活動事例報告

 1.「上州座繰り」について(群馬県繭糸技術センター 茶谷 芳久)
2.上州座繰りとの出会い(碓氷製糸農業協同組合 中野 紘子)
3.穂高町の天蚕業について(穂高町商工観光課 上條 幸宏)
4.地場染織技法の継承をめざして−八工染織資料室活動−(八王子工業高等学校染織資料室 村野 圭市)
5.文化財修理における東京シルクの実用例(多摩シルクライフ21研究会 中島 洋一)
6.痴呆性老人のセラピーとしての絹糸昆虫の利用(フラワービラ 服部 充)
7.絹の素材づくり工房をはじめるまでの経緯(染織工房ちば 片桐 和子)
8.ファイバーワークによるインスタレーション(素材はすべて多様な絹)(染織工房「慶」 小口 慶子)
9.座繰り糸に学ぶ織物作り(工房 銀の糸 米山 妙子)
10.人・織・糸との出会い(Handweaving-hiro 松本 浩子)
11.千葉県における細繊度繭生産の現状(千葉県農業総合研究センター 内野 憲

司会(高林):わが国の各地には、養蚕・製糸・織り染め等に関する伝統的文化と技術が今も息づいており、それらを伝承する博物館・資料館も多数活動しています。また、近年、生活に潤いとゆとりを求める個人やグループを中心に、染織ばかりでなく、養蚕や製糸まで手がける活動が多く見られるようになってきております。
 そういった方々とのつながりを持ちながら、蚕糸技術の継承並びに発展をさせていきたいという趣旨で、このシルク・サミットを開催しているわけです。一昨年に岡谷で第1回のシルクミュージアム・サミットを開催いたしまして、ここにも掲載してありますように、シルク関係の博物館、資料館が全国に50数カ所ございます。そういった博物館を核として地域の方々と蚕糸を通じた接触を持ち、またアンテナショップといたしまして、シルクに関するいろいろな活動、どのようにやっていったらいいのかという悩みなど、私どもとしてはいろいろ聞きたいと考えております。その中で、農業生物研といたしましては、それを地域に還元し、また私どもの研究にとっての材料にもしていきたいということで行っております。
 初めて行うわけですが、私どもからお願いをして、11名の方に、本日、事例報告をやっていただくことになりました。来年からはもっと活発に、皆さんの方からこれに積極的に参加をしていただいて、ご提案をいただきたいと思っております。
 それでは、これより事例報告を始めさせていただきたいと思います。


座長(木下):おはようございます。それでは、これから活動事例報告を開始したいと思います。進行を努めさせていただきます、農業生物資源研究所の木下と岡田です。よろしくお願いいたします。
 早速、1番目の課題に入りたいと思います。「上州座繰りについて」、群馬県繭糸技術センターの茶谷さんから、報告をお願いしたいと思います。

1.「上州座繰り」について

群馬県繭糸技術センター 茶谷芳久

 これから、繭糸技術センターで取り組んできた上州座繰について報告したいと思います。
 ここに糸を持ってきました。私は回すことはできませんが、この2本の糸を見ていただきたいと思います。これは一応同じ重量の糸です。こちらが一般的な生糸で、高速回転で引かれて、糸が伸びきってしまっています。通称&ldquo針金生糸&rdquoと呼ばれているものです。
 それに比べて、こちらが当センターの講習会で作られた座繰の糸です。定粒繰糸法で引いて、座繰器を使って手でゆっくり引くことによって、空気を含み、ふっくらして軽く光沢のある生糸になっています。
 上州座繰器は、江戸時代寛政年間に、木製の機器として互いに噛み合った歯車によってハンドルを回すことで、小枠に動力が伝わり、加速する機器として群馬県で発明されました。座繰器の中には絡交装置があり、小枠に生糸を平均的に巻き取ります。品質向上の点から生糸の抱合を高め、毛つけが導入されました。現在ではここについている鼓に改良されています。
 これは左手で回すものですが、ハンドルを持つ手が右手から左手に移ったことによって、ハンドルを回す作業専門になりました。このことで大きな技術の革新と、品質が向上しました。
 上州座繰には製糸用と染織用の2種類に分かれます。ここにハンドルがありますが、製糸用は、ハンドルを1回転することで小枠が7回転前後と4回転半前後に回る2種類に分かれます。7回転前後の座繰器は富岡座繰と呼ばれ、上繭を使用して、輸出用の細糸を引いた碓氷、甘楽地方において使用されました。一方、4回転半前後の座繰器は前橋座繰と呼ばれ、機械製糸場が多く、中・下繭や玉繭の入手が容易だった前橋、中毛地域で普及し、地域の特性を生かして普及してきました。座繰糸は明治時代の輸出産業の花形として日本の近代化を支えましたが、時代の変遷と共に、座繰は機械製糸の普及により激減しました。
 赤城の座繰糸は、赤城の節糸、ぼろ糸、おばやん糸、黒糸などと呼ばれます。現在では、座繰糸の繭糸商が2名、赤城山の山麓を中心に、約60名のおばあちゃんたちによって細々と続けられています。平均年齢は70歳を超え、後継者はほとんどなく、あと10年もすれば貴重な技術が絶えることになります。
 このような状況の中、平成1211月から平成13年3月まで、地方紙の上毛新聞で「世紀をつなぐ繭の記憶」が連載されました。その中で取り上げられた一つが上州座繰です。それを契機に、上州座繰の技術の保存と継承の必要性が伝えられ、上州座繰器を使って座繰糸をつくりたいとの要望が、全国から高まりました。
 群馬県では、上州の伝統技術である上州座繰の生き残りを探って、繭糸技術センターで「座繰糸技術者養成講習会」の開催を平成13年6月から実施し、これまでに18回開催されました。受講者は、北は北海道から西は高知県、島根県の遠方から受講生が訪れ、修了者は、現在のところ176名となっています。養成講習会は4日間、10名の定員で実施しています。
 講習内容は、糸づくり、座繰器の基礎知識を受講後、上州座繰器による生糸製造実習を行います。養成講習の修了者から、「上州座繰器を使って、手でゆっくり引いた糸は、ほかでは作ることのできないすばらしい糸ができた。これは自分のものにしたい。もっと座繰の技術を向上したい」との声が多数寄せられ、上州座繰技術者向上研修を開催することになりました。これまでに、向上者研修は2回開催し、20名の修了生を出しております。
 また、座繰に対する継承意識のある中から、講習会でボランティア活動のできる人たちに、基本的な器具のメンテナンス、繭の煮方、糸づくりの技術を身につける講習会を20日間実施し、ボランティアとして登録し、講習会等に協力してもらっています。
 これからスライドを使って説明したいと思います。お願いします。
 ちょっと見づらいのですが、要望に応じて、養成講習会を始めたころの模様です。最初のころは昔の座繰器(通称・骨董座繰器)を使用していました。しかしながら、修繕しなければ使用できない座繰器ばかりで、糸撚り器の弓もわからず、セッティングに悪戦苦闘しました。次お願いします。
 骨董座繰器の入手が難しかったことで、講習生から上州座繰器を所有したいとの要望により、上州座繰器(前橋座繰器)の復元にも取り組みました。座繰器を乗せる折り畳み式の作業台も完成させました。2社が作りましたが、右側が桐生の機料店で作られたもの、左側が足利の紡織機具店で作られたものです。それぞれ特徴を持った器械です。
 濡れている座繰糸を、小枠から大枠に巻き替える湿式用の揚げ返し器も必要となり、数社の機料店が製作しました。次お願いします。
 鍋を用いて、浮繰煮繭法で煮繭します。繭の品質によって煮繭温度や時間を変えなければ、繭に合った煮繭はできません。次お願いします。
 座繰の実習は、定粒繰糸法で行っています。煮繭した繭から糸口を出して繭の数を決め、糸撚り器の弓を利用して1つに集めます。次お願いします。
 さらに、鼓、鼓車に糸をかけ、繰り手にかけて小枠に巻き取ります。次お願いします。
 これが現在の講習風景です。小枠に巻き取った座繰糸は、揚げ返しをし、口止め、あみそ掛けをして大枠から下ろし、乾燥後、講習会終了日にそれぞれ糸は持ち帰ってもらっております。スライドありがとうございました。
 既に、講習会修了者からは、製糸工場に就職して座繰糸を製造している方、繭糸商の指導の元、半年前から糸を引き始めた方、デザイナー、染織家の中には、自分で座繰糸を引き、製品づくりに生かしている方、座繰糸をつくり、趣味の機織りに使用されている方、学校の総合的学習の時間に座繰を取り入れている方など、講習会の生かし方もさまざまです。
 しかし、よいことばかりではありません。座繰技術の向上は、特に煮繭が難しく、先に進まない方もおります。糸質、生産効率、販売と考えると、課題は多くなっております。
 まとめとして、再度講習会受講の要望が強いため、新たに「上州座繰特別講習会」を本年度初めて計画しております。平成16年3月までに養成講習会と向上者研修をそれぞれ2回ずつ、今後も開催していきたいと思っています。
 評価の高い座繰糸の講習会希望者が多いため、講習会等を通じて座繰糸のすばらしさを、今後も継承していきたいと思っております。なお、今回は時間の都合上、座繰の細かい技術については紹介することはできませんでした。必要な方は講習会に参加していただければと思っております。ご清聴どうもありがとうございました。(拍手)

座長(木下):どうもありがとうございました。時間がまいっておりますが、1つだけご質問をお受けしたいと思います。どうぞ。

元吉野組製絲所工場長・木村:1つだけお聞きします。私も同じ群馬県ですので、座繰糸を再三見かけることがあります。しかし、多くは糸が扁平になっている事例が多いのです。糸が扁平になるのを防止するために、どのような手段を用いておられますか。
 現在出回っている座繰糸は、大体が扁平な状態だと見受けられます。これは丸くなければいけません。その対策をお聞かせください。

茶谷芳久:時間の都合があるので、細かい説明は除きます。講習会のスタイルとしまして、赤城のおばちゃんたちがやっている繰糸法とちょっと異なる方法をとっています。それは、初めて来られる方々が、4日間の講習の中で少しでも上達していただこうという目的です。
 その中で、今言われたように、糸は当然丸くなければならないというのが、糸の概念の中にあります。ですから、先ほど話をした定粒繰糸法を用います。うちの場合は50粒の繭を、鍋ではなくて器に入れます。そして、糸口を50粒入れたら50粒から1本の糸にします。
 扁平にという話がありますが、なるべく撚りをかけたいので、場所によってはケンネル式の撚りを、今の製糸工場で使っている鼓車を使ってもやられております。うちでは、ここにあるように鼓を使ったやり方でやりたいと考えています。ですから、先ほど言った繭から糸撚り器の弓を使って、弓から鼓までということでやります。
 そのときに、その部分でなるべく撚りをかけるため、器の中を手でかき混ぜます。かき混ぜることによって50粒の繭が1つになります。1つになったものが糸撚り器の弓から鼓までの間(約60センチ)をとることによって、糸同士が絡み合います。絡み合うことによって丸くなるという方法をとっています。なるべく、皆様が帰られても使えるような糸をということで、講習会をやっております。よろしいでしょうか。

座長(木下):はい、どうもありがとうございました。もう一度拍手をお願いいたします。(拍手)
 それでは、時間が大分過ぎておりますので、続きまして「上州座繰との出会い」、碓氷製糸農業協同組合の中野さんにお願いしたいと思います。

 ▲(このページのトップに戻る)


2.上州座繰との出会い

碓氷製糸農業協同組合 中野紘子

 私は、古くから養蚕が盛んな群馬県で生まれ育ちました。大学で美術の勉強をするために、憧れていた東京に上京し、卒業後も東京の会社に就職をしました。しかし、たくさんの人が行き交い、目まぐるしく流れる都会の時間の中で暮らしていくうちに、気持ちに余裕がなくなり、私は自分の目標を見失っていました。そのころ、久しぶりに帰った群馬でゆっくりと流れる時間に包まれ、田舎の景色と空気に触れた時に、とても気持ちが落ち着き、群馬で群馬らしいものを作っていけたらと思いました。
 そのことについて考えていくうちに、以前から興味のあったファッションやインテリアに関わるものを作っていきたいと思いましたが、それが何か、具体的な答えがなかなか見出せずにいました。そのとき、母の知人の染色作家の方から、群馬の座繰の話と、その座繰の勉強をするために1人の女性が碓氷製糸へやってくるという話を聞いたときに、私が、これが私の探していたものであると直感しました。
 小さいころから布が好きで、布を使ってものを作ることが身近だった私は、何よりも群馬らしいと思う上州座繰でひいた糸から、ファッションやインテリアに展開できるようなテキスタイルを作りたいと思い、碓氷製糸で働くことを決心しました。
 妙義山のふもとにある碓氷製糸は、近くに川が流れる山合いに建っています。坂を下って見えてくる工場は、日常とは別の空気が流れているようで、初めて訪れたときは驚きました。そこは緑に囲まれ、夜は辺りは真っ暗になってしまいますが、星がとても綺麗に見える大変自然豊かなところです。その碓氷製糸の寮に、もう一人の女性と共に住み込みで働いています。
 働き始めてしばらくは、昼間は機械繰糸の仕事をし、夜になってからそれぞれ寮の部屋で糸を引く練習をしました。最初は座繰の設備もなく、お互いにわからないことばかりで試行錯誤の毎日が続きました。練習を始めたころは糸に撚りがかからなかったり、絡まってしまったりと全然糸が引けませんでした。しかし、毎晩いろいろと試してみて、「ここをこういうふうにしたらこうなったよ」「じゃあ、ここをこうしたらもっとよくなるかもしれない」などと2人で話し合いながら、糸を引く練習をしました。そして、5カ月が過ぎたころ、2人の糸が座繰糸として形となってきたときに、ようやく一つの仕事としてスタートすることができました。
 仕事として糸を引かせてもらえるようになりましたが、初めのうちはなかなか思うようにいきませんでした。次から次へと生じる疑問に、お互いが悩み、教え合い、確かめ合いながらやってきました。今もわからないことはたくさんありますが、常に糸にとってベストな状態を私たちなりに考え、糸を引いています。
 今後の課題ですが、私は群馬で江戸時代から大切に守り続けられてきた上州座繰の技術を、しっかりと受け継ぎ、次の世代に残せる仕事をしていきたいと思っています。そのためにも、座繰糸を引くだけではなく、染めや織りを含めたものづくりを通していろいろな分野の方と交流をし、勉強をしていくことがこれからの私の課題です。そして、絹製品を扱う方や染織をされている方と一緒に、座繰糸の可能性を模索し、座繰の世界を広げていきたいと思います。
 最後になりますが、私が座繰糸を引いていて一番難しいと思う点は、引いているときの気持ちがそのまま糸に表れてしまうというところです。焦りや不安がそのまま糸に伝わってしまうため、無理をせず、いつも穏やかな気持ちで糸を引くように心がけています。
 座繰糸からつくられたものを手にした人に、何かを感じてもらえるような糸づくり、ものづくりをしていきたいと思います。優しい気持ちで引いた糸から織られた布は、きっと優しい布になると信じて、これからも糸をずっと引き続けていきたいと思います。ありがとうございました。(拍手)

座長(木下):どうもありがとうございました。ご質問、ご意見等ございましたらお出しいただけたらと思います。

会場:がんばってちょうだい。

中野紘子:ありがとうございます。

座長(木下):では、一つだけご質問したいと思います。先ほど、染めや織りも今後やっていきたいということをお話しされていましたが、その辺については、まだ手をつけていらっしゃらないのですか。

中野紘子:平日は碓氷製糸で糸を引いておりまして、休みの日やお盆休みなどまとまった休日を利用して、家で、母が趣味でやっているものですから、母と一緒に染めや織りを勉強しているというところです。

座長(木下):どうもありがとうございました。どなたかほかにありませんか。では、どうもありがとうございました。(拍手)
続きまして、「穂高町の天蚕業について」、長野県穂高町役場商工観光課商工特産係の上條さんにお願いしたいと思います。

 ▲(このページのトップに戻る)


3.穂高町の天蚕業について

穂高町商工観光課商工特産係 上條幸宏 

天蚕というもの、また主体が役場ということでいろいろと特殊事情が重なっておりますので、その辺を差し引いてお聞きいただければと思います。また、研究発表等がありませんので、在職3年半の間、何をしてきたかというお話をさせていただきます。レジメに沿ってお話ししていきたいと思います。
 平成12年4月に現在の係に異動になり、引き継いだ仕事の中に天蚕がありました。天蚕を専門に担当するというわけではなく、仕事の一部として始まりました。平成9年頃から天蚕繭の生産調整していましたが、それでも引き継いだのは10数sの天蚕糸、太すぎて使えない紬糸、色柄が古くて売れない大量の商品でした。
 度重なる生産調整で、皆さんのやる気がなくなり、「売れていないから来年は飼育はやめさせてもらいたい」、「売れないから織物をやめさせてほしい」等の意見が相次ぎました。これではいけない、では何をすればいいかと考え、糸売り専門から少し違う方向に転換をしようといろいろと始めました。
 当時の天蚕センターで販売する商品に、ほとんど売れるようなものがないので、手始めに、販売に不向きな太い紬糸を5色に染色して、緯全天蚕紬マフラーを15枚制作、地元紙にカラーで掲載して頂くと瞬く間に完売、追加注文が相次ぎ、慌てて追加生産しました。ただ、そのころはまだ本当にこのような付加価値・多品目少量生産タイプの商品が売れるのかはかなり疑問でした。
 私は週に1回、天蚕センターに売上げの集金などに行きますが、時間があるときは来館者と話をするようにしています。アイデアと言うか商品開発のネタ等をいろいろと話をしてくれます。例えば、「天蚕糸が少しだけ織り込まれているのではなく、たっぷり使った商品が欲しいね、これでもか天蚕糸と言えるような商品はないのか」という事を言われました。そこで、経緯糸すべて天蚕糸で、手間のかかる織り方で高級感を出した経緯全天蚕糸ショールを作ってみました。
 当時の上司に、このようなものを6万円(当時)出して買う人などいないからもう少し安くしてはどうかと言われたのですが、つい、売れ残ったら私が全部買い取ると言ってしまいました。後で、しまったと思ったのですが、ここまで来た以上売ってみようと開き直りました。もちろん地元紙などにも掲載してもらったのですが、1カ月ほどで全部売れまして、大変驚きました。その後も追加注文が相次ぎまして、慌てて追加生産しました。
 バブル時に、生糸は飛ぶように売れたので、担当職員は機織りに天蚕糸を回す余裕が無く、機織りの方は自由に天蚕糸を使えなかったのですが、1人だけ売り物にならない天蚕糸を使って色々な研究をされる方がいましたので、生糸の大量在庫をオリジナル商品で打開しようと考えました。そこで、何人もいた機織り委託者の中から、技術改良に意欲のない方には辞めて頂き、若くてやる気のある方を採用し、天蚕糸の使用量を増やしたりもしました。又、棚卸表を作製して、売れ筋商品を絞り込み、動きのない商品は半値以下の値段で在庫セールを実施して処分しました。
 先程、お話しました緯全天蚕紬マフラーは追加注文が相次ぎましたので、織り手さんに追加制作をお願いしていたのですが、なかなか遊び心のある方で、経緯全天蚕糸ショールで余った天蚕糸を織り込んで、こっそり緯全天蚕糸マフラーを作ってしまいました。納品時に、「困ります」と伝えると、「売ればいいじゃない。同じものを織っていると飽きるのよね」と答えが返ってきました。この遊び心があるからこそいい商品ができると、前向きに考えて天蚕センターに陳列すると来館者等に好評で、又、ラインナップが増えて、私の商品管理が面倒だなと、うれしい誤算になりました。
 同時期に、会社訪問をした取引業者さんから、経緯糸すべて天蚕糸の着尺反物が欲しいと言われました。「こんな時代に着物が売れるのだろうか、それよりも規格を決めても織る人がいるのかな」と思ったのですが、超ベテランの方からあっけらかんと「ああ、簡単ですよ。久しぶりに織りましょうか」と返事をされてしまいました。天蚕糸を経糸に使用するのは大変だと聞いていたのですが、そんなに簡単に出来るものなのかと不安でしたが、そう言われるのなら織ってみようということになりました。
 注文の1反を納品しましたが、そうそう注文のある商品ではありませんから、規格を少し変更して、小物加工用に1反織ってもらって、ブローチ、ネクタイピン、タイピン等の商品に加工して販売を始めました。
 従来、穂高町の天蚕業は、基本的に京都等の特定業者さんに天蚕糸を販売するというおつき合いがほとんどでした。安定期は良いのですが、経営状態によって穂高町の売上げが乱高下します。これでは需要と供給のバランスが安定しないので、天蚕糸本体がこのような状態から脱却するために何をするべきかを考えました。
 時折、天蚕糸の問い合わせ電話が来ますが、規格を説明する中で、「生糸」と聞くと、相手の購入意欲が急にしぼんでしまう事がよくありましたので、僕らが購入希望者の意向に歩み寄ろうと考え、精練済みで合糸、撚糸、糊付けまで済ませた、すぐ使用出来る糸にしたのが、今日ここに少し持ってきたものです。ただ、1番のネックは値段が高いことです。穂高町の天蚕生糸は700円/g(70万円/s)で売っておりますが、精練済になりますと1,000円/g(100万円/s)になってしまいます。買ってくれる物好きがいるかどうかはわかりませんが、売れないからと言ってその場にじっとしていても仕方がないので、動き出そうと考えて作ってみました。
 14年度に生産した繭の一部を、化粧品メーカーに原料として販売しました。この話がどこで変化したのか、「穂高町が天蚕糸の繰糸をやめた」という話になり、取引業者さんから説明を求められましたので、「やめていません、穂高の原点は天蚕の糸ですから。その様な話はガセネタですね」と答えました。その後も、そのような問い合わせが相次ぎました。
 同時期のことですが、天蚕センターの売上げ集金時に、年配の男性と話をする機会があり、「商品が女性向けに偏っていて、男性向けの高額商品が殆ど無いね」と言われたので、「1万1,500円のネクタイではいけないですか」と聞いたところ、「女性向けの高額商品は、2万円、2万4,000円、7万5,000円とあるから、男性向け高額商品も数段階の値段に分かれていて欲しい」とのことでした。ラインナップ増産計画では、最初に女性向けを充実させ、次に男性向けと考えていましたが、要望があるのならと予定を早めて高級感のある緯全天蚕糸ネクタイの販売を始めました。私が今日締めているのは試作品ですが、なかなか締め心地がよくていいのですが、汚したくないので滅多に締めた事がありません。
 後継者不足はどこでも言われている事で穂高町も同様ですが、機織りのベテランの方を口説いて、見込みのある2人の女性に機織り技術や天蚕糸の特殊性等を教えて貰っています。また、今年で6年目になりますが、天蚕の飼育体験講座を開講していますが、昨年度に参加された方が、どうしても自分でやってみたいと、わざわざ隣町から穂高町に引っ越して今年から飼育を始めました。少しだけ明るい見通しが出てきたと思います。
 公務員が一番不得意なのは宣伝です。私は下手で困っていますが、周りを見回しても得意の方がいませんので、ノウハウを持っている人がいないかと思っている今日この頃です。
 最後になりましたが、不景気と言われて久しいですが、日本の皆さんはお金をお持ちです。穂高町では、ニッチ(隙間)商品の開発スピードを上げると共に、「穂高天蚕糸・手織り・枚数限定」の3つの付加価値で生き残りを模索していきたいと思っています。シルク・サミット岡谷に参加した時は、こんなことを言えるとは思ってもみませんでしたが、少し見通しが出てきたように思います。ご清聴ありがとうございました。(拍手)

座長(木下):どうもありがとうございました。時間がまいっておりますが、1つだけご質問をお受けしたいと思います。どうぞ。

会場:10年以上になるかと思いますが、穂高で第1回国際野蚕学会という国際会議をやって、空いた時間に研究所や織物屋さんに行きました。そこで着物を1反買いました。
 最初はのりが固くて着にくかったのですが、現在は真綿の太さというのでしょうか、生地が大変よくて、大事に、宝物のようにしておりますので、頑張っていただきたいと思います。

上條幸宏:ありがとうございます。補足しますと、県有明天柞蚕試験地が平成9年頃に閉鎖され、地元で機織りをしていた業者さんも機織り関係は休業中です。徐々に周りから仲間が消えている状態です。
 ただ、ありがたいことに、松本市にある県の情報技術試験場や、岡谷市にある農業生物資源研究所がありますので、穂高の天蚕業が成り立っています。この2つの施設がなくなった時は、進退窮まるような気がしています。
 今日、この場に私が立っている理由の一つは、岡谷市の農業生物資源研究所の皆様には、日頃から大変お世話になっているからです。

座長(木下):どうもありがとうございました。もう一度拍手をお願いします。(拍手)
それでは、続きまして「地場染織技法の継承をめざして」。東京都八王子工業高等学校染織資料室の村野さん、お願いいたします。

 ▲(このページのトップに戻る)


4.地場染織技法の継承をめざして−八工染織資料室活動−

東京都立八王子工業高校染織資料室 村野圭市

八王子は、ご存じのように「桑の都」と言われ、絹織物の産地でした。当産地の特徴は、第一に農村工業、第二は自主独自の努力による発展、第三は庶民的な製品づくりであったことです。綾織り、絣織り、一楽織り、風通織りなどといろいろ名前がついていますが、いわゆるミガキの生糸、上糸ではなくて、座繰糸のような太糸を原糸とした銘仙類が基本です。すなわち庶民の日常生活着の織物です。それが、西陣や博多などの中央の織物と歴史的に違うところです。
 ところが近年、私たちの日常から「和」の生活が急速に姿を消していきました。そのため、当産地の製品はその影響を特に強く受け、生産量が落ち込み、したがって、技術体系の維持・継承すら危ぶまれています。
 都立八王子工業高等学校は、多摩地域の繊維産業を後背とした工業学校して成長してきました。卒業生の多くもそれら産業の中核として活躍してきましたし、現在も活躍中です。
 このような関わりのなかで、私たち八工同窓会といたしましても、何とか技術を継承したいという願いから、染織資料室を立ち上げたわけです。しかし当八工染織資料室は、染織の名を冠してはいても、化学科・機械科や電気科を新設した学校の発展と産地の発展にあわせて、染織にとらわれることなく、広く島嶼を含めた多摩地域の産業遺産の保存と、生産・消費技術の継承を標榜しているわけです。しかし、最初に申しあげましたように、当地域は絹織物の産地ですので、現状では絹織物資料が中心になっているのはやむを得ません。

 ここに図を示しました。要点を書き加えておきましたのでご覧くださればおわかりいただけると思います。現時点は太線の200310月現在です。
 同窓会として立ち上げたのは5年ほど前です。そのころ、創立110周年記念行事がありまして、それをめざして資料室の設置を計画したのです。@産業遺産の資料室をつくる、という積極的な理由と、A私自身を含めて高齢化し、もっている染織資料や関連蔵書がゴミになってしまうから、それらの受け皿をつくろうという、消極的なねらいも一方にはありました。
 現に、路傍に見つけた専門書を手がかりに、かつての恩師の家にたどりつき、ライトバン3台分もの蔵書をもらい受けました。また、かつての上司・製糸の専門家SH氏の蔵書も子息から頂戴しています。要するに、消極的なねらいは的中しつつあるといえます。
 積極的な収集という意味でも、存在が知られてきたせいか、染織資料そのものは集ってきます。それらを資料室の活動内容を如何に社会化するかがこれからの課題でしょう。機関紙「染織資料室だより」を年2回発行していますが、まだ技術の継承という観点からの報告には到達していません。図を追いましょう。
1、地域主義の復権とかいいますが、八王子の実情はなかなかそうみえません。
2、資金は、同窓会の資金だけです。公的な資金は一切ありません。
3、資料の管理については、東京都が関心を寄せています。
4、生徒の参加はありません。部活としでも関心を寄せて欲しいと希望しています。
5、地元八王子の関心が薄いのが気がかりです。むしろ、市外の関心がつよい。
6、学校との連携は、1教室を充当しているだけです。「八工ホームページ」に掲載しています。
 今後の課題ですが、いま都立高校の改革推進計画がすすんでいて、本校と都立二商が廃校となり、平成19年度から産業高校の発足を控えて先が見えない状況あって、大きい課題になっています。
 まとめとしまして、地場繊維産業は、今日の科学技術産業の母体になっており、これが集中的な大量生産方式になるにしたがって、この生産活動が、私たちの手から遠くに去ってしまいました。そうではなくて、地場の生産活動を身近に継承していきたいのが、私たちの念願であります。
 以上、まとまりのない報告になってしまいましたが、あとは要旨によって補っていただきたいと思います。ありがとうございました。(拍手)

座長(木下):時間がまいっておりますが、どなたかお一人だけご質問をお受けしたい思います。村野さん、大変すばらしい活動をされていると感心いたしました。今、在校生の関心がないとおっしゃいましたが、それについていい手立ては。

村野圭市:いろいろな機会に在校生を引っ張ろうと思っているのですが、なかなかこの辺がつらいところです。これが口先では「ものづくり」がいわれながら実行しがたいところでしょう。先ほどご発表の上州座繰りのように一部の方は非常に関心をもってくれますが。私も実は自身で機織りをやっていて、関心をよせてくれる人は多いのですが。案外、地場の、織物に詳しい人は関心を持ってくれない、製糸に詳しい人は糸引きに関心をもってくれない。知りすぎていからなのでしょうか。そういう傾向があるように見えます。そのあたりが、難しいところです。以上でお答えになったかどうか。
 ただ、資料室は、一種の運動&ldquo論&rdquoとして地域活動になるかも知れないという予感はあります。

座長(木下):どうもありがとうございました。もう一度拍手をお願いいたしたいと思います。(拍手)では、ここで座長を交代いたします。

座長(市橋):座長を交代いたしました。資料11ページからの進行を進めさせていただきます。農業生物資源研究所の市橋と間瀬です。時間の制限がありますので、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
 それでは、最初に「文化財修理における東京シルクの実用例」として、多摩シルクライフ21研究会の中島さんからよろしくお願いいたします。

 ▲(このページのトップに戻る)


5.文化財修理における東京シルクの実用例

多摩シルクライフ21研究会 中島洋一 

 私は東洋絵画等の文化財修理に使用される表装裂という織物を製作しておりまして、主に東京シルクを使っています。今日はその実用例を報告したいと思います。次お願いします。
 画面に出ている方は多摩シルクライフのメンバーである小谷田さんです。この方は、日本でも数軒しかない自然飼育をしている方です。次お願いします。
 きのう神奈川県の養蚕農家が20軒であるというお話がありましたが、東京の方は現状16軒残っているそうです。その中で、自然飼育をされている方は、小谷田さんと皇居の中でも自然飼育は行われているようです。基本的に四齢までは人工飼料で育てるのが慣例らしいのですが、昔ながらの稚蚕のころから桑を刻んであげるという自然飼育を行っております。
 多摩シルクライフ21研究会は、絹素材にこだわって集まっている方々の集まりです。次お願いします。
 これは、たまたま研究会の中で塩蔵の繭から座繰りしているところです。東京シルクというのは、先ほどお話ししました東京に残る16軒の養蚕農家が生産した繭を製糸、撚糸、染織にこだわって製作したものに対し、多摩シルクライフ21研究会が命名したブランド名です。多摩シルクライフ21研究会の活動の中には、特殊品種の飼育等も行っております。次お願いします。
 私が錦を織るにあたり、古代の品種である四川三眠も多摩シルクライフで養蚕・製糸をしていただきました。原種から糸を引くこともありますが、これは四川三眠と支25を春の段階でかけ合わせ、種を保存しているところです。
 そして、晩秋に、先ほどの小谷田さんのところで交雑種の自然飼育を行います。次お願いします。
 これが、実際に四川三眠と支25をかけ合わせた糸です。下の繭が支25、上の繭が四川三眠の原種です。これが交雑種です。四川三眠の原種自体は、繊度も1.51.6デニールで、古代品種ですから、糸長も400メートルと非常に短いです。支25は中国の改良種なので、繊度も2.52.6デニールだと思いますが、糸長が1,300メートルと長いです。交雑した四川三眠×25の糸は、繊度が1.81.9デニールだったと思います。糸長が1,100メートルぐらいです。交雑することによって製糸もしやすくなりました。次お願いします。
 これは、四川三眠の原種を1粒繰りしたものと比較したものです。2番目が小石丸だったと思います。次が青熟という品種で、最後が青熟と支21か支25をかけ合わせた交雑種です。これが支25のものです。支25自身は糸長が長いですから、1粒でも糸量は大きいです。多摩シルクライフでは、このような特殊品種を種の保存から養蚕を行ってきています。この特殊品種の糸を使っていろいろな織物を織っています。次お願いします。
 文化財修理における表装裂の意義についてご説明します。次お願いします。
 東洋絵画における表装裂は、物理的な保存性の観点からだけではなく、日本の美術鑑賞においても非常に重要であると言われております。日本人の美意識といいますか、名物裂などの織物の断片でも珍重するようなところからも来ているのではないかと思います。次お願いします。
 文化財修理における表装裂の役割は、絵画・書籍の製作当時の雰囲気に近づけるということです。表装裂というのは、金襴、錦、緞子、綾、羅、無地裂など、さまざまな織物を使って修理に使います。文化財修理は100年周期ぐらいで行われますが、現在残っていて文化財に指定されているものの多くは江戸時代に修理されたものです。そのため、江戸時代の雰囲気になってしまい、制作当時の雰囲気とはほど遠いところになってしまっております。次お願いします。
 それを制作当時の雰囲気に近づけるために、まず、蚕品種や製糸方法等の素材について吟味していきます。先ほど、座繰りの糸は扁平になって使い勝手が悪いのではないかというお話がありましたが、逆に古代絹の場合は、当然座繰りよりもっと古い製糸方法でしょうが、どちらかというと扁平糸なので、それが独特な光沢を残しています。また、生の糸のまま使うことが多いので、そういう意味で蚕品種や製糸方法を、今とはちょっと違ったものを使うことが、制作当時の雰囲気に近づけるという意味で、非常に重要な意味があります。次お願いします。
 南宋水墨画の修理と表装裂についてご説明いたします。これは修理前です。この伝 馬遠筆「風雨山水図」は、昭和31年に国宝に指定されたものです。既に800年という歳月の中で、何度か修理が行われていると思います。見ていただいてもわかるように、画面自体にも折れが生じて、保存や鑑賞に耐えがたいものになってきております。結局、2年がかりで解体修理が行われることになりました。次お願いします。
 これが、修理前についていた表装裂です。通常、表装裂には一文字風帯、中廻し、上下裂がありますが、この作品には風帯がありません。絵を修理したことによってかなり明度が明るくなりました。それに伴って、一文字以外の表装裂は一掃しようではないかということになりました。次お願いします。
 これは、実物についていた一文字に使われている紫羅地二重蔓小牡丹唐草紋印金羅です。本来一文字と風帯は同裂を使用するため、一文字を参考に風帯を復元しました。経糸に青熟の原種を使い、緯に青熟原種の60中生糸を使いました。羅は、経・緯を生糸で織り、練った後で染めて、印金という型紙にのりを置き金箔を金押しするという作業を行います。次お願いします。
 これは中廻しです。中廻しは現状のものが文様等が合わないため、12世紀の金襴を参考に復元しました。実際の模様はかなり大きいのですが、地色も変えて、経糸には青熟改良種と、緯には現行品種を使いました。これは経糸は練った糸です。その代わり、経・緯座繰りしたことによって、糸の太・細が織物に風景を作ります。これが古代裂の特徴です。次お願いします。
 先ほどの四川三眠の交雑種は、上下裂の織物に使いました。これは、15世紀の金襴ですが、経糸が生糸で、緯糸に練った糸を使います。経の生糸は、黒で染められていて、多分鉄媒染のためか、経糸が劣化してしまっている状態です。のためこれを復元するにあたり、文様が飛んでしまった雰囲気で制作しました。次お願いします。
 まとめとして、文化財の修理の仕事をしている私にとって、東京シルクは不可欠な存在です。しかし、東京シルクを支えてくれる養蚕農家が減少しています。これは昨日、今日といろいろと話題になっていると思いますが、素材の重要性をいかに理解してもらうかが、今後の大きな課題ではないかと思います。ここにいらっしゃる方は皆さん理解していただけるのでしょうが、一般の方にどれだけ理解していただけるかが、今後の課題ではないかと思います。以上です。

座長(市橋):どうもありがとうございました。ご質問もあろうかと思いますが、時間が大分過ぎております。ご質問等あります方は、11ページの下に連絡先も載っていますので、個人的に進めていただきたいと思います。

中島洋一氏:すみません、1ついいですか。頼まれたことを。東京シルク展が来週金・土・日に上野のセイコきもの美術館で行われまして、その案内がシルク博物館に置いてあるそうです。今、東京シルク展と聞いて興味を持たれた方は、ぜひ案内を見て、来ていただきたいと思います。

座長(市橋):どうもありがとうございました。来週金・土・日に、ご都合がついたら、皆さんよろしくお願いします。どうもありがとうございました。(拍手) 引き続きまして、「痴呆性老人のセラピーとしての絹糸昆虫の利用」、介護老人福祉施設フラワーヴィラ施設長の服部様にご講演をよろしくお願いします。

 ▲(このページのトップに戻る)


6.痴呆性老人のセラピーとしての絹糸昆虫の利用

介護老人福祉施設フラワーヴィラ施設長 服部 充

 私は蚕に関してはかなり特別な関わりをしております。20年前から、幼稚園の教育に、とてもすばらしい題材として、家蚕と野蚕を使っております。それから、老人の施設でも、痴呆性老人のセラピーとしてどう使うかということでも取り組んでおります。
 もう一点、最近手がけているのが、施設には希少な動植物がおります。例えば、地域が指定されているムジナモとかシラコバトなど、すべて国の許可をいただいて飼育しております。あるいはミヤコタナゴが卵を産むマツカサガイの実験装置を作ったり、実在の川を復元したものを、お金をかけて作りました。蚕に関してはヨナクニサンの実験装置も、国の許可をいただいて作りました。
 そこで、子供たちに命の大切さを教えたいのです。自然界の希少動植物を育てている場所が、社会的弱者であるお年寄りのいる場所だということで、いわば私が考える福祉教育、いのちの教育を手がけているわけです。
 痴呆性老人に関しては、3年前グループホームを作りました。北欧、スウェーデン、デンマーク、ドイツ、アメリカ、オーストラリアになかったもので、1カ所から各部屋に回れます。お年よりが回廊を動けて、光がたくさん入ってきます。これはよその国にはどこにもありませんでした。お金もかかりましたが、自分のモチーフがありましたので、これを作りました。
 行ったところで見たもの、お年よりがやっているのは作業療法でした。北欧では、作業療法として北欧独自の織物を織っておりました。オーストラリアでは人形を抱かせていました。
 老人福祉も日本独自のものをやらないと、国際的に主張できません。いつまでも北欧やアメリカ、ドイツでは仕方がないので、日本はこうだということを言いたくて考えた中で、幼児教育に使った家蚕、野蚕の取り組みが使えるのではないかと思い、関わってまいりました。
 昨日、偶然に群馬蚕試の清水さんにお会いしましたが、「服部さん、実はイタリアの方から人工飼料の問い合わせが来ていまして、イタリアの老人ホームで蚕を使ったセラピーをやるそうですよ」という話を聞きました。昆虫の持つすばらさしさというか、そういう話を次にしたいと思います。
 先ほどの子供の教育のことですが、幼稚園で対比をさせますと、子供には小さいうちから知的好奇心といいますか、科学的探求心が芽生えます。以前、「小石丸」や「あさぎり」などもやりました。あさぎりはリンゴを食べると言いますが、幼稚園では巨峰やメロンなどをよく食べました。
 また、「こぶ蚕」や「黒蛾」などもあります。天蚕、野蚕、野蚕の柞蚕や、左側の隅にヒマサンもあります。柞蚕などは、本当にコバルトブルーや黄色などのすごい色がありますので、そういうところから、子供がなぜなのだろうか、不思議だな、と思うわけです。食べるものはクヌギを食べたり桜を食べたり、いろいろな繭もあります。
 そういう対比から、不思議だな、何なんだろうというところから行くのが、今の蚕を使った最先端の科学者の研究である人工皮膚やコンタクトレンズを作るという発想です。まさに幼児期の知的好奇心や科学的探求心をどうやって芽生えさせるかにかかわってくるのではないかと思っております。
 老人ホームの方は、昔やった人はこうやってかいがいしく桑をやります。痴呆症になりますと、今日は何日で、天気はどうかということも忘れてしまうし、息子が来てもどなたさんでしたかと聞いてしまうような世界です。ますますふえてきます。
 そういう中で、予防にお金をかければ、なったときにかかる費用が安いというのは、アメリカがもうやっております。今でも在宅介護支援センターの予防教室ということで国が打ち出しています。そのような予防の意味から言っても、手作業とか、何か記憶を呼び戻すようなこととか、そういうものに取り組んでいくことがとても大切だと思います。
 右端にいる女性も痴呆症だったのですが、昔一生懸命蚕を育てた人です。蚕を育てるようになってからかわいいと言い始め、近くにある桑畑に行って桑の葉を採ってきたりしています。やはりいのちを通して受ける感銘は大きいのではないでしょうか。
 左側の人が持っているのは、ウスタビガです。これは野蚕でも珍しいもので、鳴きます。子供に科学的探求心や知的好奇心を持たせるだけではなく、お年寄りになっても頭を刺激します。「私はこういうものを生まれて初めて見た、食べた」ということが、幾つになっても必要なのではないでしょうか。ウスタビガの場合はキュッキュッと鳴きますので、とてもおもしろいと思います。もちろん繭も違いますし。
 幼稚園と老人ホームは30分ほど離れていますが、繭採り作業を通してお年よりと子供が触れ合います。共通の題材でしょう。これはなかなか難しいのだそうです。私はゴミやリサイクルなど環境関係で毎年ドイツに行っています。3年前にドイツで講演をしたときに、教育の方に大変関心を持たれたのがこれでした。お年寄りと子供が交わる方法が、ドイツにはないと言うのです。共通のものがなかったのでしょう。日本の場合には、意外にも繭づくりを通して、お年寄りが技術と、子供が見るときにリカレント教育といいますか、循環教育にとても興味を持たれました。
 これは、反対になっていますが、痴呆症になりますと、なかなか文字にまで関心が行かなくなります。日誌をつけて書いていく。元には戻せないのですが、記憶がなくなっていくものをどれだけ止められるかです。その関わりです。
 意外とおもしろいのが、五感を刺激するために、蚕や桑にまつわるもののベースをどれだけ広げられるかが課題です。食べたり聞いたり。聞くというのは、蚕が桑の葉を食べるときのざわざわという音です。食べるというのは桑の実をジャムにして食べるのです。桑の葉は栄養がありますので、饅頭やパンに入れて食べます。もちろん、サマースクールがあるので、地域の小中学生や高校生も来ます。繭細工をしたり、うどんの中に桑の葉のエキスを入れたりします。どれだけ蚕に関するものを、五感を刺激する関係で広げられるかが課題だと思います。
 右端の桑の木でつくった箸は、使い勝手が悪くていいです。どれだけ悪いか、一度お作りになって食べてみてください。食べることが大変だというのがわかります。ですから、ダイエットになるのではないでしょうか。今、ユニバーサルデザインといって食べやすいようにしていますが、元気なうちから桑のはしを使って食べると、時間がかかるからよく噛みますし、手の筋肉も使います。予防になると思います。
 このような関係で取り組んでおります。これは参考までに。横浜の植物検疫所で許可をもらったAttacus atlasの研究施設が施設の前にあります。なかなかうまくいきません。自然界を戻すというのは非常に難しいです。温度と湿度の関係が課題だと思いますが、これもいのちの教育ということで、一つの題材として取り組んでいます。
 いろいろなお話をしました。蚕は時代からいって、製品としての問題はあるかもしれませんが、教育としてはすばらしい素材です。対比させている野蚕とものの不思議さ。2点目は老人施設におけるセラピーとしても、これはかなり世界に誇れる取り組みに持っていけるのではないかと思っております。3点目に、今、10代の犯罪などで命を粗末に扱うことに対して、施設で取り組んでおります希少な魚やハト、あるいはこのようなAttacus atlasのようなもので、老人福祉施設でやるということによって、命の大切さを伝える福祉教育として、私はすばらしい題材になると思っております。時間になりましたので、以上で私のお話は終わります。

座長(市橋):どうもありがとうございました。ご質問を受けたいところですが、時間を大分超過しておりまして、午後の船に乗り遅れると困りますので、申しわけないのですが、個人的にご質問などしていただければと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
7番目に、「絹の素材づくり工房を始めるまでの経緯」、染織工房ちばコクーンの片桐様によろしくお願いいたします。

 ▲(このページのトップに戻る)


7.絹の素材づくり工房を始めるまでの経緯

染織工房「ちばコクーン」 片桐和子

 よろしくお願いいたします。時間がないようですので、原稿を棒読みにさせていただきます。
 ちばコクーンは、繭や平面絹を原材料にいたしまして、シートや糸などの素材をつくる工房です。この工房は、母体になっております全農ちばの「工房 繭・絹(けんけん)」を通してできております。これから、その経緯をお話させていただきます。
 全農ちばの工房「繭・絹」ですが、1998年に全農ちばが千葉県産の繭や糸、絹製品の需要促進のために工房教室を開くことになりました。私もその設立と会員の染織技術の指導に携わりました。最初に心がけましたことは、教室を通して千葉県という地域で、絹や染織にどういうことが望まれているかを知ることでした。染織の全工程をオープンにいたしまして、糸引きから染め、織り、製品づくりとその販売までを通して好きな所から入り、作りたい物から教える方法を取りました。
 次は、需要促進ということで、まずはプロを育てるということを心がけました。プロになった人たちが工房や教室を開くことで、需要のすそ野が広がると考えました。
 会員になった方達に入会の動機を尋ねましたところ、一番多かったのが、身の回りにはたくさんのものが溢れているが本当に必要なものがないので自分たちで作りたいということ。2番目が、すでにそれぞれの分野で活躍しておられまして、自分の個性的な素材を作りたいということでした。3番目が、職業になればということでした。
 作りたいものについて聞きましたところ、一番多かったものが糸です。年齢が5060代の方が会員ですので、糸は老眼でも見えて、こわばった手でも扱える極太の糸です。太ければいいという糸でした。2番目が衣類でした。これは、足腰の冷えを美しく楽しくカバーできるものが作りたい。3番目がインテリアで、室内の湿気や音、匂いを吸収できるようなタペストリーや小物を作りたいということでした。
 始めたいコースは、やはり糸引きが圧倒的に多く、糸引きというと何かロマンチックなイメージがあるのでしょうが、実際に始めてみますと、きつい、臭い、気持ち悪いと。これはごろごろと蛹が出てきますので3Kの世界で、120名ほど入りました会員がガタガタと減り、結局20名ぐらいが実働会員でした。
 しかし、この20名は非常に活発に活動されまして、この中から7名の糸引きを職業とする方が生まれました。そのうちの1人は養蚕まで始められました。これも大変うれしいことです。
 残りの会員も糸引きからはじめましたが、やはり太さが問題で、各自が繭の数で自分の欲しい太さの糸を引くという方法をとりました。しかし、糸を引くときに、セリシンを落とさなければ糸をとれないことに疑問を持ちまして、何とかこれを実生活に生かした製品が作れないものかと考えはじめたのがきっかけとなり、もう一つには服装の専門家が会員にいましたので、そういう専門分野や技術を生かし、ビジネスマインドの高い者が数名集まって本格的な試作品づくりが始まりました。試作品づくりをしている中で、どの分野でも平面絹を使うことが一番目的にかなっていて簡単だということにたどりつきました。
 例えば、織りの人は平面繭を好みの太さに切るだけで糸ができましたまた、介護衣を考えましたが、平面繭は従来の衣の着脱の概念を変えるようなすばらしい素材でした。衣服を着せる、脱がせるのではなく、体に当てて張り合わせる(着せる)、はぐ(脱がせる)ことができます。旅行着にしても軽くて温かく、嵩張らない素材でした。
 また、インテリアとしては、平面絹をぶらさげておりますと、それだけでカーテンとしての目的が達せられます。それに一寸染色を施しますと、タペストリーになりました。工芸部門では、繭画と称しまして、平面絹で貼り絵を考案しました。結局、織り、染め、衣服、アートの皆が平面絹を素材として使うことになりました。
 これらの製品が完成しましたころ、工房「繭・絹」も軌道に乗りましたので、独立し、工房「ちばコクーン」を立ち上げました。(http://www.chiba-cocoon.com/
 「ちばコクーン」では製品を作りましたが、加工方法がシーラーなどを使う簡単なものですから、お客様に使い方を説明していますと、ご自分で作ると言われ、製品が売れず、素材ばかりが売れますので、ユーザーに方向づけられて、素材工房になった形です。
 私達が作りますものは、セリシンがついておりますので武骨ですが、ターゲットにしております年齢層が50歳代以上ですから、非常に健康志向が強く、説明しますとよく理解してくださって、生活に必要で、本当にご自分達が快適に過ごせると感じられますと、価格は無関係で買っていただけます。40年以上染織を続けておりますが、全く新しい市場が生まれているということを日々実感いたしております。
 これからも、一般的な絹のイメージと方向は違うかもしれませんが、武骨でも身体によりいいものを広めていきたいと思っております。それが養蚕農家や地域の元気になればと願っております。ありがとうございました。(拍手)

座長(市橋):ありがとうございました。ご質問は。よろしいでしょうか。どうもありがとうございました。(拍手)
引き続きまして、「ファイバーワークによるインスタレーション(素材はすべて多様な絹)」、染織工房 慶の小口様、よろしくお願いいたします。

 ▲(このページのトップに戻る)


8.ファイバーワークによるインスタレーション

染織工房 慶 小口慶子

私は、結城紬から織りを始めましてからまだ14年の駆け出しです。結城は4年ほど織りました。分業なものですから、織りしかやらせてもらえませんでした。わがままな私は我慢できずに自分で織機を買って織り、展示会等を行っております。
 展示会も、ジャンルの違う作家、例えばガラス、陶芸、木工、染、織、写真の方々とのジョイントや、ダンス、音楽会のバックなど、あらゆる場所でいろいろなことを楽しんでおります。
 ある展示会で栃木県の蚕業センターの方とお会いすることができまして、絹も糸だけではなく、いろいろな形の絹があるということを教えていただきました。ほとんどゴミとして捨てられているようなものも、このように使ってみました。
 今映っているものは、須藤製糸さんにお願いして、撚りをかけないように繭から糸を取り、枠に巻きついたものをざくっと切っていただきました。それにスチームアイロンをかけただけのものです。スチームアイロンをかけるとセリシンが固まりますから、このような形になります。これが直径1メートルぐらいのオブジェとして飾ったものです。次お願いします。
 この作品の周りの部分は、ゴミとして捨てられているもの(キビソ)を草木で染めて織り、その中にシルクトウを丸めて入れ、羽をあしらったものです。「国際掌中新立体造形公募展」に入選しました。次お願いします。
 これはキャリアです。製糸のときに出る、10cm位の長さの木の枝の皮のような状態のものを、紅茶などの植物染料で染め緯に入れ、経糸と、透明な部分はネットロウシルクの未精練のもので織ってあります。次お願いします。
 これは、キャリアの1つずつがわかるような状態で織ってみました。これは展示会で評判になり、おもしろいという批評をいただきました。次お願いします。
 これは、ホテルのロビーに展示したものです。これもほとんどがキャリアとキビソです。このようなものも作っております。次お願いします。
 これは、友達の演奏会のバックです。上から下がっているのは、いろいろな太さの絹糸を50メートルほど織ったものです。下の部分は緞帳のように見えますが、これは全部真綿です。真綿を草木染めして透明なネットに挟んだだけです。真綿ですからすごく軽くて、1人でも持てますし展示もすごく楽です。今は畳んでうちに眠っております。次お願いします。
 これは同じ演奏会のときに、舞台の袖にシルクで作った球状のものに小さなスポットライトを入れ、舞台の飾りのようにさせていただきました。次お願いします。
 これは、写真の方との2人展で、「四季逍遙」というテーマで四季を表現してみようというものです。後ろの部分が春バージョンです。竹に粗く織った布を巻きつけました。次お願いします。
 これは、藍染めした絹糸で滝を表現してみました。長さが約8メートル、織ったのは20数メートルです。夏のイメージです。次お願いします。
 これは秋バージョンで、これは全部キャリアです。キャリアもいろいろ染めて織り込んであります。次お願いします。
 手前が冬のバージョンです。平面絹を下に敷き、平面絹で作った球と糸屑でつくった球を100個ほど置いて雪のイメージをつくってみました。次お願いします。
 これは4月に青山での、陶芸家谷口勇三先生との2人展です。現代アートの先生です。これは16メートル、よろけ縞で織りました。今着ているのがそれです。自分の服にしてみました。次お願いします。
 会場の外から見たところです。次お願いします。
 築400年という古い農家の土間に、初夏の風というテーマでインスタレーションしたものです。前のはほぐし織り、後ろには真綿や絹など、いろいろなものを作って展示してみました。次お願いします。
 先ほどのが左半分、これが右半分です。かなり高い天井の梁から、藍で染めたものを下げてみました。次お願いします。
 これは、囲炉裏が切ってあるところですが、先ほどの後ろ側から見た図です。このような形で展示しました。次お願いします。
 これは、今年の1月にあるホテルのロビーで、「雪舞」というテーマで展示したものです。飛んでいる感じになっているものが、最初に説明しました須藤製糸さんで作っていただいたものにスチームアイロンをかけただけのものです。これは、スチームアイロンをかけただけでセリシンが固まってきれいな形になりますし、光沢がすごくきれいなので、本当におもしろいものができると思います。次お願いします。
 これは、「織り色の旅へ」というテーマでやったときのものです。友達に舞踊家がおります。即興で踊る方ですが、バックも即興演奏なので、ダンスコンサートという題です。16メートルある通路に竹を置きまして、これは写真が足りないのですが、粗く織った布を竹に絡ませてディスプレイしてみました。次お願いします。
 この間の8月、1カ月間ホテルのロビーに、写真の方と「水のいのち」というテーマで二人展をした時のものです。これはほとんど織っていません。経糸だけで、部分的にちょっと織ってみただけですが、これは800デニールぐらいの太い絹糸です。飾り方で、場所に合わせてどのようにも展示できます。次お願いします。
 これは、同じときの別の場所に展示したものです。手前のオブジェが、先ほどの糸の固まりです。手前にある尖っているものが真綿で、これもオブジェです。後ろに長いドレープになっているのが、演奏会のときに作りました50メートルのもので、ホテルのロビーに1カ月展示させていただきました。
 すごく忙しく画面が変わってしまって申し訳ないのですが、このような感じでインスタレーション(仮設展示)をしております。それ以外にもテーブルウェアやショール、服なども作って、販売目的の展示会もしております。
 私は、これからも「なごみ」をテーマに創作活動をしたいと思っております。それには何と言っても絹であり、草木染めの色であると思います。いろいろな場所でいろいろなシチュエーションでの展示を経験してみたいと思っております。何か機会がありましたらよろしくお願いいたします。以上です。

座長(市橋):どうもありがとうございました。(拍手)資料とは異なる立派なカラー写真を見せていただきました。ありがとうございました。ご質問のある方、どうぞ。よろしいでしょうか。すばらしい事例報告をありがとうございました。ますますのご活躍を祈念して座長を交代したいと思います。ありがとうございました。(拍手)

座長(小瀬川):座長を交代いたしました。生物研の小瀬川と飯塚でやらせていただきます。
 次の課題9番、座繰り糸に学ぶ織物づくり、工房銀の糸、米山様、よろしくお願いいたします。

 ▲(このページのトップに戻る)


9.座繰り糸に学ぶ織物づくり

工房銀の糸 米山妙子

 座繰糸を使って、現在織物をしています。経糸と緯糸に座繰糸を使っておりますが、糸自体にまだ未知数のところがありますので、糸に教えられながら試行錯誤を続けています。
 座繰糸とは何かとよく聞かれますが、茶谷さんの発表にありましたように、1700年代に考案された上州式と呼ばれる、歯車を持った道具で挽かれた糸のことです。これは私が挽いている糸ですが、かなりコンパクトな量を挽いています。上州式が出る前の、牛首などを使った糸の挽き方に比べて、片手が自由になりました。これはものすごく画期的なことだったと思います。
 この座繰糸には大きな特性が2つあります。1つは、前々からも言われているように糸の軽さです。それと、見ていただくとわかるのですが、ウェーブがかかっています。ゆっくりしたスピードで繭から糸が挽き出されますから、糸の中に空気が残り、嵩高の非常に軽い糸になります。また、1つ1つの繭にかかる微妙なテンションの違いから、糸に独特のウェーブ(震え)が残ります。この特性を生かすために、私は、現在のところ撚糸や合糸は一切していません。
 私の仕事の流れを簡単に説明します。設計が初めに来ます。機にかけるものを決め、使う糸の太さなどを決めます。このときに、手持ちの挽いた糸の中から必要とする糸を探します。ない場合がありますが、そのときにはあわてて糸を挽かなければならないので、非常に泥縄式というか、自転車操業のところもあります。
 糸は、無撚りのままで草木染めします。染め重ねるに従って、糸の表面についているセリシンが落ちますから、非常に柔らかくなってきます。
 草木染めをした糸はどうしても色あせ等があって、染め重ねなければならないので、しばらくの間寝かせておきます。できれば1年寝かせたいのですが、場合によっては半年ぐらいで使うこともあります。それを機にかけるのですが、機をやっている方はご存じだと思いますが、織るときに経糸にテンション(張り)をかけますので、糸が伸びてしまいます。独特のウェーブがあだとなり、幾らでも伸びてしまうわけです。
 糸を伸びたままにしますと、おもしろくない風合いの織物になってしまいますので、織り上げた後で湯通しと手揉み、たたいたりします。そうすると、糸の緊張が解けて元の形に戻ろうとしますので、これが織り上げた布ですが、非常に微妙な「しぼ」が表情となって現れてきます。
 糸のことですが、私が使いやすい糸の太さがある程度決まっています。できれば生繭の状態から糸をとることができればベストなので、生繭が入ったときに、折を見て糸を挽いておきます。家蚕と同様に天蚕も挽いています。天蚕は座繰器を使った横挽きの方法で糸を挽くと、セリシンの少なさから接緒が難しく、また糸の解舒がしぶいため、手を止めることがしばしばです。でき上がった糸も、解舒の悪さが災いして無理なテンションがかかり、硬い糸となってしまいました。
 そこで、現在は、改良をして非常に原始的な方法で糸を挽いています。これは、煮繭した鍋の中から糸を何本か挽き上げてはざるに振り置くという方法を若干改良したもので行っています。その方法で取ったものは非常に柔らかく、ふるえが残っています。
 ご存じの方も多いと思いますが、天蚕糸はどうしても家蚕に比べて毛羽立ちやすく、収縮率も大きいという特徴があります。欠点とも言えますが、この特徴を生かして織物に表情を持たせることも可能と思われます。
 9月に初めて作品展を行ったのですが、その席で座繰の説明をしますと、多くの方々、特に年配の方から「奇特なことを」と言われます。本当にそう言われます。一昔前の養蚕農家では、本当に出荷できないいわゆる屑繭を使って糸を取り、家族の着物を織る暮らしは当たり前に見られたと聞いています。本当につい最近までそういうとこが見られたのですが、繭から糸を取って織り上げるという一連の作業は、奇特なことでも何でもなく、当たり前のことだと思っています。
 現在、気がかりなことがあります。それが、繭のことです。現在、繭は製糸会社の方から、乾繭と生繭を購入しています。また、本当に幸運なことに、養蚕をしている親戚がおりますので、そこから収繭時に出る屑繭をいただいて糸にしています。
 上伊那では、現在養蚕農家が20軒となってしまいました。やはり高齢化が進みまして、後継者もままならないといった状況です。この先、繭を手に入れること自体が難しくなってしまうのではないかと心配しています。私としては、いろいろな機会に座繰を見てもらうことで、糸を挽きたいという仲間を増やして、それによって養蚕農家のバックアップ、契約して作っていただくことができたらと思っています。
 また、試みとして、自分で少量ですが蚕を飼うことを始めました。今作られている品種ではなく、昔の品種は、養蚕の方にお願いすることができないので、自分で飼っていくしかありません。座繰糸は本当におもしろく、魅力的な糸です。組み合わせる糸によってどんどん表情が変わりますし、まだ未知数の糸は将来有望な糸だと私は思っています。この糸を相手に、私も未来進行形で頑張っていきたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)

座長(小瀬川):それでは、ご質問、ご意見等お願いいたします。

会場:大変頑張っていらっしゃるようで、本当に感動しました。無撚りで未精練で織っておられると伺いましたが、取りやすい太さがあるとおっしゃっていましたけれども、太さはどれぐらいなのでしょうか。
 練り直しや砧打ちですか、打つというのは。砧打ちはどういう条件でやっておられるのか、その辺をお聞かせ願えますか。

米山妙子:太さは、定粒挽き50粒を基本としていますので、150デニールです。ただ、150デニールだとでき上がった糸が若干固いので、30粒挽きの90デニールぐらいを現在はメインにしています。90デニールといっても、しっかりはないので若干上下しますが、繊度差がおもしろい表情を持ちます。
 砧打ちに関しては、現在はまだ試行錯誤の状況です。長野には砧打ちをする風習がないので、いろいろなところで伺っています。でき上がった布を布に包んで、長野には藁打ちという道具がありますので、それを使っています。そうすると、セリシンが落ちるのか、柔らかくなります。よろしいでしょうか。

座長(小瀬川):時間ですので、ありがとうございました。(拍手)
 次の課題に進ませていただきます。「人・織・糸との出会い」、handweaving-hiroの松本様、よろしくお願いします。

 ▲(このページのトップに戻る)


10.人・織・糸との出会い

handweaving-hiro 松本浩子

 今日は、人・織・糸との出会いというタイトルでお話をさせていただきます。
 織りを始めて30年になります。そのうち15年は着尺を織っていました。織りの基礎を学んだ後、群馬県の桜井織物のご夫妻から3年ほど着尺の手ほどきを受け、その後宗廣力三先生の南足柄市にある工房で、10年間絣織りの勉強をしました。その頃はものになる着尺を織るのに必死でしたが、経糸に傷をつけないことや絣糸を1本も無駄にしないことなど、糸を大切にすることも学びました。
 織ることが生活の一部になっている人たちとの出会いは、私にとって貴重な経験になりました。着尺を織っているうちに、「もじり」という織り方に興味を持ち始めました。
 そんな時、アンデスのデザインで織られた「もじりの帯」に出会い、糸の動きの美しさに大変感動しました。それから、どうやって織るのかという興味、そしていつの日か必ず自分の手で織ってみたいという強い信念へとつながりました。もじり織りとは、ご存じのことと思いますが、紗や羅などの織り方のことです。
 「アンデスのもじり」について調べるほどに、そのすばらしいデザインにどんどん惹かれていきました。今映っているのは、ペルーの首都・リマにある天野博物館所蔵の布です。天野先生は、昭和27年頃より織物や土器の調査を始められ、文字を持たなかった古代人のメッセージを、美しい文様から読みとろうとされた方だと聞いております。
 主に、幾何学文様や神として祭られていた魚、獣、鳥の柄などの連続文様があります。
 この布が織られていた時期は、16世紀頃で、これらの布を死者にかけて葬ったり、女性のショール類として使われていたようです。
 左が先ほどお見せしたアンデスの布で、右が私が織った布です。このデザインは織っているとわかるのですが、動きが感じられて大変気に入っています。
 経糸がずれて三角形を作り、さらにどこを取っても三角形になるというすばらしいデザインです。このデザインに惹かれた理由は、動きがあるということです。終わりがなく、経糸さえあれば永遠にもじり織りが続くような気がしました。
 本来もじりを織る時には、織り機に半綜絖という装置をつけて織ります。その織り方でアンデスのような複雑なもじりを織ることは、かなり難しいことです。
 そんな時に、半綜絖などの装置を使わずに指ですくう織り方と出会い、私もこの方法で織ってみることにしました。この、指ですくって織る方法は、非常に時間がかかりますが、あえてこの織り方を選んだのは、経糸に負担がかからないことです。古代アンデスでもこの方法で織られていたと思われます。一段一段すくう作業はかなり根気のいる作業です。平織りを織る時のように開口し、上糸と下糸を指で絡めていきます。絡めたものを棒に取っていき、一段すくい終わったら緯糸を通します。
 現在もじりで織っている作品は、タペストリーなどの布、額絵、マフラーなどです。マフラーなどを織る時は、肌触り、風合いなどにポイントをおいて糸を選びます。また、タペストリーなどの布を織る時には、細くて張りのある糸が必要です。
 着尺を織っていた時は、精練して染色してから織るのが当然だと思っていましたが、もじり織りの作品作りには、セリシンのついた糸も使います。この作品は、170デニール、セリシンがついた家蚕糸で織ったものです。この作品などは、一段すくうのに30分もかかります。指ですくい始めた最初は、太目の糸を使っても思うように糸がすくえず、大変苦労しましたが、数を重ねるうちに、このような細い糸でも織れるようになってきました。
 少し見にくいかもしれませんが、このような薄い布が織れます。この布を眺めているうちに、もっと密度を細かくして織ってみたくなりました。
 先ほどの布と同じ幅で、経糸を1,000本に増やして織って、額絵に仕立てたものです。
 また最近、インドネシアのクリキュラとアタカスという野蚕糸を知る機会に恵まれました。写真は、クリキュラの甘撚りの太糸です。
 指ですくって織る方法ですと、細い糸、太い糸、甘撚りの糸、ループ糸など、様々な糸で織ることができます。素材によっては筬打ができないこともありますが、そういう時には櫛で優しく緯糸を寄せてあげます。この写真は、先ほど紹介した甘撚りの太い糸で織ったものです。このようにもじりを入れて織ることができます。野蚕糸を使ってみて驚いたことは、織り上がったものの感触がサラッとしていることです。これは、野蚕糸自体が持っている特質だそうです。
 作品を制作する上で、一番頭を悩ますことが糸選びです。時間をかけて織る以上、作品にふさわしい糸を探そうと思います。糸のことを真剣に考えるようになったのは、工房を出て一人で織り始めるようになってからです。これからも、糸の持ち味を生かした作品を作っていきたいと思います。
 この30年間を振り返ってみますと、様々な人たちとの出会いがありました。すべてのことが、人との出会いから始まっています。様々な出会いに感謝しつつ、これからも織り続けていきたいと思います。
 本日はこのような機会を与えていただき、ありがとうございました。(拍手)
 これは昨日織り上がったものです。今、スライドに映っていたものと同じデザインで織ったものです。今、私がしているマフラーもそうです。これはクリキュラという野蚕糸で織りました。

座長(小瀬川):ご質問、ご意見等お願いいたします。
 では、座長から1つ。蚕の品種が違っても、大分糸は違うと思いますが、そういう方向での織りようはお考えになったことがありますか。

松本浩子:これからだと思います。今までは、いい出会いがあったら織ってみようという程度で、余り深く糸のことを考えておりませんでした。今日はこうやってお話を伺って、いろいろな種類があることもわかりましたので、今後の自分の課題にしていきたいと思います。

座長(小瀬川):ほかにありますでしょうか。

会場:野蚕は、クリ繭だけど、肌にチクチクするけれども、そういうことはなかったですか。

松本浩子氏:クリキュラは、とても気持ちがいいです。さらっとして、チクチクはしません。べたっとせず、家蚕糸で織った時よりも絡みつかないといいますか、きれいにはがれるというか。さらっとしています。だから、痛いとは感じません。

会場:僕は絹と混ぜて織ることにしたのですが、クリ繭がちくちくしていたので。僕のは台湾から買っています。

松本浩子氏:そうでしたか。これに関しては大丈夫みたいです。

座長(小瀬川):では、時間も押しておりますので。どうもありがとうございました。(拍手)
では、次の課題、「千葉県における細繊度繭生産の現状」、千葉県農業総合研究センター生産環境部応用昆虫研究室、内野様よろしくお願いいたします。

 ▲(このページのトップに戻る)


11.千葉県における細繊度繭生産の現状

千葉県農業総合研究センター生産環境部応用昆虫研究室 内野 憲

 早速話に入らせていただきます。細繊度繭から作られた生糸については、引っ張り強度が強く、柔軟で光沢があり、染色性も良いことから、高品質の繭であると評価されています。普通蚕ですと、1齢一眠、2齢二眠と四眠まできて、5齢で蛹を作ります。ところが、3齢起蚕から2日間抗幼若ホルモン(幼虫が蛹になるときに体の中に増えてきて、蛹になるために必要なホルモン)の活性を持った物質を食べさせると、本来なら四眠化する蚕が三眠化して蛹になるという現象がわかりました。国の研究機関(旧蚕昆研)で研究された成果を元にして細繊度繭生産技術が作られています。
 写真右上に示しましたのが、鐘光×黄玉の普通の四眠蚕で、左上がそれを三眠化したものです。右下は、春嶺×鐘月という春用の実用品種で、左下はこれを同じように三眠化したものです。ごらんのように、繭の形自体が小型になり、重さとしては7割程度になります。次お願いします。
 この技術を使い、大量生産に持っていくために考え出したポイントを示します。そのうちの一つに、この餌をどうやって作っていくかということがあります。この技術には湯練り人工飼料を使い、その中に抗幼若ホルモン様物質を練り込んで、三眠化用の餌を作ります。抗幼若ホルモン様物質自体は、水にもお湯にも溶けません。ですから、アルコールに溶かしてお湯に懸濁させ、その中に粉体の餌を入れて練り上げることで、均一に物質を餌の中に練り込む技術が必要とされます。
 練り込みに使ったのが、養魚用の練り機、ウナギの餌をつくる道具です。この中には湿体飼料として64キログラム入ります。従って「かんたん-3」を使った場合には、20キロの粉体を44リットルのお湯と混ぜて64キログラムの餌を作るというやり方になります。
 この餌を、ばんじゅうに入れます。1つのばんじゅうあたり10キロずつ、量り取って入れます。この場合で言いますと、1サイクルの作業で、1箱2万頭換算で10箱分の餌ができることがわかりました。次お願いします。
 作業時間を表に示しました。1つの釜で餌をつくり上げるのに14分強という短時間でできることがわかりました。そして、こちらには給餌時間を示しました。普通の三眠化剤が入っていない湿体飼料と遜色のない時間でできます。このように、比較的短時間に飼料調整ができる技術が作られました。次お願いします。
 次に、この技術の活用方法を示します。稚蚕共同飼育所で蚕を飼育し、三眠化させます。三眠化蚕は飼育経過が普通蚕と異なるので、農家の参考になる飼育技術を渡す必要があります。普通の蚕と違って、三眠化剤入りの餌を食べさせることで3齢の経過が延び、なおかつ4齢の経過も延びます。ただし、5齢期がありませんので、蚕の飼育期間は、普通の蚕に比べると2日ほど短くなります。また、餌を食べる量も7割程度に収まることがわかりました。
 そこで、飼育を何回か繰り返して、最終的に農家の協力を得て、このような飼育技術を作りました。ここには、春蚕期の飼育体系だけを載せてありますが、農家には春と晩秋の飼育技術を提示してあります。次お願いします。
 こうやって作り出した三眠蚕の繭の値段をどういうふうに決めていくかが大きな問題となります。普通の四眠蚕繭に関しましても、特にブランド化していったものについては値段の決め方にルールがありません。そこで、私どもは三眠蚕繭の評価項目として、普通蚕繭の評価に使われている選除繭歩合、解舒率に加え、細繊度繭として、繭糸の太さも評価基準としてルールを作ってみました。
 選除繭歩合の場合には、成績毎に幾つかの階層に分けます。その中で特に良い繭は、掛目で1,500掛けプラスということにします。また、選除繭歩合がきわめて高くなってしまった場合は、マイナスの掛け目をつけます。
 解舒率についても、ある程度解舒率のいいものが望ましいので、同様なルールを作っています。しかし、繭糸繊度については、経済ベースから考えると、ただ細い糸ができればいいのではなく、1箱あたりある程度の収量が取れて、お客様にとっても十分細いと評価を得られる程度の太さが必要になると考えています。
 そこで、概ね1.8デニールをプラス1,500掛けとし、太さによって掛目を変えていくというルールを作ってみました。これらを元にして、最も悪い成績の項目を繭格として決めるというルールを作りました。例えば、2つの項目がよくても、繭糸繊度で2.1デニール以上になった場合にはマイナス1,500掛けとします。このように掛目計算をしていくルールを作りました。
 このようにして普及してきましたが、平成14年以降に、繭糸繊度について、ある程度平準化ができたということで、この項目を削除しました。その結果、選除繭歩合と解舒率の2項目で値決めが行われるようになり、現在に至っています。次お願いします。
 この技術を使い、千葉県では、平成8年度から14年度までの年平均で、概ね2.5トンの細繊度繭が作られています。14年度も大体2.4トンで、15年度は2.4トンぐらいできつつあります。そして、生産には全農家の42%が関与し、千葉県で作った繭のうちの20%が細繊度繭です。この技術は千葉県養蚕業にとって大事な技術になっております。次お願いします。
 これは、出口として考えられているものです。三眠蚕は、このように和装用の糸になります。これは清水ときさんに作っていただいたものです。次お願いします。
 これが、今手堅く売れております、三味線用の三弦糸と眼科用縫合糸です。スカーフについては、今は出ておりません。このような特徴のある製品が作れることがわかっております。どうもありがとうございました。(拍手)

座長(小瀬川):ご質問、ご意見ありましたらお願いします。では、ほとんど時間がありませんので、もう一度拍手をお願いします。ありがとうございます。(拍手)
 では、事務局にお渡しいたします。

事務局:ただいま、11名の皆様より大変貴重なお話をいただきまして、まことにありがとうございました。ちょっと駆け足でやってまいりましたが、来年は、昨日お話がありましたように、八王子でやることを計画しております。
 こういった時間をさらに持ちまして、充実したサミットにしていきたいと思います。特に、こういった事例報告につきましては、養蚕から染織までのすべてでありますが、養蚕農家とのつながりの中での活動などの事例を多く出していただければ幸いです。
 それでは、これからの日程についてご案内申し上げます。ただいまから、シルク博物館へ移動していただきます。市田ひろみさんによる世界の民族衣装展が開催されておりますので、ごらんいただきたいと思います。ご本人も既に、説明のためにそちらにいらっしゃっております。2階で集合していただきたいと思います。小泉さんがご案内をされるようになっております。
 その後、それぞれ昼食をとっていただきまして、遊覧船の「はまどり」で遊覧される方は、1時10分に大桟橋埠頭の、ここから見えますが、埠頭の先まで行かないで、埠頭に入りかかったところの右に、大桟橋埠頭ビルという大きな四角い建物があります。その中に入っていただきたいと思います。そこから船が出るようになっております。
 皆様、ここに名前札がありますが、それをつけていただきます。私どもお名前はすべて確認させていただきますので、1時10分までにご集合いただきますようお願い申し上げます。
 それでは、どうもありがとうございました。(拍手)

 ▲(このページのトップに戻る)


  横浜サミットのページに戻る     トップのページに戻る