関連報告2
地場産業 横浜プリントの再生戦略

協同組合ギルダ横浜 事務局長 北澤克夫

 

進行(関川):次は、「地場産業・横浜プリントの再生戦略」と題しまして、世界一流の技術を持つ横浜の地場産業であります従来の横浜スカーフの工程別工場を1つにまとめてネットワーク化し、服飾全般に対応できる組織として新しいマーケットを開発する取り組みについて、協同組合ギルダ横浜の事務局長、北澤様にご報告していただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

北澤克夫事務局長:ご紹介にあずかりました協同組合ギルダ横浜の北澤です。お集まりの皆様には、恐らく協同組合ギルダ横浜とは一体何かという方もいらっしゃると思います。事実、サミットの通知が回ったころに、ギルダ横浜とは何かという問い合わせの電話がありました。ましてや、まだPR不足のため、全国的には知名度はあがっておりません。名前は新しいのですが、中身は地場産業横浜スカーフの、古い伝統とすばらしい技術を持っている工場の集団であります。それはおいおい話の中でご理解いただけるかと思います。

 いただいたテーマの中で、地場産業という言葉が出ております。皆さん、地場産業とは具体的に何かと聞かれたときに、果たして的確なお答えが出るでしょうか。いずれ、滅びゆく産業の一つだと言う口の悪い方もいらっしゃいます。あるいは、地域ごとのすばらしい職人さんたちの技術で培った、中小企業の中でも守っていかなければならない大切な日本の産業であるとおっしゃる方もいらっしゃいます。両方正しいし、一人一人みんな違う答えが出るぐらい、地場産業という言葉は聞き慣れているけれども、実体はわからない部分があります。地場産業の危機が叫ばれている中で、これをどうして実際の運動の中で深めていくか、現在、非常に難しい局面に立っています。
 「釈迦に説法」ですが、地場産業は地域ごとの特産品を元にして、日用雑貨をその地域の需要に合わせて供給することから出発し、やがては地域から都会の大消費地に供給するという任務を持った産業でした。自然に、地元には集積のための問屋、消費地にはユーザーに届けるための消費地問屋といった流通組織も発達してまいりました。そういう過程の中で、独特の日本経済、文化、社会で独特の任務を果たし、全国的な評価を得てきたことも事実であります。
 ただ、最近のグローバル化、情報化に伴って、一つの大きな転機に立ち至りました。地場産業の一つの特色として同一的な商品を、単純な日用雑貨用品で、なおかつ大量生産できるという特徴を持っておりました。大量生産とはいっても、現在の機械化による莫大な大量生産ではなく、その地域において同一的なものをみんなで一生懸命作るという特徴があります。
 時代によってはそれで十分に達していたのですが、経済の発展と共にユーザーがより高度な商品、特徴のある商品、差別化した商品を求めるようになってくると、対応するのが非常に難しくなってきました。そういう中で、流通機構の情報伝達が逆にいろいろな地域に発信されてしまって、ますます疲弊というか、その地域ごとの地場産業が非常に苦境に立たされるようになってきたのです。
 その中で我々はどうしたらいいのかということで、現に新しい動きが生まれつつあります。共通して言えるのは、産地だけの井戸の中ではなく、広く情報を集めて特徴的なものを作っていく、自主性を重んじていくという産地も出てきております。典型的なのは北海道旭川市の木工や、岩手県宮古市水産加工業の地場産業、岐阜県笠原町のモザイクタイルなど、新しい商品開発をして発展しつつあるところがあります。
 例えば、新潟県の繊維で言えばニットの五泉地区があります。これもご多分に漏れず、消費の低迷や外国製品の輸入によって苦境に立っていました。しかし、発想の転換によって、今までの素材を抜本的に変えるため、自らの手でイタリアの素材を集めに行きました。そのようにしてイタリアのすぐれた素材を使って今までにないニット製品を作り出しています。
 そして仲間同士が、リスクを負って東京にパイロットショップを出し、非常にリーズナブルな高級ニット製品、セーターなどを、デパートの価格より2〜3割は安い価格で提案しています。リーズナブルというのは単に安いということではなく、消費者が納得できる価格です。これからはこういったものを供給していかなければいけないと思います。そういう成功しつつあるところ、元気のある地場産業もあります。
 古い形での地場産業では、うちの工場は隣より優れているとか、うちはもっと安く提供できるとか、狭い世界の中で競争しがちで、価格の崩れが起きてますます苦境に向かいます。今成功しつつある地場産業をみますと、得手不得手がありますから、それぞれのすぐれている技術や、いい点で補い合ってネットワークづくりをしています。ネットワークによってユーザーに立ち向かっていくところは、大体うまくいっているようです。
 もちろん、工場によって技術のグレードがあります。生産規模によってロットの問題もあります。そういったさまざまな要点の中で、プラスマイナスを補い合って産地が協同していくというのがネットワークづくりではないかと思います。

 さて、横浜の地場産業についてものづくりの工場の立場からいいますと、横浜開港以来、手巾(ハンカチ)から始まって現代のスカーフに至っております。当時、捺染方法は木版から出発しております。桜の木を彫ってそこに色をつけ染めていくという、版画の技術でした。木版から更紗、スクリーンと技術は進みましたが、その間絹の輸出で湧く横浜の賑わいをみて、江戸から、京都から版作りや染めの職人達が横浜に集まってきたのです。また、ハンカチをつくる上で大切な縁かがりがあります。これは若い女性に頼りましたが、若い女性の労働力。それから、捺染にはどうしても大量の水が必要ですから、それにともなう大岡川、帷子川という大きな川が横浜には流れております。
 こういった16号線(シルクロード)を通って横浜港に集まる原材料の確保、それから、先ほど申し上げました地域の人的資源、大きな川が流れるといった自然環境によって、かつてない繁栄をもたらしました。
 こうして横浜スカーフは輸出主導型の地場産業としての歴史をもっています。ところが、繊維立国を目指す途上国の進出と、1985年のプラザ合意による円高は、輸出に頼ってきた横浜スカーフに壊滅的な打撃を与えたのです。しかし、幸い日本の高度成長は、女性の消費意欲とファッション感覚が、爆発的な国内需要を生むことになります。ヨーロッパブランドのライセンス生産が、ほとんど横浜で行われるようになり、輸出から内需に転換できたということは、それなりに成功であったと思います。
 しかし、気がついてみたら、バブル崩壊後、消費低迷による需要の減退とライセンスの契約切れといった打撃を受けました。デパートのスカーフ売場を飾っていたブランド商品の多くが横浜で作られなくなりました。大変な苦境に立ち至ったわけです。地場積問屋の倒産があり、捺染工場も廃業が続きました。同時に、製版型工場や縁かがり工場、無地染め工場など、関連工場も半分以下という状態になりました。地場産業の横浜スカーフは滅亡の淵に立たされたと思わなければならないような状態になったわけです。
 このまま時の流れにまかせてよいのか。生き残りのためには何をなすべきか。スカーフ1枚作るにしても、生地の手当てから始まって製版、染め、最後は縁かがり(縫製)をします。そういう幾つかの段階がありますが、輸出時代の名残りで全てが分業になっており、各工場毎に発注を受けます。工場毎の横のつながりがないなど、非常に不合理な点が明確になってまいりました。
 平成6年に、デパートからの要請で、店頭で捺染実演してみてくれないかという話がありました。関東地区のデパートの店頭で実演会を開きました。実際のスカーフをお客さんの前で刷って見せるわけです。当然そこでは、刷る人、型を持っていく人、縫って見せる人など、捺染に携わるすべての工程の仲間が必要で、場合によっては1〜2泊したこともあります。そこである種の連帯が生まれました。そういう中で自然発生的に、こういったものづくりが一緒になれば、すばらしいものが出来るのではないかということになったのが、ギルダ横浜の原点です。

 細かい経済的な背景などは省きますが、横浜にあるすべての工場が1つの工場だと見立てれば、ユーザーの要望に対して製品のグレード、ロットなどの要求に対応できるではないか。事実、2〜3人の家内工業から10人程度、20人程度、あるいは50人程度のさまざまな工場があります。その中でそれぞれがネットワークで仕事の分担をすれば、お客さんに対するコストダウンにもつながるし、要望につながるための一定の製品の確保ができます。
 分業体制では、私どもは同じ仲間であっても、型をつくる人、染める人の横の連絡が全くありませんでした。いい型を作らなければいい染め物はできません。また、良い型であっても染めの技術が悪ければいいものはできません。横の連絡を密にして、よりよいものをリーズナブルに作ろうではないかということで、4〜5年の準備期間がありました。幸い、若い経営者たちが非常に熱心にこの運動に参加しまして、毎月一生懸命勉強をしました。それで、やっと昨年正式に、協同組合として産声をあげました。
 討議の中でたどり着いたのは、古い体質を変えて新しい産業構造を作らなければ生き残る途はないということでした。そこで、「産業の基本は生産者であり、その生産者がその技術を生かして提案型の産業に転換しよう。無駄な流通を廃してできるだけ消費者に近づく産業構造の構築」を一つのスローガンとして出発しました。
 非常に夢物語のようなスローガンですが、実は、一期、二期の旧通産省の繊維産業ビジョン(繊維ビジョン)にはっきり謳われていました。当時、読んだ時点では、そんなことが中小企業に通用するかと全く無視した覚えがあります。しかし、現実に我々が置かれた立場を、地場産業が生き抜くために考えていく過程で、いつの間にか一致していました。
 捺染組合や型組合、縫製組合や無地組合がありますが、呼びかけたところ、組合が解散したり工場が閉鎖したりという状況の中であっても、アウトサイダーも含めて50社近くの工場がこの考え方に賛成して応募してきました。非常に心強く思いました。
 そういうことがマスコミに報道されたりしたこともあって、最近では全国区に近づきつつあります。横浜に一番近い、世界有数のマーケットである東京がすぐそばにあることも追い風です。企画プランナー、デザイナー、アパレル、流通、小売業者の方々の間にも協力体制が出来つつあります。
 スカーフで培った技術をもって、スカーフに限らず服飾品全般のプリントの需要に応える態勢が出来つつあります。東京や大阪の一大マーケットの染めの需要、要求に対して、横浜がいただこうではないかという考えです。でなければ地場産業再生の途はないという気持ちと夢を持って頑張っております。皆様方、各々の地域にお戻りになられましたら、染めの仕事はどうぞ横浜へ。産直で供給いたします。これがユーザーへの本当のサービスと心得ています。そろそろ時間になりました。失礼しました。(拍手)

進行(関川):どうもありがとうございました。大変新しい試みといたしまして、力強い、ただ横浜へと言うばかりでは全国的にもなりますけれども、ぜひ今の要綱をお聞きになっていただいて、ご注文などしていただければと思います(拍手)。


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