第1部 事例報告ー1−(4)

草木染との出会い
前田埜衣(埜葩工房)

 今ご紹介にあずかりました前田埜衣でございます。
 私は、染めではなくて友禅模様をご報告させていただきます。この席でお話しさせていただきますことを感謝申し上げます。私の草木染との出会いと手がき友禅模様の説明をさせていただきます。
 もう五十年程昔のことですが、銀座の呉服商「ちた和」により芝の美術倶楽部で大々的に展覧会が開催されました。その折り、下平律美先生と共に観にまいりました。
 会場には桃山時代の能衣裳が参考品として並んでいました。四百有余年もの歳月を経た衣裳が、未だ色鮮やかに残っているのです。これこそが、日本の色だと感動いたしました。
このとき、これらの衣裳に使われている草木より出された色が、堅牢で、鮮やかであるとわかったのです。また、当時の「ちた和」主人の「模様師さんは、どうしてご自分の色を創りださないのか?」という言葉に刺激され、これらのことが、草木染めに関心と興味を持ち、その魅力にとりつかれたきっかけでございます。
 律美先生も、草木染めに興味を持ちまして。佐久出身の草木染め研究家の山崎斌氏が、川崎の柿生に草木寺を建てた折り、先生も、お手伝いにいかれています。このとき、草木寺で染めてきた紫根染めを、先生は自慢げに見せてくださいました。初めて見る生きた本物の紫根染めは、実に素晴らしく思いました。

 草木染めの起源は、紀元前数千年の昔に逆上ります。
 始めの頃は、露草の花びらの「青」や、くちなしの実の「黄色」等のようにただ摺り付ければ染まり付く、簡単な物が多かったと考えられています。
 媒染や、還元等の高度な技術をつかうものは、古代エジプトのミイラの着衣の「藍」、ローマ皇帝の衣装の巻き貝から採った「貝紫」等として判っています。
 一方、今日広く使われている化学染料では、1856年にイギリスで最初の化学染料、紫色の「モーブ」が発明されました。
 この後二・三十年の間に、藍の主成分の「インジゴ」、西洋あかねの主成分の「アリザリン」等が次々と合成されました。 この中で、インジゴは還元染料として木綿・麻用染料、アリザリンは含有金属酸性染料として絹・毛糸用染料として今日も多く使われています。
 1900年頃から、様々な色がそろったことにより化学染料は、急速に世界中に広まって行きました。明治期に入ってからの染色は、大正にかけて天然染料からすっかり化学染料にかわっていきました。日本ではドイツ染料を主に使用していたので、第一次世界大戦がおきると、化学染料の輸入が止まりました。そこで天然染料の研究が起こりました。輸入の問題だけでなく天然染料の良さが見直されたのです。
 昭和5年12月東京資生堂にて、日本では初めて「草木染め信濃地機展覧会」が開催されました。役員として名を連ねているのは、島崎藤村・富本憲吉・有島生馬・竹久夢二・平塚運一・石丸重治・中村柊花・山崎斌といった有名な作家、画家、歌人でした。染色部代表は松本の浜茂人さん、機織部代表は有明の平林龍一さんでした。このように当時の文化人が草木染め復活を応援したのでした。このころが草木染めの第一次復興期だと思います。
 戦時中は桑の木の皮で染めた国防色が主役でしたが、草木染め研究は中断されました。
 昭和40年代に入った頃、化学染料の主な生産国のドイツで、染料の製造過程に出る有害物質による、環境汚染問題により、染料の製造が低迷したため、染料不足となり、染料を扱う業界が大混乱して、大変な時期でありました。
 しかし、かつての天然染料による染色の技法の多くが失われてしまった今、化学染料にこれまでどうり頼るよりほかはありません。幸いドイツ製の品質のよい染料を多く持っていましたので、ゆとりはありましたが、これらの自然の色に合わせる様に心掛け、友禅をして参りました。たとえば、色の混色を工夫したり、微妙に違う色を何度も染め重ねたりしました。おかげで、まるで本物の草木染めのようだとの評価をいただきました。
 この頃、高島秀造先生が当時乱れた色名を整理して、染色業に携わる方々に役立てればと、北村哲郎先生・野口真造先生・山辺知行先生らの協力により、十数年の歳月を掛けて、45年に「王朝の彩飾」を、48年に「江戸の彩飾」、51年に、「温故彩影」の三部作を、出版されました。
 東京の石神井に工房を開いているときに、よく高島先生が見えられて、着物カタログの「東染集」にのせる、王朝人物や能や唐子などの柄で、着物や帯・風呂敷などを注文を受けました。その折りに、色帳を作るときの苦労話をいろいろ伺いました。
 これらの色帳が私の色作りのときに欠かせない重要な参考書で、私の宝となっています。

 ちょっとした思いつきから、紬に友禅を指してみようと思い立ち、上田紬に紫陽花の柄を総付けにしましたところ、とてもよい風合いに染まりました。また紬に染めてみたいと、よい紬を織っている所はないかと、探している折りに、友人の紹介で、米沢の新田秀次氏のお宅を訪ねました。このとき、富子夫人とお会し、紅花の栽培から紅花染めまでの工程を説明してくださいました。そのときは、紅花のことを末摘花とお話になる意味が解りませんでした。紅花染め紬の上に、花模様とか王朝人物の絵付けなどを、描けますかどうかなど、そんな話題でお話がはずみ真夜中までときがたってしまい、結局一晩泊めていただきました。
 このとき、友禅をしてみるために紅花染めの紬をお預かりいたしました。その折りに、富子夫人から紅花の種をそっと私の手に握らせてくださいました。翌年、この種を蒔き花を咲かせ、日が出てからだと、葉の棘が刺さり痛くて、とても畑に入れないので、言われたとうり、早朝4時頃から露のあるうちに摘み取りました。おかげで、体は露でびしょぬれになってしまいます。このときになって「末摘花」の意味がやっと解りました。花弁を摘んだ後にまた花弁が出てくるのですね。

 駒ヶ根に工房を移した頃、長野県手描友禅組合の役員の方が見え、長野で新しい草木染めの技法が開発されたことを聞かされ、早速組合に入会しました。長野県情報技術試験場での講習会に参加させていただきました。このときお会いし、紹介されましたのが佐々木技師でございます。白衣をまとい、髪の毛は真っ黒く小さくまとめて、終始笑顔、典型的な科学者タイプに見えました。これが、佐々木技師の私の第一印象です。
 一般に、天然染料は媒染の工程があるので、筆にのせての友禅指しがとても困難です。ところが、この佐々木技師が素晴らしい技法を開発したのです。通常は、ほとんどの草木染め染料では、染色を行う染色工程と、媒染工程の2工程を、1回の工程で、染めれるようにしたのです。これにより、より自由度の高い草木染め友禅ができるようになったのです。大自然の恵みを生かして自分で一から作った色で、表現できるようになったのです。
 使える植物染料はなかなか見つかりません。「手にいれ安さ」「発色性」「堅牢性」などの条件がそろわないと使えません。身近な植物のほとんどは、黄色、茶色、灰色で、赤、紫、青などの色に染まる物は、なかなか見つかりません、特によくありそうな赤などの色のほとんどは、すぐに壊れてしまうカロチンなどの栄養素なことが多く本当に使える物はごく希です。また紫米のように色素よりミネラル分が多いためすでに媒染された状態のため水に溶けず抽出が困難なものも有ります。

 ここで実際に私が探した染料の一部を紹介させていただきます。
 待宵草を鉄媒染で墨色を出すつもりで、主人とふたりで、待宵草を採集しその全草を刻み、5回から6回煮出しを繰り返した染液を合わせて煮詰め鉄媒染で墨色を出しました。この染料を使い綿のハンカチの上に花を描き、速く乾燥させるために、アイロンをかけました。そしてよく乾いたハンカチを持とうとしたところ、この染料を使った箇所だけハンカチの繊維が、腐食して抜け落ちてしまったのです。どうやら鉄分で媒染されたハンカチの繊維に染料の糊分とアイロンの熱が加わり激しく反応が進んでしまったようなのです。天然繊維に鉄分はあまりよくないと聞いてはいましたがこれ程のこととは想いませんでした。以後私の友禅では、鉄媒染は使用していません。
 家の周りの土手で、ススキの穂が出る直前に葉を刈り取り、細かく刻み乾燥させました。出来た物を早速煮出しましたところ、予め聞いていた、良い緑色が出ません、どうしても赤みの濁った色になってしまうのです。次に地元の天竜川の河原で採集したススキで染めたところ、やっと綺麗な裏葉色が出ました。取った場所の標高はほとんど変わりません。これほど草木の色素が土目に影響されるとは思いませんでした。
 この辺で一般に「榊」として使われている冬青の葉で色を出しました。この冬青は、9月から冬の間染めると、赤系の綺麗な色が出るのです。初めてこの冬青で染めた色はとても綺麗な色でした、ところが次の年同じ場所の違う木から取った葉で煮出したところ、いくらに煮てもちっとも色が出てこないのです。あきらめて去年取った木の葉でもう一度煮出しましたところ、ちゃんと色が出るのです。もちろんどちらも確かに冬青の木でした。ところがよくよく見ますと、色のでる冬青は葉の軸が赤く染まっていて中には葉まで赤くなっているのもありました。一方染まらなかった葉は、赤みが全くなく青々としていました。もちろんどちらもほとんど同じ場所に生えていました。少しの違いでこれほど違うのかと、驚きました。
 植物染料の色は化学染料の色とは大きく違います。それは、化学染料の人工的な色は、単調、純粋で2・3色程度の簡単な混色ではすぐ飽きてしまうような色しか出せません、しかも容易にそれぞれがけんかし下手に混ぜると濁った汚い色になってしまいます。しかし植物染料はすでに、それぞれの色の中に様々な色素が含まれているために、それ自身完成した色なのです。でも、毎年違う色になるので、自分の思った色に染めるのにとても苦労します。

 2004年2月フランスのルーブル美術館での、「美の解放展」に草木染め訪問着を出品いたしました。作品の題名は、「紅葉盛装」です。大変高い評価をいただきまして。日仏文化交流のお役に立てたことは大きな喜びと共に、言葉では言い表すことが出来ないくらい感激と感謝を申し上げます。

 どこの国でもその国の民族衣装は大変大切にされています。着物を愛し仕事を愛し続けてもう60年近くになります。私の創作、夢は未知への憧れ、その思いは女の一生にも等しく、悲しみも、喜びも、愛することも、色彩も一本の筆に託して学び得たものでございます。先人たちが、着るものの移り変わりと共に、染めの技法の伝統を築いて参りました。そして今日まで、その美しい着物の伝統が守られてきました。辻が花から糊友禅への美しい手描きの世界は日本独自のものでございます。私は、その染めの技法の伝統をふまえて、さらに新しい技法を試みながら今日まで歩んで参りました。これからも着物を愛しきてくださる方と一緒になって創り上げていきたいと思っております。
 私は60年近く着物文化に携わって参りましたが、これほど日本芸術文化に着物の役割の大切さは計り知れない物があることに気付かされた次第でございます。
 以上、下手でございますが、終わりでございます。

司会:どうもありがとうございました。前田さん、せっかく展示されているので……。

前田:(春蘭の羽織を指して)これは葛の葉です。葛の葉でこれを染めたんです。2回染めをやっています。(下前側を指して)そしてこちらがログウッドで染めた藍色なんですね。[文字を]蝋描きしてこういう柄に(木目の柄)染めてみました。(板の上に置いて)こう すり込んだものです。昔もすり込んでいると言っていますけれど、私もすり込んでみたんです、色を。板の上に乗せましてね、そうしますとこういうすりが出るんです。

 (上前側に戻って)こちらは蝋で描いたものです。草木染友禅で染めもやるんですけれども、私どものやり方は同時媒染でやるものですから、筆とかハケで染められるんです。それで3回染められるんです。2回染めたのがこの色になったんです。

 (王朝之彩飾を指して)これは王朝の色目とか、江戸の色目、王朝の色目が……。これが重ね色の、高島先生が10年かかってつくった王朝の色と3部作(の一冊)、これが全部草木染なんです。そのときに残ってい(る技法を持つ)た方がやって染めたものなんですね。日本の本当の色というものを残したいということで作り上げた色なんです。
それで、王朝の重ね色。これが春なんです。こちらが冬の重ね色。これが秋の重ね色です。この中に王朝の説明が全部入っているんです。王朝の時代の歌も入れながら、その歌の中から万葉とか、いろんな歌からこの色目を出しているんです。

 (江戸之彩飾の解説書を示して)江戸になってからも、色帳……これは色帳じやない、説明書なんですけど、本が重いので持ってこられないので説明書だけ持ってきたんです。これに全部……。
 それで友禅ということは、江戸時代の半ばのお坊さんなんですよね、友禅斎って。非常にびっくりしました、本を調べていまして。お坊さんが知恩院にいまして、五条の橋(のたもとで)で扇面の絵をかいていたんですね。それを今度は呉服商が着物に絵をかかせることをやって、それが友禅の始まりなんです。ですから非常に歴史があります。

司会:どうもありがとうございました。ただいまのご報告に対してご質問等ございましたらどうぞ。特になければ、これで前田先生のご報告を終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
前田:ありがとうございました。


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