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Subject: [silkmail:39] 上毛新聞「繭の記憶」( 10 ) <Chikayoshi Kitamura > 2001/11/02

第3部「希望」−1−職人の技
 “繭の恵み”に未来を託せるのだろうか。だれもが不安になっている。養蚕、製糸、
織物…。上州に根付いた糸をつむぐ仕事。安い外国産に押されて、産業の基盤そのもの
が揺らいでいる。だが、目を凝らすと、細く、長い糸の先にかすかな明かりが見えてく
る。終章の第3部「希望」はそれぞれの夢をつなぎとめた糸をたぐり寄せてみる。そこ
には二十一世紀に受け継かなければならない人々の願いが込められている。
                  ○
 ジーパンに前掛け、小豆色のトレーナーのそでをまくり上げた藍田正雄さん(61)が、
へらを使って、トタン板の上に敷いた生地に、たっぷり色糊を置いていく。……染めて
いたのは茶の湯に使うふくさ。蒸して、洗うと、落ち着いた色彩の布に白抜きの文様か
浮かび上がった。細かい文様はひしゃく、茶せん、火鉢、茶がま…。茶道に欠かせない
道具をかたどっている。江戸小紋は無地かと見まがうほど微細な文様を型紙で染める。
藍田さんはその技を受け継ぐ数少ない小紋師の一人。……藍田さん一家が高崎市江木町
に腰を落ち着けたのは、戦争が激しくなった1944(昭和19)年。長野堰(ぜき)沿いに小さ
な工房を持った。……中学を出ると、父親の知り合いの親方に弟子入りした。腕に自信
が持てるようになると、藍田さんは親元に帰ろうとした。玄関に立った息子を迎えたの
は、しかし、父親の怒り顔だった。「おめえなんかと一緒にやりたかねーや」と荷物を
放り出された。気持ちを理解できなかった。ただ、腹が立った。東京に引き返そうと高
崎駅まで行くと、母親が追い駆けて来て、「とーちゃんの気持ちがわからねえか。お前
の慢心をいさめようとしてんだぞ」といい、菓子折を持たせてくれた。その一言が心を
つなぎとめた。……型染めの職人の仕事は減っていた。高崎で所帯を持ち、自らの工房
を構えた藍田さんの暮らし向きは、楽ではなかった。オイルショックの74(昭和49)年に
は仕事が途絶えた。廃業を覚悟した。その前に1日だけ仕事をもらいに歩いてみようと、
染め上げた小紋を手に上野行きの電車に乗った。大小の着物問屋がひしめいていた日本
橋へ。浜町から人形町と、店を選ばず飛び込んだ。……だが、仕事は取れない。日は落
ちかけている。あきらめかけていた。最後の1軒だ−。そう決めて「江戸小紋 岡巳」
の看板を掲げた店の前に立った。そこで、かっぷくのいい紳士か「めずらしい仕事をし
てますね」と藍田さんの仕事に興味を示してくれた。社長の岡正之佑さんだった。その
日は話だけ。どうせ冷やかしだろうと、あまり期待していなかった。が、翌日、岡巳か
ら電話かあった。社長本人かうかがいたいという。藍田さんの仕事ぶりを確かめると、
200反の注文をした。段ボール7箱。6畳1間のアパートは寝るところもなかった。岡
さんは藍田さんの腕にほれた。岡さんは92(平成4)年に亡くなるが、岡巳の仕事は途切
れたことがない。
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第3部「希望」−2−それぞれの夢
 世に送り出してくれた人の恩を藍田正雄さんは、片時も忘れたことがなかった。日本
橋人形町の「岡巳」の故岡正之佑社長が仕事を認めてくれたから今の自分がある−藍田
さんはそう信じている。藍田さんが代替わりした岡巳の仕事を引き受けるのも、人との
出会いを大切にしたいからだ。……東京・日本橋浜町のビル9階で開かれた岡巳の展示
会。40畳ほどの畳敷きの会場に藍田さんが染めた帯や反物が並び、あちこちで商談が始
まっていた。岡さんの後を継いだ田辺雄三社長(61)は「新しい江戸小紋が群馬から生ま
れますよ。着物全体の消費は確かに落ち込んでいる。でも、きちんとしたものを提案す
れば需要はある」という。
 田辺さんは渋川市出身。上州の地に江戸小紋の伝統が根付いてほしいと願う。藍田さ
んの工房に集まった人々をみていると、その夢の実現は、あながち不可能ではないと思
えてくる。…父親と二人で工房を守っていた藍田さんの元に、職人仲間だった片山典洋
さん(63)が、訪ねてきたのは1976(昭和51)年のこと。勤め先が廃業し、途方に暮れてい
た。当時、型染めの職人は次々に職を失っていた。転職を考えなかったわけではない。
でも、職人にこだわった。「もう体で覚えているから」。片山さんは右手のヘラに目を
落とした。ところが、江戸小紋は今までの仕事と勝手が異なった。「糊(のり)も型紙も
全然違う。一口にいうと細かい」。苦労を重ね、藍田さんの工房で仕事を始めた。…体
調を崩して保母の仕事を辞め、藍染め工房で働いていた田中正子さん(48)は、藍田さん
の仕事場で江戸小紋を見せられて、目の前が開けていくように感じた。「職人さんの体
そのものから醸し出されるようなあの空気、リズムに浸っているだけで幸せ」。田中さ
んは10年前の91(平成3)年に弟子入りした。つらいと思ったことはない。染めている時
が楽しかった。そしてなにより、充実感があった。仕事が認められたころ、田中さんは
成人した2人の息子に自ら染めた着物を贈った。県内産のブランド繭からひいた糸で織
った絹布を選んだ。吾妻町の養蚕農家に育った田中さんは“群馬の繭”に幼い日の記憶
を重ね合わせて、染め上げた。その着物が田中さん一家にちょっとした異変をもたらす。
二男の愛郎さん(22)が昨年3月、大学を卒業すると、母親に続いて弟子入りしたいと言
い出したのだ。「うれしかった。でも、この先どうなるか…」。心配しながらも田中さ
んは許した。母と子の修業が始まった。
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Chikayoshi Kitamura (NIAS/MAFF) kitamura@affrc.go.jp