前版(「環境倫理学のすすめ」)が出版された1991年当時、日本では、「環境問題を倫理的に考察するという基本的視点」は受け入れられていなかった。しかしその後、時代は大きく変化した。すなわち、人類の存続が危険にさらされ、その責任をだれが引き受けるのかという、人類史上かつてなかった問いが発せられるようになった結果、「生態学が倫理学と接点を持つに至った」という。そして今では、持続可能性を追求していくためには、市場経済と民主主義と基本的人権の原則が守られるだけでは不十分で、環境倫理学の原則を理解しておく必要があるという認識が一般化しつつあるとする。たとえば、民主主義は、「未来の世代の利益擁護」や「国境を隔てた人々への拘束力」という点では不十分であり、基本的人権の原則は「ヒト以外の生物の種を守ること」ことまでカバーすることはできない。
全体は8章からなっている。第1章「京都議定書の意義と限界」では、冷戦終了後、地球の安全と世界全体の平和的繁栄のために各国が協力して対処するという新しい世界秩序への期待のもとに生まれた京都議定書の、温暖化問題の複雑さの下での問題点を指摘し、途上国をともに救うという倫理の実行を含む、京都議定書に代わる世界の環境保護の仕組みの必要性を説く。この点については、さらに第9章「国際化」で、「先進国と開発途上国との利害の対立に関して、積極的な未来像を示すこと」なしには、「エネルギー消費の削減だけの取り決め」は成功しないのではないかとしている。
第2章、数10から100以上の定義があるという「持続可能的開発」は、結局は「枯渇型の資源への依存からの脱却と廃棄物累積の回避」であり、日本の健全な未来目標は、それらの可能性を追求するという技術開発の先頭に立って、世界をリードしていくことにある、と結論している。
第4章では、自然保護の目的が永続的な自然利用のためであるとする「保全」説と、自然の美と尊厳を守るためとする「保存」説との、今日に至る対立の歴史を説明し、両者が「必ず対立する」とはいえない、という。この点と関連して、第5章「自然保護と生物多様性」 では、「生物多様性の保護」の根拠として、「人間以外の生命を愛する生得的傾向」、すなわち「人間は生まれつき生物多様性を守ろうとする傾向を持っている」とする説について説明し、しかしそうした説を提唱する者も、多様な生物の有用性、自然利用の可能性について、必ずしも否定しているものではないとしている。
その他、「倫理学」であるだけに軽く読めるとは言えないが、環境問題の広さと根深さ、複雑さについて、改めて認識させられる。人類の存続をかけて、世界の混乱はさらに続くといったところか。
目次
はじめに
第1章 京都議定書の意義と限界
第2章 持続可能性とは何か
第3章 石油が枯渇する日
第4章 保全保存論争
第5章 自然保護と生物多様性
第6章 生物学と環境倫理学
第7章 ペンタゴン・レポート
第8章 自由市場と平等
第9章 国際化
第10章 リスクの科学と決定の倫理
第11章 先進国の未来像
第12章 戦争による環境破壊
あとがき
参考文献