生物系特定産業技術研究支援センター

SIP

第2期 スマートバイオ産業・農業基盤技術

研究インタビュー

第5回

当たり前にデータが支える、「食」の基盤を構築する

第5回 神成 淳司 慶應義塾大学環境情報学部教授 × 小林 憲明 プログラムディレクター

SIP第2期「スマートバイオ産業・農業基盤技術」(以下、「スマートバイオ・農業」と言う。)の目標である「スマートフードシステム」において、重要な役割を果たすのがWAGRI(農業データ連携基盤)です。SIP第1期の成果であるWAGRIによって、データ駆動型農業を実現するためには、どのような課題と展望があるのか。小林憲明プログラムディレクターと、SIP「次世代農林水産業」で農業データ連携基盤(WAGRI)の開発研究に携わり、SIP「スマートバイオ産業・農業基盤技術」ではスマートフードチェーンの開発を担う慶應義塾大学環境情報学部 神成淳司教授に語っていただきました。

農におけるデータ活用のハードルを下げ、パラダイムチェンジを起こす

小林:スマートフードシステムによって実現するのは、生産、物流、販売をつなぐサプライチェーンをスマート化して、その上流に開発と、下流に資源循環をつないだ循環型市場です。このままでは何十年後かに日本で野菜の需給が逼迫してしまう、それに対して明るい見通しのある、力強い農業基盤を作っていく。WAGRIは、そのチェーンの重要な軸だと考えています。

神成:WAGRIは、元々生産現場のデータ連携のために作ったものです。とはいえ農業というのは結局、作物が売れて初めてビジネスになるものですから、生産現場だけで切れてしまっては意味がない。したがって、「スマートバイオ・農業」におけるWAGRIの一番の役割は、「食」という一つの切り口から、さまざまな情報のフローをきちんとつなぐということです。

今、見えてきているのは、情報連携の効果的な組み合わせが、新たな価値を生む可能性です。たとえば台風などの自然災害で特定の産地がダメージを受けると、市場は新たな調達先を探します。ところが、産地の回復状況が共有されていないために、新しい市場に発注してみたら、元の産地からも出荷され、結果的に過剰供給されるということが起こっています。あるいは、スーパーマーケットの特売用の商品は卸業者が市場で集めるのですが、非常に属人的に行われるので、その影響で特定地域に需要が偏ったり、余ったりする。こうした、フードロスにつながる状況を防ぐため、産地と市場をつなぐ情報連携が、必要だと考えています。

第二段階として考えなければいけないのは、「価値あるもの」の価値を損なわずに消費者へ届けるための情報の活用ですね。国内の生産者が作った農産物が消費者へ届くまでに、鮮度、誰がどのように介在しているのか、模造品ではないか、途中で価値が損なわれていないか、といったことを保証する仕組みが今はありません。非常に価値のある日本のブランド産品を海外で売ろうとしても、そうした価値を含めた評価は得られない。輸出入も含め、そうした価値を担保できる仕組みを作り、生産者の皆さんに気軽に使っていただく。

同時に、こうした仕組みは、協調領域として構築していくべきです。その上で競争力のある農産品として販売いただくための基盤となるのが、プラットフォーム側の役割だと考えています。

小林:私たちが目指しているのは、このままでは農業は駄目になる、という危機意識を持たれた方々による、バイオやデジタルなどさまざまな新たな技術を使った取り組みに、軸を通す活動だと思っています。第1期から取り組まれている農業データ連携基盤が知れ渡ることで、さまざまな取り組みのベースにあるデータが集まり、今までバラバラに取り組まれていたものが一つの軸となってスマートフードシステムにつながっていく。

神成:多くの生産者、流通関係者が危機感を持たれていますが、その方々が一歩を踏み出すまでのハードルが今まで非常に高かった。そのため、そのハードルを超えられる人がごく一部だったのです。農業データ連携基盤は、データ連携にハードルを低くするための取り組みです。個々人が頑張るよりも、皆で使える基盤を構築した方が合理的ですよね、ということを呼びかけて進めてきました。

ハードルが下がることで、皆が当たり前のように情報を活用する時代が来ます。日常生活では、スマートフォンを皆が持つようになって、時間と場所を厳密に指定しなくても「渋谷駅前で7時ごろ」で待ち合わせができるようになった。情報の活用で、人々の行動様式が変わったのです。

同じように、農業においても皆がデータを活用するようになれば、生産現場だけでなく、スマートフードシステム全体にパラダイムシフトが起きるでしょう。

新規就農者の悩みは、データ活用で解決できる
神成 淳司 慶應義塾大学環境情報学部教授

神成:農業を取り巻く現場で忘れてはいけないことが、社会構造の変化です。昔は、親から子へ、何十年もかけて技能継承をしていき、良い生産者を育ててきた。でも今どき、就職して10年経たないと生活できる収入が得られない職業に、自分の子を継がせようとは思わない。

しかし、データをうまく活用すれば、新規就農者が3年で安定的な収入を得ることが出来るようになる可能性があります。私自身、佐賀において、新規就農者のための「トレーニングファーム」のお手伝いをしています。そこでは、新規就農者でも、1年間で全国平均を上回る年収を出せる卒業生が輩出されています。そのため、会社を辞めて退職金からお金を払ってでもトレーニングを受ける人が現れています。

データを活用して効果的、効率的に技能継承をすることで、水やり10年と言われていたものが3年になる。しかも、「いつ何を作れば売れるか」という市場ニーズから逆算して作付けができれば、きちんと売れて、稼げるようになる。

小林:やはり収入は大事です。今、収入の多い農家は、市場との対話などやるべきことを当たり前に継続されています。これはビジネスの基本です。それをデジタルによって誰にでもできる環境が実現できれば、おそらく就農希望者も増えてくるでしょう。

神成:データを活用することで、技能継承は、ある程度のレベルまでは、どんどん効果的、効率的になるのです。この技能継承の過程を、よく野球に例えて説明します。野球で打てるようになるためには、試合経験も重要ですが、素振りをしたり、バッティングセンターに行ったり、あるいはコーチにつく方がより打てるようになりますよね。

このような、トレーニングの場が今まで農業にはなかったのです。私たちが取り組んでいるのは、データを活用したトレーニングの仕組み作りです。佐賀だけでなく、静岡県、香川県、石川県、日南市、弘前市など、国内のあちらこちらで、このような取り組みが進められています。トレーニングをすることで、目に見えて、成果が上がってくれば、皆がやる気になります。もちろん、効果は作物によっても異なりますが、水やり10年を2年にする事は不可能ではありません。

つまり、ある程度「稼げる農業」を実現する事は、データを活用したトレーニングで実現出来るのです。小林PDのおっしゃる、「ビジネスの当たり前」によって「稼げる農業」に到達するまでのハードルを、データを活用して低くすることで、皆が到達できるようになるのです。

小林:都市部の若い方にも、農業をやりたい方がたくさんいますが、いろいろ事情があって、すぐには転職できない、という人もいます。そういう方たちに、最近は企業も副業を認めていますので、週末だけでもお手伝いしながら学んでいただくようなことができないかと思っています。少しお休みを取りたいという農家さんとマッチングできれば、メリットがあるのではないでしょうか。

神成:年間の農作業の中で、経験が必要な作業は全体の数割で、あとは、学んだ知識に沿ってきちんと作業すればよいのです。技能継承に関する取り組みで最初にすることは、経験が必要な作業を分類することです。私は、農家の方の視点を解析する事で農作業を分類し、その内容に応じて適切なeラーニングの手法を適用しています。

技能継承がeラーニングとして実装されれば、自宅で学べます。その後、実作業をまとめてやっていただくことで、非常に効率よく学べる。小林PDがおっしゃる「副業で週末農業」という形でも十分に学べますし、本格的に会社をやめて就農する前の数年間、そういう形でかかわっていくことで、相当のリスクが減らせます。

小林:新規就農者の方のもう一つのお悩みである、「地域に入り込む」ことについても、そういう形で少しずつ関係ができていれば、かなりハードルは下がりますね。

 

「データ駆動」という概念を過去にするための課題
小林 憲明 プログラムディレクター

小林:データを上手く使うという意識そのものが、トップランナーの方とそれ以外の方でかなり違っているのが現状ですよね。

神成:「データ駆動」という概念自体が、データ活用が始まった今だけの過渡的なものなのかもしれません。例えば先ほど申し上げた事例で、「駅前で7時頃」って待ち合わせをする際には、スマートフォンを介していろいろなデータを使っているのですが、データ活用型などと言うことはありません。同様に、農業においても、データを使うことが当たり前の時代になれば、データを使っているという意識はなくなるでしょう。販売側のニーズを起点に作付けを始め、eラーニングで学ぶのが当たり前になれば、それを「データを使う」と言わなくなる。

「データ駆動型」って今の時代においては、メッセージとしては重要です。でも、データを使うことが当たり前になって、SIP第2期が終わるころには「わざわざ言わなくてもいいのにね」って言う人を増やすことが我々の役割だと思っています。

小林:そのためには、乗り越えるべき壁はたくさんあります。一番大きいのは、やはりデータを集めるところでしょう。特に、企業がコストをかけて集めたデータに対しては、当然、企業にまずは権利がありますし、自社で抱え込みたくなるのは自然なことです。その中で、やはりデータを出すこと、連携することは普通であり、自然だということをご理解いただかなくてはいけない。

農業の場合は、企業ではなく個人がデータを持つところが違います。したがって、「スマートバイオ・農業」においては、研究機関と企業のデータの提供権限をお持ちの方に対して、データを出していただくのが普通であることをアピールできればと思っています。

神成:特に最初は、データを無制限に提供することはできないですから、データの所有者自身の管理下で、最低限のリスクで安心して試行できる環境を早期に提供することが大事だと思っています。具体的にやらないと納得していただけないし、次に進めない。まずはこの範囲でなら提供できる、利用できる、という事が実現出来る場を、データ連携基盤として提供するしかない。

分野も時間も超えたデータ連携を実現する仕組みへ
神成 淳司 慶應義塾大学環境情報学部教授

神成:この状況を変えていく努力の一方で、新しいデータを取るための仕組みも重視しなくてはいけない。理研や農研機構で計測系の研究に取り組む方々に入っていただくことで、今まで取得出来なかったデータが集められ、新しい価値を生む。それが、我々が取り組むプラットフォームのもう一つの価値にしていく。新しいデータは新しい定義に基づいて使っていく。この定義そのものも価値になります。

小林:さらにいえば、今回はスマート農業、スマートバイオがテーマですが、データは事業領域関係なしに、医学、農業、工業など全てがつながることで、もっと価値が出てきます。その中で悩んでいるのは、今ひとまず「スマートバイオ・農業」で構築しようとしているデータプラットフォームは、もっといろいろな分野とつながらなくてはいけないのではないか。神成先生のご意見を聞かせてください。

神成:シンガポールやエストニアでは、様々な分野を包含する単独のプラットフォームが社会を支えるデータ連携基盤として構築されています。非常にシンプルなつくりです。これは、データ連携も容易ですし、運営が複雑化することはい。ただ、社会の様々な価値観や様相に対応していくためには、私自身は、複数のプラットフォームが存在するほうが適していると考えています。この際重要なのは、これら複数のプラットフォームがきちんと連携するためのアーキテクチャを用意することで、それによってはじめて、多様性が価値を生む世界になる。

協調できる領域では協調して、それぞれの分野ごとの特異性に対しては、自律性を保ちながら尖ったものを作っていく。そうして多様性と協調能力のバランスを取りながらやっていかなくてはいけないと思っています。

農業は今までデータ活用が不足していたと言われますが、それは、今後どんどん取り組む余地があるということです。あとは先行事例を作って横展開していけば良い。SIP第2期「スマートバイオ・農業」では、スマートフードシステム全体の連環を作りながら、つながることを多くの方々に提示し、他分野にも連携を呼び掛けていくのが良いのではないでしょうか。

ただ、そうは言っても、既存の取り組みが全く存在しないわけではなく、各地で先駆的な取り組みが実施され、データ連携を前提としていない取り組みも多い。今までは、各自が独立して進めるしかなかったので、データ連携を考える必要は無かったのかもしれない。ただ、これからは、データは連携してこそ価値を持つ。過去の取り組みをレガシーとしないためにも、連携を呼びかけなければいけない。WAGRIは、充実したデータ連携と変換機能を有しており、従来よりも容易にデータ連携ができる。個々の地域が、個別にデータを取得し、バラバラに取り組みよりも、相互にデータを活用したほうが良い効果を生むという考えを広める必要がある。

小林:分析技術の進歩によって、過去のデータをもっと高精度で解析できるケースが出てきました。特にゲノム解析技術は進歩が著しいので、今ならもっとさまざまなことがわかる。政府が中心の研究開発が旗振り役になって、過去のデータを共有し再解析する流れが広まればいいですね。

神成:データの取扱いの問題としては、チャンピオンデータを発表するだけでなく、それ以外の未活用データなどを共通のリソースとして位置付け、次の研究活動を迅速にするために役立てることはとても大事だと思います。

東アジアの「食」の基盤確立を見据えて
小林 憲明 プログラムディレクター

小林:いろいろと話をしてきましたが、SIP第2期「スマートバイオ・農業」では、農業そのものを支える基盤を作ります。すなわち、就農者を増やすと同時に、生産効率を上げていく。とはいえ、農業自体が必ずしも環境にやさしいわけではない。ですから、基盤技術の開発、資源循環を踏まえて循環経済に適応した農業を作っていかなくてはいけない。この展望を実現する鍵になるのが、データであり情報の活用です。その中心が、WAGRIを活用したスマートフードシステムの開発になります。

神成:海外の方がデータ活用型農業の動きは速いと認識しています。欧米の農業は経営規模が大きいために、データをシステムで管理する必然性のある場合が多いのです。こういった方々の要望を踏まえて、WAGRIのコンセプトと同じものがここ1~2年でヨーロッパでも出始めています。

生産現場からの要望から構築されているヨーロッパのデータ連携基盤は、基本的に生産現場のためのものです。小林PDが提唱されている、「スマートフードシステム」という一貫した基盤は未だ存在しておりません。我々は、これを少なくともアジアの基盤として早急に確立することが重要ではないでしょうか。同じ熱帯モンスーン気候帯で、同じノウハウがある程度使えて、同じ作物の組み合わせで連携できる。物流的にも、地域的に近いところが連携する価値はあります。

世界人口が70億人を超えて増え続ける一方で、農地が増える余地はほとんどない状況です。食料不足に対応するためには、生産管理技術の改良や品種開発による生産性向上が必要です。発展途上国の生活水準が向上することで、食糧不足はさらに深刻なものとなります。アジアにおける世界の人口増大に合わせた「食」の基盤を確立することを見据えて、今回のプロジェクトを推進していきたいですね。

小林:個人的な想いとして、日本の農作物の多様性を維持していきたい。そこを蔑ろにして、効率を優先してはいけないと思っています。

神成:最適化や効率性を求めすぎると、変動に対する冗長性がなくなって多様化する社会の中でリスクは増大します。今後の気候変動への対応、社会の多様性への対応を考えると、むしろ多様性の維持が競争力の強化になるのではないでしょうか。

小林:せっかく南北に長くて高低差のある日本列島なのですから、これは世界に対する強みですよね。単位面積あたりのコストだけで勝負をしたら広大な土地を持つ国には勝てない。スマートフードシステムを、日本の農業が多様性で勝機をつかむ仕組みにもしたいですね。

神成 淳司(しんじょう・あつし)

慶應義塾大学環境情報学部教授
内閣官房 副政府CIO / 情報通信技術(IT)総合戦略室長代理
国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構 農業情報連携統括鑑

熟練生産者の暗黙知の継承をテーマとする研究領域「AI(アグリインフォマティックス)農業」を提唱。国内各地において熟練技能の継承に取り組む。SIP第1期「次世代農林水産業創造技術」において、農業データ連携基盤「WAGRI」の研究開発を主導。商用化後は運営者である農業データ連携基盤協議会 会長を務める。

小林 憲明(こばやし・のりあき)

キリンホールディングス(株)取締役常務執行役員

1983年三重大学工学部卒業。同年キリンビール(株)入社、1998年国際ビール事業部(中国・東南アジア担当)、2004年経営企画部部長代理、2010年キリンビバレッジ(株)ロジスティクス本部生産部長、2014年キリン(株)執行役員R&D本部技術統括部長、2017年キリン(株)取締役常務執行役員兼キリンホールディングス(株)常務執行役員。2018年SIPスマートバイオ産業・農業基盤技術プログラムディレクター就任、2019年キリンホールディングス(株)取締役常務執行役員、内閣官房 イノベーション政策強化推進のための有識者会議 バイオ戦略有識者