各地の事例報告−5−

1.織物参考館“紫”  2.羽村市郷土博物館  3.グンゼ博物苑・グンゼ記念館

4.穂高町天蚕センター  5.城川町天蚕センター  6.織元 田勇 織・染ギャラリー


織物参考館“紫”
(群馬県桐生市)

織物参考館“紫”代表 森島純男

 ただいま御紹介いただきました、織物の町桐生の織物参考館“紫(ゆかり)”という施設をやっております、森島と申します。よろしくお願いします。私どもの館はことしで20年になりまして、ことしの5月3日で20年になります。私の趣味でつくった館で、援助は一切受けておりません。個人的趣味でやっております。
 我が町桐生は、「西の西陣・東の桐生」というような、代表的な織物の町として栄えてきたわけですけれども、繊維産業がだんだん落ち目になってきたということもありまして、そんな中で、実は私どもは明治10年からこの地で織物工場をやっておりまして、織物工場をやっていたときには現在の天皇陛下、高松宮殿下、浩宮殿下等に来ていただきまして、工場見学をしていただきました。こののこぎり屋根の工場です。織機が70台くらい入っておりまして、大量生産をしていたわけですけれども、そのころ、ちょうど、通商産業省だったと思いますけれども織機の買い上げというのがありまして、買い上げていただいて、そこを全部平らにしてしまいまして、何かやろうということで考えているときに、おやじが昭和53年に亡くなってしまいました。おやじがやるものだと思っていたことを、何をやるのかということもわからずに、博物館でもやろうかということで、それから3年間かけて、この岡谷の蚕糸博物館にも3回くらい見に来まして、あちこちの繊維の博物館にお邪魔してつくった博物館であります。
 当初から、見ていただいておわかりのとおり、すべてオープン展示にしておりまして、全部触ってください、機織りしてください、壊しても結構です、糸を切っても結構ですと、先ほどどなたかが言っていましたけれども大変なことなんですけれども、私どもは織物業者ですから、それを大変としていたのではよそと差がつかないということで、現在でもそのスタンスでやっております。その代わり、ただ人を入れてしまいますと全くぐちゃぐちゃになってしまいますので、1人の人が来ても1人の案内人をつけます。10人が来ても1人の案内人をつけます。30人が来ても1人の案内人をつけます。必ず、私どもの方で人間が人間をコントロールします。そして、その人間が必ず機織りや染めや座繰りなんかも当然やっておりますから、動かすようにするということで基本的には動かしてみせる、そしてやってみてもらうというということを最初からやっております。
 ところが、そのことが非常にコストがかかりまして、今から7年ほど前に余りお金がかかるので銀行の方から「もうやめたらどうですか」というお指図がありました。「森島君の言っていることは理想はいいけれども、実際に年間2,000万円以上損をするのはどうなんだ」ということで、実はやめるわけだったのです。その時にもう銀行がお金を貸してくれないし、地べたは2,000坪くらいあるから、町の真ん中で地べたを売ればいいという銀行の考えだったわけです。そうしなきゃならないんだと思ったんですけれども、その前に、行政に買ってもらおうかということで相談に行きました。そうしたら、当時の市長が機械金属の出身の方だったので、織物のことがわからないということで、織物協同組合というところに話をかけて、ああいう施設を桐生市に大切かどうか議論しろということで、そのことがなされたわけです。それは、ちょっとよくわかりませんけれども、そうしたら「あの森島のぼんぼんが大赤字を出した施設を何で行政が肩代わりしなきゃならないんだ」ということで、行政は買わない、運営しないということになったんだそうです。その後、全く返事がなくて、私どもとしては、やめるしかないということで、実はやめるわけだったんです。
 ところが、それまで2万人くらいしか見学者が来ていなかったのですが、その年から6万人くらいになりまして、一気にやっていけるようになりました。博物館の閉店セールというのが当たるというのは、このことかと思っておりまして、なぜか全くわかりません。ただ、本当に約6万人くらいになったんです。ほとんどは小学校でふえまして、小学校がそれまでは120〜130校くらいだったのが、その年から一挙に400校ぐらいの小学校が見学に来てくれるようになりました。非常に長くやって、宣伝をしてきたことが蓄積されたことで見学者がふえたのかなと。その後7年間くらい、何とかやっています。ところが、この資料にも書きましたように、小学校の数はどんどんふえて、500校くらいになっているんですけれども、少子化で子供の数が毎年1割くらいずつ減っていっちゃうんです。それで、この少子化が非常に問題でして、私どもとしては何とか子供をたくさん産んでくれないかという考えにありまして、ぜひ、子供をたくさん作っていただきたいと思っているわけです。
 最近ですと、とにかく桐生まで東京から2時間くらいということもありまして、東京の小学校なんかが非常に増えているんです。ところが、東京の小学校、25人とか30人くらいの1クラスくらいしかないんです。ですから、実際には、例えば150人とかいうくらいの学校の単位で来てくれた方が私どもとしては効率がいいわけですから、そういうことを望んでいるわけですけれども、なかなかそうはいかなくて、25人とか、そういうふうな子供たちの単位で、少子化にちょっと困っているということがあります。
 そんなこともありまして、博物館で飯を食うのが大変だというのが実感であります。こんなことを実はやらなきゃよかったかなということもありまして、今日、こちらへ出かけてきたわけです。実は20周年に何をやろうかということで、群馬にあります碓氷製糸農業協同組合という製糸工場に、今は普通21中、28中の糸しかないものですから、昨年14中の糸を引いていただきました。そして、桐生でそれまでずっとやっていたお召しというものをつくる八丁撚糸という撚糸機が存在して動いていたんですが、ここ6年ほど前に終わってしまいましたので、八丁撚糸の工場をつくっておりまして、今稼働し始めました。大正から昭和の初期にかけて、いいお召しができた桐生のものを復元をしようということで、あと1カ月くらいしたら、復元した桐生の代表的なお召しがつくれるのかなということで、今、取り組んでおる最中でございます。できましたら、ぜひご覧いただけばありがたいということで、今までの皆さん方のお話と全く違う話で申し訳ありませんけれども、そんなことで、どうぞよろしくお願いします。


羽村市郷土博物館
(東京県羽村市)

羽村市郷土博物館学芸員 宮沢賢臣

   羽村市郷土博物館の宮沢といいます。羽村の養蚕関係のお話をさせていただきたいと思います。羽村市郷土博物館は、昭和60年に開館いたしまして、平成9年度にリニューアルをしました。郷土博物館なもので、養蚕だけの展示をしているわけではなくて、「多摩川とともに」というテーマと、「玉川上水を守る」というテーマと、「農村から都市へ」というテーマと、「中里介山の世界」という4つのテーマで展示をしておりまして、その中の1つ、「農村から都市へ」というテーマで養蚕の展示をしております。
 事業といたしましては、お配りしております中に、2冊展示解説の資料をお配りをしてあるかと思うのですが、平成12年度に「農村の挑戦」という特別展を企画いたしました。羽村は多摩のちっちゃな農村ですので、そこからどういうふうに発展したかというのを企画しまして、その1番は蚕だろうということで、蚕の交流から話を始めて展示をいたしました。
 その中で体験学習としまして、岡谷に会社のあります新増澤工業株式会社というところから古い時代の、踏み取りと呼ばれている繰糸機を復元して売ってくれるというので、それを大枚はたいて買いまして、踏み取りの繰糸機から糸を引く事業をやりました。それとは別に、都の養蚕試験場が機構改革でなくなっていくということで、秋川というところ、今三宅島の子供たちが行っている秋川高校のあるところですが、そこに試験場があったんですが、それが閉鎖されるということで9,000点余りの資料を一括して、なぜか羽村の郷土博物館でいただきました。先ほども出ましたけれども、日産がつくった、大きな自動糸繰り機ですとか、そういうのもいただきまして、非常に養蚕関係の資料は充実しているところであります。
 展示をしてある資料は、これはまた8,000点くらいです。東京都の指定文化財に指定されておりまして、すべて羽村で使っていたものが、そこに残っているということは大変珍しいということで、東京都の有形民俗文化財に平成8年に指定を受けております。そういうような展示をしていますけれども、特に蚕とか養蚕とか蚕糸とかという専門の博物館ではありませんので、きょうこの場に寄せていただいていろいろな情報をお聞きして、これからまた、展示に生かしていきたいと思っております。簡単ですが、終わらせていただきます。


グンゼ博物苑・グンゼ記念館
(京都府綾部市)

グンゼ株式会社人事部 木下豊暉

 特に資料も持っておりませんので、とりあえず参加させていただいた、昨日からの感想という形でお話しさせてもらいます。
 昨日からいろいろと発表をお聞きしていると、国のいろいろな機関とか、あるいは県とか市が公的に運営されている博物館とか、資料館というのが多かったように思うんですけれども、私どものところは企業ミュージアムというのが非常に特徴じゃないかと思ってお聞きしました。
 ちょっと会社の紹介、グンゼ博物苑の紹介をちょっとします。今から5年前に私どもの会社が、ちょうど創業100周年ということで、記念事業としてグンゼ博物苑というのをつくりました。内容としてはグンゼ博物苑の中に、1つはグンゼの100年の歩みを紹介した「グンゼ記念館」というのがあり、今画面に出ておりますけれども、ああいう建物の中にいろいろ歴史を紹介しております。もう1つが「グンゼ博物苑」でして、3つの蔵があり、その1つに「絹蔵」というものがあります。絹は私どもの創業の事業であります。今綾部市といっておりますけれども、当時この地方は何鹿(いかるが)郡というところだったんですけれども、もともとは会社の方針が何鹿郡の産業を振興するという方針のもとに会社がつくられました。国是、県是、郡是、村是とか、いろいろ言葉がずっとあるんですけれども、郡の方針としてつくられた会社ということで、漢字で郡是と書きまして、今日はカタカナでグンゼになっておりますけれども、そういう方針でつくられたということで、絹蔵というのが1番メインであります。そのほか、事業をずっと多角化していく中で、ストッキングをいろいろ紹介しております「靴下蔵」。今、画面にもちょっと出していただいておりますけれども、こういうストッキングを紹介をしておる蔵です。それから、もう1つは今日、会社の後半50年間特に主力事業になっておりました、肌着の「メリヤス蔵」という蔵があります。そういう3つの蔵が特徴的にあるということであります。そのほかにも「桑の苑」とかいいまして、桑の木を約500種類で2,000本ほど植えてあるんですけれども、それが非常に特徴的なところではないかと思います。
 先ほども言いましたように、私どものところは企業ミュージアムというところで、運営が私自身もそうなんですけれども、会社の仕事と博物苑の運営とを兼務でやっているというところが特徴じゃないかと思います。実際、私自身も会社の人事というところで研修の担当というか、そういうことをやっているんですけれども、両方でやっているということです。
 それから、グンゼの博物苑で、もう1つだけ「集い蔵」という蔵があるんですけれども、110坪くらいの広さでイベントホールにしてあります。そこで、現在は、地元の綾部市の教育委員会の生涯学習課というところとタイアップして、綾部市のいろいろ芸術活動をしておられる方の芸術家の作家の方々の作品展を紹介するということで、非常に文化の発信基地みたいな感じで利用していただくと。グンゼは、綾部市が創業の地でありますので、そこにいろいろ地元にお世話になっているということで、一緒にタイアップさせてもらって事業をやっているというのが、非常に特徴的なところじゃないかと思います。
 いずれにしましても、絹蔵というのが今回シルクミュージアムというところで寄せていただいたんですけれども、見学される方も、非常に興味を持たれて見られますので、私どもも昨年、絹蔵の中で1つだけ繰糸するのがわかるような感じで製糸の実演装置をつくりましたので、それがちょっと特徴的かと思います。
 今回寄せていただいて、いろいろなお願いといいますか、提案なんですけれども、1つはやはり生糸とか繭に関するいろいろなデータ、数字、あるいは養蚕家の方の数がどうだとかいうのが、なかなかつかめないものですから、そういったもののデータベースみたいなものがどこかでわかればありがたいなということと、アンケートを昨日も読ませていただくと、こういうものを通じていろいろ皆さん書いておられますので、私どもも、ぜひいろいろなこういう機会を何回か通して、場所を変えたりしてやっていただけると、またお互いに見聞きして知ることもできますので、何度か重ねていかれたらありがたいと思いました。長くなりましたけれども、以上で終わります。


穂高町天蚕センター
(長野県穂高町)

穂高町穂高町商工観光課商工特産係 上條幸宏 

 おはようございます。穂高町商工観光課商工特産係の上條と申します。皆様方と違いまして、博物館とか、そういう形態をとっておりませんので、入館料も無料です。機械とかそういうのも少ないものですから、展示してあるものも、ほとんど5分も見れば、「あ、終わりかな」という、本当に小規模な施設でございます。私も天蚕の担当というだけでありまして、日ごろは違う仕事の方もやっておりますので、ほとんど管理人にそちらの方は任せているような状態ですので、こういうところに本当は呼ばれて聞かれたら何と答えようか、頭の中でぐるぐるまわって、2日目はちょっと遠慮させてもらおうかと思ったんですが、それでも「行ってこい」ということで、業務命令ですので、ここにいるのですが、城川の町役場さんとも我々2人はここに呼ばれていいんだろうかと、ちょっと違うところに来てしまったんではないかと昨日もそんなようなことで、2人で笑っているところです。
 御存じの通り、天蚕繭は年に1回しか取れない貴重品でもありますので、どうしても生産コストがかかってしまいます。グラム700円ということで設定してありますが、バブルの時代にはこれが飛ぶように売れて、あちこちの県から繭を買って穂高産だといって売っていたなんて、冗談半分な話も聞いたことがありますが、このような不景気な時代ですので、かなり在庫がたまっておりまして、これをいかに買ってもらって議会に怒られないようにするか・・・・。「この産業をどうするんだ」と、よく議会の方からも怒られるようです。私の上司たちは議会対策で「おい、どこか行って、少し売ってこいよ」「そんなグラム700円もするものがそうほいほいと売れるわけがないでしょう」と、よく上司とも話をするんですが、そのくらい不景気な時代なものですから、買ってもらえません。
 また、飼育する方、糸を繰る方、織る方、皆さん年をとられまして、「そろそろ年をとったからやめさせてくれないか」と言う。「そこを何とかやってくれ」「いや、儲からないから嫌だ」と言われますので、かなり町の方からも財政的に負担をして細々とやっておりますので、これから10〜15年後に、穂高の天蚕というものが存続しているのかどうなのか、本当に微妙なところでありまして、この会が続いているうちに途中でなくなったら、「ああ、穂高は天蚕をやめたんだな」と思っていただいていいかも知れない、そんな、今ちょうど岐路に立たされているような状態であります。
 あとは、施設の方も古いものですから、これを改修とか建て替えとしたいと思うんですが、お金がないものですから、町当局も修理して使えというんですが、修理代もなかなか工面できません。屋根の葺き替えでもするかと言っているんですが、お金も予算づけがされませんので、頭が痛いような状態であります。入館料を取っていないもので、これからも入館料がとりづらいものですから、これからどうやっていくのか、専門の担当者がおりませんので、こういうところにこれからと言われると頭の痛い状態であります。  甚だ簡単ですが、このような説明で終わらせていただきます。ありがとうございました。


城川町天蚕センター
(愛媛県城川町)

城川町農林課農業振興係長 高橋 司

 皆さん、おはようございます。私、昨晩御紹介いただきました、愛媛県の城川町から参りました。四国山脈の山の方にあります。今朝、かみさんから電話がありまして「うちの町、10センチくらい雪が積もっているよ」というようなところです。
 ちょうど、今、穂高町さんが言われましたように、ちょうど穂高町さんの天蚕センターをもう1周り小さくしたような施設がうちの町の天蚕センターです。もちろん、ミュージアム形式ではございませんので、あくまでも農業の振興が目的で建てられたものですから、教育委員会ではなく、農林課の方で担当させていただいております。ちょうど、この部屋の半分くらいの大きさの施設ですので、主にそこでは天蚕の繭から糸にするというようなことをやっております。
 スタッフは、常勤といいますか、1名と、臨時1名でやっておりますが、この1名の方は東京出身の方で、織物に興味があると言われるようなことで、ターンで、うちの町に来ていただきました女性です。一応その女性の方は、うちの町に産業開発公社という第三セクターがあるんですけれども、そこの職員という形で、町がその公社に職員の配置を委託しているというような形で、形式的には運営しております。大体年間の経費が、人件費、そういう委託料も含めまして、600万円程度の小さな規模でやっております。
 天蚕ですけれども、天蚕の卵を県の農業試験場から1個1円で購入します。それを町から天蚕農家に無償で配布いたしまして、それを農家に育てていただき、できた天蚕の繭を1個45円で町が買い入れします。それを製品化して売るというようなことで始まっておりますが、先ほど穂高町さんも言われましたように、農家が大変高齢化いたしまして、うちの町は、天蚕に関しては12〜3年の歴史しかないんですけれども、始められた農家が、そのまま年をとっていくというようなことで、今、4戸の農家でやっていただいておりますが、実際、ある程度力を入れてやっていただいている農家は、その中でもたった1戸になっております。そういったことで、天蚕を飼っていただく農家が減ったということが、農業の振興を目的とした天蚕センターにとっては、1番頭を抱えている問題です。
 糸にしたものを天蚕センターで町のおみやげ的な形で、小物の一部分に使ったりするような研究もこの女性の方にやっていただいております。今、天蚕の糸を京都にある業者さんとタイアップしまして、ネクタイの1部分に天蚕の糸を使用していただいて、それを町の特産品センターとか、あるいは東京のジャパンシルクセンターさんにも昨年から置かせていただいております。そういうことで、少しネクタイを売って、そういうお金も経費の中に繰り入れしております。それから、天蚕ですけれども、私たち町職員も農家が大変なものですから私たちもやってみるかということで、天蚕農家の場所を借りまして、網かけて、卵をつけたりしたのですけれども、やはり特に天蚕は天敵が多くて、小さい卵から孵ってすぐの時はアマガエルやアリに食べられます。そして、ある程度大きくなると鳥にやられます。ネットを張った場所で飼っておりますと鳥の方は防げますが、アマガエルがこの中でも一番防ぎようがないので歩留まりが悪い状況です。ですから、今月末には農業新聞に天蚕の人工飼料のことが載っておりましたので、うちの課長と一緒に群馬県の方まで勉強しに行こうかと考えております。そういったことで、本当は細々とやっている状況なのですが、機械等なかなか頭が痛い問題です。しかし、せっかくここまでやってきて皆さんとも昨日お会いして、色々パワーをいただきましたので、また帰って、前向きに頑張ってみたいと思います。以上です。終わります。


織元 田勇織・染ギャラリー
(京都府網野町)

田勇機業株式会社社長 田茂井勇治

 丹後から来ました、田勇機業でございます。機屋でございますが、これも、このシルクミュージアムサミットに、なぜ私がご招待を受けたのかなあと思いまして、いろいろと着きましてからお話を聞きましたら、やっていることがミュージアムとか、それからまた、このような博物苑だとかそういうことでは全然ございません。
 今、うちがやっておりますのは、製糸から糸が入ってきまして、糸繰りから撚糸、整経、全部織機も稼働しております。その現状を見ていただきながら丹後ちりめんを理解していただくということです。実は本社の事務所が昭和3年の地震でつぶれたものを建て替えてやっておりましたので、ぼろぼろだったんでございます。父も亡くなり、母も亡くなりしましたものですから、次に3代目が帰ってきましたので、平成6年に思い切って建て替えをやったということでございます。そういうことをやりますと、完全に工場の中の基礎積みでございますので、防火設備を備えたものでないとだめだということで確認申請がおりなかったものですから、思い切って将来を見据えながら、将来は、やはりお客さんに近づいた形での企業でないと残れないという、私は持論を持っておるわけでございます。というのも、丹後ちりめんは製品であって商品でないという位置づけで、私はおるものですから、商品にするには、どうしてもそこに友禅とか、染めをかけなければだめでございます。
 それで、20年ほど前からそういうようなことで、丹後織物工業組合の理事をしたときも、将来ビジョンの委員長をしたことがありましたから、ずいぶんとあちこちを調査して出したわけです。その当時、事業団からやったことについて助成金をたくさん丹後にいただいたというような状況でございます。そういうことをしておりますと、当時はやはり1,000万反という生産規模でございました。平成12年度が128万反、ことしの予算が112万反の予算で丹後織物工業組合は組んでおります。ところが、112万反といいますと、今、3加工場ございます。合繊の加工場と、本絹広幅、それから小幅専門の網野加工場。現在、網野加工場の閉鎖の問題が起きております。そこで我々は、一貫作業をしておる網野地方が1番生産基盤が強いものですから、猛反対をしているわけでございますけれども、組合の運営上、どうしてもいかないということで、大変な時期になっております。そういうようなことを踏まえて、商品にするにはどうしたらいいかということを、常々考えて染めの方も現在やっております。
 また、友禅の方も網野加工場の横に引き染めの工場を持っております。これはすべてが環境は自動で、1年間同じ条件で染めができます。それから染めも4級以上の堅牢度ということで、染料も吟味してやっております。そういうことをやっておりますと、やはり商品を自分の手でつくって、見ていただいて批判を受けて、そしてまた、それを買っていただきながら喜んでいただくという、シルクの神秘ということを昨日お聞かせ願ったわけですが、それをどう説明したらというので・・・。うちの方はカニがあるものですから、11月から3月まで、網野地区には、カニツアーの観光客がバスで、50万人ほど来られます。ところが、カニを食べたらすっと帰ってしまうということです。見るところもないわけですが、そういうお客さんがどう来るかなと。特にアクセスが、それこそ日本の孤島のようなところで、京都から3時間かかりますから、東京から来ていただくのには6〜7時間くらいかからなきゃ丹後に着かないというような最北端の町でございますので、皆さんのお話を聞いておると、うらやましいような条件の中でしておられますので、そういうハンディを持ったものをどうするんだということです。そうならインターネットもこれからどんどん活用したらどうかというので、そういうこともやっていますけれども、大変そういう増客をどうするかということが、1番の頭痛でございます。
 そういうことで、観光客は実際に目で見、触ってみる。おそらくうちに来てびっくりされるのは、縦糸を見ていただきましても、3,800本、7,200本くらいの糸に節が1個もございません。そこまで吟味した糸で、縦はやっております。抜きの方は糸繰りますと、八丁撚糸をかけます。それからまた、糸も先染めをして、それを今度は八丁撚糸かけるというお召し抜きをつくり出すという、これはフルカラーでございますけれども、それも実用新案をとっております。そういうようなことを続けて、どんどん新商品開発をやっていこうという努力をしております。
 このギャラリーの方では色だとか、デザイン、すべて女性が担当しております。そういうことで、彼らにこれからの期待は大きいわけですが、非常に勉強を絶えずしていないと、色と商品の出来というものは、全然お客さんにそっぽを向かれます。1番は、来られた人にも作品を見ていただきながら御意見を聞いたり、アイデアを出していただいたり、そういうことで、お客さんも一緒になってものづくりをしていただくということで、着物の方もこの生地にはあなたの思う染め、柄をつけて、あなただけの着物をつくってあげますということで、染めの方も注文がありましたら、全部受けてやっておるということです。特に着物離れしておりますので、この辺が非常に本業のものがどんどんと細っておるというのが、丹後の現状でございます。
 そういうことで、ここへ私が来ておりますのも、これはうちで織りまして、全部ハイパーシルク加工というのを織物指導所と丹後織物工業組合が開発いたしましたので、それを活用しますと、ケバ、擦れ、こういうものが防げます。こういうような新しい技術を開発していますので、特にスーツ系統のものには充分いけると。それから撥水加工もあわせてできておりますので、少々雨が降っても大丈夫でございます。それで帽子だとか、こうもり傘だとか、全部シルクにこだわったもので、今後も続けていきたいと思っております。それが現状でございます。
 さて、ここのいろいろとアンケートの中に書いておりますけれども、子供たちとのつながりというのは、網野中学校というのは京都府の指定学校で、縫製の方をテストで4年ほど前からやっております。これは浴衣を縫って、夏祭りに着るということを進めております。それから、小学校の方は私も育友副会長をしていた関係で、最近は5年生の科目の中に、地場産業の勉強ということで来られます。そこで、織りと友禅、ハンカチでございます。シルクスクリーンで大体型をつくっておきます。そこに塗り絵のような形で思い思いの色と柄をかいて、体験すると。それからまたずっと「丹後ちりめんのできるまで」というビデオを見てもらいまして、そこで認識をしながら工場見学をします。また、染めをやるということで、今年も次の13日に卒業生が全員来られて、学校のシンボル像の平和の像をモチーフにした図柄で、これがフロッピーで柄が織り出せるようにしてあります。それを全員が、一応全部フロッピーの操作から織機を動かします。全部織機を動かすのはボタンで動きます。そんなようなことで、体験もして、また、ハンカチ染めで友禅も体験してやるということです。特にうちのデザインシステムの中には島精機のものが入っておりますので、柄から色から、さっと変わるようなものも中学生には見せましたら、じっとくぎ付けになって、離れるようなことがありません。そういう1番最先端のメディアを体験しながら今後、その子たちがどう産地の丹後ちりめんを支えていき、伸ばしていってくれるのかなという期待も込めながら、それをすべて無料でございます。全部そういうことで、やっております。これはできる限り続けたいと思っております。
 その学校の横に800坪の土地があるものですから、昨日もお願いしておったんですけれども、フナメ、うちの方は桑の実をフナメというんですけれども、実の大きくなる桑の木を開発していただけないかと思ってお願いしておったんです。それを5〜6本ほど植えて、各学年ごとに1本ずつ渡して、蚕の飼いたい子供たちが出だしたら、それのお世話になって・・・・。6年ほど前にそのことを取り上げてやられた育友会長さんもおられました。これからは蚕の毛蚕から繭ができて、糸になるという工程をミニのっちっちゃいものでよろしいので、そういうものを取り入れたいと思います。シルクにこだわって、今後やろうと思っております。どうしても、そういうことを子供たちにも、観光の人にわかってもらわないと、今の形を見ておりますと、こういうシルクミュージアムサミットのように、資料館だとか博物館、この形でしか21世紀の絹は残らないのかと思って、本当に寂しい思いがします。
 どうか皆さんにシルクが日本の中からなくならないように。本当に、製糸の方も経営的には全然成り立たないと思っております。グローバル化ということで、中国から、ほかの国からも、輸入の白生地も100万反から1,000万反くらい入ってきております。そういうようなことでございます。それから一元化輸入でいただいておる糸、このことにつきましても、平成4年には完全に自由化になるというWTOの動きの中で、中国がどういう動きをするのかという、いよいよ中国にすべてを牛耳られるというようなことが出て、丹後がどんどん減少してくるというような現状でございます。そういう中で、どう丹後の中で、シルクにこだわった会社として残れるのかなと、次の世代にどうバトンタッチしたらいいのかなとその悩みばかりが強うございまして、きょうお邪魔していろいろと皆さんの御意見や、それに携わる人たちの手をつないで、日本の絹業をどう残すかということができたらと思って、恥を忍んで出てきて、丹後の現状についてお話をしたということでございます。そういうことで、次の世代に、どう私たちが受け継がせるような環境づくりをすることが、私たちの責任だと思っております。以上でございます。