(山形県)

夕鶴の里 資料館

住所:南陽市漆山2025−2(〒992−0474)

開館時間/休館日:9:00〜16:30/毎週月曜日(祝日の場合は翌火曜日)/年末年始(12月27日〜1月3日)

入場料: 大人 310円、小中学生 100円

案 内: 夕鶴の里は、「語り部の館」(上写真左の建物群)と「資料館」(右側の蔵部分)とからなっています。「語り部の館」には、伝統工芸実習室、郷土料理研修室、図書コーナー、文化研究室、売店・喫茶コーナーの他に語り部ホールがあり、民話の口演が行われています。
 「資料館」は、殺蛹処理後の繭を貯蔵するために、大正14年(1925)多勢丸多製糸場によって建てられた繭蔵を利用して作られています。繭の乾燥設備を蔵に導入した昭和35年に、湿気防止用に壁面をトタン張りにしましたが、当時の面影を残すために、その一部が残されています。

 
左:「語り部の館」から「資料館」へ続く通路、右:残されたトタン張りの壁の一部(実線の間は1尺)

 資料館は、3階建てになっており、1階には映像ホール「夕鶴座」、37年間にわたり夕鶴のつうを演じた女優山本安英さんの資料を中心に展示した「夕鶴の世界」、戦後のこの地域の農家の内部を復元したジオラマ「金蔵の家」があり、2階から上に、青苧・養蚕・繰り糸・織り・暮らしと養蚕信仰・近代製糸など、この地方で昭和58年頃まで行われていた生業が民具展示を軸に紹介されています。

 

 夕鶴の里のある宮内・漆山地区は、多勢長兵衛が明治6年(1873)器械製糸工場を設立して以来、地場産業として製糸業が栄えました。

一番上の全景写真の真ん中左寄りに石の碑がありますが、これは「殖産益国の碑」と呼ばれており、多勢長兵衛の偉業を称えるために建設されたものです。

その他の情報: TEL:(0238)47−5800 FAX:(0238)−47−5802
           http://www.city.nanyo.yamagata.jp/    E-mail: yuzuru@city.nanyo.yamagata.jp

「殖産益国の碑」:“「殖産益国の碑」は、明治時代の県製糸業発展の先駆者といわれる多勢長兵衛を称えた石碑です。 多勢長兵衛氏は、天保3年(1832年)生まれ、優れた製糸器械を導入するため、政府創立の富岡製糸工場などを視察して、明治6年(1873年)地元漆山に器械製糸工場を設立、この時、富岡から優秀な女工数人を招き従業員の指導と品質の向上に努めました。 宮内・漆山地区では、製糸業の地場産業として発展しましたが、その基盤を築いた恩人でもあります。 こうした多勢長兵衛氏の業績と足跡を残そうと、親族が石碑を建てることになり、てん額を内大臣三条実美に、本文を童話作家巌谷小波の父に依頼し、漢文の揮毫をもらっています。 初めは福沢諭吉に依頼のため上京しましたが、都合がつかないため、断念したというエピソードが残っています。 石碑は、明治19年(1886年)元の金上製糸工場の入口(夕鶴の里隣接地)に建てられましたが、昭和57年(1982年)種々の事情により宮内公民館前に移転されました。 本県製糸業について調査研究している伊藤長太郎氏の意志により、宮内文化史研究会を中心とする再建委員会がこの事業にあたっています。 その後、漆山地区では、製糸業の歴史について貴重な財産である「殖産益国の碑」を元の場所に建設したいという機運が盛り上がり、建設委員会を設立し、漆山地区全戸からの篤志寄付と市当局からのご援助により「夕鶴の里」に移設することになりました。   平成7年4月  「殖産益国の碑」建設委員会
 殖産益國
 「多勢長兵衛之碑 内大臣従一位大勲位公爵三條實美篆額」
 羽前國東置賜郡漆山村有多勢長兵衛性篤實有義氣常欲興殖國産寤寐不忘羽前繭絲段匹甲東北而製糸之法未精長兵躬至上毛歴視富岡諸場雇其器械師数人歸建設製絲場事係草創工人未熟所製之糸?濫特甚損失不可勝算如是者兩年長兵不少屈愈益勵精遂致今日之精良遠近伝習據其法而設場者今有百二十餘所長兵父祖亦勤于殖産栽培人参及薄荷長兵繼其意志奔走拮据澤良種講究培養製造諸法兩品亦皆精良内外輸出年多一年明治十四年内國勸業博覧會査定人参品位賜有功賞牌薄荷精薄荷油賜褒状生絲之賞則十一年秋田縣令授二等賞牌十七年山形縣令授褒状先是議官佐々木高行巡視山形秋田諸縣聞長兵衛事歎賞曰長兵繼先志殖物産損巨貳無吝色嘗患郷里乏林開拓荒蕪種松杉十五萬株役窮民予雇賃頼以得活者衆今則良材森々乎成林矣養母及妻能肋家事有貞實聲弟某亦淳撲近分戸販?土物頗致富鳴乎累世孜孜興國産郷人咸披其澤可謂良民哉盖高行復命録上其状今年二月山形県令賞長兵功徳賜木盃三其大抵佐々木議官其他受賞数次今紀其大者四月二十七日病歿年五十有三親族持状來属碑文余今夏游羽前経置賜田川諸郡栗子之大隧清川之新道夷險通阻以便運輸縣官之功可謂勤矣而管下叉有若長兵者勸誘同志蕃殖物産上下相助而濟美国家富強之業可期而待也於是内大臣三條公篆于碑臼殖産益國余及作之銘曰
 先志之継 克昌厥浚 邦家頼家 功徳不朽
    明治十九年十二月        内閣修史館編修長正五位勲六等  重野安繹 撰     内閣書記官正五位勲五等  巖谷 修 書


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