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プレスリリース
平成14年7月31日
独立行政法人 農業生物資源研究所
徳島大学 ゲノム機能研究センター
独立行政法人 産業技術総合研究所






ショウジョウバエの脆弱X症候群疾患モデルの開発に成功!

− 疾患関連遺伝子と体内時計との関係を証明 −

【要約】
遺伝子組換え技術を適用し、ヒトの脆弱X症候群解析のための疾患モデルをショウジョウバエで開発することに成功しました。ショウジョウバエにはヒトの脆弱X症候群原因遺伝子と相同の遺伝子がありますが、この遺伝子を人為的に破壊または改変すると、ハエが本来持っている24時間の活動リズムに異常が生じました。この結果から原因遺伝子が生物リズムの維持に重要な働きを持っていることが初めて明らかになりました。今後、開発した疾患モデルを用いて、病態発現にいたる経路の解明が進むものと期待されます。

【背景・ねらい】
 多くの生物は昼夜の環境変化にうまく適応するため、体内時計(生物時計)を持ち、活動や生理状態が24時間周期で変化するように調節されています。この体内時計の機能を解明するため、遺伝子組換え昆虫(ショウジョウバエ)を用いて時計遺伝子の発現解析を進めています。この研究過程で、ヒトと相同のFMR1遺伝子が正常な活動リズム形成に強く関与することが確認されました。
 ヒトではFMR1遺伝子の正常な機能が失われることによって、脆弱X症候群(fragile X syndrome)を発症することが既に知られています。脆弱X症候群は、精神遅滞自閉症睡眠障害等を引き起こす重大な疾病で、精神遅滞を引き起こす遺伝病の中では最も発症頻度の高い病気として知られています。しかし、発病のメカニズム、遺伝子の生理的機能が何なのかについては判っていません。
 ほ乳類では、この原因遺伝子に類似する遺伝子が複数あり、相互に作用するため単純化することができませんでした。そこで私達は、この原因遺伝子に類似する遺伝子がなく、かつ、遺伝子機能の解析に適して多くの研究蓄積のあるショウジョウバエに着目し、ショウジョウバエの脆弱X症候群モデルを開発し、そのモデルの検証を行いました。

【成果の内容・特徴】

  1. はじめに、P-エレメントと呼ばれる動く遺伝子を人為的に操作して、FMR1遺伝子を破壊したノックアウトハエ(欠失変異体)の作成を行いました。
  2. このノックアウトハエを調べたところ、成虫の行動に異常が生じていることを発見しました(測定装置を添付資料1に示す)。遺伝子の破壊されたノックアウトハエでは、一日の活動周期が消失していました(添付資料2)。
  3. ノックアウトハエの頭部の時計遺伝子を分析したところ、ピリオドやタイムレスといったタンパク質の周期的変動に異常が確認されました(添付資料3)。
  4. 更に検証するために、ノックアウトハエにFMR1遺伝子を戻してやったところ、活動の周期性が回復しました。以上の結果から、FMR1遺伝子が正常な活動リズム形成に必要不可欠な役割を果たしていることが示されました(添付資料2)。
 脆弱X症候群患者の方にも、睡眠障害など、生物リズムの異常が原因ではないかと思われる症状が報告されていました。今回、実際にこの遺伝子を操作して生物リズムに異常が生じることが確認され、この病気に体内時計が関わっていることがショウジョウバエをモデルとして、初めて証明されました(概念図を添付資料4に示す)。

【今後の展開】
 今回の研究成果により、次のような波及効果が期待されます。

  1. ショウジョウバエは、高度な遺伝学的・分子生物学的アプローチが可能であることから、この疾患モデルを用いて、体内時計を介した睡眠障害、活動過多の発症など病態発現にいたる経路の解明が急速に進むものと期待されます。
  2. 脆弱X症候群の発症経路の解明が進むことで、この遺伝病に対する理解が深まり、有効な治療法の開発につながると考えられます。

添付資料1

ショウジョウバエ
活動リズム測定装置
ガラス管の中でハエが動き回る。
      ↓
赤外線検出器を用いて活動量を記録。
      ↓
統計計算により周期性を判定。

添付資料2

ショウジョウバエ脆弱X症候群疾患モデルの活動リズム
野生のハエノックアウトハエ遺伝子導入による
回復(遺伝子治療)
活動記録

←黒い点は活動状態を示します。
白抜き部分は休止状態を表します。
時刻(時)
周期検定





←この直線より上にある場合は統計上、有意性があることを示します。
周期(時間)
添付資料3
ショウジョウバエ頭部での時計タンパク質の周期的変動


野生のハエ

ノックアウトハエ



野生のハエ

ノックアウトハエ
*PER,TIM はそれぞれ時計タンパク質のピリオド、タイムレスを示します。
添付資料4
脆弱X症候群病原遺伝子FMR1の機能(モデル図)

*PER,TIM,CYC,CLK はそれぞれ時計タンパク質のピリオド、タイムレス、サイクル、クロックを示します。

【問い合せ先】
農業生物資源研究所 理事長桂 直樹
研究責任者:農業生物資源研究所 理事井上 元
研究推進責任者:農業生物資源研究所 昆虫生産工学研究グループ長西出照雄
電話:0298-38-6071
研究担当者:農業生物資源研究所 昆虫生産工学研究グループ 遺伝子工学研究チーム 主任研究官霜田政美
電話:0298-38-6270, 6091
徳島大学 ゲノム機能研究センター 教授塩見春彦
電話:088-633-9450
産業技術総合研究所 分子細胞工学研究部門 生物時計グループ長石田直理雄
電話:0298-61-6053
広報担当者:農業生物資源研究所 企画調整部 広報普及課長下川幸一
電話:0298-38-7004
共同研究機関:徳島大学 〒770-8503 徳島県徳島市蔵本町3丁目18番地の15
電話:(代)088-633-9418
産業総合研究所 〒305-8566 茨城県つくば市東1-1-1 中央第6
電話:(代)0298-61-6000

【用語解説】

脆弱X症候群:脆弱X症候群は最も高頻度(新生児4000人に1人)に精神遅滞を引き起こす遺伝性の病気であり、また先天性の精神遅滞全体の中でもダウン症(1000人に1人、ただし一般に遺伝しない)についでその頻度が高い。しかも患者の多くは精神遅滞のほか、様々な自閉症様症状(目を合わせない。同じことを執拗に何度も繰り返す。など)を呈することが知られている。脆弱X症候群の発症頻度には人種民族による差が殆ど認められない。このため国際的にみてもこの病気の解明とそれに伴う治療法の開発は非常に重要な課題となっている。

精神遅滞:精神遅滞とは、一般に「知恵遅れ」とか「知的発達が遅れている」といわれる状態。つまり、生まれつき学習能力や記憶力が劣る(いわゆるIQが低い)症状を指す。脆弱X症候群患者のIQは40〜60の範囲に入ることが多い。

生物リズム(生体リズム):多くの生物はその活動に顕著な周期性を示し、この周期性(リズム)は環境変動をなくした状態でも自立的に持続する。いろいろな長さのリズムがあるが、一日の周期現象を指す場合が多い。行動など個体全体の活動性のほかにも、体温・血圧・尿生成・ホルモン分泌など、数多くの生理的現象にリズムが見られる。

生物時計(体内時計):たとえば、ミツバチを外界から遮断された恒温・恒明下においても、毎日決まった時刻に一定の餌場に集まることを学習する。これは生物が時間測定メカニズムをそなえているためで、これを生物時計と呼ぶ。生物時計は自律的に振動し、種々の生理機能に作用して生物リズム(生体リズム)を発現させる中枢として働く。生物時計の所在は、哺乳類(ヒトなど)では視床下部の視交叉上核、鳥類では松果体、昆虫(コオロギなど)では複眼のすぐ奥に位置する視葉にある。生物時計を制御する遺伝子は時計遺伝子と呼ばれ、ピリオド、タイムレスなど数種の遺伝子が発見されている。

ショウジョウバエ(キイロショウジョウバエ):双翅類に属する完全変態昆虫で、飼育が容易で、多数の個体が得られるなどの特徴に加え、突然変異体の作成など多彩な遺伝子機能解析法を有することから、多細胞真核生物の代表的なモデル生物になっている。2000年3月にゲノム配列の解読がほぼ終了し、約14000個の遺伝子が予測されている。この中にはヒトの病原遺伝子も数多く含まれ、今後の医学分野への貢献も期待されている。

P-エレメント:DNA上のある部位から他の部位へ転移可能な、動く遺伝子(可動性因子)の一つで、ショウジョウバエで働く。単純な挿入や切り出しによって、遺伝子の不活性化、遺伝子構造の変異などを引き起こす。組み換えDNA技術により改変したP-エレメントを用いることで、未知遺伝子を単離同定するための遺伝子標識や有用遺伝子の導入など、個体レベルでの遺伝子操作が可能になっている。

【掲載新聞】
2002/08/06日経産業新聞
2002/08/07日本工業新聞、日刊工業新聞、化学工業日報、毎日新聞
2002/08/12読売新聞(夕刊)
2002/08/16日本農民新聞