜としてペットショップで売られている。さらにエンバク成熟葉は、牛をはじめとする家畜のサイレージとして通常の餌に用いられている。

今後改良すべき問題
 本組換えイネには、すでに実用レベルの抵抗性が付与されているものと考えられる。平成13年度、独立行政法人農業技術研究機構中央農業総合研究センター北陸センターの隔離圃場で組換えイネの栽培特性調査が行われ、上記の病原細菌感染に対する耐性が付与されていることが再確認された。しかし、組換えイネでは、出穂が2日早く、やや短稈など、いくつかの点で原品種とわずかな差が見られたほか、収量が10%減少していた。このイネでは、農業生物資源研究所で開発した高発現プロモーターを用いて植物体全身にエンバクチオニンを発現させている。このような表現型が導入遺伝子の高発現のためか、培養変異によるのかは現在不明であり、今後解析したいと考えているが、前者の場合は、導入遺伝子の改良が必要である。

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 本研究は、独立行政法人農業生物資源研究所と宮城県農業園芸総合研究所との共同研究(平成8〜10年度)として始められ、農水省の21世紀グリーンフロンテイア(組換え・クローン: 平11〜13年度)、科学技術振興調整費・中核的研究拠点(COE)育成事業(平6〜 11年度)、科学技術振興事業団・戦略基礎(CREST)(平9〜13年度)、文部科学省特定領域研究(A)の研究費によってサポートされた。平成13年度に、独立行政法人農業技術研究機構中央農業総合研究センター北陸研究センターの隔離圃場で行われた耐病性・生育特性調査は、組換え体の環境安全性評価試験を行う中で実施された。

主な担当者

研究全般
 農業生物資源研究所 分子遺伝研究グループ
 岩井孝尚(現・宮城県農業・園芸総合研究所)
 大橋祐子
耐病性の検定など
 農業生物資源研究所 遺伝資源研究グループ
 加来久敏
 宮城県農業・園芸総合研究所 バイオテクノロジー開発部
 本蔵良三(現・宮城県立農業短期大学)
 中村茂雄
イネゲノム関係
 農業生物資源研究所 ゲノム研究グループ
 佐々木卓治
 農林水産先端技術産業振興センター STAFF研究所
 江口恭三
隔離圃場における耐病性検定
 農業技術研究機構 中央農業研究センター 北陸研究センター
 福本文良(現・北海道農業研究センター)
隔離圃場における生育特性調査
 農業技術研究機構 中央農業研究センター 北陸研究センター
 矢頭 治
 

[掲載新聞]

2002/05/31:日本工業新聞、化学工業新聞、日本農業新聞、日経産業新聞
2002/06/04:日本農業新聞
2002/06/05:日刊工業新聞
2002/06/10:読売新聞(夕刊)
2002/06/13:河北新報
2002/06/21:全国農業新聞
2002/07/19:科学新聞


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