第1部 事例報告ー1−(2)

染の道讃歌
「色ソメツ、心ソメツ」柳 宗悦「心偈」より

細田伊佐夫(駒ヶ根シルクミュージアム非常勤講師)

 当シルクサミットの主に対して染は従の立場だと思います。私は、シルクミュージアムの開設から体験工房で、染めの体験メニューをいろいろ作ってみよう、こういうことでやっております。よろしくお願いします。

 表題の「染の道讃歌」は、「色ソメツ、心ソメツ」という柳宗悦さんの「心偈(しんげ)」というのがございますが、そちらのほうの染色家に渡された「色ソメツ、心ソメツ」という言葉が非常にひっかかっておりまして、何かのときに使わせていただいております。色そのものでなくて、色は心、人間である、空気とか水とかいうものと同じように色が存在するということ。ところが、余り気にならない、そういうものです。それと、せいぜい赤、青、黄の信号。この色に命令されて我々生活している一面もあるわけです。そのようなことを含んでいただいて、これから、感じたこと、それからシルクミュージアムの周辺のことをご報告してまいりたいと思っております。

 今回のサミットにつきましては、「染め」という別ジャンルでございますけれども、糸や織られた布、そうしたものに形とか色とかいうもので着物を着せる。糸、布はどちらかというと皮膚、肉体など動物に近いほうの部分でございますが、動物と人間の違いの文化というほうに行きますと、色彩や形で、布に合わせて着物歴史が文化を着せる。人間が5,000年、1万年かかってきた動物と人間との違い、そういうものがあるのではないか、そんなふうに思っております。

 それでは、シルクミュージアムで「縄文泥染め」という名前をつけて現在やっております泥染についてお話ししてみたいと思います。

 ここを散策しておりますと、すごく赤い水に出合いまして、鉄分があるなということで、鉄媒染に使ってみたわけです。これが非常にやわらかで優しい、深い、いい色が出ました。これがその色です。これが非常にやわらかで優しい、深い、いい色が出ます。これは、こうした流れの中からすくい上げるわけです。こちらではもっと濃いのもありますが、土手を崩してしまいますから、こうした溝からすくい上げるだけにしています。

 これは、日をかけて熟成したり、取ってきたバケツで熟成すると、酸化作用が働きます。ここでは工房から大体1分半か2分ぐらいのところにあります。現在のこれは溶いておいたものが乾燥されて……。自然に乾燥してしまったんですけれども、こうすると、ほかのところへ運搬をしても、また使うにも非常に便利なわけです。

 こちらは工房から約30秒といいますか、道を挟んで隣にある伊藤さんという方のおうちの山に「カオリン」という白い土があります。これは化粧品、陶芸から製紙、そういうものに使われている白いアルミ成分。これによって、同じ樹液を使ってみても、両方の土でそのものを媒染しますと違った色が出てくるわけです。これがおもしろいと思うんです。乾くとこのように白くなります。
 白くなったところは、細い粒子と思いますし、それを純化したものと何かの樹液のエキス、そのようなものを取ってこれから化粧品を作ったとしてもおもしろいものができるのではないかなと思っております。

 この辺りは縄文中期の遺跡群がございますので、その泥染めを「縄文泥染め」と名をつけたわけです。そうした古代からの民芸の流れ、そういうものを見つめたり、そうしたものが癒しとして出てくればと思っております。
 泥染めに関しては、伊那谷にはまだ北のほうにマンガン鉱があったり、それから南アルプスの石灰岩、そういうようなところからまた自然のおもしろいものが出ると思います。

 これは柿の汁を引いて、この方は京都の染織大学に通っている人ですが、型染めをして、そこへ今泥を引いているところです。このあたりが紫色になっていますけれども、これが泥染めですが、柿の汁を使いますときれいな紫のような色が出てまいります。

 

 日本の古来からの大切なものというのは大体皇室で守られてきておりますけれども、その中の一つに養蚕があります。皇后陛下がお歌を作っていらっしゃる中にそうしたことがありますので、シルクミュージアムという中で、一つの関連の持ち物として養蚕の歌、天蚕の歌を宮内庁の許可を得まして染めてみたわけです。

「真夜こめて秋蚕は繭を作るらし ただかすかなる音のきこゆる」、これは41年の作ですが、繭を夜ずっと寝ずに作るという家蚕ですね、家蚕を歌っているということから、桑の葉をせんじまして、それを青いほうがいいだろうということで銅媒染をいたしました。

  小石丸、家蚕、こうしたものは、すべて野蚕のように自然のものであるものを人間が必要なものに作り上げてきた歴史の一端です。それが家蚕です。今ではクローンというような世界にまで行きます。人間の歴史は、人間に都合のいいようなことを作りだしてきた、そういう大きな流れがありますけれども、その原点できたのが家蚕です。

 これはミュージアムの桑の風景です。

 「葉かげなる天蚕はふかく眠りゐて 櫟のこずゑ風渡りゆく」。これは御題の中の御歌でございますけれども、クヌギというものが出てきましたので、クヌギの汁を作りました。

ミュージアムに展示する意味で、やっぱりミュージアムの泥だろうということで、泥染としたのが今の皇后陛下の歌でございます。
 明日、よろしかったら館内に展示してありますので……。書家は、伊那の池上信子さんに揮毫していただきました。その条幅書と一緒に飾ってございますので、ごらんいただきたいと思います。

 色の問題に移らせていただきます。
 中国の3,000年ほど前の周礼(しゅらい)という周の国の文献でございますが、それには色の決め事として、これは正しい色だよ、これは正しくない色だよというように、青、赤、黄、白、黒、3原色と白と黒は五方正色として記述されております。また、そのことが、韓国で現在使われているという事実、韓国と日本と中国との間の関係というのが歴史の上で非常な重さを持ってくるというのが色のほうから見ていっても出てきます。

 これが五方正色と間色の問題を書かれたものについての説明でございますが、これは周のころの物事を決めてある色の中の一端に、色はこうであるよということを決めてあるという書物でございます。
 それから、色という文字を私もおってみたのですが、驚いたことに、甲骨金文という、周礼よりまだ古い殷の時代ですね、そのころ既に、人間の交合の図、男女の性交の図、セックスですね、そこから来ているのが、こういう形です。説文というほうではこういう形で出ていますけれども、これが変化してくるわけですね。

 ついでに、ここのところに糸というものが作られた意味を出しておきました。織りもついでにここへ出しております。
 これはこれから、日本、それから中国は漢字の文化圏ですし、仏教の文化圏でもありますが、そういう中へ一番の基礎として入ってくるのが今の色というあたりから出発しているというふうにひもといていきますと、あらゆるいろいろな複雑にされた中の何かポイントのようなところへたどり着くのではないかなと、そんなことを思っております。

 日本古代の色彩と染めという前田さんという人の本の中に―日本書紀に、茜で染めた赤い絹を任那の使者が国へ帰るというので、百匹を持たして帰した。百匹というのは反物200反です。

そうしたところが、新羅の人たちが兵を興してそれを取りに来たと書かれているようです。

 その絹の赤というのは茜で染めているんですが、秋田県の花輪町にいまだに残って現在もやっているようですが、染め始めてから3年から5年かけて赤い色を染める。これは現在でも神祇関係では調度品として使われているということですから、皇大神宮とか橿原とか国の大事なそうした神宮などでは使われているのではないかと思います。これは何を意味するかということも調べるとおもしろいと思います。
 今、紫のが出ておりますが、紫という色も非常におもしろい色で、先ほどの五方正色からしますと、間色で悪い色になるわけです。ですが3,000年前は悪い色であるよと決められていたんだけれども、斉の桓公という人は、紫はいい色だよと変えた。それから着るようになる。それで、中国でも着る。日本へ来たときには、日本は1,500年ぐらいですから、既に紫がいい色で、一番の色になっています。このことを見るには、お寺さんとかそういうところに残っているわけです。緋の衣とか紫の衣とか、沢庵和尚の紫衣の事件とかいうふうに出てきますので、そうしたものを見てもいいんじゃないかと思います。
 それから、紫色はクレオパトラなどが愛した色で、帝王紫と言われるゆえんです。それから、南米の未婚者が自分の愛する人に捧げる糸、それは貝紫で、荒磯まで行って、命がけでそれを染める。その染めた糸を奥さんになる人が織るというようなことも残っております。

 それから、藍のことになりますと、藍などは、こうして泡が立ってきて花が咲くというようなことになるわけですけれども、これは発酵というものを非常にうまく利用しております。そしてこのことが、例えばハブとか、マムシというようなものの魔除けということですね。魔除けというよりか、実際にそれを使うということ。それから、白い生地自身が藍に染めたことによって長い年月もつようになる等、いろいろなことがあるわけです。ですから、保護と同時に保護色であり、材質、質を高めるということとか、いろんな要素を持って歴史の中で息づいてきているのではないかと思います。
 それで、国宝に紺紙金泥書きというお経がありますけれども、ああいうものは、黄色と同時に虫除けとか長年もつようにとか、紺の地色を置きましてそこへ金泥や何かで、金の粉でお経を書いたりしますとこれは非常に引き立ちます。見事だなと思うようなやり方ですが、古い人たちがしっかりそういうものを書いております。

 ここで藍が出ましたので、これについては、お寺の場合に紺宇とか紺堂とか紺殿など、紺という色はいろいろなものを含むと言われるゆえにそう呼ぶのだということが書かれております。これは紺宇とか紺堂ですね。さっきのは紺紙金泥書き。こんなふうにして既に昔にでき上がっているわけですが、ということは、紺の色の中に実は赤と青だけでなくて黄色も含まれているということです。これは染色されるとわかりますけれども、あの深い色は黄色なしにはでき上がりません。
 そういうふうにしまして、例えば色の配合の場合、赤と青を組み合わせると紫の方向へずうっと行きっ放しです。緑の方向へは来ません。青と黄を組み合わせると、これは緑の方向だけで、黄緑になったり青緑になったりするだけの話で、紫とかネズという方向へは来ません。それから、白と黒の関係では、ネズの道を白から黒まで一本道ですね。そういうふうにして配合から考えてみても、紺は青であって赤を含むからというようなことが書いてある。ここでは黄という言葉は入っておりませんけれども、黄がないと紺の色は出てまいりません。青と赤だけでは紫が非常に濃くなっていくだけです。そこへ黄と青みがまじり合って緑系が入りますとあの紺のような色になっていくわけですけれども、これはちょっと専門的になりますので……。

 既に過去においては、日本の場合、延喜式とかいうような書物には、何に染めるには何々というふうにいっぱい入っているわけです。何匁何斤だというようなことが。ですからこういうものをひもといてやれば幾らでもできるわけですので、またこういうことをやりながら、歴史の中で何かを見つめ直すというのはおもしろいことじゃないかと思います。

江戸時代には、真っ赤に塗った部屋に閉じ込めておく拷問などあったということです。それから、紫が物の鎮静になるというような、そんなこともいろいろ含んでおりますので、色について調べ直しますと、これからの癒しの世界とか、健康とか、いろいろ言われていること、さっきの色の、金文字の浮き上がったような起源というものをしっかり根底に置いて色を考え直すと、改めて世の中に対して変わった見方ができるのではないかと思っています。
 ちょっと長くなりました。失礼しました。

司会: ありがとうございました。色ソメツ、心ソメツというお話をしていただきました。皆様からご質問あるいはコメントなどがございましたら、どうぞ出してください。ございませんでしょうか。
 直接関係ないかもしれませんけれど、染織をなさっている方のお話を聞きますと、いろいろ染めてみたけれども最後には絹に行き着いたという話を何回か聞いたことがあります。いろいろ草木染とか藍をやってみたけれども最後はやはり絹だという話を聞いたことがあるんですけれども、先生から見て、染織という点で絹はどういうふうに思われますか。
細田: 絹は非常に染まりやすいです。染まりやすいから絹という繊維は大事に扱ってやらないと……。私は、赤ちゃんを扱うように、赤ちゃんをおふろに入れるとかいろいろするときのような扱い方をすれば、絹はそれにこたえてくれると思っています。
司会: どなたかございませんでしょうか。
小瀬川:生物研の小瀬川と申します。茜で外国で戦争が起きたということなんですが、茜染め自体は大陸のほうはなかったんでしょうか。
細田: 中国、朝鮮の泥染の赤でなく、日本では茜染を早くからやっていたと思います。昔から。茜の染めというのは、恐らく金の価値以上に当時とうとかったんではないかと思います。戦争を起こすということ自体が大変な問題ですから、それほど価値がある。赤という色は、どうぞ皆さん、いろいろに思いをはせてみてください。一番簡単なのは闘牛の牛ですね。あれは動物で、人間ではないですけど、赤に向かって突進するわけです。そうしたようなところをひもといていただくということと、日本の茜という色、日本の茜で染めた色というものは、もっと言うと霊気が宿るというようなところまであったんではないかと思います。それほどに昔の人たちはそこへ込めたものがあった。呪術とか、いろんなことがありましたけれども、山野の霊に祈るというような、そういうことが書かれておりますけれども、非常におもしろいことです。
司会: ありがとうございました。それでは、時間になりましたのでこの辺で終わりたいと思います。ありがとうございました。


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