開発レポート

「硝酸態窒素濃度が低いイタリアンライグラス品種の開発」

川地 太兵 (農研機構 畜産草地研究所 主任研究員)

1.研究の背景および研究成果の概要

牛の飼料中に硝酸態窒素が多く含まれていると、それを食べた牛が硝酸塩中毒(食欲不振やふらつき、時には呼吸困難や突然死を引き起こすこともある)を起こします。硝酸塩中毒を引き起こす目安は、飼料中の乾物あたり濃度で0.2%とされています。また生産現場ではこの値を下回るものの、比較的高い濃度の硝酸態窒素を含む飼料を牛が継続的に食べることにより引き起こされる慢性中毒(流産や胎児の異常、乳量や成長への影響)も指摘されています。飼料作物への硝酸態窒素の蓄積は通常、適切な施肥管理や最適な収穫時期を守ることにより低く抑えることができます。しかし実際の生産現場では堆肥の投入量が多すぎたり、天候不順等の理由で硝酸態窒素が蓄積してしまう場合があります。


共同研究により育成され、販売中の品種の種子袋
(2015年3月16日現在)

そこで自給飼料中の硝酸態窒素による牛への悪影響を少なくするため、平成9(1997)年に硝酸態窒素を蓄積しにくい牧草(イタリアンライグラス)の品種育成に着手し、幼苗を利用して硝酸態窒素の蓄積程度を検定する方法を開発しました。平成17(2005)年には、この方法を利用して、硝酸態窒素濃度が低いイタリアンライグラス品種「優春」を茨城県畜産センター、雪印種苗(株)と共同で育成しました。その後、さらに硝酸態窒素を蓄積しにくい特性を持つ育種素材を開発し、これを利用することで、平成26(2014)年までに「LN-IR01(商品名:ゼロワン)」「SI-14」「JFIR-20」の3品種を育成しました。

 

2.産学官連携活動について

(1)出口を見据えた研究テーマの設定

■飼料作物に硝酸態窒素をできるだけ蓄積させないための研究

研究を開始した当時の研究室では、堆肥や窒素肥料を多く与えた栽培条件においても、飼料作物中に硝酸態窒素をできるだけ蓄積させないための研究に取り組んでいました。その中で、トウモロコシでは収穫適期に収穫することにより、硝酸態窒素濃度を0.2%以下に抑えられ、加えて硝酸態窒素濃度が低い品種を利用することで、より硝酸態窒素濃度を低減できることを明らかにしました。
一方、イタリアンライグラスでは、「ワセアオバ」という品種が他の品種と比べて硝酸態窒素を蓄積しにくいことを見出しました。しかしながら、「ワセアオバ」には収穫前に倒れやすいという欠点がありました。倒れてしまうと、収穫ロスが増えたり、作業時間が長くなるなど、収穫作業にとって大きな妨げになります。さらに、この品種を利用しても、栽培条件によっては硝酸態窒素濃度が0.2%以上になる場合が多く見られました。そこで「ワセアオバ」より倒れにくく、硝酸態窒素濃度が低いイタリアンライグラスの育成に取り組むことにしました。

 

(2)共同研究の開始までの取組について

■硝酸態窒素濃度が低いイタリアンライグラス系統の育成方法の開発

イタリアンライグラスは、収穫適期である出穂期(穂が出る時期)の特性が重要なので、育成の過程ではこの時期に特性を評価します。特性評価のために収穫した後の株からは再び葉や茎、穂が生えてきますので、選び出した個体を用いて交配することができますが、収穫後、再び穂が生えてくるまでは1ヶ月しかありません。そのため、出穂期に収穫した個体の硝酸態窒素濃度を評価して、その結果に基づいて個体を選び出し、交配を行うことは時間的に非常に困難でした。そこでこの問題を解決するために、幼苗の時期に収穫した個体の硝酸態窒素濃度を評価することで代用できないか、検討することにしました。
幼苗期(種をまいてから1ヶ月程度)と出穂期の硝酸態窒素濃度を比べたところ、幼苗期に硝酸態窒素濃度が低い個体は、出穂期においても硝酸態窒素が低いことがわかりました。そこで、倒れにくい品種の「ニオウダチ」を材料として幼苗期の硝酸態窒素濃度が低い個体を選び出しては、それらの個体どうしを交配させることを3回繰り返した結果、出穂期の硝酸態窒素濃度が「ニオウダチ」より40%低下した系統が得られ、この方法が有効であることが確認されました。そこで平成13(2001)年から畜産草地研究所は当時イタリアンライグラスの育成を行っていた茨城県畜産センターと共同で硝酸態窒素濃度が低いイタリアンライグラス品種の育成を開始しました。この取組について、学会発表等を通じて紹介したところ、雪印種苗(株)から共同育成への参画の希望があり、平成15(2003)年から畜産草地研究所、茨城県畜産センター、雪印種苗(株)の3者による共同育成に発展しました。

 

(3)共同研究開始後の製品化までの取組について

■「優春」の育成

共同育成に際して、畜産草地研究所と茨城県畜産センターがそれぞれ育成した材料を利用し、交配や特性の評価は茨城県畜産センターを中心に、畜産草地研究所、雪印種苗(株)が分担して行いました。この共同研究により育成された「優春」は平成17(2005)年に品種登録出願された後、平成20(2008)年秋から雪印種苗(株)が販売を開始しました。「優春」は雪印種苗(株)のカタログ等により、積極的に広報がなされるとともに、早急に現場への普及を促進する重要な品種として農林水産省の「農業新技術2011」に選定されました。
しかしながら「優春」の硝酸態窒素濃度は、堆肥や窒素肥料を多く与えた栽培条件では、「ワセアオバ」と同じかやや低い程度であり、さらに硝酸態窒素濃度が低い品種の育成が望まれました。

 

■「イタリアンライグラス中間母本農3号」の育成

「優春」の育成後、畜産草地研究所は堆肥や窒素肥料を多く与えた栽培条件の硝酸態窒素濃度が「優春」より30%以上低い品種「イタリアンライグラス中間母本農3号(以下、「農3号」)を育成しました。「農3号」は市販品種と比べ標準的な施肥条件での生育がやや劣りますが、「農3号」と市販品種を交配させた、子ども世代の硝酸態窒素濃度は、両親のほぼ中間の値となりました。これは硝酸態窒素濃度が低いという特性が子ども世代に伝わることを示しているため、「農3号」を片親として利用することで「優春」より硝酸態窒素濃度が低いイタリアンライグラス品種を容易に育成できると考えました。

 

■「LN-IR01」「SI-14」「JFIR-20」の育成

畜産草地研究所は「硝酸態窒素濃度が低いイタリアンライグラス」を生産現場に広く普及させることが重要であり、そのためには牧草の品種開発を手がけている種苗会社と共同で品種開発を行うことが普及への早道と考えました。このため、平成20(2008)年に日本で牧草の品種開発を手がけている主な種苗会社(雪印種苗(株)、カネコ種苗(株)、タキイ種苗(株))を対象に「農3号」の説明会と圃場見学を畜産草地研究所で開催しました。これが契機となり、平成20(2008)年から平成21(2009)年にかけて3社全てと「農3号」などを利用した硝酸態窒素濃度が低いイタリアンライグラス品種の共同育成を始めることができました。そして平成25(2013)年に「LN-IR01」(カネコ種苗(株)との共同育成)、平成26(2014)年に「SI-14」(雪印種苗(株)との共同育成)と「JFIR-20」(タキイ種苗(株)、(社)日本草地畜産種子協会との共同育成)を品種登録出願しました。「LN-IR01」は2014年秋からカネコ種苗が「ゼロワン」の商品名で販売を開始しました。「SI-14」「JFIR-20」についても平成27(2015)年秋からの販売開始を予定しています。

 

3.今後の研究、技術移転の方向性について

幼苗期の硝酸態窒素濃度が低い個体を選び出し、それらの個体どうしを交配させる方法は、品種育成の効率化に非常に有効でした。この方法のノウハウは、一連の共同育成を通じて種苗会社などに移転されていることから、今後は種苗会社が自身で低硝酸態窒素の特性を持つ個体を選び出すことができると期待しています。
「LN-IR01」「SI-14」「JFIR-20」は現在、育成した種苗会社だけでなく県等の公設試験研究機関においても栽培試験が行われています。こうした試験結果を積み重ねることで、これら品種の優良性や様々な地域への適応性が確認されると期待しています。一方、栽培条件によっては、これらの品種でも硝酸態窒素濃度が硝酸塩中毒の目安を上回る場合があります。生産現場に対して適切な施肥管理を行うことを呼びかける必要があります。また、さらに硝酸態窒素濃度が低い品種の育成を検討しています。
イタリアンライグラスについては硝酸態窒素以外にも特定の成分の濃度や病気に強い性質などについても改良を求められています。これまで育成してきた硝酸態窒素濃度が低い品種に、このような特性を付与することで、より生産現場に利益をもたらす品種を提供できると考えています。

 

4.技術、市場、社会への貢献

これらのイタリアンライグラス品種を利用することで、牛の硝酸態窒素の摂取量をこれまでの品種より減らすことができるため、牛の硝酸塩中毒に対する生産現場の心配を減らすとともに、自給飼料生産の基盤強化に少しでも貢献できたのではないかと考えています。

【平成27年6月29日掲載】