ダイバーシティ推進 Diversity and Inclusion

木村  鉄也 種苗管理センター 生産連携部 部長

農林水産省入省後、十勝馬鈴薯原原種農場。その後、種苗管理センター各部課(本所(つくば)、北海道中央農場)、北海道農業試験場、農林水産省農林水産技術会議事務局を経て、現職。

すべて野球が教えてくれたよなぁ。仕事も人生も。

野球が大好き

野球って若い人も年配の人も関係なくみんなが友達みたいにつきあえるスポーツだよね。誰かがエラーしても、「ドンマイ、俺が打ってやる!」って。本当に打てるかどうかはわからないけどね。いいプレーには「ナイスプレー!」って。小学生1年の時に野球を始めて、今もオール産総研のチームに入って野球している。自分のいろいろな考え方の根本に野球がある。礼に始まり礼に終わること。チームプレーのこと。フェアプレーの精神やいろんなことを野球から学んだよね。ポジションはキャッチャーもやっていて、ピッチャーの調子だったり、相手のバッターの状態だったり、いろいろな状況を見渡して試合を組み立てる。こういうことは今の仕事にも通じているように思うよ。野球に恩返ししたくて、少年野球のコーチとか審判もしている。審判はボールがぶつかって、すごいアザができたり、数週間ずっと痛いこともあって大変だけど、頑張っているよ。良い選手を育てるには良い審判が必要だと思うからね。高野連からはグランドでは教師でもあると指導を受けているんだよ。

仕事でのホームランはありますか?

平成6年から種苗管理センターで調査研究を担当することになったころに、果樹研究所(現農研機構果樹茶業研究部門)の山本俊哉さんに、ナシの品種識別技術の開発を一緒にやらないかって声をかけてもらったの。このときの仕事はナシでは世界初のSSRマーカー開発となった。この経験がその後につながった。それは海外からの輸入においてイグサの品種「ひのみどり」とオウトウの「紅秀峰」が権利侵害されているのではないかという事案が発生した時。例えば、輸入時にγ線や熱で滅菌されたイグサで識別技術がどのくらい有効か確認して、検査態勢を整えた。当時はDNA分析なんて遊びみたいなもので何の役にも立たないと言われていたけれど、ここで行政ニーズに応えて役に立たせることができると信念を持ってやってきて、自分の頑張りが日の目を見たと思った。種苗管理センターの役割を果たすことが実感できて、うれしかったなぁ。

人とのつながりと経験を基礎にすること

いろいろな仕事を経験してきたよ。北海道農業試験場(現農研機構北海道農業研究センター)に所属したときには、「さやか」やカラーポテトの育成権者の一人にもなった。農林水産省技術会議事務局にいたときは、アグリビジネス創出フェアの東京国際フォーラムでの開催など、産学連携を推進した。種苗管理センターでは調査研究できる限られたポジションにつけたのも自分にとっては有り難いことだった。業務の中での疑問や問題を解決するために調査研究をした。いろいろやってきたけど、その時々で「やれ」と言われたことをやってきただけ。やるべきことが限られているからこそ、そこで最善を尽くすことを意識する。野球と同じで、辛くてもこ My favorite thingsつこつと基礎を固めたことが、今も役に立っているように思うよ。

プレーヤーを育てる

いろんな人との出会いがあって、助け合いや、励ましをうけて仕事をしてきた。感謝の気持ちで恩返しをしたい、次の世代にバトンを託したいと思いながら仕事している。今年は機構の国際連携事業費を受けて、種苗管理センターの種ばれいしょについての技術が世界レベルと比べてどのくらいなのか知りたい、もし世界のレベルに至っていないなら、技術を学んで世界レベルに近づけたいと、若い職員を連れて海外の機関に調査に行ったよ。今の自分の仕事はマネージメントなので、プレーヤーである部下が元気良く仕事できるのが一番だよね。いつも「元気か?」って聞くし、相手について知っていることがあれば声をかけるようにしてる。サッカー好きな部下には「日本サッカー勝ったな。」とか、子供が風邪を引いていた部下には「子供風邪なおったか?」とか、出張に行っていた部下には「出張どうだった?」とか。コミュニケーションやチームワークが大事なのも、やっぱり野球から学んだことだと思う。