XI 蚕種の事故

 保護、取扱いの過程で偶発した蚕種の事故には、その原因が正しく究明されず、従って蚕種保護の改善に役立つことなく葬られてしまうものが極めて多い。事故原因の究明が正しく行なわれ難いのは次ぎのような理由によるものである。
 1)手近かな処に原因を求めて処理してしまう。例えば、越年種に早期死卵が多かったときに、たまたま夏期が高温であると、原因をそれに求めがちであるが、後に述べるように、早期死卵と考えられているものにも原因が極めて多いから、簡単に判断することはできない。
 2)事故が公表されない。研究所や試験場とは違い、蚕種業者で起った事故は、営業政策上、ありのまま公表されず、内部で処理されてしまうことが多い。
 3)事故に気付くのがおそい。外見でわかるような形態変化を伴なって蚕種が即死するような場合を除けば、一般には、原因の作用したときと事故に気付いたときの間にはかなりの日時の経過しているのが普通で、越年種の場合には特にこのような事故が多い。気に留めないで過こしたことをあとで思出そうとしても、正確な記憶のないのは当然で、強いて思出そうとすると記憶違いの混入するおそれもある。記憶違い、記録の誤まりなどは原因検討の妨げになる。
 4)原因の隠されていることがある。担当者には、ありのままを報告しにくい事情のある場合が多い。試験場などへ事故原因についての相談のある場合にも、思い当ることはないがと云うだけで、責任逃れのために答弁資料を集めているのではないかと考えられるようなことが少なくない。
 これに関連したことであるが、そんな筈はないと考えることも原因究明の妨げになる。
 例えば、東京杉並郵便局から朝の9時受付けで、日野市(1955年当時は日野町)へ蚕種を送る試験を繰返えしたことがある。輸送の途中で高温障害を受けることがあるか否かを確めるために行なったもので、前記の明石への郵送も同じ試験の一部である。11回送ったうちの4回は6時間ぐらいで到着したが、あとの7回は22時間以上もかかって配達された。郵便局に問合わせても、速達であるからその日のうちに到着する筈で、途中で1晩泊るような筈はないと云うだけで、納得のゆく説明は得られなかった。しかし、何処かで1夜泊ったことは間違いないのである。同じ東京−日野間でも、日野から東京へ送ったものは、11回が全部8−9時間で到着した。
 このような情況の下で蚕種に起こった原因を追究するためには、あらゆることを疑ってみて、原因を想定した実験を繰返えし、その結果から推定しなければならないことが多い。
 河北・河田(361)は、永年に亘って蚕種の事故を調査した結果を第179表のようにまとめている。この原因の判定も上記のような意味で疑ってみなければならないが、一つの参考資料として示す。

第179表 蚕種の事故原因(河北・河田)(361)
事 故 の 原 因 原因別歩合
歩合(%) 原因分類
 1.品種的に多糸量で原種虚弱性の後作用
 2.発蛾不一致、産繭抑制による不受精卵多量
0.7
0.7
計1.4% 卵素質不良    
 3.産卵当時の累積呼吸障害付与の形跡
 4.春製越年種、夏期高温(80゚F%以上)の生理的消耗
 5.春製蚕種、秋期漸降保護不完全または暖冬異変
 6.洗落作業による物理的または温度衝撃
 7.冬期冷蔵保護中長距離輸送移動の不完全
 8.冷蔵以降最長期前まで胚子発育階梯別不適温
 9.冷蔵末期過度の低温、活性化不斉遅延
10.人工孵化法(冷蔵時期、日数、温度、浸酸法)失敗
11.冷蔵保護温度激変に伴う白死卵発現


1.4
1.4
0.7
11.2
4.9
5.6
7.0
計32.2% 蚕種保護     
       浸酸取扱不良 
12.輸送障害(高温、蒸熱、遠距離、到着後解荷遅延)
13.催青着手時一定期間の予備催青不完全
14.催青温湿度環境の不備(主として低温低湿)
15.掃立日決定の慎重さを欠く(2夜包か2番掃か)
16.催青設備不完全(狭隘、挿換、光線、酸素不足)
17.眼点期以後暗室発蟻斉一化法の不徹底
18.催青卵および蟻蚕抑制方法、設備等の不備
19.掃立当日の取扱不良(当日の長距離運搬または明光線不足)
9.8
1.4
15.4
1.4
6.3
18.1
11.9
1.4
計65.7% 催青取扱不良  
20.卵数調査法の誤と相互確認連絡不良(小事も大事となる) 0.7 計0.7%  連絡不良     
意味のはっきりしない表現もあるが、そのまま示した。

 蚕種の事故については、冷蔵浸酸種の冷蔵時期を誤まると白ハゼ卵が出る、と云うように要因になる事項を取上げて説明するのが普通であるが、白ハゼ卵の原因にも種々あって、個々にかぞえ上けれはきりがないから、ここでは、これとは反対に事故が発生したときに、その原因を考えるのに参考になる事柄について記述する。

1 事故蚕種の形態と原因
 事故原因を検索する便宜上、蚕種の事故形態を13に分類して説明する。外観的には同じような死卵でも、長期の高温接触による死卵と長期冷蔵による死卵とは卵内容の変化が異なる筈であるが、これを識別し得る精密検査法は現在殆どあるいは全く未開発の状態である。
 なお、薬品や放射線などによる蚕種の事故や、親に特殊な薬剤(例えばapholate)を与えた場合の死卵などは、元来蚕種に近付けるべきものではない要因の影響であるから、これらには言及せず、蚕種保謹上問題になることの多い要因だけについて述べる。

 A 無着色卵
 越年種にみられる無着色卵は普通に不受精卵と云われている。大部分は不受精卵と考えられるが、受精後、漿膜の形成される前に死んだ卵は、外観からも組織学的検査によっても、不受精卵または不完全単為発生卵と区別することがむずかしい。これらを区別せずに、不受精卵と呼んでいる。
 従って原因は極めて広汎で、あらゆることが関係しているから、少なくとも上蔟以後の保護環境にまでさかのぼって検討しなければらない(V3)。蛾の抑制(W4)、交尾(W3)および産卵(W5)の管理などの採種に関する条件が直接に影響をおよぼすことは云うまでもないが、同じ母蛾の産卵でも初期よりは末期に多い(65)。遺伝的な欠陥によるものもある(T2Ba、T2Cb、T3C)。
 これらの卵は早期に潰れるのが普通であるが、保護環境によって異なり、一般的に云えば、春採りには潰れるものが多く、晩秋採りでは潰れないで残っていることが多い。
 産卵の翌朝既に潰れているような卵は単なる不受精卵ではなく、卵殻形成に異常のあるもので、蛹を長く冷蔵した場合などに発現し易い(V4A)。
 交尾の欠陥や生殖器の異常による不受精卵は一般にかたまって産付けられており、蛹や蛾の抑制、雄蛾の使用過度などによる場合には、不受精卵と受精卵とが入り混って産み付けられている。
 即時浸酸種の場合には、無着色の早期死卵と不受精卵との識別が更に困難である。浸酸による潰れ卵と不受精卵とを厳密に識別するには組織学的に漿膜形成の有無や胚組織の形態を調べなければ不可能であり、この方法によってもなお識別困難なことが多い。普通には無着色潰れ卵を不受精卵とみなして対受精卵孵化歩合を求めているが、即時浸酸種の場合には、無浸酸の対照区を設け、その不受精卵歩合によって更正しなけれは正しい対受精卵歩合は求められない。
 真の不受精卵には分裂核の増殖が起こらない。単為発生が行なわれても、分裂核の増殖は受精卵におけるよりも遙かにおくれるから、産卵後6-10時間目頃(25℃)に卵を圧し潰して、内容を0.5%ぐらいのメチレンブリュー液(0.8%食塩水に溶解)で染色すると、分裂核があれば青く染まるので、産卵後間のない時期ならば、生物学的にはある程度不受精卵の識別ができるが、実用的ではない。産卵後25℃で20時間以上になると、受精卵には卵黄分割(Y2Ba)が始まっているから、生理食塩水中で生体解剖を行なうと、卵黄細胞の有無によっても受精卵か否かがわかる。この時期になれば受精卵には胚帯が形成されているから、Z2Aaで述べた方法によって外部から胚を透視することもできる。産卵後日のたった卵にはこれらの方法を適用できない。

 B 着色死卵
  a 催青着手前の越年種にみられるもの

 これには原因の異なるものが種々含まれている。不受精卵の着色した所謂赤死卵や単為発生卵の潰れたものなども、早期死卵としてこの中にかぞえられていることが多い。
 有賀・吉武(65)は、日122号の異常卵を、1)不受精卵(着色しないもの)、2)漿膜色素異常卵(非常に着色のうすい卵、漿膜に色素の局在している卵および白ハゼ卵など)、3)つぶれ卵、4)褐色卵(褐色を呈し、従来早期褐色死卵と考えられたもので、不受精卵の着色したものが多い)、5)濃色卵(後に述べる)、6)再出卵、7)催青死卵 に分類し、産卵後、同じ卵について継続調査を行ない、その変化を調べたが(第180表)、それによると、日のたつに連れて、不受精卵が潰れ卵や褐色卵に変化することが窺われる。

第180表 越年蚕種における異常卵の時期的増減(有賀・吉武)(65)
異常卵 調査時期
 6月   8月   11月  3月 

産下卵
  再出卵
  漿膜色素異常卵
  不受精卵
  つぶれ卵(不着色)  
  つぶれ卵(着色)
  濃色卵
  褐色卵
  催青死卵*
    粒
351.1 
0.0
1.9
14.5
0.1
0.0
0.0
0.0
0.0
    粒

0.5
0.6
1.1
5.7
5.4
0.3
4.2
0.0
     粒

0.8
0.0
0.0
5.7
14.8
1.8
0.2
0.0
    粒

0.8
0.0
0.0
5.2
15.8
1.8
0.2
7.8
  異常卵合計 16.5 17.8 23.3 31.6

 褐色潰れ卵が不受精卵の着色によって生ずることは、佐藤ら(828)の調査によって極めて明瞭である。7月11-18日に28、25および22℃の温度において産卵させた日122号の卵を、9月20日までそれぞれの温度で保護した後、自然温度(新庄)に移し、1月下旬に調べた結果によれば、予め不受精卵を除去しておいた区には褐色潰卵は殆ど発現しなかった(第181表)。

第181表 着色早期死卵と不受精卵の着色(佐藤・高見ら)(828)
保護
温度
A 不受精卵 B 越年卵(不受精卵を除去せず) C 越年卵(不受精卵を除去)
 着色卵  無着色卵 褐色潰れ
早期死卵
および
無着色卵
 正常卵  褐色
 潰れ卵 
早期死卵  正常卵 
   ℃
28
25
22
   %
23
96
95
    %
76
 3
 4
    %
13
 2
 4
    %
26
 0
 3
   %
60
97
92
   %


    %


   %
99
99
98
日122号。各区5蛾。Aは未交尾蛾の産卵。Cは産卵後約1週間で不受精卵を除去。湿度は28℃区
60−75%、25℃区90−95%。早期死卵としたものは、外見上漿膜の認められた死卵。小数点下省略。

 この場合、Aの28℃区において着色卵の少ないことは、高温によってオキシキヌレニンの自働酸化が促進されて不受精卵の着色が起こると云う有賀らの考えと相反するようにみえるが、そうではなく、28℃区においては、早く潰れ卵になって乾くために、最初の著しい着色卵の増加が途中で停止したのである。
 白ハゼ卵のような漿膜異常を除けば、外形で区別のできる早期死卵は潰れ卵であると云ってよいが、このような着色早期死卵について考えてみると、第180表においては、不受精卵の着色したものが潰れたのと漿膜着色後の潰れ卵とが区別されていない。しかし、産卵後の経過に連れての不受精卵(無着色)および漿膜色素異常卵の減少と不着色潰れ卵および褐色卵の増加とを差引きすると、3月現在の着色潰れ卵の中の約1/3(供試部数の約1.5%)が漿膜着色後に死卵になったものであり、残り約2/3は不受精卵の着色によるものと考えられる。第181表においては(Cの場合)、漿膜着色後の死卵は最高1%であった。
 これらは1月または3月における調査であるが、この頃に不良卵を全部除去して外観正常な蚕種だけを冷蔵しておくと、その後、春蚕催青のときまでの間に新たに潰れ卵の発生することは殆どない。
 即ち、遺伝的に欠陥がなく、保護環境にも特別な異常がなけれは、正常に受精し、着色した越年蚕種が催青着手までの間に早期死卵の形態を現わすことは比較的少ないのが普通であるから、もし有色潰れ卵が非常に多いような場合には、不受精卵の着色とよく区別した上で、慎重に原因を追究する必要がある。不受精卵の着色との識別は、先きに述べたように厳密に云えば不可能な場合もあるが、実用的には漿膜形成の有無を基準にし差支えない。潰れ卵は温湯に浸して膨潤させて解剖する。
 赤死卵と云われているものには褐色卵およびこれよりも一層赤味のある卵が含まれている。不受精卵(受精後間もない死卵を含めて)が着色し、湿度の関係で潰れずに残り、半熟鶏卵のように表層部が固まり、内部からの水分の蒸散をさえぎっているもので、色素は漿膜ではなく卵黄内で形成されている。赤死卵は洗落しの際の比重選や風選によって除去することがむずかしい。産卵後1ヵ月余りの間の保護湿度を60%以下にして、不受精卵を早く潰してしまえばその発現を少なくすることができるが、不受精卵を作っておいて、これを除去する方法に苦心するよりも、不受精卵を出さないようにするのが正しい対策であろう。またこれを早期死卵であると考えて、夏期の保護条件との関係が検討されたこともあるが、死卵ではない。夏期の高温期間に増加することは確かであるが、不受精卵が変化して生ずるもので、保護温度が比較的高く、多湿な場合に発現が多い。
 単為発生卵には種々な発育程度のものがあり(Y2A)、漿膜の着色するまで発育したものが潰れると正常発生の着色死卵との識別ができなくなる。潰れる前の単為発生卵は、前極部付近だけが着色したり、着色した漿膜細胞が大形で配列が異常である、なでの特徴によって識別できる場合が多い。
 濃色卵と云うのは、正常卵よりも濃色で、漿膜面に油を塗ったような感じのする卵である。孵化せず、死卵になる。高梨・松尾(956)によれば、春採りの日8号を12月に調査した処、180蛾中の56蛾にこの卵を認めたが、発現は少なく、総卵数(56蛾の)32,102粒中に229粒(0.7%)であった。濃色卵の発現の特異な点は、これが必らず不受精卵に接して発現していることで、1粒の濃色卵が1粒の不受精卵に接して発現していた場合が125例、2粒以上の不受精卵に接していた場合が25例、褐色死卵を隔てて不受精卵に接していた場合が19例で、不受精卵に接していなかった場合は1例もなかったと云う。有賀・吉武(65)は、濃色卵が不受精卵あるいは潰れ卵に近接して存在することから、これらの卵の胆汁が健康卵に付着して濃色卵を発現させるのではないかと考えているが、普通の潰れ卵は機械的に圧し潰したものではないから、どのようにして卵汁が飛出して隣接した卵に付着するのか不明である。有賀らは、人工的に卵汁を塗ると濃色卵ができること、第二白卵に塗ると濃色卵になるが、第一白卵に塗っても濃色卵にならないことなどから、不受精卵の着色と同様に、オキシキヌレニンの自働酸化によって生ずるものと考えている。濃色卵の胚の状態については記載されていない。
 卵汁の付着した卵が死卵になることについては関戸(834)の報告がある。
 卵のタト部からはみえないが、解剖したり、切片にしてみると、越冬期の胚のある部分が内方へ折れ込んだように屈折し、その前後の部分は正常に卵表に沿って位置している場合が縷々認められる。和田(1131)は最長期(丙B)以後の卵にはこのような胚のみられないことから、これが死卵の原因になることはなかろうと考えている。普通の場合には、おそらく回復して正常に孵化するものと思われるが、胚の内方へ折れ込んだ部分が羊膜を伴なっていないことは、胚の伸長が始まったときに羊膜の伸長が伴なわず、その抵抗によって胚が折れ曲ったと云う感じであるから、長期間冷蔵を続けて卵の活力が低下すると、回復し得ないで、戸谷(1063-1065,1067)のみているような屈曲あるいは捻転胚に発達するのかも知れない。

  b 越年種の催青を始めてから発現するもの
 催青を始めると、これまで外見では識別のできなかった死卵が特徴を現わし、また活力は低下しても低温のため辛うじて生きていた卵が、発育を続け得ずに死卵になることもあって、種々な死卵が発見されるが、原因は単一ではない。
 夏期保護が適当でなかったための死卵も、冷蔵が適切でなかったための死卵も、余程の場合でなければ、そのとき直に死ぬことはなく、次第に消耗し、催青を始めてからの死卵になるものが多いが、被害の程度によって、早期死卵になるものから催青死卵になるものまで様々であるから、卵の死んだ時期の遅速よって被害を受けた時期が推定できるとは限らない。例えば、第104表において、催青第1日から第12日までの間の各期に低温接触を行なった揚合の死卵は、接触時期に関係なく殆ど総べて催青死卵であった。
 また、早期死卵でありながら催青中に潰れず、正常のものが点育してから初めて気付く場合もある。適当な高温に短時間接触して死んだ卵や、洗落しの後、濡れたままのバラ種を長時間堆積しておいたために蒸れた卵などにこのようなことがみられる。
 1例を挙げると、一蛾採りの越年蚕種を1月下旬に郵送したものを、4月下旬から催青した処、第30図に示すように、1蛾の卵の中に局部的に死卵の発現した場合が発見された。


第30図 郵途中に高温に接触した死卵の1例(高見)(925)
黒ぬり:早期死卵、二重線:漿膜に小円形の破れのあった
早期死卵、太線:催青死卵、細線:正常に孵化した卵

 死卵の分布状態からみて、死卵を発現させた要因は図の右側の方向から働き、強い作用を受けた部分の卵は早期死卵、弱い作用を受けた部分の卵は催青死卵になったと考えられるものであった。この標品を入手したのは催青後2ヵ月経過した7月であったが、早期死卵には、潰れたものの外に、水引きの強い程度の凹み方で残っているものが多かった。解剖してみると胚は甲から丙Bぐらいまでの間で死んでいた。
 このようにはっきりした形態および分布を示す卵の死に方は、薬品その他の影響としては考えられないので、種々な実験を重ねた結果、55℃の湯に1分、または60℃の湯に5秒間ぐらい浸して殺した卵は長期間に亘って潰れないことがわかった。このような卵を固定せずに生理食塩水中で解剖し、メチレンブリューで染色すると、胚、卵黄核および蚤自性卵黄顆粒の染まり具合、脂肪性卵黄顆粒の凝集状態などに特徴のある種々な変化がみられた(932)。固定して染色すると、全体一様に染まるからデリケートな変化がわからない。そこで、融点のわかっているパラフィンを塗布した紙を蚕種の間に挟んで郵送箱に収め、外部から高温を作用させて、死卵の発生とパラフィンの融解状態との関係を調べ、更に]3で述べた郵送実験を経て、問題の死卵が郵送中の高温接触によるものであることを確認した。
 洗落し時期および洗尽し後の取扱いが悪いために胚が不時発生を始めた場合、および軟性卵で活性化比が早かった場合などにも種々な時期の早期死卵が発生する。
 このように早期死卵の原因は極めて多いから、卵の外観および解剖による調査ばかりでなく、再出卵、点催青死卵、不受精卵、孵化の斉否および早晩などとの関連にも注意し、あらゆる方面から検討しなければ原因を究明することはむずかしい。

  c 人工孵化種にみられるもの
 人工孵化性においては、上に述べた越年種の場合と同じ原因によるものの外に 浸酸および冷蔵による死卵が発生するから、それらの項で述べた問題をも考慮に入れて検討しなけれはならない。

 C 淡色卵
 漿膜色素は主として3・ヒドロキシキヌレニンに由来するが、その母体から卵内への移行および卵内での消費は越年性の不十分な卵が多い(Z1A)。越年性の不十分な卵は再出卵や孵化不良の原因になりがちである。
 従って、卵色の淡いことが間接に孵化不良の原因に結び付く場合があるが、ただ間接的な意味ばかりではなく、吉川(370,372)は、第一白卵種の5令幼虫に正常卵色系統の蚕の卵巣を移植して、白卵に着色を起こさせると、その卵の孵化歩合が向上し、卵色の濃いものほど孵化歩合の高いことを認め、着色現象そのものに何らか孵化をよくする作用のあるらしいことを報告した。その機構は明かでない。
 実用問題としては、三谷(540)が春採りの日115号および支108号を用いて試験を行なった。産卵後1ヵ月たった蚕種から死卵を除き、卵色の濃淡によって5階級に分け、それぞれ7月1日から8月31日までは次ぎの温度におき、
   高温区 85゚F(29.4℃)目標
   常温区 75゚F(23.9℃) 〃
   低温区 70゚F(21.1℃) 〃
9月1日以後は何れも同じ冷涼な蚕種庫に保護し、1月から5℃、4月20日出庫、中間温度3日を径て77゚F(25℃)で催青したところ、高温区は両品種とも孵化が悪かったが、特に卵色の淡いものの孵化が劣り、卵色の階級と孵化との関係は支108号において極めて明瞭であった。常温区および低温区においては、支108号は何れの卵色のものも孵化がよかったが、日115号は、高温区に比べて一般に孵化がよかったとは云え、矢張り、淡色および最淡色卵として区分したものの孵化が劣った。
 これによると、卵色の淡い卵の虚弱なことが明かであるが、保護温度および品種によって、その影響の現われ方が相違する。孵化しなかった卵の形態や胚の状態については記載されていない淡色卵の原因にも言及されていないので、対策は不明であるが、この場合には、3・ヒドロキシキヌレニンの移行および消費に関係のある条件と共に、遺伝的な性質および初期産卵と末期産卵とによる卵色の違い(Z1A)も関係しているように考えられる。末期産卵は卵が小さく種々な点で劣ることが知られている(U2Ac)。

 D 白ハゼ卵
 白ハゼ卵は中間温度を通さずに、蚕種を高温の場所から急に低温の場所に移した場合に発生し易く、特に冷蔵浸酸種の再冷蔵によって起こり易い([2Ac、[3C)。白ハゼと云うのは、漿膜が破れて1ヵ所に凝集した異常の総称であるから、原因は様々で(658)、その発現の程度も一定しない(581)
 遺伝的な白ハゼ卵として報告されているものも多いが(41,44,45,674,1107,1109)、この中には冷浸種の再冷蔵による場合とは現れ方のかなり異なったものが含まれているようである。遺伝的とは云っても、その発現には保護、取扱いの影響が大きい。支127号および銀白(1028)の白ハゼ卵は夏期の高温保護期聞か長いと多発する。
 白ハゼは漿膜が破れて凝集するものであるが、漿膜は風船羊羹のゴム膜のように緊張しているものではないから、その一部分を傷つけても、傷口が大きく開いて、傷とは反対の側に向って膜が収縮するとは限らない筈である。実際にも、産卵後40−50時間目頃に強い浸酸を施すと、漿膜には明かな亀裂が生じるが、それが拡がらず、寧ろ、破れた端の細胞が集合、収縮して黒色の斑点を形成し、破れを塞ぎ、白ハゼに発展しない。沓掛(473)も再冷蔵を行なわない冷蔵浸酸種について同様の現象を観察している。
 これに対し、冷蔵浸酸用に蚕種を冷蔵して20曰ぐらいたつと、漿膜面に黒い斑点が現われるが(15)、この黒斑は細胞の収縮した部分であり、これが周囲の細胞を引き寄せている。黒斑部の細胞がどのような機構によって収縮し、周囲の細胞を引き寄せるのかは不明であるが、このような張力が働けば、損傷の生じた場合に、破れが拡大して白ハゼに発展することは十分に考えられる。
 高温で保護しておいた卵を急に低温に移し、白ハゼ形成の過程を観察すると(473,924)、まず卵内から液体が漿膜面に溶出してくる(XI1E)。これは急激な温度変化によって漿膜に何らかの損傷の生じたことを示しているが、低温においたままではそれ以上に発達しないのが普通である。このような卵を高温に移すと(再冷蔵した冷蔵浸酸種について云えば、その出庫)、初めて漿膜に亀裂が生じ、漿膜細胞の収縮、凝集が起こって白ハゼ卵に発達する。
 白ハゼ卵の発現に種々な生理的要因の関係していることは勿論であるが([3C)、機械的には、第一段の漿膜の損傷に第二段の漿膜細胞の収縮、凝集が伴なわなければ、典型的な白ハゼには発達し得ないもののようてあり、細胞の収縮、凝集が高温に戻してから促進されることを考えると、この生理的な要因は第二段の変化の進行に関係しているように思われる。
 蚕卵をアセトンガスで処理すると漿膜が破れて収縮し、白ハゼ類似の形態を現わすが、アセトン中に浸漬すると却ってこの発現が少ない(924)のは、障害が強過ぎて、第二段の変化に必要な細胞の生理機能が損なわれるためではなかろうか。クロロホルムやエーテルで処理すると、卵液の滲出はアセトン処理の場合以上に著しいが、白ハゼ類似の形態に発達しない。第30図において、孵化卵と死卵との分布の境界部に、漿膜に小さな円形の破れを現わした死卵が若干みられたが、この破れが円形を呈したことは、損傷卵の漿膜が周囲から引かれて発現したことを示しているにも拘らず、典型的な白ハゼに発達しなかったのは、漿膜の受けた障害が大きく、第二段の変化の進行に必要な生理作用が停止したためではなかろうか。
 荒木(59)が、白ハゼ卵は卵を即死させるような条件の下では発現せず、徐々に発育しながら致死するときに起こると考えているのも同様なことを指すもので、白ハゼの発現に卵の生理状態の影響の大きいのもこのためであろう。
 卵殻を除去し、漿膜に包まれた卵内容全体を卵外で培養しながら観察すると、産卵後日数のたっていない卵においては、漿膜表面のクチクラ(Y2Ba)が漿膜に密着していて離れにくいが、この頃の卵の漿膜は亀裂を生じても、それが拡大して膜の凝集することが少ない。これに対して、産卵後2日の卵を冷蔵し、1ヵ月ぐらいたって、再冷蔵による白ハゼ卵の発生し易い時期(1150)になると、漿膜とクチクラとが離れ易くなる。また、白ハゼ卵を切片にしてみると、漿膜の凝集した部分においては、漿膜とクチクラとの離れが特に顕著である。
 これらのことを考見合わせると、漿膜とクチクラの付着状態もまた白ハゼ発現の第二段の変化に関係があり、漿膜とクチクラとが密着していると凝集が起こりにくいのではないかと云う推測もできる。
 しかし、卵の内容を培養して、漿膜とクチクラとの離れる状態を観察すると、離れた漿膜細胞の一部がクチクラに付着したまま各所で細く引きのばされているのをみることがある。特に、長く冷蔵した卵なでにおいてこれが多くみられるから、急激な温度変化によってクチクラから引き離されると、漿膜細胞が損傷して白ハゼ発現の第一段の条件が成立することも考えられる。
 白ハゼ発現の機構には、このように、物理的な傷害と細胞収縮の問題とが結び付いていて興味があるが、現在の処では現象的な研究が行なわれているに過ぎない。
 白ハゼ卵を低倍率の顕微鏡で観察すると、白くなった部分の表面に、褪色した漿膜が残っているようにみえるが、これは凝集する以前に付着していた漿膜細胞のプリントがクチクラの面に残っているのであって、漿膜ではない。
 白ハゼ卵の発現には種々な程度のものがあるが、胚発育の異常も様々で、孵化するものもある。

 E 卵液の滲出
 卵の内容成が漿膜を通し、その外面へにじみ出てくる現象で、卵の後極部において卵殻と卵内容とが離れ、その間隙に液の溜ったものが最も普通の発現状態である。
 卵液は蛋白質を含んだ濃厚な液で、正常な卵においては漿膜を通過することはないが、漿膜が損傷すると、外観では漿膜の破れの認められない場合にも滲出が起こる。白ハゼ発現の第一段の変化として現われる場合については前項で述べた。
 洗落しの際の揉み方が強かったり、乾燥の際の麦とのぶつかり合いが激しかったりした場合(906)、落下衝撃を受けた場合(939)、出庫直後の浸酸(451)などにも発現する。漿膜細胞のいためられるような条件は総て原因になるから、高温保護の長かった卵にもみられる。これが白ハゼに発達するか否かは、第二段の細胞収縮を起こす条件の有無によってきまるから、極く軽微な白ハゼ卵と考えてもよい。
 卵液滲出卵の孵化歩合は障害の程度によって異なる。孵化したものの飼育成績は、高橋(906)の調査した洗落しによる滲出卵においては、正常卵と異らなかった。
 卵液の滲出は物理的な損傷の外、クロロホルムやエーテルのような脂肪溶解性の薬剤によっても発現する。カルノア液で蚕卵を固定すると、固定の悪かった場合に、漿膜面に白い沈澱ができて白ハゼ類似の外観を呈することがあるが(667)、これはクロロホルムの作用によって漿膜細胞の構造が破壊され、卵液が滲出し、アルコールによって凝固するのであって、白くは見えるが漿膜が破れて一方に寄るのではない。このカルノア液による白色沈澱が日本種の卵に生じ易く、支那種の卵には少ないと云われ、白ハゼ卵の発現と相似た関係を示すのは、日ハゼの起こり易い日本種の卵は漿膜細胞の損傷を生じ易いためかも知れない。

 F 卵黄膜の剥離
 Eの場合には卵殻と卵内容との間に卵液が溜るのであるが、液が溜らずに卵殻と内容との離れる場合がある。小さな三日月形あるいは三角形の間隙が普通で、液の代りに空気が入っているので、白くみえる。
 蚕卵には、第23図に示したように、卵殻の直下に卵黄膜がある。この膜は、生のまま卵殻をはがすと卵殻の内面に付着して取れ、出殻においてもその内面に付着して残っている(387a,983)
 剥離卵は、卵殻とこの卵黄膜とが部分的に離れ、そこに空気の入ったものが大部分(おそらく全部)であって、洗落しのときの衝撃や揉み方が強かった場合に起こるが、白ハゼ卵や滲出卵のような漿膜細胞の損傷がないため、卵液は滲出しない。
 空気の入る機構は明かでないが、蚕卵をアセトンに入れて内容を膨潤させると(926a)、卵の腹面正中線または楕円の長軸に沿って縦に卵殻の亀裂するものの多い中で、処々に微小な点状の内容噴出を起こす卵のあることからみると、卵殻には、普通の状態では気付かない微小な欠陥や弱点があり、このような部分に損傷が生じるのではないかと思われる。
 しかし、剥離の生し易いのが第23図の右下方のような端部であることを考えると、卵の部分によって、形態上、機械的衝撃の受け方が異なり、これと卵殻の弱点との組合わせによって、発現部位がきまるのかも知れない。

 G 点催青死卵
 点催青死卵は、胚発育の比較的後期にうけた影響によって起こるもののように考えられていることがあるが、実際には、あらゆる時期の影響がここに集約していると云うことができる。
 弱い障害を受けている卵の胚や、発育機能の不十分な胚は発育の最後の段階で力がつき、漿膜を飲込むことはできても、卵殻を喰破り得ないで点催青死卵になることが多いから、活性化不十分で孵化機能の低い卵も、活性化が早過ぎて活力の低下した卵も共に点催青死卵の原因になる。堅い卵殻を喰破ることは最後の難関と云える。
 鎌倉・金刺(304)は、冬期間の冷蔵温度が催青死卵の1原因であるとしているが、催青死卵の原因と云う立場からみれば、正に1原因に過ぎない。
 第30図において、高温の影響を最も強く受けた部分の卵は即死し、影響の弱かった部分の卵は孵化し、その中間の部分に催青死卵の認められることは、同じ時期の同じ要因の作用によっても、その程度が相違すれば死卵になる時期の異なることを示している。
 勿論、点催青卵になってからの悪条件によって死卵になることも多い。
 DDTなとによって蚕卵が死ぬ場合に、多くのものが催青死卵になるのは、これらの薬品が神経毒であるために、神経器官が発達してから死ぬのであると説明されているが(543,1083)、蚕卵はDDTの溶媒になっている油剤だけの影響によっても死ぬのであるから、この場合にも、神経をおかされたため以外に、催青卵で力の尽きた卵が含まれているものと考えられる。
 微粒子病に感染した卵も催青死卵になることが多い。

 H 不孵化卵
 これは他の卵が孵化してしまった後に、死卵の形態を現わさずに、催青着手当時と変らない外見のまま残っている卵で、活性化不十分な卵と考えられていることが多いが、この中には、全然活性化していないもの、不完全または畸形的な発育をしているもの([4)、死卵を不孵化卵と見誤まっているもの(XI1Bb)などが含まれているから、解剖して確かめる必要がある。

 I 卵殼喰破りの異常
 卵殻を僅かに齧っただけで孵化し得ないものは、催青中の取扱いが不良てあった場合の外、点催青死卵の場合と同様に前々からの障害の影響がここで現われたものも多い。
 孵化時の物理的刺戟が原因になることも少なくないから、孵化調査の場合の取扱いや気流(640)などに注意が必要である。
 正常の場合には、卵殻の前極部、腹側寄りを喰破って孵化するのであるが、ここを完全に喰破り得ないで卵内を転々し、腹側あるいは後極に近い部分などを齧っていることがある。原因は明かでないが、浸酸処理の不適当な場合などにもみられるようである。

 J 再出卵

 K 孵化不斉
 孵化の揃わないのは活性化の不斉によることが多いが、その他、蚕種の取扱いが適当でなかった場合、障害を受けた場合などには、卵によって影響の受け方が異なるため、総て孵化不斉の原因になる。従って、例えば浸酸種においては、刺戟不足の場合にも過度の場合にも共に孵化が不斉になる。
 孵化の際の温度、光線、湿度などの影響も著しい。

 L 蟻蚕の畸形
 [4参照。

 M 死蟻
 掃立てのとき死蟻のあるのは、催青中および孵化後の取扱いの不適当なことが原因になるのは勿論であるが、蚕種保護が適当でなく、卵の活力の低下している場合に、孵化はしても蟻蚕の絶食生命時数が短かいため、2夜包み、3夜包みに耐えないで死ぬこと、卵の大小によって絶食生命時数の相違することなども原因になるから、あらゆる点に注意しなけれはならない。
 蟻蚕が吐液しているのは毒物による中毒である。

2 病毒の経卵伝達
 蚕種そのものの事故ではないが、蚕種を通して次代蚕に伝えられる蚕病は、影響の範囲が広いだけに、蚕種そのものの事故以上に重視しなければならない。卵を通して伝えられる蚕病として蚕種製造上最も重要なのは微粒子病であるが、これは法規にも定められている病気であり、著書も多いことであるから省略し、ここでは、最近、蚕種関係者の注目をひいているウイルス病の経卵伝達の問題について、蚕種の立場からの検討を加えたい。
 家蚕において問題になっているウイルスの経卵伝達は主として細胞質型(中腸型)多角体病および伝染性(F型)軟化病についてであって、これらのウイルスが潜在状態で、母体から卵を通して次代蚕に伝えられると云うのである。
 これは伝染とは違い、母体からウイルスを伝えられた筈の卵を磨砕し、蚕に接種しても感染は超こらず(942,1153,1179)、卵にも、孵化した蟻蚕にも異常は認められないが、飼育や取扱いが悪いと、潜在ウイルスが活性化して発病すると考えられている。従って、蚕種製造者にとっては、病毒を持っている卵を除去する方法がなく、しかも蚕作をみてから責任を問われるおそれのある点で、微粒子病の場合とは違った不安がある。

 A ウイルス病の経卵伝達
 家蚕のウイルス病が経卵伝達をすると云うことが初めて問題になったのは、次ぎの実験の結果からである(第182表)。

第182表 親に接種したウイルスの種類と次代蚕に発生したウイルス病との関係(福原)(229)
交 配* 低温処理を
施した次代
5令蚕数
発病蚕数 病蚕内訳
 T  T>H T<H  H 

 0(H)♀×0(H)♂ 
0(T)♀×0(T)♂
1(T)♀×3(T)♂
3(T)♀×3(T)♂
    頭
17
82
18
66
    頭
 4
19
 8
38
  頭



  頭



  頭



  頭
 3
13
 7
28
*0は5令起蚕、1は1日後、3は3日後の接種。H、Tはウイルス
の種類(本文参照)。T>H、T<Hは混合感染個体で、Tの
多かったものを前者、Hの多かったものを後者に区分した。

 蚕の細胞質型多角体病ウイルスには、6角形の多角体を作るもの(H)と4角形の多角体を作るもの(T)とがあるが、一般に、HはTよりも広く分布している。5令期にこれらのウイルスを接種したところ、多数の病蚕が発生したが、生き残って化蛾したものを掛け合わせて採種し、次代蚕の5令起蚕に低温処理(5℃、24時間)を施してウイルス病の誘発を試験した。その結果によると、親の代にHを接種したものの次代にはHだけが発生し、Tを接種したものの次代には、Hの外に、Tが発生した。
 親がウイルス病に罹っていると、その卵の外面にはウイルスの付着する機会が多く、従って、これを喰破って孵化した次代蚕がこれに感染したのではないかと云う疑いもあるが、次代蚕は加温即時浸酸種を掃立てたので、卵面は塩酸によってある程度消毒されているから、その後の汚染がなければ、この点の疑いは少ないと考えてよい。しかし、次代蚕の飼育を無菌状態で行なったのではないから、飼育中における自然感染が試験区によって相違し、偶然このような結果になったのかも知れないと云う疑いは残る。
 そこで、飼育中の自然感染をできる限り均一にするために、次ぎのような方法で実験を繰返えした。
 斑紋の異なる三つの大造系統、褐円()、虎斑(Ze)および黒縞(s)を材料に用い、5令起蚕で、にはHウイルス、ZeにはTウイルスを添食し、これらから採種した次代蚕をウイルスを添食しなかった(対照)sと混合して飼育した。混合しても3系統の蚕は斑紋によって識別できる。これらの5令起蚕に低温処理(5℃、24時間)を施した処、親に接種したのと同じ型のウイルス病が子の代に発生した(第183表)。

第183表 標識遺伝子を用いたウイルスの経卵伝達実験(福原)(229)
交 配* 低温処理を
施した次代
5令蚕数
発病蚕数 病蚕の内訳
 T  T>H T<H  H 

(H)♀×(H)♂
Ze(T)♀×Ze(T)♂
s♀  ×  s
     頭
18
17
21
    頭
 6
11
10
  頭


  頭


  頭


  頭


*括弧の前は標識遺伝子。括弧内は接種したウイルスの種類。
その他は第182表に同じ。

 ただ、対照蚕にTウイルスが非常に多く発生したことは、この実験条件の下においては、Tウイルスの自然感染の多かったことを示し、試験結果の解釈に若干の不安を抱かせる。
 しかし、その後繰返えされた試験結果がこれと同様な経卵伝達の傾向を示しているから(64,67,1186)、このような方法によって実験を行なう限り、細胞質型多角体病ウイルスが潜在状態で母体から卵を通して次代蚕へ伝えられるのであろうと云う考えを否定することはできない。

 B 経卵伝達の証明
 ウイルスが卵によって伝えられる可能性のあることは上の実験によって示されたが、飼育中の感染を完全に防止して実験を行なわなければ、これを確証することはできない。
 しかし、桑を与えて飼育するのでは無菌飼育が不可能なので、人工飼料を用いて無菌飼育を行なってみると、親にウイルスを接種しておいても、その子においてはウイルス病の誘発がみられない。蚕の体内に潜在状態で保有されているウイルスを活性化し、発病させる最も有効な手段は5令起蚕の低温処理であるが、無菌飼育の蚕には、低温処理ばかりでなく、誘発に有効であると云われている薬品やX線を併用しても誘発が起こらず、また、無菌飼育中に軟化病症状を呈して死ぬ蚕があっても、これには伝染性がない。このように無菌飼育をすると誘発の起らなくなるのは、細胞質型多角体病ばかりでなく、核型多角体病(膿病)についても同様である(460,461,503-508,1059)。しかし、このような無菌飼育の蚕にも、ウイルスを接種すると、多角体病ばかりでなく伝染性軟化病もよく感染する(18,20,508)
 これらの結果は、一見、経卵伝達は次ぎに述べる潜在感染ではないかと云う疑いを抱かせるが、桑で飼育しても、葉質や蚕の栄養状態が違えば低温処理による多角体病の誘発成績の相違することが知られているから(63)、桑とは著しく異なった飼料を与え、隔離した無菌状態で飼育した場合の誘発成績が相違しても不思議ではないとも考えられて、問題のきめ手にはならないのである。核型多角体病については、この点に関して、無菌飼育の蚕でも、これを空気中に暴露した後は、無菌のときと同じ飼料を与えていても、低温処理または薬品添食によって誘発の起こるようになることが報告されている(505,507)
 なお、柞蚕においては、無菌飼育の幼虫に、唯1頭ではあるが核型多角体病の発生した例が報告されている(1032)
 蟻蚕または稚蚕期にウイルスを接種しても、接種量が少なければ、ウイルスは体内であまり増殖せず、多角体も作らず、潜在感染の状態に止まっており、壮蚕期の誘発処理によって初めて発症することが知られているが(22,23,62,463-465)、無菌飼育が利用できなければ、このような潜在感染と経卵伝達とを明確に区別することは不可能能である。無菌飼育によって調べてみると、低温処理を受けた5令起蚕は一時的にウイルス感受性が高まり、感染し易くなるから(460)、低温処理によるウイルス病の誘発は、経卵伝達で伝えられた潜在ウイルスの活性化よりも、低温処理直後の感染によることが多いのではないかと云う疑いも残る(151)
 ウイルスの経卵伝達、潜在感染、誘発をめくる問題は、このように専門学者の間においてさえなお意見の一致をみていないのであって、蚕種の立場から割切った答を期待しても無理な現状である

 C 蚕種の実際問題
 蚕種に関する実際問題はどうかと云うと、横川ら(1187,1190,1191)の誘発実験によれば、即時浸酸については、産卵後24℃、20時間目に浸酸(比重1.075、液温46.1℃、5分間)を行なった場合には、産卵後15、25、30時間目の浸酸よりも多角体病(主として細胞質型であるが、核型をも含めて)の発生が少なく、冷蔵浸酸においては、出庫後24℃、3−5時間で浸酸したものには、その前後に浸酸したものよりも多角体病の発生が少なく、催青温度については、反転期を境にして温度を変化させた場合(25℃→30℃、30℃→25℃)または30℃平進の場合に比べて、25℃平進の場合に多角体病が少なく、6月20日産卵の越年種を1ヵ月間自然温度で保護した後、9月15日までを25℃で保護したものと32℃で保護したものとを比較すると、多角体病の発生は前者に少なく、活性化した越年種を2月中旬に、毎日午前10時から午後3時までの間、10日または20日間に亘って、20℃の高温に接触させたものから孵化した蚕には、このような高温接触を行なわなかったものに比べて多角休病の発生が多く、浸酸後の脱酸の不十分な場合を想定して、種々な濃度の塩酸を卵面に塗布した場合には、孵化歩合には差がなかったが、15%塩酸(普通の即時浸酸に用いる濃度)を10,000倍に稀釈したものを塗布(舌ざわりで僅かに酸味を感じる程度)した場合にも対照(水塗布)に比べて多角体病の発生が多かった。
 樺沢ら(301)によれば、細胞質型多角体病の発生は、催青卵冷蔵(5℃)24時間までは違いがないが、72時間以上になると増加し、産卵後、即時浸酸までの保護温度については、25℃の場合に最も少なく、30℃がこれに次ぎ、20℃で最も多く、産卵から冷蔵浸酸のための冷蔵までの保護温度については、20℃および25℃に比べて30℃の場合に僅かに多く、冷浸種を14日間冷蔵した場合には即浸種を16日冷蔵した場合に比べて多く、産卵後、即時浸酸までの時間については、14-18時間に比べて21−22時間のものに多く、母蛾を5℃に1日または3日間冷蔵しても、即浸種における発病に影響がなかった。
 引地(192-194)によれば、出庫直後に冷蔵浸酸を行なうと中腸型多角体病の発生が多く、加温と常温との即時浸酸を比べると前者に多かった。
 これらの記載には、例えば、越年種の夏期保護温度が高かった場合に卵がどのような状態になっていたのか、産卵後14-18時間の即浸において発病が少なかったと云うが、その孵化歩合はどうであったかなど蚕種保護の立場からの問題点は多いが、注目されるのは、産卵後14-18時間目の即浸に少なかったと云う場合を除けば、総べて、蚕種保護の常識から考えて、取扱いの良かった場合には発病の少ないことである。
 親の代に細胞質型ウイルスを接種した後、不良環境を作用させた実験によれば、稚蚕期の軟葉給与、壮蚕の硬葉(20−25葉位)給与、起蚕絶食、高温飼育(1−2令32℃、3令30℃、4−5令30℃)などは病蚕の発生を多くするが(1192)、緑蚕上蔟、種繭冷蔵、3夜包みなどは特に病蚕の発生を高めなかった。
 5令起蚕に4角形細胞質型多角体病ウイルスを添食した後、緑蚕上蔟、種繭冷蔵、次代蟻蚕の3夜包みなどの不良環境を作用させた結果によると、母蛾に多角体の形成されていなかった場合にも(第184表)、多角体の形成されていた場合にも(第185表)、共に親の代に接種したと同じ型の多角体病が次代蚕に発生することは極めて少なかった。

第184表 ウイルスを添食した次代蚕における発病率(母蛾に多角体の形成されなかった場合)(横川)(1188)
不良環境の種類 1−2令
用桑
掃立〜結繭の
病蚕歩合(%)
 種類別細胞質型多角体病蚕歩合(%) 
 T T>H T<H  H
緑蚕上蔟 軟 葉
普通葉
34
56



34
52
種繭冷蔵 軟 葉
普通葉
10
74



10
68
催青卵冷蔵 軟 葉
普通葉
54
58



44
56
3夜包み 軟 葉
普通葉
34
44



30
38
対  照 軟 葉
普通葉
26
50



24
50
支124号。晩秋期。1区100頭。緑蚕上蔟は5令経過日数の70%で上蔟。
種繭冷蔵は初発蛾時から5℃、3日間。催青卵冷蔵は5℃、5日間。3夜包み
は蟻蚕を29−30℃に2日間おいて掃立てた。掃立〜結繭の病蚕歩合には
細胞質型多角体以外の病蚕も含まれている。病蚕の種類別は第182表参照。

 第184表の場合には、添食したと同じ型の多角体が発見されなかったのであるから、あるいは感染しなかった蟻であるかも知れないので、その次代蚕において同じ型のウイルス病の発生が少なくても不思議はな.いが、第185表の場合には、多角体の形成を確認した感染蛾の次代蚕であるにも拘らず、添食したと同じ型の病蚕の発生は第184表の場合よりも少ないぐらいである。

第185表 ウイルスを添食した次代蚕における発病率(母蛾に多角体の形成されていた場合)(横川)(1188)
不良環境の種類 1−2令
用桑
掃立〜結繭の
病蚕歩合(%)
 種類別細胞質型多角体病蚕歩合(%) 
 T T>H T<H  H
緑蚕上蔟 軟 葉
普通葉
62
76



60
68
種繭冷蔵 軟 葉
普通葉
64
48



62
48
催青卵冷蔵 軟 葉
普通葉
56
86



52
82
3夜包み 軟 葉
普通葉
32
52



30
50
対  照 軟 葉
普通葉
26
50



26
50
第184表の脚註参照。

 これは、これらの不良環境には病気を誘発する作用のなかったことを示すだけで、経卵伝達を否定する結果ではないが、両表を通じて、添食しなかった筈の6角形多角体病の発生の著しいのに比べると、経卵伝達による発病の占める比率は極めて小さいもののように考えられる。
 この自然発生の6角形多角体病が飼育中の感染によるものとすれば、経卵伝達による発病(無菌飼育ではないから、表に出ている4角形にも自然感染によるものが含まれている筈である)はこれに比べて極めて少ないと云えるし、もしまたこの6角形が、自然に感染し、自然に経卵伝達した潜在ウイルスによる発病を合んでいるものとすれば、経卵伝達は蚕には極めて普通であって、経卵伝達による潜在ウイルスを持たない蚕は寧ろ珍らしいと云うことにもなる。
 母蛾のウイルス病症と次代蚕の発病との間に関係のないことは、細胞質型多角体病ばかりではなく、核型多角体病についても報告されている(19a)

 D 蚕種の立場からの対策
 このように、ウイルスの経卵伝達は実際問題としても明確とは云い得ない上に、言葉としては新らしくても、新らしい病気が侵入して来たのではなく、事実についての解釈の論議であるから、特別に心配をすることはない。しかし、少なくとも経卵伝達と解釈されるような事実のあることには注意する必要がある。蚕種の立場から重要なことは、事実だけであって論議ではない。
 従って、対策の第一は、原蚕を健康に育てることと、蚕種の汚染を防ぐこととである。蚕を健康に育てることの必要は云う迄もなないが、蚕種の汚染防止の必要なこともこれに劣らない。蚕種関係者がウイルスの経卵伝達に関心を特つのは、蚕種の内部にかくれた汚染の警戒のためであるが、内部汚染の起こるような状況の下では、必らず卵の外部の汚染も伴なう筈であり、更に外部汚染は感染し得るウイルスであるから、これが次代蚕におよぼす影響は上に述べた程度の内部汚染以上に恐ろしく、見かけの上では経卵伝達と同じ結果になる。
 伝染性軟化病ウイルスは、鮎沢ら(19)によれば比重1.075の塩酸液ならば常温5分間の浸漬によってほぼ完全に不活化され、渡辺ら(1152)によれば比重1.110の塩酸液では24℃、1時間、または48℃、6分間で完全に不活化されると云う(渡辺らは比重1.110の塩酸液を濃度15%と記している。比重と濃度との何れが誤植かは不明である)。同じウイルスは、鮎沢らによれは400倍、10分間、渡辺らによれば200倍、10℃、15分間のクライト液浸漬によって完全に不活化する。
 内海ら(1129)はβ-プロピオラクトンが卵面消毒にも有効なことを報告しているが、実用上の問題としてはなお検討すべき点があるように思われる。
 多角体に封入されているウイルスは伝染性軟化病ウイルスよりは抵抗力が強いが、ホルマリンガスによって卵面消毒を完全に行ない得ることが知られている(\1C)。
 しかし、最も大切なことは、このような単なる卵面消毒の技術ではなく、何処に汚染の原因があるかに常に注意して、飼育から蚕種の調製までの総てを通じ、清浄な蚕種製造に心掛けることである。いくら卵面だけをきれいにしても容器、保護室、冷蔵庫、催青室、採種室、蚕種庫などが汚れておれば意味はない。
 例えば、採種室、冷蔵庫、人工孵化後の乾燥室などから、埃を集めて滅菌蒸留水で浸出し、その濾液を桑に塗って蟻蚕に与えた処、伝染性軟化病が発生したとか(1181)、蚕種製造室の雄部屋の鱗毛を掃立桑にまぶして1回(15時間)添食した蚕に伝染性軟化病が多発した(310)などの報告はこの危険を物語っているもので、器具や作業員を通して卵の汚染する機会は少なくない。
 また、外観上全く健康な蚕(1180)や正常に産卵した蛾(736,1033)が感染性のウイルスを保有していることも多いから、飼有中に病蚕が出なかった場合にも、感染や汚染のおそれがある。
 対策の第二は卵、幼虫、蛹、蛾の各期を通じて取扱を適正にすることである。蚕が潜在性ウイルスを持っていても、これを活性化する誘発条件が働かなければ発病することはないのであり、幸なことに、ウイルス病の誘発条件になると云われている不良環境は、蚕種の保護取扱上悪いことの知られているものばかりであるから、蚕種の保護、取扱いを適正に行なうことが直ちに対策に連ることになる。
 直接にウイルス病を誘発する条件にはならなくても、不良環境の下で採種した卵から孵化した蟻蚕がウイルス病に感染し易い(U2Ac)ことにも注意する必要がある。


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