動物衛生研究部門

日本とタイの動物衛生研究交流のあゆみ

(独)農業・食品産業技術総合研究機構
動物衛生研究所長 津田 知幸

本年7月16~18の3日間にわたり、タイ国立家畜衛生研究所(T-NIAH)において第3回タイ-日動物衛生研究交流会議(Thailand-Japan Joint Conference)が開催されました。タイ-日動物衛生交流会議は、2012年に動物衛生研究所(NIAH)とタイ農業協同組合省畜産振興局(DLD)が締結した、連携強化に向けた包括MOU(研究協力協定)に基づいて行われているものです。MOUは動物衛生分野での国際貢献を目指した相互交流、協力・協働関係の維持強化にありますが、組織レベルでの実効性と柔軟性を高めるために毎年1回、研究交流会議を日本とタイで交互に開催することを盛り込んでいます。第1回のタイ-日動物衛生研究交流会議はMOUの調印式に併せてT-NIAHの設立25周年記念式典と共に2012年にバンコクで開催されました。昨年はつくばのNIAHで開催されており、今年は3回目となります。

タイ-日動物衛生交流会議

日本のNIAHとタイのT-NIAHとの間でこのような取り組みが行われるきっかけとなったのは、2005年にスタートした現在の「感染症研究国際ネットワーク推進プログラム( Japan Initiative for Global Research Network on Infectious Diseases ; J-GRID)」で推進されている「タイ-日本 人獣感染症共同研究センター (ZDCC)」の活動です。ZDCCは動物衛生研究所が研究員を派遣してT-NIAHを活動の中心として行っている「東南アジアにおける鳥インフルエンザ等人畜共通感染症の疫学調査研究」に関する共同研究プロジェクトです。T-NIAHは東南アジアを代表する動物衛生に関する国立専門研究機関ですが、その設立には日本の無償資金協力と国際協力機構(当時国際協力事業団;JICA)による技術協力が大きく関わっています。NIAHからはT-NIAHに対する技術協力に数多くの職員が派遣され、現地のカウンターパートと共に研究所の技術基盤を築き上げてきました。当時のタイの若手職員であったVimol氏は日本のNIAH(当時の農林水産省家畜衛生試験場)を目標として、将来はT-NIAHが東南アジアの基幹研究所となることを夢見ていたそうです。そのVimol氏がT-NIAH所長としてZDCCの運営会議に出席するようになり、2009年には筆者も日本側の代表として会議に参加することになりました。久しぶりに会ったVimol氏からは、懐かしさと共に両機関の若手研究者の交流に対する期待が表明されました。日タイ両国ですでに中堅・幹部クラスになった研究員はお互いの顔を見知っているものの、経済成長を遂げて被援助国から卒業したタイで育った若手研究者には、先の世代のような日本との交流機会はありませんでした。日本でも、特に若手研究員が東南アジアの動物衛生事情を見聞する機会も最近はめっきり少なくなっています。第3回タイ-日動物衛生研究交流会議そこで、東南アジアを代表する研究機関となったT-NIAHとNIAHが対等な立場で研究情報の交換や研究交流を行い、新しい世代の交流を積極的に進めることを目指したものが包括MOUでありタイ-日動物衛生交流会議です。第3回となった今回の会議では、初日に日本とタイの動物衛生研究交流の歩みについての基調講演を行いました。そこで、ここに改めて両国の間の、特にNIAHが絡んだ動物衛生研究交流の歴史を紹介します。

日本とタイの研究・技術交流の歴史

  表1.日本とタイの研究・技術交流の歴史

実施年事業名事業主体
1958-1967 牛疫ワクチンの製造 FAO
1967-1977 口蹄疫に関する国際共同研究 熱帯農研
1977-1986 家畜衛生改善計画 JICA
1986-1993 家畜衛生・生産研究所計画 JICA
1993-2001 家畜衛生研究所計画フェーズII JICA
2001-2006 タイ及び周辺国における家畜疾病防除計画 JICA
2005-現在 タイ-日本 人獣感染症共同研究センター (ZDCC) J-GRID
2012-現在 タイ-日動物衛生交流会議

日本とタイの動物衛生に関する研究・技術交流の歴史を整理したのが表1です。両国の交流の歴史は古く、その始まりは50年以上昔に遡ることが出来ます。この間、様々な形での交流が行われてきましたが、大きく3つのステージに分けることが出来ます。日本とタイの間で動物衛生に関する技術協力は1958年の牛疫ワクチン製造への協力から始まり、これが9年間続いた後には口蹄疫に関する10年に及ぶ国際共同研究につながりました。この期間は第1ステージということが出来ます。続いて1977年から始まったJICAによる技術協力は、多くの資金と人材を投入した二つのプロジェクトに代表され、タイ東北部のパクチョンとバンコクで、それぞれ日本のODAによる無償資金援助によって建設された拠点を中心に2006年まで実施されました。この期間は専門家派遣や研修員受け入れという形での多くの人的交流が行われ、第2ステージといえる時期です。そして2005年から始まったZDCCプロジェクトやタイ-日動物衛生交流会議は両国の新しい協力関係を築くもので、第3ステージといえるものです。以下、それぞれの交流について紹介します。

牛疫ワクチンの製造(1957-1967)

第二次世界大戦終了後の東南アジアには牛疫が蔓延しており、新たな国作りを始めていた各国の産業振興の大きな障害となっていました。特にタイでは米の生産のための労働力である牛に大きな被害を与えていました。朝鮮総督府獣疫血清製造所で中村博士によって開発された牛疫ウイルスL株を使った中村ワクチンは、すでに中国大陸や朝鮮半島での牛疫撲滅に大きな成果を上げていましたが、国際的にはあまり認知されていませんでした。しかし、1948年に国連FAO会議によってこのワクチンが国際的に紹介されると、タイ政府はFAO視察団を通して中国から中村ワクチンを入手してワクチン製造を開始し、牛と水牛に対するワクチン接種を進めました。一方、タイでは豚の間で牛疫がしばしば発生し、これが牛の牛疫の新たな感染源となることが危惧されていました。しかし、豚にL株ワクチンを接種したところ下痢などの症状を示して死亡するものも出てきたため中村ワクチンは豚には不適当と判断されました。そこで、中村博士がL株を鶏胚で継代して樹立したLA株を用いた鶏胚馴化ワクチンが、日本生物科学研究所の中村博士らの協力により1958年から製造され、豚の免疫に用いられるようになりました。この技術移転のため日本からは1名の専門家が派遣されタイからは6名の研修生が日本を訪れています。その結果、1959年以降タイで牛疫の発生は起こっていません。
なお、同時期にはカンボジアでの牛疫撲滅に、コロンボ計画を通して家畜衛生試験場から多くの研究者が派遣されています。

農林省熱帯農業研究センター家畜衛生「タイにおける口蹄疫の研究」(1967-1977)

1967年から1977年にかけての11年間は、当時国連FAOの資金援助で設立されていたタイ国口蹄疫ワクチン製造センター(パクチョン)において,口蹄疫の研究基盤整備及び診断並びに予防に関する共同研究の推進のために日本人研究者による在外研究が行われました。センターでは牛の舌上皮を用いたいわゆるフレンケルワクチンという、初期の形の口蹄疫ワクチンの製造が行われていましたが、ワクチン製造株を流行株に近いものに合わせるための研究やワクチンの効力を上げるための技術など、診断や予防に関する研究が求められていました。日本からは当時の農林省家畜衛生試験場及び動物検疫所等に所属する10名が在外研究員として派遣され、間接補体結合反応等の診断技術の開発、タイ国における血清型分布調査、フレンケルワクチンの効力検定、エチレンイミンによるワクチンの不活化技術開発、キャリアー牛におけるウイルスの動態解明、感染動物由来加工肉におけるウイルスの消長解析などの研究に取り組みました。

JICA技術協力「タイ国家畜衛生改善計画」(1977-1986)

1977年に開始されたJICAプロジェクト方式技術協力「タイ国家畜衛生改善計画」はパクチョンの口蹄疫ワクチン製造センターとタイ南部ツンソンの南部地域診断センターを協力拠点として行われました。プロジェクトに先立ち、口蹄疫ワクチン製造センターでは約20億円の無償資金協力によって、BHK細胞を用いた組織培養ワクチン製造施設(1978年2月竣工)が建設されました。プロジェクトは、流行株の抗原性状を疫学的に監視する診断部門、ワクチンの効力評価を行う検定部門及びワクチンを安定的に大量生産する製造部門の3部門に高度な技術の導入を目指して実施されました。製造部門ではBHK細胞の回転培養による豚用ワクチンと2トンと3トン容量の培養タンクを用いたBHK細胞の浮遊培養によって牛と水牛用ワクチンが製造されました。このプロジェクトには日本から短期長期合わせて延べ44名の専門家が派遣されるとともに、延べ30名のタイ国技術者が日本への研修員として受け入れられました。9年間にわたるこのプロジェクトによって、その終了時にはワクチン製造量は当初目標の約2倍に及ぶ年間生産量延べ1,000万頭分に達し、タイ国家畜衛生の改善と畜産振興に大きく貢献しました。このプロジェクトには、筆者も1984年から85年にかけて長期専門家として参加し、ワクチン検定に関する協力を行い、後に東南アジア地域の口蹄疫レファレンスラボラトリー所長となるWilai氏やSomjai氏との共著論文も発表しました。一方、南部地域診断センターでは動物検疫所や家畜保健衛生所から専門家が派遣され家畜疾病診断技術の技術移転が行われました。

JICA技術協力「タイ国家畜衛生・生産研究所(NAHPI)計画 フェーズ I」(1986-1993)

タイ国の家畜衛生水準の向上に加えて家畜生産技術の強化を通して畜産振興に寄与することを目的として、1984年9月にタイ国家畜衛生・生産研究所(NAHPI)を設立する計画が立てられました。研究所は日本からの無償資金協力24億円でカセサート大学バンケンキャンパス内に建設されることになり、1986年9月に竣工しました。その後、DLDの獣医学研究部のスタッフが異動して、翌年1987年1月にシリントーン王女を迎えて開所式が開催されました。1986年から始まったJICAプロジェクト方式技術協力「NAHPI計画」は家畜衛生分野の試験研究体制の整備と確立を目標として、家畜生産阻害・損耗要因の究明と対策に関する調査研究、そのための技術指導と支援諸業務の助成、そしてパクチョンにおける口蹄疫ワクチン製造と診断法の改良を柱として実施されました。1993年までの7年間には24名の長期及び33名の短期併せて延べ57名の専門家派遣が行われるとともに、延べ44名のタイ国技術者の日本への研修員受け入れが行われました。このプロジェクトによって、家畜疾病の診断業務が開始され、重要家畜疾病の調査研究が重点化されたほか、研究支援体制の整備が行われ研究所の基盤が確立しました。また、口蹄疫ワクチン製造センターでは新技術による製造技術と診断技術の向上が図られたほか、タイ国独自予算による製造工場の新設が行われたため、口蹄疫ワクチンの年間生産量は延べ4千万頭分を目指すに至りました。NAHPIは1993年10月にはタイ国閣議決定により正式に機関承認され正式発足するとともに、プロジェクトはタイ国政府(国王)から表彰されました。

JICA技術協力「タイ国家畜衛生研究所(NIAH)計画 フェーズ II」(1993-2001)

NAHPIはタイ国政府による機関承認後にタイ国家畜衛生研究所(NIAH)と名称を変更し、NIAHと北部、北東部及び南部地域診断センターに対して、重要家畜疾病の防除計画の確立を目指して新たなJICAプロジェクト方式研究技術協力が1993年より開始されました。このプロジェクトは主要家畜疾病の疫学調査・研究と防疫指針策定、診断技術の改良・標準化とその応用、そして地域診断センターとの連携強化をその目的としています。1998年までの5年間には、のべ44名の日本人専門家の派遣と25名のタイ国研究員の研修受け入れが行われました。このプロジェクトの成果として、NIAHと地域診断センターの連携と機能強化、重要疾病の調査・研究活動の活性化、診断技術の標準化と応用がはかられ、診断件数は年間3万例を大きく越えるまでになりました。また、このプロジェクトでは、地域診断センターを通して地域の家畜衛生啓蒙普及事業が展開されたほか、1997年から2001年にかけて、パクチョンの口蹄疫センターを中心として、アジア各国を対象とした「家畜重要疾病の診断と防疫に関する第3国研修も実施されました。これが、後に同センターがOIE東南アジア地域口蹄疫レファレンスラボラトリーに認定されるきっかけとなりました。

JICA技術協力「タイ及び周辺国における家畜疾病防除計画」(2001-2006)

2001年からタイNIAHを中核として、カンボジア、ラオス、ベトナム、ミャンマー、マレーシアの周辺5カ国の家畜防疫技術の向上を目指すプロジェクトが実施されました。このプロジェクトでは日本から延べ6名の専門家が派遣され、タイの獣医技術者とともに対象国に対する技術指導と研修受け入れが実施されました。2期6年間に及ぶプロジェクトによって、タイ及び周辺国の獣医技術者の人材育成と各国の家畜疾病診断研究所のネットワークが構築され、タイNIAHの地域おける位置づけは確固としたものになりました。

タイー日本 人獣感染症共同研究センター(2005より)
タイ-日動物衛生研究交流会議(2012より)

タイー日本 人獣感染症共同研究センター(ZDCC)は文部科学省の「新興・再興感染症制圧に向けた国内外連携研究拠点形成プログラム」で始まった共同研究で、2005年にタイDLDとの間で研究MOUを締結して「東南アジアにおける鳥インフルエンザ等人畜共通感染症の疫学調査研究」をスタートしました。動物衛生研究所はタイのNIAHに研究者を常駐させて、東南アジアにおける鳥及び豚のインフルエンザウイルスのサーベイランスを中心に共同研究を行っています。ZDCCの活動によって、豚、鳥及び人の間で循環するインフルエンザウイルスの詳細な動態が明らかになり、遺伝子の解析によりウイルスの由来や病原性などに関する国際的に注目される貴重な成果が生まれています。また、冒頭にも述べたようにタイ-日動物衛生研究交流会議はすでに3回を数え、相手国での開催にはそれぞれ約20名の参加が記録されています。

今後の研究交流の提案

ここまで紹介したように、日・タイ両国のNIAHの交流は技術移転から研究協力へと著しく進化し、T-NIAHは東南アジアにおける動物衛生研究のリーダー格になっています。今回のタイ-日交流会議の意見交換会では、今後の研究交流の方向性が討議されました。国内産業振興のみならず消費者である国民のためにも、動物衛生は極めて重要であり、その水準を向上させるためにも両国の情報交換と研究交流が必要であることが日タイ両国間で再確認されました。一方で、両国の置かれた環境の違いから、その衛生状態および個々の疾病に対する防疫戦略の違いも認識する必要があります。タイは鶏肉、鶏肉調整品を多く輸出しておりその半分近くは日本を対象としていますので、鳥インフルエンザ等の家畜伝染病は大きな輸出阻害要因です。また、牛肉や牛乳、豚肉等の国内需要も大きく伸びつつありますが、口蹄疫や豚コレラといった伝染病は依然として大きな被害を与えています。日本は島国という地理的条件に恵まれて多くの家畜伝染病を清浄化してきましたが、多くの国と国境を接するタイでは清浄化は容易なことではありません。また、日本ではほぼ撲滅された疾病も依然として存在することから、こうした疾病の制圧を経験した日本の技術情報はタイにとっても非常に有益です。日本としても研究交流を通して、東南アジアにおける家畜疾病の状況を把握することは、日本国内への疾病進入リスクの低減にも繋がるうえ、若い研究者が経験を積むことで新興・再興家畜疾病への備えになることが期待されます。
次回の交流会議では、両国の動物衛生を巡る情勢と研究の背景についての理解を深めながら、両機関で協力できる研究情報の交換や共同研究の可能性についての議論が進むことを期待しています。また、対面の議論を通して、両機関の若手職員の交流を積極的に進めていただきたいと思っています。

平成26年8月