(茨城県結城市)

結城紬関連施設

 

 結城紬に関係する公共の施設としては、上の「結城市伝統工芸館/結城市コミュニティセンター」があるだけです。ここでは、結城の伝統的工芸品のいくつかの展示の一つとして結城紬の展示と実演を行っています。


伝統工芸館の展示の一部


結城紬のコーナーでの実演

 結城市内には、「本場結城つむぎ会館・結織苑」「本場結城紬染織資料館・手織里」「本場結城紬・郷土館」等の資料館がありますが、これらは結城紬を製造・販売する企業が商品展示場、実演・織り場に附設して作った資料館というイメージのものです。市内には、その他に「紬の里」という織りと染めの体験工房もあります。

 「結城」の名前は、クワ科の落葉灌木「木綿ノ木(ユウノキ)」(楮)の繁茂する土地、に由来しているといわれています。

 結城紬の歴史:「常陸国風土記」によれば、崇神天皇の時に、多屋命という人が、三野(美濃)の国から(茨城県の)久慈に移り住み、初めて織物をした、とあります。この織物は「長幡部のあしぎぬ」と呼ばれています。「あしぎぬ」というのは、太い生糸で織った絹粗布のことで、これが結城紬の原型と言われています。
 治承4年(1180)小山七郎朝光が結城に入り、結城七郎朝光と名乗ってこの地を治めてから、結城は経済の中心地として発展しました。結城氏の時代には「常陸紬」と呼ばれ、室町幕府や鎌倉管領に献上されました。
 慶長6年(1601)結城家18代城主が福井に移封されたため、紬織りは衰微しましたが、慶長7年に、代わってこの地方を治めた幕府の代官伊奈備前守忠次は、幕府に要請して信州上田から染工、織工を招いて結城紬の振興・改良に努め、「結城紬」の名で広く知られるようになりました。

 結城紬の主な製造工程:結城紬を作るには、1.煮繭、2.真綿かけ、3.糸つむぎ、4.糸あげ、5.染色、6.下糊つけ、7.図案作成、8.管まき、9.はたのべ、10.墨つけ、11.絣くくり、12.たたき染め、13.絣ほぐし、14.小割、15.絣合わせ、16.本糊つけ、17.絣糸まざし、18.おさ通し、19.機巻き、20.かけ糸かけ、21.機織り、22.検査、23.糊ぬき、24.製品、という工程を必要とします。このうち、3.糸つむぎ、11.絣くくり、21.機織り、は、昭和31年に国の「重要無形文化財」に指定されています。従って、「重要無形文化財結城紬」の商標を得るには、「手つむぎ」「絣括り」「地機織り」の3つの条件を満たした上で、幅・長さ・打ち込み数や模様ずれなど16項目にわたる厳しい検査に合格しなければなりません。


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