[TOP]
[親メール][子メール][次メール][前メール]
札幌の北海道大学のすぐ隣にJRの「桑園」という駅があります。桑園小や桑園公園と
いった名前が見つかります。札幌に住んでいたときからきっと、養蚕に関係あるんだろ
うな、と思っていました。最近になって、色々調べてみたのですが、その由来があまり
よくわかりませんでした。
5月の連休に鶴岡郊外の「松ヶ岡開墾場」を訪ねてみて、やっとわかりました。話せば
長いことになりますので要点をかいつまみますと……

明治になる前、慶応年間に東北地方でも「みちのく戊辰戦争」と呼ばれる、薩長軍との
激しい戦争がありました。庄内藩もこれに巻き込まれ、破れた庄内藩主酒井忠篤は、一
旦は謹慎処分を受けますが、その後弟忠宝の家督相続が認められます。庄内復帰を願う
酒井と明治新政府の間で70万両の献金をすることで妥協が成立し、庄内に戻り大泉藩
を興します。政府は諸藩の武士団を解散させようとしていましたので、藩は大規模な養
蚕製糸事業の創設と、開墾による桑園造成を企画し、ここに松ヶ岡開墾が行われるわけ
です。

一方北海道開拓使の開拓長官黒田清隆(薩摩藩士)は、北海道に屯田兵制を布いた人物
として有名ですが、彼は屯田兵を含む北海道の農業に養蚕を採用しようと着想し、庄内
大泉藩に対し、札幌と函館を開墾し桑園を造成したいので、熟練者200名を派遣して
欲しいと要請しました。これに応えて松ヶ岡開墾場から札幌に4小隊141名、函館大
野に2小隊計6小隊が派遣されました。庄内士族団が帰郷した後、開拓使はその宿舎を
桑園事務所とし、のちに宿舎跡に「桑園碑」を建立した。
というのが大筋です。

Chikayoshi Kitamura (NIAS/MAFF) kitamura@affrc.go.jp