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Subject: [silkmail:30] 上毛新聞「世紀をつなぐ−繭の記憶−」(1) <Chikayoshi Kitamura > 2001/10/23

先だって、高林さんが「群馬に行ったときにもらった」といって上毛新聞の切り抜きのコピーを送ってくれました。
「世紀をつなぐ−繭の記憶−」という題で昨年の11月28日から今年の3月14日まで、3部構成全30回連載された
記事です。群馬の各地の関係者をルポし、その発言をまとめた形をとっていますが、書かれていることは、これか
らの蚕糸を考える上でとても参考になりました。なかなか目にとまりにくい地方の新聞ですし、自分だけで感心し
ているのももったいないと思いまして、少しずつ要約してお知らせしようと思います。要約することで、内容がう
まく伝わらないかも知れませんが、関心がおありでしたら、本文をみてください。そのうちに全文が上毛新聞社か
ら出版されるといいのですが。
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第1部「夢」−1−赤城の節糸
 星野智次(71)・正子(73)さん(赤城村栄)−上州座繰り−
・・・・赤城、富士見、北橘には今でも座繰りで糸をひくおばあさんが40人ぐらいいる。なぜここだけに残ったのか。
生糸の街・前橋に近かったという理由以外に思い当たる節はないという。・・・・小さな繭。その一粒も無駄にしなか
ったのだろう。質の良い上繭は製糸工場に納め、下級のくず繭を家で引いた。モロコシボウキと呼ばれるはけでつ
なぐために小さな節ができた。その糸はやがて「赤城の節糸」と呼ばれるようになる。・・・・だが、時代は個性を求
めてはいなかった。機械製糸の規格に合わない節糸は「ぼろ糸」「太糸」「黒糸」などとさげすまれ、安く買いた
たかれた。価値が認められるのは皮肉にも、製糸が産業としての輝きを失う昭和の終わり、1980年代後半から。90
年代の半ばには値段は逆転する。
 機械で強く引っ張らない分だけ、糸を痛めない。糸の中に空気がいっぱい入るので軽い。微妙に異なる個性も独
特の味わいとして逆に評価され始めた。それはちょうどバブル経済が崩壊する時期とも重なる。ささやかでも尊い
ものが見直されようとしていた。
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第1部「夢」−2−母の着物
 芝崎重一(62)さん(伊勢崎市長沼町)は糸にこだわる。赤城の節糸にめぐり合ったのは25年前のこと。節をとる
工夫を重ね、手機でかすりの着物を織り上げる。商売ではない。母が娘に持たせてやった着物の心を大切にしたい
からだ。・・・・「織りの基本は糸。赤城の糸はやわらかいけど腰がある。でも使いこなすのは難しい」という。・・・・
棚の上には鮮やかな黄色や渋い茶色の糸が積まれている。みんな草木で染めたものだ。座繰りで引いた糸を草木で
染め、手機で織るのは糸に負担をかけないため。「そうじゃないと俗に言う糸が死んじゃうわけだい。繭の状態を
そのまま布に伝えるんが織物屋の仕事さ」・・・・「江戸時代の着物はまるで昨日染めたような鮮やかな色をしている。
今の着物は百年たてばきれいな色は残らねえ。昔は手間暇かけてたけど、今のようにたくさん売ろうとすればどう
したって工程を省かにゃならない」。芝崎さんの声は次第に大きくなった。
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Chikayoshi Kitamura (NIAS/MAFF) kitamura@affrc.go.jp