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Subject: [silkmail:34] 上毛新聞「世紀をつなぐ」−繭の記憶−(5) <Chikayoshi Kitamura > 2001/10/25

第一部「夢」−9−子供たちの宝物
 「ぼくたちの繭を糸にしてください」。皇后さまの繭をひいた松井田町新堀、碓氷製糸
農業協同組合の茂木雅雄組合長(70)のもとに一本の電話が入った。……電話の主は神奈川
県川崎市の栗木台小の五年二組の児童。総合的学習の一環で二カ月間、養蚕を体験した。
卵をふ化させ、教室の真ん中で飼育した。学校周辺に残る桑畑から桑をもらい、朝、昼、
放課後と桑を与えた。「雨が降っているみたい」。大きな音をたてて桑を食べる蚕に驚き、
繭を作り姿を消していくのを見てみんなで涙を流した。そして、「どうしたら蚕が一番喜
ぶか」をクラスで長い時間をかけて話し合った。その答えが「自分たちに役立つために繭
になってくれた。だから、糸にしてやるのがいい」。子供の話を聞いて茂木さんは全身に
電流が走ったように感じた。この仕事を長くしていて初めてのことだ。「よーし、持って
こい。すぐに糸にしてやる、って感じさ」。子供たちの繭で、児童の人数分の糸を作り、
すぐに送ってやった。栗木台小のある麻生区は川崎市で最後まで養蚕が行われてきた地域。
養蚕の道具や桑も残り、養蚕に携わったお年寄リもいた。担任の中島克己教諭(31)は「地
域を知るいい機会になった。それに、生き物の生き死にを観察した子供たちには最高の学
習でした」。碓氷製糸でひかれた生糸は児童一人ひとりの宝物になった。
 茂木さんは県内に唯一残った組合製糸「碓氷製糸」を引っ張る。工場は妙義山のふとこ
ろにすっぽりと抱かれ、高い煙突は白い煙をゆったりと上げていた。……碓氷製糸は1959
(昭和34)年、経営困難に陥った株式会社「東邦製糸」の地盤を引き継ぎ、設立された。当
時、東邦製糸には松井田町をはじめ周辺市町村の農家から繭が持ち込まれており、その受
け皿として農家が結集、誕生した。「養蚕農家のための組織」という点で「碓氷社」の流
れはここに復活した。……茂木さんは小学校五年の時、父を失った。養蚕をする母を手伝
って成長した。そして45歳の時、推されて組合長になった。それから25年。「ずっと養蚕
に育ててもらった」との思いが強い。「製糸場がなくなったら、農家は繭を作れない。農
家が繭を生産する限り、製糸の灯を消すわけにはいかない」。グンサンの解散を知った時、
茂木さんは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
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第1部「夢」−10−一本の桑
安中市に隣接する松井田町人見の高台に一本の大桑がある。目通りは2メートル以上。
……この大桑の周辺で今、農業構造改善事業が進められている。この大桑もこのままでは
切り倒されてしまう。この話を聞いた甘楽富岡蚕桑研究会会長の高橋純一さん(51)=富岡
市桑原=は「何とかしたい」と思った。「富岡は『富岡製糸』があり、養蚕・蚕糸の街。
その地のシンボルにできないか、ってね」。仲間に相談すると、みんな賛成してくれた。
 蚕桑研究会は、戦後、蚕業技術指導を受けた養蚕農家の青年らによって県内各地につく
られた。中でも甘楽富岡地区が、繭を使った独自製品づくりで注目されている。……「昔
は2000円以上もした繭がいまは1500円ほど。長く勤めれば給料は増えるでしょう。でも養
蚕農家は逆。これじゃ元気がでない、なんとかしようってみんなで考えたんだ」。繭の出
荷先の碓氷製糸農業協同組合(松井田町新堀、茂木雅雄組合長)の全面協力で、4年前の
「シルクの名刺入れ」に始まり、「紳士用靴下」「シルクタオル」「フェイスタオル」
「手袋」を次々と開発した。これを売り、会員に利益を還元させる。……今のところ、実
際の取引価格と比べ、キロあたり500円ほど収入が増える。ただ、この取り組みも県の補
助金と富岡市の支援があってのこと。販路拡大をどう図るかが課題だ。……「私の住むこ
こは『かいこばら』と呼ばれるほど、養蚕の盛んなところだった」と高橋さん。水はけが
よい、中山間地域。群馬が全国一の養蚕県となり得たのは、いい桑を育てるこうした地域
が多かったためだ。しかし、裏を返せば、桑以外は適さないということでもある。
副会長の黒沢篤さん(42)=甘楽町白倉=の家は、繭生産でいつも上位に入る養蚕農家だっ
たが、いまは繭は年間200kg、主力は露地野菜だ。野菜づくりに抵抗感を感じることがあ
る。「桑に農薬はまかないでしょう。農薬まいたら、お蚕は死んじゃう。野菜を作るには
ある程度農薬を使わなくちゃならない。まったく逆。嫌になることもあるんさ」
 農薬を使わない桑畑は環境を守り、土地の荒廃を防いでいる。だから、高橋さんたちは
「養蚕を守りたい」と思っている。そのシンボルが大桑の移植。高橋さんたちは富岡市に
も働きかけ、大桑にふさわしい場所を探してもらう考えだ。(第1部おわり)
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Chikayoshi Kitamura (NIAS/MAFF) kitamura@affrc.go.jp