農研機構における遺伝子組換え作物研究の推進方針

1.はじめに

 20世紀におけるライフサイエンスの進歩と、この成果を踏まえたバイオテクノロジー(以下、BT)の発展は顕著であり、BTの進歩は、医療・健康、食料、環境・エネルギーという21世紀の地球規模の問題解決に向けて更なる貢献が期待されている。そのため、世界各国がBTへの取組を強化しており、とりわけ、遺伝子組換え技術を含むゲノム科学は、農・水・畜産物や医療への応用と実用化・産業化を目指して異分野間の融合研究が進んでいる。

 このようなBTの進歩の世界的な潮流を踏まえ、我が国では内閣総理大臣のもとに設置されたBT戦略会議において、平成14年12月に、BTの研究強化と目覚ましい研究成果を実用化・産業化し、国民生活を向上させ、産業競争力の強化を図ること等を基本戦略とするBT戦略大綱が策定された。また、食料・農業・農村基本計画(平成17年3月25日閣議決定)においても、BTの急速な普及は農業生産・流通に大きな変革をもたらしており、このような技術革新(イノベーション)を積極的に受け止め、「攻めの農政」を展開していくとしている。

 我が国の科学技術の国家戦略は、科学技術基本法に基づいて策定される科学技術基本計画に規定されており、第3期計画(平成18年3月閣議決定)において、ゲノム研究は食料、環境、エネルギー等の問題に対応するための有力な手段として位置付けられている。また、豊かで希望に満ちた日本の未来を構築していくために取り組むべき政策を示した長期戦略指針「イノベーション25」(平成19年6月1日閣議決定)においても、ゲノム研究は戦略的重点科学技術とされるなど、2010年には25兆円規模になると見込まれる我が国のバイオ市場は、IT市場と並び、21世紀の日本の経済と社会を牽引していくと期待さ れている。

 米国を始めとする主要な農業国では、遺伝子組換え技術が品種改良に積極的に利用され、1996年に遺伝子組換え作物(以下、GMO)の商業栽培が開始されて以降、特定の遺伝子を利用したトウモロコシ、ダイズ、ナタネ、ワタの4作物が急速に普及した。2007年現在の栽培国は23カ国、総栽培面積は1億1千ヘクタールを超える規模にまで普及・拡大し(国際アグリバイオ事業団(ISAAA)調べ)、我が国耕地面積の24倍の規模に至っている。我が国には、このように海外で生産されたGMOが主に飼料用や油糧用の原材料として相当な量が輸入されて国民生活に深く浸透しているが、このような実態が国民には十分認識されておらず、また、GMOに対する一部の反対運動や、複数の地方自治体がGMOの栽培に対する独自規制の方針を打ち出すなど、GMOに対して不安感を抱く社会的な風潮もあり、我が国ではGMOの商品開発にほとんど至っていない。

 一方、世界の人口は2030年には83億人に達すると予想され、現在の世界の食料生産力では賄いきれないと懸念される中で、地球温暖化による砂漠化や異常気象などによって作物の生育環境は悪化している。また、開発途上国を中心とした人口の増加と生活水準の向上に伴う畜産物消費の増加によって、食料及び飼料用の穀物需要は確実に増加し、加えて、水資源の枯渇、化石エネルギー資源の高騰と賦存量の減少等が食料生産力増強の制約要因となっている。このような状況において、遺伝子組換え技術は、DNAマーカーを形質の選抜に用いる技術と並ぶ育種の革新的な手法として期待されており、食料生産性の飛躍的な向上を図り、人類が将来直面すると危惧される深刻な食料危機の問題等を解決する切札の一つになると考えられている。

 こうした中、平成19年5月に、農林水産省農林水産技術会議事務局において、「遺伝子組換え農作物等の研究開発の進め方に関する検討会」が設置され、平成20年1月に、今後の研究開発を促進していくための具体的な方策として、(1)基礎・基盤及び短中長期的な観点から取り組むべき重点資源配分7分野の提示、(2)産学官の結集によるオールジャパンの研究推進体制の再構築、(3)遺伝子組換え技術の信頼できる正しい情報の発信と実用化に向けて国民との双方向コミュニケーションを行うアウトリーチ活動の充実と強化、を3つの柱とする最終取りまとめを行った。

 実用的な作物開発を目指した遺伝子組換え研究の展開は、生産基盤、農業生産現場から加工・流通・消費までの技術並びにこれらと関連した農村及び食品産業の振興に資する一貫した応用技術の中核を担う独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構(以下、農研機構)の重要な役割の一つである。このため、組換え作物の商業栽培に向けて、我が国独自の技術開発に着実に取り組むこととし、第3期中期目標期間を見通したGMO研究の推進方針を定めた。

2.農研機構における研究の現状と実用化に向けての課題

1)研究の現状

 現在、遺伝子組換え研究に携わっている農研機構内研究所・センターは11あり、主な実施課題は60を数え、関係する研究者の数は170余名と機構全体の研究者の約1割を占める。

 研究対象作物は、イネ、ムギ類、ダイズ、イモ類等の普通作物、果樹、野菜、花き、飼料作物と多岐にわたっている。また、対象とする形質は、耐病性、耐虫性、除草剤耐性、機能性、低温・乾燥・塩・湿害等の環境ストレス耐性、穂発芽耐性、香気性、早期発芽性、半矮性、単為結果性、不稔性、花色改変性、花持ち性、高消化性などである。

 これまでの主要な研究成果として、トリプトファン高含量飼料用イネ(改変型アントラニル酸合成酵素遺伝子導入飼料用イネ)、いもち病抵抗性イネ(ディフェンシン遺伝子導入イネ)、環境ストレス耐性イネ(アスコルビン酸パーオキシダーゼ遺伝子導入イネ及びコムギ由来フルクタン合成酵素遺伝子導入イネ)、イネ萎縮ウイルス抵抗性イネ、ビッグベイン病抵抗性レタス、環境ストレス耐性ナシ、黄色い花弁のキク、配色パターンや花形を改変したキク・トレニア等のGMOを作出している。また、目的とする遺伝子以外の配列を含まない形質転換体の作出技術や花粉が飛散しないイネの作出技術等の基盤技術にも取り組んでいる。他にもGMOの開発が行われているが、その多くは遺伝子の機能解析が主たる研究目的である。

 これらのうち、特定網室において生物多様性影響評価試験まで進んだ研究としては、改変型アントラニル酸合成酵素遺伝子導入飼料用イネ、ディフェンシン遺伝子導入イネ、アスコルビン酸パーオキシダーゼ遺伝子導入イネ及びコムギ由来フルクタン合成酵素遺伝子導入イネの4課題があり、この内、農研機構の隔離ほ場において第1種使用等を実施したものが2課題(改変型アントラニル酸合成酵素遺伝子導入飼料用イネ、ディフェンシン遺伝子導入イネ)、農研機構の一般ほ場において第1種使用等を実施したものが1課題(改変型アントラ
ニル酸合成酵素遺伝子導入飼料用イネ)あるが、いずれも実用化には至っていない。

2)実用化に向けての課題

 現在実施している研究課題の中には、今後1~2年以内に第1種使用等を実施できる研究段階に到達するなどの進展が認められるものの、大半の研究成果は実用化に結びついていない状況にある。その要因として、(1)国民・消費者に受け入れられる説得性の高い形質を特定することが困難なこと、(2)遺伝子組換え体の機能が期待通りに発現しない場合があること、(3)花粉の飛散防止措置などの周辺環境に影響を及ぼさないようにする技術開発が十分確立されていないこと、(4)多くの導入遺伝子および作出技術について既存特許権が存在し、成果を実用化する上で障害となっていること、などが挙げられる。

 また、農研機構では、GMO開発の研究戦略が策定されておらず、また、研究者に対する支援態勢や、他独法、大学、民間企業との連携協力による効率的な研究推進態勢が十分整備されているとはいえない状況にある。

 さらに、農研機構におけるGMO研究には、実用化を目指す開発研究の他に、導入遺伝子の効果を検証するための特性評価や系統選抜のための基礎的な研究が含まれ、いずれの研究においても第1種使用等の申請において同等な基準の適用が求められること、また、GMOの研究開発を厳しく規制する独自の指針等を設定している地方自治体があることも、実用化に向けた遺伝子組換え研究が進展しない要因である。

3.農研機構における研究の推進方向と方策

1)推進方向

 農研機構における遺伝子組換え技術に係る研究開発は、第2期中期目標期間(平成18年度~平成22年度)における中期計画において、「次世代の農業を先導する革新的技術の研究開発」における「先端的知見を活用した農業生物の開発及びその利用技術の開発」の中で重点的に実施すると位置付けられている。

 GMOは、これまでの品種改良や栽培技術の改良等では限界があった低コスト・安定多収、高品質、良食味な食料、新規機能性成分を含有する食料の生産を実現し、我が国の食料自給率の向上にも大きく貢献できる可能性を有している。このような遺伝子組換え技術を利用した主要農産物の品種改良においては、遺伝子機能の解明と知的財産権の取得を通じて、将来の大きな利益をもたらす可能性があることから、これまで国際的な協調関係で進めてきた塩基配列解読とは異なり、遺伝子機能を担うタンパク質の構造・機能解析が国際的に熾烈な開発競争下に置かれている。

 このようなGMOの食品としての安全性は「食品安全基本法」や「食品衛生法」により、飼料としての安全性は「飼料の安全性の確保及び品質の改善に関する法律」により、環境への安全性は「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律(カルタへナ法)」により、各々科学的な根拠に基づいて評価される国の制度が体系的に整備されており、GMO研究は、これらの法令、基準の遵守による安全性の確保及び国民理解の増進を前提に推進されるべきである。

 平成14年のBT戦略大綱が策定されて以降の状況として、地球規模の気候変動やBRIC's 等経済成長が著しい国の所得向上、バイオ燃料の大幅増産等に伴う世界的な穀物等の需給ひっ迫と価格高騰といった食料問題が顕在化しており、我が国の食料自給率が低水準にあることと相まって、現在及び将来にわたる国民への食料の安定供給の大きな不安要因となっている。このため、今後、食料をめぐる諸問題について国民全体で認識を共有した上で、食料自給率向上を目指して、食料・農業・農村に関する諸課題への取組を更に促進していくことが重要であり、BT戦略推進官民会議の中間取りまとめ(平成20年6月)においても、BTによるイノベーション促進の抜本的強化方策として、「健康の保持増進に関する国民の期待に応える食品の研究開発と実用化の推進」、「食料問題解決のためのバイオテクノロジー研究と実用化の推進」、「環境に優しい低炭素社会実現と環境修復のための技術開発と実用化支援」等が提起されたところである。

 こうした農業・農政を巡る情勢や「遺伝子組換え農作物等の研究開発の進め方に関する検討会」最終取りまとめ(平成20年1月)を踏まえつつ、農研機 構としても、食料・エネルギーの確保や地球環境保全、国民の健康や潤いと安らぎの増進、国際経済上の国益確保に繋がる革新的なGMOを作出する研究開発の推進に重点的に取り組む。

2)推進方策

 このような推進方向に従って、農研機構のGMO研究を効率的、効果的かつ円滑に推進していくために、以下の取組を強化する。なお、これ以外であっても、必要に応じて適宜適切に対処する。

(1)研究課題の重点化と作目別推進戦略の策定

 GMO研究を取り巻く情勢、政策的な位置付け、他の研究機関との役割分担、内外の研究開発動向、消費者・生産者のニーズや受容の可能性等に加えて、研究の先導性、技術水準、将来性等を踏まえ、予算投入の適切性を評価し、研究の達成目標及び社会・国民への成果(アウトカム)を明確に示して、研究課題の重点化を促進する。そのため、農研機構のGMO研究を総合的かつ戦略的に推進していくこととし、各研究所の連携の下、本推進方針に則り、明確な目標の下でGMO研究を重点的かつ効率的に実施するため、遺伝子の探索・機能解析から実用的品種育成までの一貫した道筋を示す作目別推進戦略を策定する。

(2)研究推進態勢の構築

 作目別推進戦略を策定し、これを着実に実行するため、農研機構の研究勢力を結集し、GMO研究を主導する態勢を構築する。また、GMO研究の実施に当たっては、関連する研究開発を担う他の独立行政法人との役割分担を明確にし、さらに、大学、民間企業等における研究の実施状況も踏まえて組織連携型の推進体制を構築していく。

(3)栽培試験の円滑な実施に向けた取組

 GMOの第1種使用等による栽培試験は、得られた組換え体の栽培適性を考慮しつつ、先ず、つくば地区を中心に実施する。また、導入遺伝子の効果を検証するための特性評価や系統選抜のために必要な施設を重点的に整備していく。

(4)知財の創造・保護及び活用への支援強化

 GMO及びそれに関連する知的財産権の戦略的な創造・保護・活用を積極的に図るとともに、遺伝子導入及び作出技術に関する既存特許権の調査や回避方法等、研究成果を実用化する上で障害になる問題を解決するために必要な支援を強化する。

(5) 国民とのコミュニケーション活動の推進

 国のリーダーシップの下で、BTに関する国民理解を促進する必要があり、そのため、国等との連携を一層強化し、遺伝子組換え技術について、正確で分かりやすい情報提供を通じた効果的な双方向コミュニケーション活動を行う。そのため、内外の遺伝子組換え研究の動向に対応できる人材の配置と養成に努め、組織的なマネジメント及び支援機能を強化する。

法人番号 7050005005207