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Subject: [silkmail:42] 上毛新聞「繭の記憶」( 13 ) <Chikayoshi Kitamura > 2001/11/04

第3部「希望」−7−活路
 高島屋(東京都中央区)でベビー服の商品開発・販売を担当する豊島伸一さん(47)は、
出社前の慌ただしさの中で、テレビにくぎ付けになった。番組は絹のベビー用肌着を紹
介していた。業界の常識では「ベビー服に絹は使えない」。……番組はその常識を覆す
ものだった。「うちは輸入の高級綿でベビー服をつくって、販売していたが、綿はやは
り綿。人間の肌に近く、保温性、吸湿性に優れる絹には勝てない。これを商品化できれ
は大きな武器になる」豊島さんは半信半疑だったが、すぐに疑問は解消した。開発した
碓氷製糸農業協同組合は、問題のホルマリンを使っていなかったのだ。工場内を循環さ
せている冷却水を活用、ホルマリンがなくても繭を腐らせることなく保存する独自の工
法を持っている。…豊島さんはテレビを見た翌日、茂木さんに連絡、次の日には碓氷製
糸を訪れた。共同開発による商品化はトントン拍子に進み、現在、ベビー用の肌着、ド
レス、おむつカバーなどが「タカシマヤ」のブランドで全国販売されている。
 県内では、養蚕の生き残り策として「ぐんま200」「新小石丸」「世紀21」といった
高品質で付加価値の高い繭づくりが進められている。こうした繭を使って碓氷製糸は12
種類の太さの糸を用意できるようにし、絹を素材に活動している桐生のグループや全国
の織物業者らのニーズに応じている。さらに、生糸を使った新素材の開発に県繊維工業
試験場や国の研究機関などの協力を得て取り組んでいる。
 「生糸と組み合わせた新しい糸の開発のために、こんなにたくさんの糸が送られてく
るんだ」と茂木さんは満足そうな表情を浮かべる。研究に使用できるのは手作業の機械
が1台だけ。とても要請に追いつかないという。「『何とかしたい』というメーカーの
気持ちが良く分かる。こちらも柔軟に対応していかなければ」と、年内にも自動機を入
れ、生産の能率を上げる考えだ。……碓氷製糸をけん引して25年。茂木さんはいろいろ
な手法で活路を模索してきたが、昨年暮れには生産ラインを1つストップさせてまで、
「輸入繭に依存しない、国産繭による生糸生産」に踏み切った。「こだわった絹製品づ
くりをする生産者への糸の供給と、碓氷製糸独自の新しい製品づくりに必要な生産量は
これだけあれば十分なんだ」と茂木さんは説明する。「大規模化によるコストダウンと
いう従来の方針では輸入ものには勝てない」。高級化路線を押し進める碓氷製糸には、
高島屋だけでなく、共同開発の話が次々と舞い込んでいる。企業担当者はこう口をそろ
える。「どこででも買えるものではないもの」「高くても本物を」と。「生き残るため
には高級品質による独自路線で差別化を図るしかない」とこだわり続けた茂木さんは、
担当者の言葉に自信を深めている。
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第3部「希望」−8−蚕を飼う
 吉田俊雄さん(57)は県内一、二を争う養蚕農家。2000年度の掃き立て回数は6回、収
繭量は4.2トンに達する。乾燥いもの加工に使う施設は5月になれば蚕でいっぱいに
なる。そのころには毎年、フィリピンからの研修生が2人やって来る。吉田さんが大日
本蚕糸協会(東京・有楽町)の「先進国型養蚕業確立特別対策事業」を受けたのは94(平成
6)年のこと。蚕は生き物。養蚕は農家の長年の経験と勘が頼りだ。しかし、それだけで
は安い外国産に対抗できない。協会は徹底した機械化で経営規模を拡大することが必要と
考えた。全国10戸の農家のひとつに吉田さんか選ばれた。機械を農家に貸し、建物は農家
持ち。「掃き立て10回、収繭量10トン」という計画だ。「繭価をキロ2千円とすれば、10
トンで2千万円。ほかの仕事に比べてもまずますの年収になるっていうわけだ」ところが、
計算通りにはいかなかった。繭価は低迷し続けた。だが、それだけではない。「蚕って、
天の虫って書くんだよ。雨や風、暑かったり、寒かったり…、気候に左右される生き物な
んだ。どうしたって、人の手が必要なんさ。それが蚕を飼うということなんだ」と吉田さ
ん。6段のゴンドラが計208個。中に蚕を入れる。観覧車のように1時間で一回りし、桑を
与える。ゴンドラの底が二つに割れると、食べ残しやふんが下に落ち、ベルトコンベアー
で運ばれる仕組み。機械化によって、桑やりのつらい仕事が減るはずだった。なのにさほ
ど楽にならない。蚕は飼いやすいように長年改良されてきた虫。あまり動かない。その分、
ゴンドラの中にまんべんなく桑を置かないと、桑を十分に食べられない蚕が出てしまう。だ
が、機械ではその加減が難しい。こんなところにも落とし穴があった。「桑があるとこは山
みてえなのに、ないとこは平らで全然なんだよ。ゴンドラの中をのぞくと、お蚕がかわいそ
うで、かわいそうで、見てられない。結局、手でならさなけりゃだめ」。夫を支える芳恵さ
ん(58)の話しぶりには実感がこもる。これでは、目標の収繭量が得られないのは明らか。施
設建設のために借金もしていた。やむなく副業的に乾燥いもを始めた。現在の収入は養蚕7、
乾燥いも3の割合という。……「昔なら養蚕こんだけやりゃ、冬は遊んで暮らせた。今はそ
ういうわけにいかねえ。年取りゃできねえし、苦労ばっかりが多くって、喜びは少しだいの
う」。それでも吉田さんは養蚕にこだわり続ける。「水や木や太陽、自然に感謝しながら農
業をしているんさ。うまく言えねえけど、いいものはいいんだ。うちの繭も乾燥いもも百パ
ーセント、日本製。これからはいいものを大切にする時代になるさ。そうでなけりゃ」。
…吉田さんの言葉は農家一人ひとりの言葉でもある。
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Chikayoshi Kitamura (NIAS/MAFF) kitamura@affrc.go.jp