各地における活動事例報告

多摩シルクライフ21研究会 (代表 小此木エツ子)
碓氷製糸農業協同組合 (相談役 茂木雅雄)
丹後織物工業組合新規事業部 (部長 嶋津 功)
丹後デザイン塾 (塾長 小石原将夫)
網野町きもの交流会 (事務局 田茂井勇人)

司会:事例報告を開催したいと思います。よろしいでしょうか。活動事例報告の司会進行をさせていただきます農業生物資源研究所の木下です。よろしくお願いいたします。(拍手)
 これから5人の方々に報告をお願いします。最後の時間の関係上、誠に恐縮ですが、お1人20分内外でお願いいたします。5人の報告をいただいた後に一括で質疑応答をさせていただくということで行いたいと思いますので、よろしくお願いいたします。


多摩シルクライフ21研究会(代表 小此木エツ子)

司会:では、最初に小此木エツ子さんから活動のご報告をお願いいたします。小此木さんは平成5年に東京農工大学物質・生物生産工学科講師を退官され、平成7年より「多摩シルクライフ21研究会」を組織され、代表を務めておられまして、シルクに関する研究開発にご活躍しておられます。では、小此木さん、よろしくお願いいたします。

小此木:小此木です。(拍手)シルク・サミットの開催、誠におめでとうございます。関係者の皆様方のご尽力に対し、心から厚く御礼申し上げます。それでは、研究会の活動報告をさせていただきます。
 当研究会は平成4年秋、私が大学に在職中、東京農工大学と地域との連携というテーマで「科学技術展’92および絹まつり」という展示会を開催いたしましたが、そのとき、絹まつりに参加、ご協力くださいました養蚕、製糸、精練等の素材研究家、絹伝統工芸、染織家、デザイン、縫製、流通業をはじめ、一般の絹愛好家の皆さんがそのまま継続して活動を続けておりましたが、平成7年に「多摩シルクライフ21研究会」を組織し、現在に至っております。

 活動内容は大きく分けて3つからなっております。1つは東京ブランドシルク事業、2つ目は生涯学習、3つ目は各種絹加工技術の開発研究です。1と3については後ほど詳しく説明しますが、2の生涯学習についてまずご報告申し上げます。
 生涯学習では、次の3つの活動を行っております。1つは、小学校の総合科目授業への参加です。当研究会では、平成11年より小学校の理科教材としての蚕種の配布を農業試験場より引き継ぎました。当時130校でしたが、ことしに入って160校に増えました。それら配布校で新しく始まった総合科目授業で、繭からの糸づくりや作品づくりに取り組みたいという要望が出てまいりました。
 そこで、 今年の夏、その中から希望校55校の先生方に集まっていただき、東京農工大学にも参加していただいて蚕の飼い方、繭からの糸づくり、その他について勉強していただきましたが、大変有意義で好評でした。その後、その参加校の要望に添って小学校総合科目授業に参加しております。
 2番目といたしまして、地域の資料館、博物館での体験学習への企画からの参加です。この活動は、八王子市に機織り伝承館をつくろうとの話に現在展開しつつあります。
 3番目は染織家、一般絹愛好家を対象とする素材づくりの学習の開講です。受講者は非常に熱心に学習しており、今、多摩地域では一種の手仕事ブームが起こりつつあります。以上の学習は、当研究会でしっかり素材研究から取り組んでいる7名の方々が担当しておられます。
 次に、ブランドシルク事業について述べてみたいと思います。私どものブランドシルクづくりの姿勢は、つくろうとするものに向けて、素材から最適な加工条件を組み立ててつくるということです。その素材もこの国の風土が生み出すもの、国産絹を主として使っております。従って、私どもはものづくりに当たって、養蚕、製糸、撚糸、精練等、異業種間の連携を重視しております。では、私どもが主として用いている加工方法について簡単に述べてみたいと思います。
 現在、東京では20戸の養蚕農家が年間約3トンの繭を生産しております。そのうち研究会では、特殊品種と現行品種、合わせて約1トンを製品化しております。
 特殊品種につきましては、青熟改良種、四川三眠改良種、小石丸を、研究会員が、種繭の養蚕から、掃立から桑飼育により生産しております。現行品種につきましては、元八王子地区の12軒の農家の春一番の優良繭のみを使用しております。
 製糸は、生繰り製糸をほとんどしております。それから、繊度別繰糸、扁平であるとか節糸であるとかというような形状別繰糸を採用しております。
 撚糸は八丁式湿式撚糸、乾式合撚糸、今全国でも2〜3カ所しか残っていないと思うのですが、張り撚り撚糸もまだ八王子に残っております。これは、手術糸、縫合糸、ボビンレース、刺繍糸などに用いております。
 精練は、灰汁練り、マルセル石けん練り、合成灰汁練り(別名ロダン練り)、これは選択的精練ができるのが特徴です。それから酵素練りを用いております。
 製織法といたしましては、一楽、平織り、紬、絣、風通、錦、羅、吉野間道、多色絣、もじり織り、花織り、畝織り等、いずれも会員の方々が用いている製織法です。白生地といたしましては地元の村山大島紬、他の地域との連携によります各種ちりめん、氷割紋塩瀬等を用いておこなっております。染色法は草木染め、友禅、江戸小紋、板締め、絞り、型絵染、藍染め等を用いております。
 組み紐では綾竹組、籠打組、その他一般の丸台や角台を用いて製品化しております。
 以上のような加工条件の中から、つくるものに向けて素材から組み立てていくのですが、全体的な東京シルク素材の特徴は、生繰り糸であることです。従って、純白で非常に美しい糸です。これは委託先の四国の藤村製糸さんが山から湧く伏流水をくみ上げて使っていますので、まず製糸用水が非常にいいということです。
 それと、繰糸速度を緩速にして、偏繰を極力避けるように言ってありますので、糸はふっくらとしてふくらみのある、弾力のある糸です。従って、できた製品は染色性がよく、糸に透明感があり、光沢が美しいのが特徴です。
 その他、特殊品種につきましては、宮坂製糸さん、一部研究会員の手によって繰糸されています。では、幾つかの作品をOHPでご紹介させていただきます。ただし、実物と色彩や光沢がかなり差がありますことを、まずお断りさせていただきます。お願いします。

 これは、山崎桃麿先生の草木染め月明織の着物です。先生は、東京シルク素材を最も多く愛用してくださっています。草木染めという名は既に一般名称になっておりますけれども、先生のご父君、山崎斌(あきら)先生が命名された名称です。私も日ごろ先生に非常に感銘を受けていますので、ここで先生の染織に対する信条を皆様にご披露させていただきたいと思います。
 「草木染めとは草木の中に秘められた力をもらうことである。染め方としては20回、30回と煎じた薄い液で何度も染め重ねることで、不純物のない美しい色になる。染めた糸を必ず天日に干す、そのことで色は褪せない。製織は、徹底して糸に負荷をかけない方法で織る」。従いまして、整経は床上整経で、綜絖も糸綜絖を用いておられます。この方法は信州ではとっくに捨てた技ですが、先生はそのような昔の技を今でも大切に継承しておられます。ごらんのように、先生の織るテーマは日の出、日の入り、つまり太陽がテーマで、十数本の糸が織り込んであり、非常に格調高い作品となっております。次お願いします。
 田中宣子さんの村山大島紬の手描き友禅です。村山大島は、本来、機械織の先染め織物ですが、加工工程のすべてが手織りに近いことから、東京シルクの生繰り糸と節糸で白紬をつくってみました。その白生地に、田中さんが手描き友禅で染めを施しました。染めは扇面の中に絞りや四季の花々を描いてあります。これはファッションショーでの一場面ですが、着ている方は西崎流のお師匠さんです。上質の素材と染色、そして日本の伝統芸能の動きの美学とが結びついた、これは一つの着物の完結した姿と言えましょう。次お願いします。
 矢村璋子さんの草木染め小袖です。「秋、あかね飛び交うけわいある小袖」という題名がついております。染織は東京シルクの生繰り糸を用いた絣畝織りの着物です。矢村さんは、素材・染織ともきちんとした製法にこだわる方ですが、つくられるもの、着方等についてはむしろ開放的で、従来からある着物の制約をすべて消し去るような自由さがあってよいという考え方に立って仕事をしておられます。発想も豊かで、いろいろな素材で新しくて楽しい製品もたくさん生みだしております。最初にお目にかけた山崎先生のバッグに張ってありましたフラメンコは、矢村さん作品のシルクスクリーンでした。この小袖も若い方々の中から、「着てみたい」というようなささやきが聞かれました。次お願いします。
 小笠原美江さんの絣織り着物です。「淡海」という題名がついています。芭蕉の春の琵琶湖を詠んだ句からヒントを得、また、作者自身も琵琶湖畔に住んでいたことから、その春の情景の美しさを多くの色で表現した、絣織り着物です。ショーで自ら着て、仕舞を舞いながら披露してくれましたが、その姿は美しく、自己表現としてはこれにまさるものはないと思われます。次お願いします。
 岩井香楠子さんの型絵染め帯です。「ブレーメンの音楽隊」という題名がついています。生地は東京シルク生繰り糸を横糸に用いて、五泉で織った氷割紋塩瀬です。岩井さんは、自由な発想で遊び心のあるデザイン画で、今、大変人気のある作家でいらっしゃいます。これも童話の世界からモチーフを取っています。染めはハコロウ絞りや縫い締め絞りの手段なども用いた型絵染めです。岩井さんは染まり付きがよく、きれいな仕上がりがよいと言って東京シルクの布を愛用してくださっています。以上が現行品種ですが、次に特殊品種の作品を紹介させていただきます。
 中島洋一さんの唐花丸唐草紋緯錦です。中島さんは、国立博物館の古代裂の修復も手がけている方ですが、これは聖護院所蔵12世紀錦を調査の上制作したものですが、すべて手織りです。中島さんの目標は、正倉院の織りと染めです。蚕品種は、四川三眠改良種40デニールを経糸に、現行品種の座繰糸42デニール3本片を緯糸に使っています。色はクルミ、インドアカネ、カリアスなどです。次お願いいたします。
 山村多栄子さんの貝紫ブラウスほかです。東京シルクの生繰り糸21デニール1本取りで織られたオーガンジーで、未精練です。下の写真はストールです。染色はすべて草木染めですが、伝統的な貝紫染め、板締め染色も取り入れて、意欲的に作っておられます。また、オーガンジーの付加価値−(張りやつや)を出すために小石丸、青熟改良種などを用いて、美しいシルエット作りに成功しています。上のブラウスは、最近ファッションデザイナーと連携して、新宿の京王プラザホテルで発表したもので、上質なオーガンジーと優美な貝紫とデザインが見事に調和して、見る人を夢の世界にいざない、大変好評でした。
 次は、石月まり子さんの「すずし」です。石月さんは研究会に入ってから一貫してすずしに取り組んでいます。特殊品種は難溶性セリシンが多いことから、湯練りだけで製品化できますので、すずしを特殊品種だけを用いて染織しておられます。これは四川三眠改良種の扁平糸を用いて織り上げたもので、四川三眠と扁平糸の特徴が、織物表面にかすかなうねりを作り出し、作品の付加価値を高めています。一つ紋をつけてフォーマルとして用いても十分通用する作品になりました。色は丁子、ザクロ、藤ほかです。次お願いします。
 ヴォーグ社と連携してつくったレース2種です。青熟改良種の生繰り糸を用いています。上がアイリッシュ・クロッシェ、下がタティングレースです。このレースの素材は合撚糸条件や精練にちょっと苦労いたしました。しかし、できあがった製品は青熟改良種のこしの強さと美しい光沢とレースの技が1つとなってよい作品になりました。ヴォーグ社より「完璧な作品です」という評価をいただきました。その他、ボビンレースではこの世界では初めて小石丸等の特殊品種を用いて話題を呼びました。次お願いいたします。
 以上が特殊品種の作品ですが、これは新井いせ子さんとシルクフエルトです。副蚕糸の繭毛羽、ウール、真綿などを用いてフエルト作品をつくります。帽子、ベスト、マフラー等制作しますが、軽さ、暖かさ、素朴さが受けて、作れば作るほど売れて生産が間に合わないくらいです。
 その他、健康志向ブームに乗って素材部で真綿加工製品が作られております。アイマスク、ベスト、ポチマフラー等ですが、こちらも生産が間に合わない状況です。以上が東京ブランドシルクの作品のほんの一部です。

 3番目といたしまして、各種製品の加工方法の開発研究について少し紹介させていただきます。
 1番目には、選択的精練が可能になったことです。3分、5分、8分練りという精練を可能にしたロダン精練法の開発。2番目は副蚕糸、毛羽、屑繭、緒糸等のセリシン定着や、強力、嵩高性付与などの研究が行われております。3番目といたしましては、発酵藍と堅牢染めの研究が行われております。
 製品加工技術ではシルクスクリーン、シルクフエルト、真綿加工、副蚕糸加工等の技術を研究して、多種多様な製品がつくられております。
 以上、まことに駆け足でご報告させていただきましたが、次に結びの言葉として一言申し上げます。
 ウールはイギリスを、綿はインドを象徴するように、日本では絹によって多くの伝統文化が生み出され、継承されてきましたので、絹は日本を象徴するものの一つとされております。今、私たちの絹づくりにとって、まことに厳しい状況下にありますが、この伝統文化を次の世代にしっかりと渡すためにも、渡す側の私たちがきちんとした絹づくりに対する姿勢を崩さないことが、まず大切だと思っております。
 最後に一言御礼を申し上げます。丹後の地は、私にとっても絹のふるさとです。この地の祖神である比沼麻名為神社、機業地の皆々様、それに、素材から織物性能に至る研究で、ご懇切なるご指導をいただきました織物振興センターの諸先生の皆々様に心から厚く御礼を申し上げて結びの言葉とさせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)

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碓氷製糸農業協同組合(相談役 茂木雅雄)

司会:どうもありがとうございました。続きまして、碓氷製糸農業協同組合相談役の茂木雅雄さんにお願いいたしたいと存じます。茂木さんは、昭和51年から本年5月まで20数年にわたりまして碓氷製糸協同組合の組合長として会社の先頭に立って製糸経営をなされてきました。製糸は長い間大変厳しい局面が続いてきたわけですが、それを乗り越えてこられた経営手腕は広く高く評価されているところです。それでは、茂木さん、よろしくお願いいたします。

茂木:ご紹介いただきました茂木です。(拍手)大変有意義な話が続いた後でつまらない話で申し訳ありませんが、しばらくお付き合い下さい。
 今の製糸業の現状は皆さんご承知の通りでして、ついに全国で4社になってしまいました。その4社の中で、私どもの碓氷製糸を除く3社は、いずれも資産が十分にあって、少しぐらい損が出てもびくともしない会社や、他の事業部門の利益が大きく、その利益を注ぎ込めるような製糸でないと残っていけないという現状です。それでは、資産がほとんど無いちっぽけな組合製糸が、なぜ今まで何とかやってこられたのかということですが、生糸を大量に作っていただけでは中国にかなうはずはありません。そうした中で、特殊な糸を作り、それを丹後を初めとする機業地の皆さんや問屋さん、商社の皆さんに高く買っていただいたているということだと思います。
 群馬県では特殊な蚕品種を作り、県内の製糸はそれを使って生き残っていけということでした。これらの蚕品種や長野県の天龍社から引き継いだ「あけぼの」や昭龍なども、全国各地の機業地で、こだわりの織物を作っている人たちに使っていただいいます。
 以前の製糸工場は、生糸の生産も、得意な繊度の糸を一種類か二種類作っていればよかったのですが、現在それでは商売になりません。今は、14デニールから3,000デニールぐらいまで、使っていただく方からのご要望によって、どういう太さの糸でも、量の多少にかかわらず作ってきました。
 また、大日本蚕糸会のご援助を受け、農業生物資源研究所の高林先生や、蚕糸科学研究所の清水先生をはじめ多くの方々にご指導をいただきながら、ネットロウシルクや玉糸等の生産もしております。最近では桐生の先染め呉服や丸帯産地の人たちとの交流の中から、うれしい取り組みができました。それは、碓氷製糸が特殊生糸を十日町で撚糸加工して、ある程度在庫しておいて買っていただいています。しかし、少量なものとか特殊な撚糸は、外注では納期に間に合わせるのが難しいのです。そこで、これも県のお世話になったのですが、県内で廃業した撚糸屋さんの機械一式を入れて撚糸を始めることにしました。機械を入れるのは簡単ですが、撚糸の技術を習得するのが大切です。そこできっちり指導していただく約束もできています。趣味の織物を作っている人たちや、一点作家と言われる方々にも、どんなに少量でも使っていただくことで生き残っていけたらいいなと思っています。
 さて、本題の「ものづくり」の話ですが、絹製品を作ろうとしたきっかけは、ご承知のように繭が安くて、養蚕農家がどんどんやめていきます。利益を上げて繭代に還元するのが組合製糸の使命ですが、最近の製糸経営では、それも望めなくなりました。そこで、絹製品を作って養蚕農家に朝市感覚で販売してもらって、その利益が繭代の上乗せにならないかと考えたのです。群馬ブランド生糸100%で、靴下から始めて、あかすりタオルやハンカチ、風呂敷など、色々な業種の方々に委託加工していただき、製品販売を始めたわけです。朝市で野菜を売るなら全部自分の収入になるのですが、販売手数料だけですから小売りの場合は大したことはないのです。そこで、それぞれの農家や蚕桑研究会などの団体がコネを使って、農業団体や一般の企業や町、県などが記念品等に利用していただき、かなりの成果をあげています。また、冠婚葬祭等の引き出物も量がまとまるのでありがたいことです。今年の繭価は、国や県に補填金をいただいてキロ2,000円くらいになり、養蚕農家は恵まれましたが、製糸の経営状況は最悪でした。そこで、小物だけ作っていたのでは生糸の使用量がしれていますので、大量消費をねらって、全農と組んで紳士服やセーターを作りました。この開発にあたっては、生糸の撚糸や精練方法や染色、ウールとの混織割合等、難しい問題が山積していましたが、群馬県繊維工業試験場のご指導をいただきながら、メーカーと協議の中で解決しました。したがって、これらのことは生産者だけではどうにもならないことで、消費者や流通業者から提案をいただき「ものつくり」のそれぞれの業種の人々と提携して、文字通り川上から川下までが、まわりと手を組んでできたものが成功しているような気がします。
 その発想は、原料や製品は非常に安いが、消費者価格はべらぼうに高い、即ち流通の取り分が多過ぎる、この流通マージンの一部を生産者にも公平に与えられないか、ということです。しかし、そうするには、それぞれの立場から腹を割って話し合い、末端価格を決めてから、それぞれの取り分を決めていくという方法です。そのことが一番うまくいって成功しているのが高島屋関東事業部との取り組みです。高島屋本社の大変なご理解をいただいて縫製およびデザイン担当の株式会社「赤ちゃんの城」を始め、織物生地担当、ニット、染色、撚糸担当、その他の関係者まで、それぞれが納得できた取り組みが今も続いています。

 国内生産者にとっては危機的状況が続いているのは確かですが、一寸だけ望みが見えます。それは少し不謹慎な言い方ですが、狂牛病騒動のお陰で、消費者が国産へのこだわりや、偽表示への怒りが現れてきたことです。純国産の絹製品は、国内消費量の僅か1.5%ですから希少価値ですし、素性の知れたものが有利になってきました。例えば、私どもが作ったものをわざわざ遠くから買いに来てくれる、そして本当に地元の農家が育てた繭から作った品物なら高いのが当たり前です、と消費者が言ってくれます。逆に、あまり安いと信用されないかも知れません。近年、群馬県では、各自治体の温浴施設がたくさんありますので、そこで売ってもらったり、県庁の生協、高崎駅、鉄道文化村、日本絹の里、東京・横浜・両シルクセンターでも売ってもらっています。特殊な例としては高速道路のサービスエリアに国産のシルクコーナーを作って売り出したら、それがとても良く売れています。それも紳士用のセーターや女性用のニット等、というような値の張るものが売れています。軽井沢の手前という地の利かも知れませんが、あそこは道路公団に相当高い手数料を取られるから高く売らないと採算が合わないと思いますが、支配人はもっと新しいものを開発して、どんどん提供せよと言います。しかし、なかなかその辺が追いつかないのが現状です。
 最近、世の中少し変わってきたのに一寸びっくりしています。それは、先ほども講師の話にでてきた座繰りのことです。群馬県では座繰りの講習会を行っておりますが、いつも定員オーバーで、捌ききれず抽選で決めています。しかし、何回申し込んでもなかなか受け入れられない状況のようです。現在、碓氷製糸でも座繰りの糸を引いております。大学を卒業したばかりの若い女性2人が行っているのです。10数年以前ですと、「野麦峠」の放映以来、例えば孫が碓氷製糸に勤める、と言ったら、祖母が製糸工場だけには勤めないでくれ、と泣いたという話まであり、若い女性が製糸工場に勤めるとは思っていませんでした。県からどうしても座繰りで糸が引きたいという人がいるので、引き受けてくれないかと相談を受けたのですが、果たしてそれが続くのかなと思ったのです。
 そこで、最初は、昼間に製糸の作業を行い、繭は無償で提供するから、自分の時間、休日や時間外に行うよう提案しました。すると、夜までごろごろやっているので、隣の寮で寝ている者が、雷が鳴っているような音がしてうるさくて困るから止めさせてくれと言ってくるぐらい熱心にやるのです。あの暑い中の製糸の仕事を次々と覚え、それが半年も続いたら、これはもう本物です。今は、日本絹の里からの注文を受け、座繰りの糸を一生懸命引いています。これから先がとても楽しみです。
 1人は京都の美術短大でデザインの勉強をしたとのこと。糸作りをはじめ製糸のことを全部マスターしたうえでの製品開発や、趣味の「ものつくり」の人たちとの交流など、2人の女性に思う存分活躍の場を与えられれば、碓氷製糸はそちらの方面にも生きる道があるかな、と思っています。
 先ほど発表された女性グループの人たちも、いろいろな絹製品を作っておられるようですが、趣味と実益を兼ねたものづくりをされている人は多数いると思います。特に女性は寿命が長いので、そうした趣味と実益と生きがいの持てるような「ものつくり」の材料や場所の提供と、いろいろな相談にも応えられるような仕事ができれば、これからの製糸の生きる道に繋がっていくのかなとおもっています。

 それから、絹製品を作り、販売してみてつくづく思うのですが、先ほども申し上げましたが、本物志向というか、国産のもの、確かなもの、それは高くて当たり前だということです。午前の講演で、三浦さんが話されたことで本当に心強く思ったのですが、丹後は純国産の織物を作るには、室町から自立しなくてはいけないということでしたが、確かに、問屋に全部牛耳られている現状から抜け出さなければ、新しい取り組みは無理だと思います。何回も言うようですが、せっかく消費者の皆さんが国産とか、素性ということに関心を向けている時だからこそ、僅かな量しかない、純国産というものが活かせないかなと思います。ユニクロで3枚1,000円のシャツを買う人が、5万円や10万円のブランドのバッグも買うわけですから、やりようによっては、まだまだ生きる道もあるのかなあと思います
 それでは、時間が来たようです。つまらない話にお付き合いいただきましてありがとうございました。(拍手)

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丹後織物工業組合新規事業部(部長 嶋津 功)

司会: どうもありがとうございました。それでは、続きまして、丹後織物工業組合の新規事業部部長でございます、嶋津功さんにお願いしたいと存じます。
 嶋津さんは、昭和45年に丹後織物工業組合に入られまして、精練や染色加工の仕事をされてきました。平成10年よりセリシン回収の研究に着手されましてその事業化に取り組んでこられました。従来精練工程で捨てていたセリシンを回収して、化粧品や入浴剤等の製品にしているようです。その辺のお話をこれからお聞きできると思います。嶋津さん、よろしくお願いいたします。

嶋津:ただいまご紹介をいただきました丹後織物工業組合の嶋津と申します。
 皆さんもよくご存じいただいていると思いますが、丹後織物工業組合は丹後の地にありまして、昔からの絹織物、丹後ちりめんの製造を営んでおられます織物業者さんが集まって組織している商工組合です。組合の仕事は、当然ながら組合員さんのバックアップをして産地の振興・拡大を図ると同時に、組合員さんが織られた織物の精練加工を行い白生地として市場に送り出していくという、産地の振興・PRと製品の生産との両面を今日まで支えてきたわけです。近年、織物業界の環境は一段と厳しくなってきております。このような厳しい環境の中ではありますが数年前から絹のもう一つの成分でありますセリシンに出会いまして、このセリシンを活用した新しい事業起こしに取り組んでいます。きょうは大勢の皆様の前で活動事例報告ということでお話をさせていただくわけですが、せっかくの機会でございますので私の身勝手ではございますが、報告というよりは私どもの宣伝をお聞きいただければありがたいと思っております。

 前に出しております画面はスキンケア化粧品「きぬもよふ」のポスターです。実物はもっと真っ赤です。このような赤い色を使って化粧品をPRしております。丹後で取りましたセリシンを使った新しいシルクの化粧品です。
 化粧品は3つのジャンルに大きく分けられます。1つ目はスキンケアです。日常のお肌の手入れのための、あるいはお年を召された方にとってはお肌のリカバリーのための基礎化粧品です。2つ目はメイク。3つ目はもっと幅広く日常的に使いますトイレタリー商品です。セリシンのよさというのは、ひとえに人間の肌と接するところでこそその素晴らしさを実感していただけると考えられます。従って、まずスキンケアでスタートしたというわけです。
 セリシンを新しいシルクという位置づけとして先ほど申しましたのも、今日まではセリシンは常に邪魔者であり、全く見向きもされていなかったからであります。蚕さんが蛹になり更に羽化するまでの一番無防備な時期に、外敵から身を守るべく頑丈なシェルターを作っていて、そのシェルターが繭だと私は認識しています。みずからの命を守るために、繭に素晴らしい機能性を織り込んでいるわけです。繊維であるフィブロインの働きはもとよりですが、その周りを取り囲んでいるセリシンは、水分の通過あるいは水分保持、環境整備、紫外線をカットしたり病害虫や細菌の侵入からみずからの住居を守り、かつ快適にするという働きをしています。繭はちょうど赤ちゃんのゆりかごのようなものです。中の蛹を我々人間に置きかえてみれば、人間を守ってくれる、あるいは肌を保護してくれるという働きこそがセリシンの一番素晴らしい効果ではないかと考えられます。
 ところが繊維としてシルクを使うときには一部を除いてセリシンは邪魔者でした。フィブロインをきれいに仕上げるためにセリシンをいかに上手に取り除くか、従来からこれが精練加工の一つのテーマでもありました。しかし数年前から宗旨替えをいたしまして、セリシンをどうしたらうまく活用できるかということに専念しているところです。いろいろな用途があろうかと思い、いろいろな提案もちょうだいしておりましたが、まずは我々でもできることから始めたいという思いから、また、熱心な方との出会いもありまして、最初の取っかかりとして化粧品からスタートしたということです。
 このような丹後の織物の産地組合が化粧品をやるということで非常に珍しい部分もあり、メディアの方にも非常にご関心をいただき、おかげさまでいろいろな記事や各方面でのお取り扱いをいただいています。これを化粧品メーカーがやってもおもしろくない訳で、織物屋が化粧品をしている、それもちょっと変てこなセリシンというものをやっているということがおもしろい、と関心を持っていただき、かえって私どもは非常にラッキーだったと思っております。

 最初に、今ごらんいただきますものが、現在私どもがさせていただいております基礎化粧品です。アイテムは3つありまして、いずれも当然絹セリシンが入っています。ブランド名を「きぬもよふ」……“きぬもよう”とお読みください……ということで、和のイメージ、優しさを込めたネーミングをしております。また、パッケージも友禅柄をデザインして赤いかわいらしい容器としました。
 私どもはセリシンとは呼んでいません。一般的にはセリシンですが、丹後のセリシンを私どもは絹セリシンと呼んでいます。この絹セリシンは、我々丹後のセリシンの代名詞だと勝手に名づけております。この絹セリシンを配合したスキンソープ(洗顔用化粧石けん)、スキンローション(化粧水)、スキンクリーム(保湿クリーム)という、最もシンプルな3点のアイテムからスタートいたしました。なお、商品としましては、3点のミニサイズをセットにいたしまして、お出かけ用やお試し用としてのアプローチセットもご用意しています。敏感な肌質あるいは非常にお気遣いの方がたくさんおられますので、まず1週間〜10日ほどお試しくださいとご提案しています。これを昨年の3月に初めて発売しまして、現在でやっと1年半が経過したところです。

 その次に、今年の2月に発売いたしました入浴剤です。女性のフェイス用基礎化粧品からスタートしまして、とにかく肌にいいのだから次にはボディケアに取り組もうということになりました。全身のスキンケアと同時に、繭にくるまれて1日のストレスを癒していただこうというわけで、「まゆのお風呂」という名前をつけまして、真っ白な液体の入浴剤を作りました。お手元の封筒の中に1回分の袋入りの製品をお届けしていますが、今映していますのは徳用サイズのボトルタイプで、約20回お使いいただけます。純白の繭をイメージしていただいて、その中にとっぷりと体を沈めていただいてリフレッシュしていただく。と同時に、目的としていますのはあくまでもスキンケアです。お風呂から上がっていただいて、あるいは翌朝目覚めたときにもお肌が”しっとりつるっつる”というのが私どもの売りです。おかげさまで発売以来非常に好評をいただいておりまして、今ではナンバーワンの商品に育ってきています。
 現在はスキンケア化粧品とボディケアのスキンケア入浴液という2つの商品しかありませんが、スキンケアアイテムの増品、新しいアイテム商品の開発など、今後も事業拡大を目指した商品開発に取り組んでまいります。
 元より化粧品屋になるつもりで始めたわけでは決してありません。シルクのよさを、今日までは繊維や着物、あるいは丹後ちりめんとして、あるいは丹後のシルクの服地として、基本的に女性をターゲットとして取り組んできました。繊維以外の新しい分野において絹を考えるとき、セリシンはある意味ではフィブロイン以上にすばらしい面をたくさん持っているわけです。このようなセリシンをたまたま今は化粧品でご提案させていただいておりますが、化粧品以外の繊維製品や医療器具・医薬品、あるいは食品など、いろいろな分野が多々あろうかと思っております。とてもすぐにはできませんが、今後そういう新しいチャレンジもぜひ進めていきたいという気持ちでおります。

 丹後ちりめん製造の流れを示します。先ほど来申し上げております通り、私ども丹後ちりめんを製造する過程の中で、このセリシンをどう捨てようかということに一生懸命になっていました。その中で、ちりめんを製造する過程では必ずたくさんのセリシンが廃棄物として、あるいは環境を汚すものとして発生し、常に事業を営む上でも大きな負担でもありました。
 精練工程におけるセリシン回収と白生地製造の流れを図示します。そこに書いていますように、業者さんで織られましたちりめんの生機(きばた)からセリシンを分離・抽出しております。当然ながら高品質の白生地を得ることが大前提であり、同時にセリシンはセリシンとして純粋なものとして抽出する技術を確立したわけです。私どもの絹セリシンにはいろいろと特徴はありますが、強いて一つだけ挙げさせていただくと、丹後ちりめんから抽出したセリシンだということです。“この化粧品や入浴剤は丹後ちりめんから生まれた絹セリシンを配合して作りました。どうぞお試しください”という気持ちです。
 このセリシンの良さを最初に私どもにアピールしていただきましたのが、京都府織物・機械金属振興センターさんでした。研究の成果をご指導をいただき、京都府さんと私ども組合が共同して絹セリシンの回収・有効利用の実用化に取り組んできたわけです。
 化粧品を作ってもどうして売るのかと、ということが当初の一番大きな課題でした。現在の一つの大きな販売ルートは呉服ルートであり、京都の呉服問屋さんを経由して全国の呉服店さんに展開していただいております。ようやく北海道から沖縄まで約300店ほどの呉服店さんで、呉服販売と一緒に化粧品や入浴剤をお取り扱い販売していただいています。他方、ネットなどを通じた直販の小売りもいたしておりますし、丹後の中では考えられる限りのいろいろなお店に置いていただきまして、産地の特産という位置づけも含めて、多くの方にご愛用いただいています。こういう商品ですので、一度お買い求めいただいてそのよさを感じていただき、リピーターになっていただけるかどうかが一番大事な分かれ目です。お陰様でリピーターの方も少しずつ定着していただきつつあるかなというところです。

 当たり前のことですが、私どもの皮膚は体を外界から防御するよろいであり、保護する機能が皮膚にとって一番大事な機能です。年齢を重ねると徐々に皮膚の機能が低下してまいります。それは当然避けられないことですが、その皮膚を助けて、あるいはお手入れをしっかりしていくことでお肌を若く保つことは十分可能なことです。肌年齢というのは美しさの一つの大きな要因であると思われます。
 肌が若いうんぬんというときに、一番大事なのは水分です。スキンケアを考える上で、スキンケアはすべて保湿だと言っても過言ではないくらいに水分が大事です。水分がなくなってしまったらミイラになってしまって、機能しないわけです。お肌の水分を保つ働きをコントロールしているのが、角質層の中にもともと含まれている天然保湿因子(NMF)です。女性の方は雑誌等でよく目にされると思います。NMFの成分の40%はアミノ酸です。その他、ピロリドン酸ナトリウム、クエン酸ナトリウム、尿素などいろいろな成分が含まれていますが、主たるものはアミノ酸です。中央の表とグラフに、NMFに含まれているアミノ酸の組成を示しています。
 NMF中のアミノ酸にはセリンが約30%含まれています。セリンが保湿効果のあるアミノ酸の代名詞のようになっておりますが、そのほか、スレオニンやアスパラギン酸など、大きな側鎖のついている極性アミノ酸が多く含まれているということが一番大事なところではないかと思います。同じ絹といっても、フィブロインとセリシンとでは構成しているアミノ酸がかなり違います。即ち、フィブロインは繊維としての強度や結晶性が求められ、分子の小さい無極性のグリシンやアラニンが主たるスペースを占めております。それに対してセリシンにはセリンをはじめ、アスパラギン酸などの極性アミノ酸が非常にたくさん含まれています。そしてよく見ますと、お肌の中のNMF成分であるアミノ酸の組成とセリシンのアミノ酸組成とは非常によく似ているではありませんか。セリシンの成分がお肌の成分そのものに非常によく似ていることはセリシンの機能性と安全性を考えるとき、この上なくすばらしいことだと思います。
 このことを多くの女性の皆さんに知っていただいて、もっと日常の身近なところで絹に触れていただきたい、そして絹セリシンに触れていただきたい、と思います。もっと申しますと、ちりめんを着て美しく装っていただくことと合わせて、セリシンを直接肌にまとっていただき、若くて健康でハリのあるお肌をいつまでも美しく保っていただきたい、と願ってやみません。
 最後になりましたが、1つだけご紹介させてください。これは『ビジオ・モノ』という月刊女性総合誌の10月16日発売の最新号です。この中で絹セリシン配合スキンケア化粧品であります「きぬもよふ」の広告を出させていただきました。特に最近のスキンケアにおいては、自然派、植物性、天然という傾向が強く、多くはブルーやホワイトなどの色で商品のイメージが作られております。このような赤をコンセプトカラーとしたスキンケア化粧品は非常に珍しいのですが、この珍しいのを我々の売りにしていきたいと思って頑張ってまいりたいと思っています。ぜひまた近くの書店に寄っていただきまして、お目に止めていただいたらお求めいただきまして、丹工はこんなことをしているのかということを見ていただけたらありがたく思います。
 私どものPRに終始いたしましたが、これで私どもの報告を終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)

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丹後デザイン塾(塾長 小石原将夫)

司会:ありがとうございました。続きまして、丹後デザイン塾塾長の小石原将夫さんにお願いいたします。
 小石原さんは、丹後織物工業組合の総代、丹後藤織り保存会の副会長などの要職を歴任されています。昨年度、小石原さんが作成いたしました織物が、全国地場産業奨励賞を受賞されています。その他、いろいろ差別化された織物を作って、多種多様な製品展開を図られています。それでは小石原さん、よろしくお願いいたします。

小石原:皆様、こんにちは。(拍手)ただいまご紹介いただきました小石原将夫です。私は35年間、この網野町でずっと織物業に携わっています。現在は帯地の製造をしております。
 昭和55年のNHKのドキュメンタリー番組、「木を織る女たち」という番組を見て、私自身が非常に感動して、いてもたってもいられなくなったという思いがあります。以来、藤布(ふじふ)という全国でも非常に珍しい、藤づるの繊維で織る織物も手がけております。それは、私にとって織物の原点の位置づけとして大事に取り組んでいます。明日までですが、1階の「丹後の手仕事展」のコーナーで、同じ藤布振興会の加畑兼四郎さんと一緒にその展示をしております。お時間の許す方は是非ご覧いただきたいと思います。
 今日はデザイン塾の活動事例報告ということで報告させていただきます。
 私たち丹後デザイン塾は、平成10年、京都府の呼びかけにより、「デザイン」をキーワードに丹後織物産地の企業間の連携を図りながら、丹後ならではのものづくり、または完成品づくりに取り組む、「染め」や「織物」をしている業者で構成しています。メンバーは、着物を中心として、染めて販売する業者が5社、白生地を中心に製造・販売している業者が4社、また、帯地や先染め着尺を中心に製造・販売している業者が4社、合計13社で構成しています。

 次に活動ですが、毎月1回、第1水曜日を例会日と決め、ものづくりの勉強と、年に2〜3回の展示会などの打ち合わせを行っております。今日までの展示会の実績を報告させて頂きます。平成12年3月、東京・青山の全国伝統的工芸品センターで、京都府の協賛により、「京都丹の国染め織り展」を開催し、同じく平成12年12月に、奈良市の奈良マーチャントシードセンターで、「シルクロードロマン展」を開催し、また、平成13年3月には神戸市のギャラリー北野坂で「丹後の染め織り工芸展」、平成13年の10月には、山形県の米沢市で開催されました「つむぎサミット」に参加し、米織会館で、「丹後の染め織り工芸展」を開催してまいりました。
 また、そのほかの活動として、呉服専門店や呉服屋さんとのグループ、東京の若手のデザイナーの方々、四国・今治のタオル産地のグループなど、関連業界の人々や地元の福知山、大江町で蚕を飼っていらっしゃる方々を中心にした養蚕連絡会との交流、情報交換なども行ってまいりました。また、製糸会社や丹後以外での織物産地の現地見学会も行ってまいりました。
 そのほか、京都府が実施した丹後産地デザイン強化特別対策事業の協力もさせていただき、丹後山地アイデアギャラリーで、京都を中心とした芸術、デザイン系の大学生との交流、また、シルクロード新世紀ということで、社団法人日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)との異業種交流を深めて、そのシンポジウムにも参加したり、平成12年11月には京都市の京都国立国際会館で、平成13年の3月には地元大宮町の大宮ふれあい工房で展示会を行ったりしてまいりました。

 次に、その効果ですが、今日までやってきた展示会活動などがきっかけとなり、少々後回しにはなりますが商談や販売が起きてきて、小売り屋さんなど、実績も上がってきつつある状況です。つい最近の話ですが、「おかげさまでそこそこ売り上げをさせてもらった」という、塾生からのうれしい報告も聞かせてもらっております。

 次に、私たちの基本姿勢ですが、「もう一度原点に立ち返ってものづくりをしよう」、「自分たちで原料を取り、いいものを作って自信を持って売っていこう」、「地元で取れたものを地元で染めて完成品にして販売していこう」というような理念があります。
 一昨年のことですが、私たちデザイン塾は、縦糸は従来の輸入糸で、横糸に福知山・大江産の糸を使って商品開発をしました。その商品は、本日、1階展示室に展示してありますが、そこにある塾生のコメントがあります。「輸入糸で織った生地に比べストレッチ性が非常に高く、照りが自然で非常に美しく感じた。また色つきが非常によい。体に沿うような柔軟性がある」という内容です。また、ほかのメンバーの方からも「非常に色つきがよいから十数回重ねて染めていく草木染めなどには少々回数を少なくしても所定の濃度や色の深さが得られるから、非常にありがたい。それは同時にハケによるスレなどの問題もある程度抑えることができるから、非常にいい」という評価があがっています。
 そんな中で、ことしの事業の柱として、もう一つ踏み込んで、縦糸、横糸とも福知山・大江産の生引き糸で商品開発をすることになり、現在、白生地として織り上がり染めの工程に入っています。
 来年2月9日から11日まで、地元、福知山市の“丹波生活衣館”で展示会・発表を催す計画をしております。今日までの長い歴史の中で養蚕家の皆々様が養蚕を守り続けていただいたおかげで私たちもこのようにものが作ってゆけます。そんなお礼と感謝を込めて、また養蚕家のご苦労に対して、福知山に里帰りをさせて頂き、一目皆様に見ていただき、ご意見やご批評をいただけたらと思っております。
 また、福知山での展示会が済んだひと月後の、3月9日、10日には東京・銀座の清月堂画廊で、その商品を中心に、「丹後の織物の染織工芸展」ということで、塾生の展示・発表会を計画しております。東京のど真ん中でたくさんの人々に見ていただき、厳しい意見もちょうだいしながら、これからのものづくりの糧として、ご意見などいただきたいと思っております。
 最後になりましたが、私たちのデザイン塾は、自然豊かな丹後の地で、染めと織りを通じてお互いに個性と独創性を発揮しながら、より丹後らしい、そして絹を使った織物、ものづくりに、日々精進していきたいと思っております。簡単ですが、以上をもちましてデザイン塾の事例報告に代えさせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)

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網野町きもの交流会(事務局 田茂井勇人)

司会:田茂井さんは昭和63年に北秀商事株式会社に入社されましたが、平成6年に退社されまして、同年田勇機業株式会社に入られ、現在は同社の代表取締役です。
 現在、織物産地の魅力ある着物づくりを目指して、広く活動されておられます。その辺のお話をお願いいたしたいと思います。よろしくお願いいたします。(拍手)

田茂井:ただいまご紹介いただきました、田勇機業の田茂井勇人と申します。網野町きもの交流会の事務局を預かっている1人として、いろいろと皆さんにお世話になっているところです。
 まず、本日のシンポジウムの開催に際しまして、我々網野町きもの交流会の代表世話人であられます浜岡社長様からお話がありましたが、このきもの交流会の発足の経過といたしまして、丹後の置かれた現状ということがあると思います。この丹後におきましては、昭和48年をピークに、1,000万反近い白生地が織られていたのが、現在は120万反を切るぐらいのところまで落ち込んでいるというのが現状です。また、平成の不況に加えまして、この業界の構造的な不況、また、着物離れということが、ますますそれに拍車をかけているのではないかと考えています。
 また、地場産業と言われているわけですが、現在は、どんどん機屋の軒数が減っているのが現状でして、私はこれ以上減っていくと産業として成り立っていかないと考えております。この間も機用品メーカーの方のお話を聞かせていただきますと、機用品でも既につくっていない部品があります。紋紙屋さんも、この網野からはなくなったに近い形になっておりますし、白生地は精練してようやく白生地となってまいりますので、その辺の加工事業におきましてもそうですし、後継者不足などをとりましても、今後企業として残っていくには、これ以上減ると我々自身も残っていけないという現状があると思っております。付帯産業からどんどん狭まっている状況でもあります。どうにか横のネットワークを結んで、今までは各々でやっていたところを、横のつながりを持ちまして、お互いに生き残っていく努力をしないと、自分のところの会社もなくなっていくという危機感を感じているところです。
 そんな状況を踏まえまして、きもの交流会の発足に至るわけです。網野町きもの交流会は、平成10年11月に開催されました「丹後織物の21世紀ビジョンシンポジウム」におきまして、より具体的に産地の活性化のためのビジョンを作成することが必要であるという提言があり、それを受けまして、学識経験者や京都の問屋さん等に委員として参加していただきまして、平成11年の産地再構築ビジョン検討委員会を組織しまして、ビジョンの取りまとめに入られました。
 ビジョンには着物産業の現状といたしまして、着物の需要の動向やものづくりの動向、消費者ニーズと着物産地のギャップ(差)と、着物産業の展望がまとめられております。
 網野町の機業の特徴としましては、先ほども申しましたが、素材という意味合いが強いので、中間生産産地としての性格が強くあります。それと市場との接触、また機業規模と市場との対応、産地としてまとまりの不十分なことについて現状と課題が報告され、それらに対応するために産地としての情報収集能力や商品開発能力、また、会社の経営・運営能力の向上や、生産、流通のネットワークづくり、また生産地から情報の発信事業など、取り組むべき施策等が報告としてまとめ上げられました。
 報告書が出ただけではだめだということで、具体的に行動に起こしていかなければならないという強い思いの中から、先ほど申しましたが、産地として横のネットワークを深めるために、商品開発能力などを手がけるネットワークとして、平成12年に網野町きもの交流会が組織されるということになった次第です。

 具体的に、きもの交流会の活動内容をお話しさせていただきます。広報・観光部会、研修部会、開発・交流部会と3つの部会に分かれておりまして、各々がさまざまな事業を行っているところです。
 まず、広報・観光部会をご紹介させていただきます。今、私が着ているものもそうなのですが、これは旅館さんにモニターとしてお配りしています。丹後は特にカニのシーズンになりますと観光客の方が多いので、その方々に実際のちりめんに触れていただくという意味もありまして、これをモニターとして旅館さんにつかっていただきました。
 この話が出たのも、観光業の方々とお話をさせていただく意見交換の場を設けまして、その中で、どんな場面でちりめんが観光業とつながりができるかという、いろいろなお話を聞かせていただいた中から生まれたアイデアでもあります。
 また、これがこのような“出迎えのれん”になっているのですが、駅を降りられまして、各旅館さんがその場におられましても、自分がどこの旅館かわからない場合があります。それで、旅館さんもそこでもじもじされているという話があって、それならこのちりめんを使って、出迎えのれんをつくろうではないかということで、これを製作させていただきました。
 丹後ちりめんの産地だと聞いて来るのですが、全然視覚的に飛び込んでこないというお話も聞かせていただいたことが以前ありましたので、網野町の駅と木津温泉駅にちりめんでのれんをつくって、掛けさせていただいておりますし、本日玄関にかかっておりました「絹の里」という大きなちりめんを使ったのれんのようなものがあったかと思うのですが、あれも我々きもの交流会で製作させていただいております。
 このほかに、地域の子どもに、この産業を知ってもらい、また、印象に残るものとして、丹後ちりめんを使った卒業証書をつくりました。先ほど下でも見ていただいたかもしれませんが、これがそのちりめんを使った賞状です。中学校が2校あるのですが、校章をアレンジしたものを地紋として織り込んでいます。これも紋紙をつくってきもの交流会の中の1社が織って、それをにじまない加工をしまして印刷をして、1人1人に配ります。名前は校長先生が全部墨で書かれておりますので、それをお配りさせていただきました。この事業も、新聞等でご紹介されましたし、この卒業式で先生が羽織袴姿で生徒に卒業証書を授与されたということで、生徒には大変思い出深い卒業式になったのではないかと考えております。この取り組みも今年で3年目に入っています。
 また、『着物サロン』さんには大変お世話になっておりまして、先ほど小石原さんもご紹介されておりましたが、網野町きもの交流会としていろいろと染めた帯等も掲載していただいております。『着物サロン』を注意深く見ていただきますと、網野町きもの交流会という名前で掲載させていただいております。また、中にはいい商品になりますと、網野町に問い合わせがありまして、何点かご注文をいただくということも報告としてお聞きしております。

 また、研修部会といたしまして、京都の染め屋さんや地元で染織されている方から、染め方についての勉強もさせていただいております。我々機屋は基本的に白生地を織っていればよかったのですが、今はそういう時代ではなく、問屋さんからの受注に対しても、ものづくりからこちらが全部かかわるかプレゼンしていかないと、なかなかものづくりも進まないという中で、やはり染めを知っていないとものづくりに生かされてこないということもありまして、今言ったような研修を行っております。

 また、開発交流部会におきましては、交流の現場からデパートや専門店さんを講師としてお招きいたしまして、パネルディスカッション形式でご講演をいただきまして、売る側からの角度というところから、ものづくりに対するお話を聞かせていただいております。また、着物研究家の方や先ほどの着物サロンの方などのお話で、年代別の好みなどを切り口にいたしまして、今の流れに沿ったものづくりということで、アイデアを求めるべく開催させていただいております。
 また、地方の小売り屋さんの集まりなど、そういう方々が多々丹後の地に産地見学に来られることがありまして、その際にもきもの交流会としてお迎えいたしまして、夜に懇親会を行わせてもらったり、翌日には必ず自分のところでつくっている商品を見てもらうようにしています。その際に、自分のところの商品をアピールする力であったり、批評を受けまして、今後のものづくりに生かしていこうという取り組みも同時にやっております。
 後先になりますが、三重県・松坂の方にもきもの交流会で商品展示に行ってまいりました。それも三重県の呉服商組合の方々と連携させていただき、まずは丹後ちりめんのPRということで、きもの交流会として参加させていただきました。やはり売る現場を目の当たりにするということも、ものづくりには当然つながっていくわけです。その中でも売れている商品は何かであったり、売り方であったり、こういう商品にうちの生地が使われているのだなということで、大変参考になることもありました。
 今年度の取り組みといたしまして、シルク・サミットの交流も1つですが、産地としての技術を生かしたものづくりを重点的に取り組んでいます。このきもの交流会というのが白生地の機屋だけではなく、網野町で染めや呉服販売をされている着物にまつわる皆さんで構成されておりますので、その中で白生地と染めをされている方とが手を結び、また小売りをされている方と白生地屋が手を結んで新しいものづくりを丹後から発信できないかということで、今、取り組んでいるところです。
 丹後産地は織物の産地でも当然ありますが、丹後ちりめんという名前も業界内では結構知られていたり、興味のある方は結構ご存じなのですが、その特徴や生地のよさが全然伝わっていっていないのではないかということもありまして、できれば丹後から商品が発表できないかと思って取り組んでいるところです。もっと消費者の方に知っていただくためには、産地としてやはり特色のあるものづくりをしていかないといけないのではないかと考えております。また、小売りの方々に先ほども申しましたが、産地に来ていただいて現場を見ていただくということも大変大事なことだと考えております。
 手前みそで申し訳ないのですが当社も観光業とのつながりの中で、会社の工場見学を積極的に受け入れております。そのときに、全然産地を見られていない消費者の方々がうちの工場を見られると、相当うるさい工場の中でもあるのですが、「こんな大変な作業をされているのですね。着物が高いのもわかるな」と口をそろえて言っていただけるということもあります。ですので、今後どんどん産地ということを力強くアピールしていく必要性があるのではないかと思っております。
 最後になりますが、3年目を迎えているわけですが、この取り組みはまだまだ始まったばかりです。まだまだ難しい問題が山積みになっておりますし、努力しなければならないと思っております。これは私の個人的な意見でもあるのかもしれませんが、やはりこの丹後としての産地というところから考えていきますと、網野だけにはとどまらず、丹後一円でこのような取り組みをしていって、産地として生き残っていく方法を模索しないといけない時期に来ていると思っております。
 また、行政のお力をいただいて運営しているきもの交流会でもあります。本来ですと自社が各々の努力でやっていかなければいけないところを、行政の力で予算をいただいて活動しているということで、本当にありがたいことだと感じております。また、それを肝に銘じてやっていかないといけないのではないかと考えております。
 本当に産地だけではどうにもならない時期まで来ております。また、ここにご来場になっている、シルクに思いを持たれている方々と連携をいたしまして、今後またすばらしいものづくりにできるようにしていきたいと考えておりますので、なにとぞご協力のほどをお願いしたいと思います。
 私で最後ということで、このシンポジウムも終わりとなるところでつたない話となり、まことに申し訳ありませんでしたが、これで終わらせていただきたいと思います。どうも最後までご清聴ありがとうございました。

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