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情報:農業と環境 No.69 (2006.1)
独立行政法人農業環境技術研究所

「森林・農地・水域を通ずる自然循環機能の高度な利用技術の開発」 成果発表会:
「矢作川流域に自然の循環機能を探る」 が開催された

農業環境技術研究所は、2000年より農林水産省傘下の独立行政法人や愛知県などと連携して、農林水産業に起因する栄養塩類の負荷と自然環境の調和をめざす「森林・農地・水域を通ずる自然循環機能の高度な利用技術の開発(自然循環プロジェクト)」を実施してきました。

2005年11月11日、ウィルあいち(愛知県女性総合センター)において、上記プロジェクトの中から矢作川流域に係わる研究成果を取りまとめて、地域の政策担当者、教育関係者、農業・漁業者、市民などに紹介するために、成果発表会を開催しました。

当日の参加者数は合計184名で、内訳は、地方自治体から98名、大学から20名、民間から24名、独法行政法人研究機関から31名、そして当研究所から11名でした。とくに、愛知県内から政策担当者、教育関係者、農業・漁業者が多数参加し、活発な議論が行われました。

以下では、当日の発表の概略と会場からの質問への回答(概要)を報告します。

講演の内容

1.基調講演:森・川・海のつながりの中で魚介を育てる

向井 宏氏(北海道大学)から、厚岸湾における研究を基に、森林・農地から水域への物質の流れが魚介類の生産に寄与している成果について紹介がありました。森林には「緑のダム」としての機能、栄養塩類・有機物を供給する機能、水温を安定化する機能があり、沿岸生態系に大きな影響を及ぼすことが示されました。

2.基調講演:矢作川流域の植生 ─ その現状と課題

洲崎燈子氏(豊田市矢作川研究所)から、矢作川研究所の概要の説明とともに、市民も参加した環境保全活動の事例として「矢作川森の健康診断」の紹介がありました。流域面積の1/3、森林の約半分を占める、間伐の遅れたスギ・ヒノキの人工林を調査した結果、「緑のダム」としての機能が衰えていることが示されました。

3.「自然循環プロジェクト」の紹介

菅原和夫氏(農業環境技術研究所)から、「自然循環プロジェクト」の枠組みの簡単な説明とともに、後に続く講演4〜8を俯瞰した説明がありました。

4.矢作川流域における森林・農地・市街地からの窒素の流出を比べる

板橋 直氏(農業環境技術研究所)から、矢作川流域の全体を対象として窒素の流出を推定した結果、人間の生活から発生するし尿・生活雑排水の占める割合が高いことが示されました。

5.矢作川流域の低地に広がる水田が地下水中の窒素を浄化している

今井克彦氏(愛知県農業総合試験場)から、矢作川下流域の洪積台地に広がる茶園から地下水に溶けて流出する窒素が、低地に広がる水田において浄化される仕組みが示されました。

6.矢作川から流入する栄養塩類が海の生態系に及ぼす影響

児玉真史氏(水産総合研究センター中央水産研究所)から、矢作川の下流域で高濃度の窒素負荷が発生している実態が示されました。三河湾は慢性的に富栄養の状態にありますが、栄養塩類の負荷濃度を半分に減らすと赤潮を改善できるというシミュレーション結果が示されました。

7.矢作川河口域へ流入する栄養塩類が干潟のアサリとノリを育てる

岡本俊治氏(愛知県水産試験場)から、矢作川河口へ流入した栄養塩類が植物プランクトンの発生を促し、潮の満ち引きによって干潟へと移動した植物プランクトンがアサリとノリの生産に結びつく仕組みが示されました。

8.矢作川流域の森林から河川へ流出する窒素はどこから来たか

竹中千里氏(名古屋大学大学院生命農学研究科)から、矢作川中流から上流にかけて広がる豊かな森林に、名古屋や豊田などの都市域を発生源とする酸性物質が多量に降下している実態が示されました。

論議の内容

質疑の時間が限られていたことから、新たな取り組みとして質問票を配布した結果、9名の参加者から質問が、また電子メールでも1件の質問が寄せられました。質問者へは、これらの質問に対する講師の回答をお送りしております。この報告では、主な論点を整理してお伝えします。

1.「自然循環プロジェクト」全体に対する論議

発表会の最後に行われた「市民との対話」において、洲崎氏などから「矢作川の水質を良くするために自然循環プロジェクトとしての具体的な提言を望む」との発言がありました。矢作川研究所における市民参加型の事例などを参考にして、行政施策等へ反映できるような情報発信への取り組みが必要と考えられます。

質問票には、「矢作川の問題点は、ダムが多く水利用率が高いうえにダムが山からの砂利を流してない点にある」とありました。矢作川についてはご指摘の通りですが、厚岸湾に流入する河川の流域では、自然堤防・河畔林・後背湿地などの自然が残っており、自然の循環機能が魚介類の生産を支えています。今後、多様な流域を研究対象として、研究成果を蓄積したいと考えています。

別の質問票には、「このプロジェクトで何が課題として残されたか、矢作川の流域全体で考えたときの意見を知りたい」とありました。流域全体を考えたときの長期的目標として、栄養塩類に係わる流域管理のシナリオ作りがあります。この目標を達成するために残された課題として、窒素・リンの流出に係わる脆(ぜい)弱性の評価、リスク予測図の作成などに取り組む必要があります。

2.森林に関する論議

質問票には、「広葉樹二次林に比べ人工林は硝酸性窒素の排出量が多いという結果になったが、これは一般的に言える傾向なのか」とありました。竹中氏の結果は、禿(はげ)山から回復しつつある広葉樹二次林と、成長が頭打ちになっている人工林とを比較して得られたものであり、若い人工林では違う結果が予測されます。今後、間伐、複層林化、混交林化などの人工林における管理が、水流出や窒素の固定にどのように影響するかを明らかにする必要があると思われます。

3.農地・市街地に関する論議

板橋氏の講演に対して、「都市部の下水道普及率は上昇しており、下水処理場の放流口が米津観測所よりも下流に位置するので、米津で窒素濃度が上昇するのはおかしい」との指摘がありました。しかし、観測所の水質データは事実を示しているのであって、下水道を経由せずに河川に流出する負荷の増大を示唆しています。

また、質問票には、「農地については、地図上の土地利用面積、統計上の耕地面積、実際の作付面積がかなり違うので、どのような土地利用面積の算出方法が良いか」とありました。精度の高い推定を行うには、農家の聞き取り調査や現地の実態調査を行う必要があります。しかし、対象とする面積が広い場合には、土地利用図や農業センサスの情報に基づいて推定しています。

今井氏の講演に対して、「畑地の地形連鎖系でも脱窒が起きるのではないか」との質問がありました。畑においても、地下水が停滞し土壌が還元されやすい場所では、脱窒が起きることが分かっています。今後、下層土の脱窒能力に基づいて窒素負荷限界量を推定するとともに、脱窒能力を超えないような肥培管理技術の開発や脱窒を維持向上できる技術を確立する必要があります。

4.水域に関する論議

児玉氏の講演に対して、「矢作川の水質データだけで、三河湾のモデルを検証するのは問題がある」との指摘がありました。ご指摘の通り、三河湾に流入する他の河川についてもデータの蓄積が必要です。今後、矢作川の維持流量や負荷削減の具体的な数値など、自然循環機能を高度発揮させるための定量的な方策について検討する必要があります。

また、質問票には、「シミュレーションで、栄養塩濃度はそのままで河川流量を減らして行くと海の応答はどうなるか」とありました。この場合栄養塩の総流入量は減少しますが、底泥に蓄積された栄養塩が溶け出すため、海域環境の大幅な改善は望めないと考えられます。むしろ、河川流量の低下によって引き起こされる海水交換率の低下が、赤潮や貧酸素水塊の発生を助長する可能性が示唆されました。

岡本氏の講演に対して、「東海豪雨で流出した土砂がアサリにどのような影響を及ぼしたか」などの質問がありました。東海豪雨で流出した土砂は広範囲に及んでいましたが、アサリへの影響は不明でした。また、河口域の富栄養化によってノリが不作となる可能性は、ほとんどないとのことでした。

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