特別講演

「世界にはばたく伝統産業−横浜スカーフの再興をめざして−」

株式会社椎野正兵衛商店代表取締役 椎野秀聰氏

進行(関川):椎野正兵衛商店の代表取締役椎野様から、演題にもありますように「世界にはばたく伝統産業−横浜スカーフの再興をめざして−」の講演をしていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

椎野秀聰代表取締役:ただいまご紹介いただきました、椎野正兵衛商店の椎野です。この伝統と歴史のあるシルクのサミットに出て話をしろと言われまして、敷居が高いと最初はお断りしました。しかし、先ほど横浜の財務局の方がおっしゃったように、陸から海を見るのは通常だけれども、海から陸を見ることはありません。ですから、全然違う世界から来た人間がシルク・サミットを見ると、大分違うように見えるのかなということで、話してみたらどうかと承ったと思っております。
 従いまして、お話しさせていただく内容が、皆様に合致するかはわかりません。ただいま活動写真のような弁士・小泉先生のフィルムを見ていまして、非常に違う世界から来ると感動します。あれはこういうことか、あそこでつじつまの合っていなかったことがここで合ったなということで、非常に感動しました。私にとっては既にいい勉強になってしまっているので、これから皆さんに何かお話ししてお役に立てるのかと思います。
 今、小泉さんがお話になりましたのは、生糸のことが主体でした。生糸とビジネスというか、原さんや茂木さんのような生糸商人がたくさん出て、今日まで続いている日本の生糸産業の基礎をお作りになったということは、小学校の教科書でも重々学んでおりますから存じております。

 私がお話しできるのは、ちょっと観点が違います。文化的な面でシルクのものを研究してみたいと思いまして、15年ぐらい前に横浜に来ました。元々私は横浜の山手に住んでいて、元町小学校に通っていました。また、椎野正兵衛の墓は平楽にあります。元々増徳院の外人墓地の下にお墓があったそうですが、関東大震災でお墓も崩れ、増徳院は平楽に移っています。墓の碑を読みますと、初代や2代目の正兵衛、何とか童子と子供のものもありました。子供もそのころはきちんと育たなかった時代なのでしょう、たくさん名前が彫ってありました。つい最近まで私の父(3代目)の秀三もその墓の中におりました。私の父も生粋の浜っ子でして、本町2丁目で生まれ、本町2丁目で死にました。まったく浜っ子気質の人間でした。浜っ子の特質は、実は非常にユニークで、俗にインターナショナルだとか何とか言われますが、そういうことより「来る者は拒まず」といいますか、非常に大盤振る舞いをするのです。しかし、最後にはすってんてんになるという感じもどこかにあります。
 私は、音楽の世界、特に楽器と音響機器の世界で、自分で会社をつくり、2年前にいつか横浜に戻ってシルクの商売をしたいと思って、15年ほどいろいろと研究し、その挙句に出てきました。音楽の世界にも、昔、元町にあった大塚ピアノ商会で、横浜気質の職人さんが世界一のピアノを作ろうと努力しました。ご承知の方もいらっしゃるかと思いますが、スタインウェイ・アンド・サンがピアノでは世界一だと言われ、コンサートなどでもスタインウェイ・アンド・サンと書いてあります。これに負けないピアノを作ろうと、最後には相当いいピアノができました。皆さんにお披露目した次の日に、気がついてみたら会社が倒産していたという話があります。これは楽器業界では結構有名な話です。横浜気質にはそういうところがあるのではないかと思います。
 今、小泉さんがお話になった中にもあったように、横浜から出ていったシルク製品が非常によくないということで、リヨンやミラノの商工会議所からの抗議の手紙が横浜に来ていて、それが現存しているそうです。
 椎野家の中では関東大震災で潰れたのだと言っています。しかし、関東大震災で死んだのはその奥さん(私の祖母)で、2代目椎野正兵衛は生き延びました。なぜやめたのかというと、非常に不良品を売る方が多くてやっていられない、日本人の面汚しだからやめたのだと私は聞いております。
 そのような独特の横浜気質のようなものがありました。横浜開港後の横浜の人たちを、アマチュア研究家として研究してみようということで、横浜に来ていろいろな資料をあさってみました。しかし、なかなか資料がありません。関東大震災で相当な火災に遭ったようです。先ほど小泉さんが番地が逆さまについていたという話をしておられました。本町2丁目28番、30番あたりに3軒ぐらい大きなビルがあったようですが、跡形もなく燃えており、写真1枚残っておりません。
 明治初期に初代正兵衛が、絹のハンカチを柄入りで作って、非常にこれがきれいだということで、明治天皇に献上しろと言われました。当時、宮中に上がるには正一位という位がなければ上がれませんでした。それで帯刀をもらって上がるわけです。それで献上したところ、当時の皇后陛下が、まあきれいと言って首に巻いたという話が、当家には伝わっております。
 この間テレビを見ていたら、ちょうど同じ時期に天皇の刻印をつくっている秦さんという人が京都にいまして、この方が全く同じ年に宮中に参上して帯刀をいただき、正一位をいただいているのです。その方は震災に遭っていないので、刀も残っているし、そのときに書いたものもご自分の家にお持ちになっています。
 ただ、横浜の歴史上のものは、ほとんど燃えてしまっています。だから調べようがないのです。横浜の新聞に出ていた当時の記録のようなものを調べてみますと、私も同じなのですが、初代椎野正兵衛は変人でした。横浜商工会議所で高橋是清を西洋に送り、いろいろと調査する件を決議しております。全員が賛成したのですが、反対があってしかるべきなのに、全員賛成というのは甚だおもしろくないと言って、初代椎野正兵衛が退席したという話もあります。どうも変わった親爺だなという 感じがあり、ますます横浜がおもしろくていろいろな研究をしていきました。
 ある日、私の友達から電話がありまして、NHKのテレビを見ていたらお前の曾祖父さんみたいな人が出ていたぞと言うのです。うちに写真もないのによく出ていたなということで、早速NHKと連絡を取り、そのビデオを見てみました。そのタイトルが、「モードにおけるジャポニズム」というものでした。深井晃子先生というすばらしい研究をされる女性がいまして、この方はモードの世界、京都のワコールの服飾財団でトップマネジメントをされています。この方がいろいろと調べてみたところ、どうも明治初期の横浜魂といいますか、そこから出ていったものが西洋の洋服に大きな影響を与えているのではないかと、もしかしたら世界最初の洋服ブランドは、日本のブランドではないかという夢あるいはロマンを追いかけていきました。
 そうしたら、ある日突然そういうものに出会いました。そのときのことを深井先生にお聞きしますと、やったと思ったとおっしゃいました。ティー・ガウンと言われているシルクのガウンは、明治初期に椎野正兵衛商店が世界に向けて輸出していました。その内側を見たら、そこにラベルがあったのです。今で言うブランドがついており、「S・SHOBEY」、「シルクストア・ヨコハマ」と書いてあったということです。これは大発見だと思って、深井先生はその後もそのガウンを大事にされております。

 今、「モードのジャポニズム」が、研究テーマとしてどこの国でも非常に興味が出ています。皆さんご存じのモードのジャパニズムというと、モネやマネなどという印象派の画家が日本の浮世絵をまねて書いたり、浮世絵の遠近法などが、非常にヨーロッパの画家に大きな影響を与えたと聞いていると思います。実は、モードの世界でも非常に大きく影響したようです。
 研究家の方がここにもいらっしゃると思うので、期日が間違っていたら後で訂正をさせていただきたいのですが、明治の最初にあったパリの万博に「日本館」、今で言うエキシビションのブースを作っていました。ところが、時間が間に合わないので、日本の大工が建物をつくります。釘を1本も使わないで組み木で作っていきました。瓦を乗せて、そこに着物を着た女性がいて、お茶を入れるというなかなか粋なブースを出しました。ところが、納期に間に合わなかったがために、逆に日本の大工の技を見ることができて、ヨーロッパの人が目を見張りました。釘を使わずにこういうものを作ってしまうのはすごいことだと。その精度と優雅さ、文化の深さに感嘆しました。
 また、そこにいた着物を着た貞奴という女性が、なかなかの人物でした。日本語のほかに英語なども話したようです。非常にきれいだし、知性も高いということで、その後ヨーロッパでは着物のことを「貞奴」と呼ぶようになりました。皆さんご存じのように「ヤポンセ・ロッケン」と言って王様などが絹のガウンを着たり、そういうことがはやるわけです。ヨーロッパなどの海外にいろいろとそういうものが出てきました。
 私も、去年自分で車を飛ばしてヨーロッパを2〜3週間回りました。こういうことを始めるからには、主だったヨーロッパのシルクのところは見ておかなければいけないと思い、いろいろと見てみました。いろいろと研究してみますと、深井先生のほかにも、立教大学の先生や東大、京大の先生が非常に勉強されています。モードのジャポニズムは、今はボストン美術館など海外のいろいろな美術館でも展示会が行われています。1800年に日本の横浜から出ていったものが、相当ヨーロッパのモードの世界に大きな影響を与えたことは疑いのない事実だということがわかっております。
 私見ですが、ヨーロッパのモードはそれまでなかったのです。大体、教会いわゆる宗教家や、王様、ロイヤルによってなされている世界でした。一般の人がモードに関心を持ったのが1900年ぐらいです。そうしますと、横浜開港して日本からどっと絹の洋服やマフラー、靴下、扇子などがヨーロッパに行ったときと、ちょうど符合しています。日本のそういう高い工業製品や非常に伝統的な工芸技術、美術を駆使した製品に、ヨーロッパ人が感嘆しました。リヨンのシルク博物館には、皆さんも行かれたと思います。あそこに1876年の万博で賞を取った椎野正兵衛のタペストリーが3枚ぐらい飾ってあります。また、膨大な当時の日本から出ていった資料もお持ちだと聞いております。
 洋服が盛んにならないと、クローゼットはできません。昔は洋服などないですから。1900年ごろからどんどんそういうものができて、洋服入れ、タンスができました。そうなると、家屋もそれに合わせて変えなければいけません。ですから、ヨーロッパの建物が変わったということで、モード史、文化史にとって重要な時期に横浜の開港とシルクビジネスが一致していたように思います。最初は蚕の疫病で上がり、次はヨーロッパのモードの変遷に組み込まれていきました。そういう意味で、非常にラッキーな業界だと思います。先ほど、糸がアメリカにもいっぱい出ていったというデータが出ておりましたが、ハンカチなどはメイソンという会社に椎野正兵衛が結構な額を売っていました。
 明治初期の絹製品の輸出を見ますと、外国商館のほかは正兵衛商店1社がしばらくやっていました。ですから、膨大な量を売っていて、生糸の量も膨大でした。デザインをしてブランドとして売るのですから、原材料を売っているのとは全く違う文化が、そこにはあったのではないかということがわかっています。

 私は非常に俗っぽい人間なので、余り文化のことを話すのは得意ではありません。骨董の好きな方なら聞いたことがあると思いますが、調べてみますと、真葛香山(宮川香山)という陶芸家が京都の真葛から横浜に来て、横浜からすごいものを出すのです。最初に出したものは、外国の暖炉の上などに置く大きな壺のようなものをアレンジして、大胆な花や動物などをその上に乗せた形の白薩摩でした。正兵衛と真葛が非常に仲がよく、パリやウィーンの万博に出展したりしました。真葛の本を読むと正兵衛の話がよく出ています。
 先ほど言いました横浜魂に近いのかもしれませんが、2人でいやになってしまう時期がありました。それは、横浜からそれだけのビジネスがありますと、有象無象の人間が来て商売をすると思うのです。私も絹のいろいろなものを研究しようといろいろな地方に行きますと、横浜の「よ」の字もありません。絹というのは大きな産業だから、群馬に行けば絹はおれのところが全部やったと言うし、甲府に行けば自分たちが全部やった、諏訪に行けばおれのところが全部やったのだと言います。みんな全部やったんだと言えるだけの膨大なビジネスだったのだと思います。
 真葛は、そういう意味ではユニークな人で、ウィーン万博の後のパリ万博に真葛が出て金賞を取りました。そのときの日本の使節団団長が松方正義で、この方の随行員が書いたレポートが、2年前に日本政府のディスクロージャーの一環として、昔の政府の資料が公開されました。それを読んでみますと、非常におもしろいのです。お好きな方がいたら大変失礼なのですが、その中に柿右衛門などがありました。「柿右衛門などというものは比ではない。真葛の受け方は強烈だ」と書いてあります。
 つまり、真葛や正兵衛がやろうとしていたことは、どうも外国では猛烈な絶賛を浴びましたが、 日本人にはなかなか理解されない文化だったのではないかと思います。つまり、お金、ビジネス、権力と文化は相反するところにあります。今日は学校の先生もたくさんいらっしゃるので、もっと学術的な方もいらっしゃるのでしょうが、文化の面が非常に動き出したときは、汚いという表現ではないのでしょうが、厄介者扱いされるものからです。文化というのは大体不良から出ます。ストリートなどと言って道端から出てきます。
 例えばビートルズだって、あんなに長い髪をして何だと言っていましたけれども、その後みんな長い髪にしています。そうするとだれも何も言わなくなります。最初にやったときにはとんでもないと言われます。みんなが毛嫌いするのは、今の茶髪の比ではありませんでした。しかし、それが一般化すると当たり前になります。文化的なものは、一般化するのに20〜30年はかかるのでしょう。ですから、最初にやった人は相当ぼろくそに言われて終わってしまうのです。
 真葛の文章を読むと、みんなが商売ばかりで金とばかり言っていていやだなということだったようです。それで、ある日、尾上町にあった椎野正兵衛邸で第1回横浜陶器展をやりました。そこで、工芸や技術、美術のよさをみんなにわかるようにしようということで、真葛が審査委員長になってやりました。そういうくだりが書いてあります。横浜スピリッツと言いますか、外国に出ても一歩も引けを取らなかったのです。

 今、日本の若い女の子が外国のバッグなどを買い漁っています。円がユーロに対して弱くなってくると、最近元町を歩いていても、ヨーロッパのお店がどんどんできています。銀座なども、大きなビルはほとんどGUCCI、LOUIS VUITTON、HERMESなどが買い占めていくという、非常に変な状態になってきています。
 研究をしていくと、その元は横浜だったのではないかという感じがしてきました。深井先生の研究などを見ても相当いけると思います。フランスでそういう話をしてみましたが、馬鹿にするのかと思うと、日本の文化的なものはリスペクトするというか、敬意の的で話を聞きます。日本人の方が全然話を聞かないのではないかと思います。そのぐらい、ヨーロッパの人の方がそういうものに対して敬意を払っていらっしゃいます。
 それならば、明治初期の気持ちというわけではないのですが、日本にある良い技術や技能をもって、もう一度世界的なものを作ってみたらいいのではないかと思って、横浜にまいりました。30年前に楽器・音響機器の会社を作りまして、全く同じことを考えたわけです。当時、右肩上がりの日本経済が段々おかしくなるという時代で、オイルショックなどもあり、金優先で行っていたところがばたばたし始めたという時代でした。その中で、やはりいいものを作ってきちんと商売をしようということを申し上げたのですが、全く聞き入れられませんでした。
 30年ぐらいたってみると、私どもの会社は小さいけれど世界的に有名なブランドになりました。どこの国に行っても、お前の会社は大きいんだろうと言われるぐらいになりました。実際は余り大きくないのですが、名前だけは大きくなりました。明治初期のシルク産業を作ったのと同じような気持ちで、本当にいいもの、世界に通じるものを作って出していけば、世界は受け入れるのではないかという気がいたしました。
 ただ、それには業界が考え方を変えなければなかなかできません。オーディオの世界でも、皆さんご承知の「山水」などはみんな潰れました。その前になぜ手が打てないのかと思うのですけれども、1回量産を味わうと、なかなか抜けられなくなってしまうのです。量産の絶頂でうまい汁を吸ってしまった人に、こつこつといいものを作ろうという話は通じません。これはどこの世界に行っても通じないと思います。

 では、日本に技術がないのか、文化がないのか、歴史がないのかという話になりますと、これは 日本人が思っているよりすごいものがあります。どんなものを作っても、日本の製品は世界一です。何をやっても世界一だと思います。昔は、自動車は違う、カメラは違うなどと言われていましたが、さすがのライカもデジタル化にはとても勝てないということで、フジか何かに作ってもらったものにブランドをつけて売ります。日本の工業的なもの、あるいはものづくりに対する執念とはいいませんが、卓越したものについては、世界は及びもつかないのではないかと思います。実際に、アメリカ、中国、イギリスでも工場をやりました。日本人のものづくりに対する勤勉さ、QCサークルは、外国人にはちょっと真似できないと思います。
 種子島に鉄砲が伝来した翌年に、日本が世界一の鉄砲の生産国であったことはご存じでしょうか。これはおもしろい話ですが、ポルトガル人が鉄砲を持ってきて、日本人は同じようなものをすぐ作ってしまうのです。ところが、撃つと日本のものは的に当たりません。ところが、向こうのものはピタッと当たるのです。それはどうしてかと聞いても、そう簡単には教えてくれないわけです。そこで、自分の娘に、聞いてこいと言って、年若い娘をつけて帰すわけです。この娘がなかなかしたたかで、寝物語にちらちらと聞くらしいのです。ところが、なかなか教えてくれません。インドあたりまで来たときに、日本の若い小娘が帰るわけがないだろうと、向こうが気を抜いて、実は銃身に螺旋を切ってあるのだと教えました。その娘は翌日にそこを離れ、1人で日本に帰国しました。それで、「お父さん、わかりました。あれは螺旋を切ってあるのです。だから、撃ったときに曲がらずに当たる」と。それで、翌年には世界一の生産国になりました。
 これは、日本人の特質についての逸話の一つだと思います。何を作っても、何をやっても相当すごいのです。例えば、みんなが言っているマイセンなどは、ドレスデンから行った田舎の田んぼの真ん中に、小屋のような工場があり、そこに大きな観光バスが通っていきます。お行きになったかもしれませんが、乗っているのはみんな日本人なのです。工場に入ると日本語でアナウンスが流れています。何か変だなと思うのですが、そのマイセンのところに真葛のコピーが置いてあるのです。あのマイセンとて、真葛のコピーをしているのです。
 また、ロイヤルコペンハーゲンという皆さんが好きなティーカップなども、製法は真葛のデッドコピーなのです。それを会社で謳っているのです。多分、服飾やネクタイ、スカーフ、扇子、ストッキングなどの世界で、横浜から出ていった日本のシルクを中心とした服飾品が、世界のスタンダードになって、それをコピーして儲けた人はたくさんいると思います。
 ただ、いけないのは、日本人の中にそういうときに悪いことをする人が多いのです。手抜きをしたり簡易方法を考えたりという。ショートカットといって、間の業者を外してやれば儲かるとか、すぐにそういうふうに動いてしまいます。それをけしかけるのは大体日本の方ではないのでしょうが、すぐに応じる方が出て、文化的なものや産業構造が根本に崩れるのは、非常に惜しいという気がいたします。
 そういう意味で、私も出てきて何とかいいものを作ってみたいと思ったのですが、これがなかなか土俵が違いますとうまく行きませんし、言語も通じません。データがない世界なのかはわかりませんが、データを提出していただこうと思ってもなかなか提出していただけません。それで、最近は大学の先生に、データを使って織物や糸、捺染などを研究していただいて、自分のわからない空白のところを埋めるように努力しています。しかし、なかなかいい意味のご協力をいただいているとは思いません。
 明日、赤レンガ倉庫に皆さんがおいでになったときに、一号館の真ん中にシルクのお店を出しておりますので、ごらんいただければいいと思います。大変きれいな、日本製品ならではのすばらしいスカーフやストール、扇子、傘などを展示しております。ぜひ実際にごらんいただければと思います。
 ただ、扇子については76%ぐらい、傘に至っては99%が中国製です。ほとんど日本にはありません。日本で作るためにいろいろな努力をしました。職人さんは残っているのですが、皆さん高齢なのです。今75歳の方に傘を作っていただいているのですが、そういう方が生きているうちに、何とかそういうものを続けていっていただきたいと思います。

 戦後、非常に日本は大きくなりました。経済的には発展したのですが、どうも物欲に走りまして、物と金ばかりを求めてしまいました。実は日本にはすばらしい文化、伝統的な工芸、技能があります。技能と技術の違いはおわかりでしょうか。技術は、マニュアルで人に伝えられることを言うのだそうです。つまり、アメリカの文化はほとんどが技術です。マニュアルで人に伝えていきます。ところが、技能は言葉にならないし、文にもなりません。こういうものはなかなか伝わりません。ところが、この技能のすごさが日本のすごさなのではないでしょうか。砲丸投げの球などは、100%、大阪でおじいさんが1人で作っています。その人が作らないと、同じ球でも手にしっくり来なくて飛ばないらしいのです。それぐらい日本の技能は優れています。あるいは、三鷹にある技研で、NASAの何ミクロンという精巧なものを作ったりしています。
 機械では負えない範囲を、実は人間は負うことができるのです。例えば、崎陽軒のシュウマイを掴むとしても、機械ではきっと滑って落としたりします。しかしそれをおばさんが1箱ずつ掴んでいくというのを以前テレビで見ましたが、そういう意味のすごさは、実は人間が持っているすごさで、コンピューターには負えないものです。
 そういうものを、今テレビに出ている先生のように、すぐにアメリカがと連呼し、アメリカ最高、コンピューターとデジタルでアメリカで全部終わってしまうというようなことを言っていますが、そういうことにはならないと思います。したたかなヨーロッパ人は、伝統的な技能をしたたかに温め、自分たちのブランドを大切にして、不景気のときにはじっと我慢し、好況になるとそれを切り売りします。あのしたたかさが今のユーロ高を産んでいるのではないかと思うぐらい、大変な努力をされています。
 しかし、日本のものづくりへのこだわりやすごさは、2倍、3倍という比ではないと思います。50倍、60倍、100倍ぐらいは群を抜いていると思います。ですから、そのようなものがないと世界のものが動かないぐらいすごいのです。例えば、三つ星ベルトがなければ世界の車は動きません。あのベルトは日本でしか作れません。ミニベアという小さなベアリングがないと、工業製品はできません。
 しかし、そういうことを日本の首相などは言いません。アメリカを向いて握手していればなんとかなると思ってでもいるようです。今、ドルがどんどん下がっています。20世紀の技術と戦争の時代が終わって、21世紀はまだどういう時代になるかはわかりません。もし文化的な時代を迎えるとするならば、まさしく日本人が日本人たる文化をもう一度理解し直して世界に向けて出ていけば、勝算は必ずあると思っています。
 私も作られた製品を持ってヨーロッパやアメリカを回りましたが、皆さんびっくりします。こんなすごいものができるのかというぐらいのものができるのです。ただ、私のいただいているお値段が大変高いものですから、まだ注文の段階になると向こうが尻込みしてしまうということはあります。やがて、そういう問題は解決されていくだろうと思っています。

 今日、ここにおいでになる方々がどのぐらいの年齢なのかと思って、興味津々でやってきました。私は今50代半ばですが、私がやっていた会社も40歳そこそこの人間に、失敗してもいいからやれと言って渡してしまいました。それで、今は赤レンガでああいうことをやっています。私が駄目になってしまう前に、シルクのこういうきれいなものをつくって、世界に売っていってみたいという意気を感じる人が、若い人の中に出てこないかと思っています。
 幾つか最近はそういう例が出てきています。お手紙をいただいたり、そういう仕事をぜひ一緒にさせてもらいたいという方が出てきています。これはとてもいいことだと思います。ここにいるベテランの方がご存命のうちに、若いやる気のある人にバトンタッチをするような通訳の役割をするのが、私の仕事なのではないかと思っています。ですから、できるだけ長く頑張ってやれるようにはしたいと思います。また、そういう人たちが新しい感覚で新しいものを作り、世界に出ていけば十分勝算はあると思います。
 ここにアパレル関係の方がおいでになっていると大変失礼なことを申し上げます。私は1年半の間に2度挫折しました。もうやめてしまいたいと思った理由は、みんなアパレル関係の人とお話ししたことなのです。アパレルというのは、特殊な業界なのでしょうか、のっけから「お前のやっていることには意味がない、明日やめろ」ということを平気で言います。日本のアパレルを背負って立ったような立派な方だとお聞きしておりますが、そういう方がおいでになって、「やめなさい。いいものを作るということには意味がない」とアパレルの世界の人は必ず言います。でも、アパレル業界が今いいのかというと、決してよくはないのです。
 ここにおられる方はほとんど知らないと思いますが、ウラハラ(裏原宿)という文化があります。世界の若者のファッションは、そこから出ていっています。裏原宿に20〜30坪の洋服の店などがあると、その店だけで年間40〜60億円は売っています。有名なそういう店はたくさんあります。世界のデザイナーや若者のファッションを講ずる雑誌にうろうろしているのに、日本人が気づかないのです。それを5年ぐらい前からいろいろな方に申し上げるのですが、なかなか聞いていただけません。しかし、ここから間違いなく世界のブランドが出ています。
 6年前に、私は音響機器の中でも不良相手のDJ機器などを作っていました。そうしましたら、世界のその分野ではトップメーカーになりました。品質的にも非常に高いものを作りましたが、6年前にシカゴに行ったときに、若向きのいい洋服があるというので、これはだれが作っているのかと聞いたら、社長には今会えないと答えるのです。なぜかと聞くと、今、麻薬を吸って牢屋に入っているからだと言うのです。それがECKOというブランドです。皆さんはNIKEは知っていると思いますが、今の若い人ではECKOというブランドがすごいのです。今、NIKEがECKOを買いまして、多分1,000億円以上はやっていると思います。そのブランドは、6年ぐらい前にやっていた人が、牢屋でよからぬことをしていたということでした。
 よからぬことは、たまにいいことを生みます。小泉さんは、明治初期の高島さんの話などはされないのですが、あれを本で読んだときには笑ってしまいました。高島嘉右衛門さんは、横浜で金の密輸をして大儲けした人です。それが原因で捕まって牢屋に入ったのですが、そのときに隣の部屋に易に詳しい人がいました。その人に易を習って出たのが高島易断です。皆さんは暦を買って一生懸命に八白土星などと言って読みますが、あれは牢屋で元々できたものです。
 そう考えると、なまじそういう若者や変人を馬鹿にしてはいけないと思います。世界的な文化が、たまにそういうところから起こるということは、歴史が示しています。家に帰ったらお子さんやお孫さんに、ウラハラって何だ、そこに何があるのか聞いてみてください。そこにはブランドなどは全然書いていないし、小さく書いてあるだけで、どこから入るのかもわかりません。入っていくと洋服はたくさんは置いていません。3分の1がカウンターです。
 デパートに行って一生懸命に買ってカウンターに行くと、金銭登録機みたいなものでチンとやって終わってしまいます。買う人の身になれば、お金を出して買うのだから王様になりたいわけです。そういうことを若い人はきちんと知っているのです。店の3分の1がカウンターで、そこに行くと、いらっしゃいませ、よく買ってくれました。なければ、出していないだけで、あるんですよと言って、ちゃんと売っています。もっとすごい店になると、毎日100〜150人しか入れないのです。整理券を配ります。藤原ヒロシの店は、100〜200人にだけ整理券を配って、その人以外は入れません。売り切れてしまうのです。そういう商売が、完全に成り立ってしまっているのです。
 ちょっと話はずれますが、私どもがやっていた若い人の音楽の世界で、古谷一行さんのせがれがバンドをやって、CDを1枚作ると、その1枚のCDの売上げが、北島三郎以下全部の演歌歌手の1年間の売上げより多くなるのです。そういう現実を、勝負あったと見なければいけないのではないかと思います。いやだと言っても仕方がないのです。その人は何十枚も出しているのに、たった1枚のCDの売上げが、全演歌歌手のビジネスより大きいのです。
 ですから、若者の文化がそれぐらい大きな胎動をしているときに、シルク製品はそういうところに入っていってもらいたい、そういう人たちの身の回りについていって欲しいという気がします。例えば、スカーフみたいなものをやっていまして、若い人に聞くと、別にそういうのは頭や首に巻かなくてもいいと言います。では、どこに巻くのかというと、足や腰に巻いたりするというのです。
 そういうものが必ずしも主流になるとは申し上げませんが、大きく揺れ動いている時代です。先ほども言ったように、技術と戦争の時代が終わってしまったわけです。まだちょっと北の方でやられている方がおりますけれども、それも直に終わってしまうと思います。そうしますと、21世紀に向けて、人間が豊かな生活を求めるようになりますと、やはり文化なのではないでしょうか。そういう意味で、こんなに長い歴史と、いい文化を持っているシルクの世界が手をこまねいているのは、私から見ると納得がいかないという気がします。

 今日こういう敷居の高い席に呼んでいただいて、何か話させていただきました。昔のシルクのビジネスをされていた方が、少し毛色の変わった不良を連れてきて何か言わせれば、そこから違うビジネスが起きるかもしれないからやらせろということなのだろうと私は思いました。それで、あえてこれから学術的、ビジネス的なことをお話しされる人の間で、そういう話を申し上げました。
 では、文化の話にちょっと戻ります。先ほども申し上げましたが、日本の文化は何がすごいのかといいますと、江戸時代に儒教的な教えがあり、儒教の一環として文化の奨励を随分やったのだと思います。それによって、一般市民に非常に粋な文化が流れていました。それが鎖国によって外国には伝えられないでいたのだと考えてもいいのではないかと思っています。なぜなら、海外で見たものの中には、一般的な市民が持っていた卓越した文化が形になってきているというものは、非常に少ないのです。ところが、横浜のシルクの捺染も、江戸時代の刷絵師などがやっていたわけでしょう。(中断)
 非常に政府がたけていまして、全国から優れた技能や美術を持った人を横浜に集めました。その一環として真葛も来ているわけです。後に岡倉天心に美術的なものなどの総合プロデューサーをさせます。ですから、官民一体になって、日本からすごいものをつくって世界を席巻してやろうという気が、脈々とあったのだと思います。それに応えるべく、岡倉天心は今で言うデザイナー、プロデューサーです。また、真葛や正兵衛のように、分業してそれぞれの分野で卓越した技術を持っている人をラインに並べて、すごい製品をつくりました。それまでは、柿右衛門のように自分でロクロを練って、その上に絵を描いて駄目なら壊して、気に入ったものだけを売るという感じだったものでした。しかし、各分野で卓越した技術、技能を持った人を並べてきました。絵を描くなら絵師のすごい人を連れてきて絵を描き、ロクロ引きなら一番という人がロクロを引くからすごいのです。ですから、今、真葛のものはサザビーズで、すごいものになると6,000万円という値段がつきます。
 初代真葛香山は、今、日本の骨董台帳の1ページ目の最初にあります。ですから、各分野、特に養蚕、製糸、織物、捺染、縫製など、どの技術を取っても世界で類い希な日本の製品を、何とかしてもう一度皆さんにお作りいただいて、やっていただけないかと思います。
 もうお帰りになったかもしれませんが、横浜の財務関係の方が先ほどあそこに座っていらっしゃいました。横浜市にボーンとお金を出していただいて、パリの真ん中などに日本のいいシルク製品のお店を作っていただいて、そこに並べてみたいものだと思います。向こうの人は、このようなものができるのはすごいなと驚くと思います。でも、残念なことにそういう機運がありません。これからそういう人たちが出てきて、もう一度、多分日本の製品が世界を席巻していくのだと思います。文化的なバックグラウンドを持っているシルク産業としてやらなければいけないのは、実はそういうことではないかと思います。

 アメリカなどは、やはり戦後ですから。1960年代が一番華やかな時代でしょう。あのころは、まだ自分で汗水垂らしてものを作っていたからいいのです。今日はものづくりなどをされている方がどのくらいいるかは知りませんが、私がやっていた会社を、アメリカの企業家が買収しに来たことがあります。私が34歳ぐらいのときのことでした。毎日ホテルオークラのスイートに呼ばれて、これからのデジタルオーディオ技術は、お前のところを買わないとできないから売ってくれと言うわけです。この人はカーター政権でキャビンにいた通商産業次官のシドニー・ハーマンです。いろいろと言ってきて困ってしまいました。売ってどうするのかと聞くと、お前は金持ちになると答えました。金持ちになってもいいのだけれども、金持ちにはなったことがないですから。何十億円というお金が入ったら何に使うのかと聞かれたのですが、皆目見当がつきません。博物館でも作りますかと言ったら、それはいい心がけだと。そのときに、シドニー・ハーマンは有名な人で、自動車会社のVOLVOもNIKEも、この人が経営指導をして大きくなった会社です。また、彼はコロンビア大学の教授もしていました。
 そういう人が、お前のために2時間講義してやると言うので、私は1人生徒で聞いていました。そのときの話が、「いいか椎野。どんなに苦しくても製造をやめるな。ものづくりをやめるな。ものづくりは人間の創造性(クリエイティビティ)を養う最大のものだ。クリエイティビティはものづくりからしか出てこない。汗水垂らして大変なときに、どうしようと思ったときにしかクリエイティビティは出ない。創造は行われない。見ろ、アメリカ人は、みんな創造をやめてコストの安い日本、韓国、中国、そして今はインド、ベトナムに、ジプシーのように工場を移してしまった。だから、アメリカには創造性がなくなっている。家庭も会社も国も同じだ。ものづくりをやめたところは、すべてクリエイティビティを失って没落するであろう」というのが、シドニー・ハーマンの2時間の講義の内容でした。その割には割とせこいことを言っていて、1億円をまけないかとかぼくに言うので、私はやめてしまいました。やめなければ今ごろもう少しいい生活ができていたのでしょうが、やめてしまいました。

 その話は、とても重要なことだと思います。私もモノを作っているときには、いろいろなアイデアなどが浮かびます。しかし、一度ものづくりから離れてしまうと、創造性がなくなってしまいます。今、日本の若者の最大の弱点は、創造性がないことだと思います。感性はすばらしいと思います。裏原宿の連中は、感性で食っているのです。ただ、創造性やものづくりがまだ上手にできないのです。それは皆さんができることですから、その感性と創造性を組み合わせれば、これだけの立派な方がいる業界なので、これは世界を席巻して当たり前だという気がします。
 最後に、私はこれをやるに当たって、ヨーロッパを見てきたとかいろいろと言いました。中国にも行って見てきました。浙江省のシルクの世界も見てきましたし、川を渡った向こう側に繊維の大きな団地があり、蒙古語しか話せないような中国人がやっているところがあります。そういうところにも行って見てきました。驚いたことは余りないのです。よくこんなところでやるなとは思いました。生産技術や製品の技術レベルからしますと、日本を100として良くて60ぐらいではないかと思います。それは日本の機械を買ってやるのですから、どんどん近づいてきます。
 ただ、最後に中国の人が文化的にものを作ろうと思うかというと、私は今のところ疑問を持っています。中国の西安に行って、楊貴妃の家を見ました。また、私は中国の田舎の写真を撮るのが好きなので、いろいろなところに行って写真を撮りました。しかし、日本の平安時代や奈良時代の建築物に勝るものを、ぼくは中国で見たことがありません。
 また、正倉院の御物などを見たときにも、とても今ではできないような高いものを作っています。日本人は、すごいなと思いました。そういうことからすると、中国の方が豊かになったら、まずモノに走るだろう、金で金を追うことに走るだろうと思います。ですから、ものづくりに励むことがお金の手段としてまではやるのですが、そこから先はやらないのではないかと思います。
 友誼商店で売られているシルク製品が、ここ約半年間で、値段が5倍ぐらいに上がったのではないでしょうか。ものも良くなりました。前の中国シルクは、ジム・トンプソンのタイシルクと同じで、安いものをやっているという感じではなく、非常にいいものを、日本の製品に近いものを作って、値段を急に上げて、平気で3万円などという値段を付けるようになりました。ただ、私はまだ無理があると思います。世界的なレベルで見たときに、あれを2〜3万円といった値段で売ってはいけないと思います。それは驕りであるというか。あれを2〜3万円で売るなら、日本人にも大きな商機はまだあると思います。

 今後、是非、私の今日の戯言を何かしら頭の片隅にしまっていただきたいと思います。そして、日本のシルク産業の中から、少なくとも日本人の若い人が何もわからずに買い漁っているようなものの一角を崩すようなものを日本の中で作って、ぜひ成功していただきたいと思いまして、くだらない話を申し上げました。
 どうも長い間ご清聴ありがとうございました。

進行(関川):どうもありがとうございました。横浜の夜明けの4代目ということですが、また新たなクリエイティブということで、示唆に富んだ楽しいお話だったと思います。
 それでは、これから休憩に入りますが、その前に事務局からお知らせがありますので、ちょっとお待ちくださいませ。


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