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イネゲノム完全解読10周年
イネ
 イネゲノム情報がこの10年にもたらしたもの
農業生物先端ゲノム研究センター センター長 松本 隆
松本センター長

2004年12月に我が国が主導する国際コンソーシアムによってイネ日本晴の解読作業は終了し、翌2005年に配列が公開された。

それまでにも実験植物としてシロイヌナズナのゲノム解読が2000年に終了していたが、 イネは世界の50%の人口の主食である作物として、社会的、経済的ニーズは大きく、ゲノム配列が得られたことによってそれ以後のイネ研究は全く異なるフェーズに入った。

重要作物であるイネには、世界レベルでの食糧不足、気候変動による環境変化、病虫害の増大、さらには実需者から高品質等様々な形質が求められる。

これらの要求に的確に応えるためにはこれらの農業現象を科学的に解析して、遺伝子のはたらきとして理解し、その機能を制御することによってこれらの難問を解決しようとする動きが高まっていった。

わが国では農林水産省が1991年に、イネゲノムの構造と機能を明らかにする目的で「イネゲノム研究プログラム」を開始していたが、全ゲノム配列の解読後、2005年から、アグリ・ゲノム研究の総合的な推進プロジェクト」、2008年から「新農業展開プロジェクト」を開始し、生物研も参加した。

ゲノム配列はただ見てもATGCの4文字の連続であり、この配列の意味づけをすることで効率的な利活用が可能となる。イネゲノム塩基配列解読で得られた3億8000万塩基のゲノム情報は、約2万8000カ所の遺伝子領域を示したイネアノテーションデータベース(RAP-DB)として整備・公開され、遺伝子単離や機能解明の解析ツールとして多くの研究者や研究コミュニティーに利用されている。 RAP-DB以外にも、遺伝子情報をまとめたイネ完全長cDNAデータベース、遺伝子発現情報データベース等の23個のデータベース・解析ツールが作成・公開されている。また、遺伝子の単離・機能解析のための、Tos17突然変異体リソースや染色体部分置換系統群等の遺伝解析材料が整備されている。また、アジアを中心とする世界各地には、その地域に適応するための特性を備えた多くのイネ遺伝資源が存在し、生物研ジーンバンクにも30000点以上が保存されている。イネゲノムの研究成果をもとにこれらの遺伝資源が持つ特性に関係した遺伝子を明らかにし、イネの改良を加速させる研究が我が国や世界で進んでいる。

また、イネゲノムプロジェクトでは、イネの成長、収量、病害抵抗性等農業上重要な形質を支配する様々な遺伝子を単離して機能を解明する方法論が進歩した。標的タンパク質が明らかになっている場合と異なり、農業形質の多くは、形や性質、いわゆる形質を支配する遺伝子を対象とする必要があり、このために遺伝地図に基づいた遺伝子単離法(マップベース・クローニング)が開発された。マップベース・クローニングにはイネのゲノム上に位置を示す"目印"を設定する必要があり、初期には矮性、病気抵抗性等、形質そのものをマーカーとして遺伝学を行っていた。その後、DNAを基盤とするマーカーが開発されたが、その多くが、ゲノム上のおおまかな位置情報に基づくマーカーであるため、望む位置にマーカーを設定できるかは運任せというケースも多く、また遺伝子をマーカ近傍に位置づけても、遺伝子のさらなる絞り込みが難しい事もあり、マップベース・クローニングには困難がつきまとった。高精度で解読されたイネゲノム配列は、上記の事情を根本的に変えることとなった。ゲノム全体に亘る精度の高い配列によって、目的の位置に、ユニークなDNAマーカーを設定できるようになった。また形質遺伝子の座乗位置をDNAマーカー近傍に位置づけた後は、上記のアノテーション研究の結果、その領域に存在する遺伝子の存在が明らかになっているために、候補遺伝子の絞り込みが非常にスムーズになった。いもち病は日本のイネの主要な病害の一つである。陸稲(おかぼ)品種はいもち病に強い遺伝子(pi21)を持っていることが知られていた。しかし、従来の品種改良でpi21を導入すると、イネの味が悪くなる問題があった。ゲノム情報を活用することによって、pi21と味を落とす遺伝子の染色体上での位置関係を明らかにし、この問題を解決した良食味といもち病耐性を兼ね備えた新しい品種(ともほなみ)を育成することができた。これは、育種家が意図して特定の形質を精密に交配で導入(あるいは削除)することが可能になった事を意味し、育種関係者の夢であった「デザイン育種」に一歩近づいたと言える。干ばつは世界のコメ生産にとって深刻な被害をもたらす。深根性(根が土壌深くまで伸びる性質)は、乾燥地域において土壌深層から水を獲得するうえで重要な形質である。イネの深根性に関与する遺伝子(DRO1)は、重力屈性に関与し、根の伸びる方向をより下向きにする働きがある。DNAマーカー選抜育種により、根の張り方が浅く干ばつに弱いイネにDRO1を導入した系統は深根性を示すと同時に強い干ばつ耐性を示した。このイネはアジアの天水田で普及に向けた実証研究を進めている。このほかに、ゲノム配列そのものを利用したユニークな研究として、多くのイネ近縁野生種・栽培種をゲノム情報によって整理し、栽培イネの成立過程を解明して、遺伝資源を効率的に利用するための基盤情報を得ることが行われた。

このようにして現在、80を超える形質遺伝子が単離され、その性質が解析され、現在の農業に活用されつつある。

ゲノム配列を用いた遺伝子研究がイネで長足の進歩を挙げたことで、イネ以外の作物についてもゲノム解読をベースに革新しようとする世界的な動きが始まった。この動きに拍車をかけたのは、2005年位から現在も続いている、超高速シーケンサー(次世代シーケンサー)の技術開発であり、精度は低いものの、イネゲノムの1000-10000分の一のコストで短期間でゲノム解読がなされるようになった。生物研でもダイズ、オオムギ、コムギのゲノム解読国際プロジェクトに参画し、世界に貢献した(作物以外にもカイコ、ブタのゲノム解読も行っている)。現在はほとんどの作物について、ゲノム参照配列(品種や系統のゲノム配列と比較して有用遺伝子領域を同定するための基準)が完成しており、ゲノムを基盤にした遺伝子研究・育種研究が現在花開いたと言える。

2013年からは、これまでのゲノム研究の成果を活用し、ニーズに合わせた多様な農作物新品種を速やかに、かつ継続的に開発するために、ゲノム情報を活用した農畜産物の次世代生産基盤技術の開発プロジェクト」が開始され、引き続き農業上有用な形質遺伝子やQTLの単離・同定とそのDNAマーカー化が進められている。DNAマーカー育種によって、単独あるいは数個のQTLで支配される形質の改変は正確になり、育種期間も短縮されたが、農業形質の中には多数のQTLで支配される複雑な形質も少なくない。食味・収量といったこれらの重要形質を効果的に改良するために、最近ではイネ・ダイズを含む様々な作物で、ゲノムワイド相関解析(GWAS)、ゲノム選抜(GS),ハプロタイプ選抜といった次世代の育種法の開発が進められている。これらは統計手法を駆使して、交雑した多数の子孫の中から最適なゲノム組み合わせを持つ理想遺伝子型を効率的に探し出す技術であり、多数の品種・系統の詳細なゲノム配列と、それから作出された高密度な一塩基多型(SNP)マーカーを前提とすることから、イネに始まったゲノム配列の解読の育種利用への一つの到達点と言える。イネゲノムプロジェクトの中で、イネゲノム上の全ての遺伝子の生育時期および部位ごとの遺伝子の働きが明らかになったことで、さらに新しい挑戦として、それら情報と気象および生育データを統合することで、遺伝子発現と環境と生育状況の関連性が明らかになろうとしている。このような情報を利用すると、特定に地域の特定の改良目的に必要な遺伝子を効率的に見つけ出すことができる。

以上のように、イネゲノム配列はイネの生物学を大きく発展させ、農業形質を科学的に理解し、人類のために役に立てる作物にイネを変貌させてきた。2050年に90億に達すると言われている地球人口を養うためには、今後ともイネの作物としての可能性を極限までに追求して、多収、環境耐性等の世界が求めるイネに近づける努力が必要である。

イネ
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