(群馬県境町島村)

田島弥平宅

 田島弥平〈文政5(1822)年〜明治31(1898)年〉は、群馬県佐波郡島村の大総代でした。田島弥平宅の前には、境町指定重要文化財の「養蚕新論版木」の碑があり、解説には、“弥平は、優良蚕種の製造と蚕種業者団結のため、田島武平らと島村勧業会社を設立し、明治12(1879)年には、ヨーロッパへ蚕種販売を試み、蚕種だけでなく文化面でも島村に多くの恩恵をもたらした”とあります。

 田島弥平は明治5(1872)年、清涼育法を理論づけた実践書「養蚕新論」を著し、指導にあたりました。

 また、明治4年から、宮中における御養蚕(現在の紅葉山御養蚕所)が実施されましたが、田島弥平は田島武平とともに、世話役として宮中にあがり、宮中御養蚕の世話をしたことが、『宮中御養蚕史』に書かれています。
 こうした数々の功績に対し、明治25(1892)年10月、賞勲局より緑綬褒章が与えられています。群馬県内務部発行(明治36年)の『群馬県蚕糸業沿革調査書』には、“夙に意を蚕種の製造に用ひ明治6年中本村同業者と相謀り精良の蚕種を製し之を販売するに力め嘗て蚕児の飼育蚕室の改築原種の貯蔵桑樹の栽培等に改良を加へ更に養蚕新論を著し之を世に公にし又伊仏両国に渡航して蚕業上の実況を視察し輸漕販売の途を広め本邦蚕種の声価を高からしむ其功績顕著たり特に青山御所養蚕教師となるに至る則ち実業に精励し衆民の模範たるものとす依て明治14年12月7日勅定の緑綬褒章を賜ひ其善行を表彰す”とあります。

※境町は伊勢崎市の東にありますが、島村は利根川をはさんだ対岸の飛び地で、上武大橋を渡ってすぐの所を右に曲がってしばらく行ったところにあります(深谷市の方から行くときは、上武大橋の手前を左折します)


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