(富山県八尾町)

蚕養宮(養蚕宮)・若宮八幡

住所:富山県八尾町東新町城ケ谷4455番地

案 内:養蚕宮・若宮八幡と2つの御神霊が合祀されていることになっていますが、地元の郷土史家によると、次のような歴史といきさつがあるようです。

元禄6年(1693)富山藩主2代前田正甫公が若宮八幡社へ祭神誉田別尊の御神体を供奉され、御神霊をご勧請。
天明元年(1781)山屋善右衛門が奥州(青森県西津軽郡)から神霊を勧請、城ケ谷に養蚕宮(かいこのみや)を建立。
文政4年(1821)春、城ケ谷養蚕宮の神殿を新しく造営し、4月16日に遷座祭を行う。
明治11年(1878)8月、養蚕宮社殿修理、拝殿改築成り、若宮八幡宮を合祀。若宮社御神体を奉遷鎮座。
大正8年(1919)若宮八幡社社殿改築許可・旧社殿売却許可(県知事)があり、境内社木伐採許可(婦負郡長)があった。
大正11年(1922)若宮八幡社申請予算認可(婦負郡部長)。昭和2年(1927)、社殿落成。「若宮八幡社、右大正八年其筋ノ認可ヲ得テ再建中ノ處、本月落成仕候間、登録訂正相成度此段申請仕候也。右社掌葛城乙彦。昭和二年四月十日、富山県知事白上祐吉殿」
 社殿改築許可の大正8年から落成の昭和2年までの間に役所では若宮八幡社(格式社)と養蚕宮(神社申請がなされていなかったのか、無格社)の歴史が調査され、明治11年以来、格式社の若宮八幡社が無格社の養蚕宮に合祀されている事実を発見したのであろう。これでは手続き上困難なこと(以下2字抹消)になると、書類で示せば大きな問題になろうと、おそらく口頭で注意があったのであろうか。東新・西新両町の氏子達は、大慌てで養蚕宮と若宮八幡宮を逆転する申請をし、8月18日に許可されている。
許可書:「富山県指令社兵第1540号 婦負郡八尾町東新町字城ケ谷4455番地鎮座 合併社 村社 若宮八幡宮、複合併社 無格社 養蚕宮、昭和2年4月24日付願其ノ神社合併ノ件許可ス。仍テ、合併執行ノ上ハ、新明細書2通ヲ添ヘ速ニ届出ツベシ。 昭和2年8月18日 富山県知事 白根竹介」。同じく8月18日に「養蚕宮ヲ神社明細帳ニ編入ノ件許可ス」と許可状をとっている。

 ということで、形の上では、若宮八幡宮に養蚕宮が合祀された形となっています。しかし、石段途中の左手にある手洗い鉢は、繭の形をしており、お蚕様の口から水が出るようになっていますし、本殿内につるされた灯りには、蚕蛾と桑と糸巻きが形作られており、養蚕が大切にされていた様子がうかがえます。

その他の情報:神社の入り口の門柱や、上の額などには「蠶養(羊へんに良)宮」とあり、どちらとも読んでいるようです。


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