土は、われわれの身近にあり、水や大気とともに環境の重要な構成要素でありながら、その成り立ちや、性質、働きの仕組みは一般にはあまり知られていないだろう。
この本の著者である久馬一剛(きゅうまかずたけ)氏は、京都大学農学部教授・学部長、滋賀県立大学環境科学部教授をつとめられ、日本土壌肥料学会長、国際イネ研究所理事などを歴任された土壌学の権威である。あとがきによると、氏は大学レベルの土壌学の教科書の編集責任者をつとめながら、もっと一般の人に読んでもらえるような「土壌についてのわかりやすい本」を書きたいと考えてきた。そして、「本書が、そのような本になったかどうか自信はないが、農業や環境にかかわる問題を学び、土についてもう少しよく知りたいと思っている人に読んでほしい」という趣旨を述べられている。
第2章の冒頭に、大規模造成農地で起きたミカンの生育不良の例が紹介され、生育不良の原因の解明を通して、土壌学から見た「単なる土」と「土壌」との違い、豊かな土壌はどのようにして作られるかが解説されている。また、第3章では、1985年のつくば科学万博に展示された「トマトの木」が紹介されている。水耕栽培をはじめとする養液栽培は、病原菌の防除、連作障害の防止、温度制御などの利点があるが、一方では、温室や養液管理のための高い設備投資と燃料や電気などの大量のエネルギーを必要とする。エネルギー効率を考慮すると、米をはじめとする主要作物の「植物工場」での生産は、どんなに高収量の品種が作られたとしても難しく、土壌の改良や栽培方法の改善が今後も必要だろうと結論している。第8章では、土壌と地球温暖化との関係、酸性化、塩類化、土壌侵食、砂漠化などの土壌劣化の問題が取り上げられ、最後の第9章では、土壌と生物圏、持続的農業や有機農業、そして人間の生活環境との関わりが述べられる。
ところどころに化学反応式が出てくるが、化学の苦手な読者は読み飛ばしてもかまわない。農業や環境に関心があれば、おもしろく読むことができるだろう。
目次
第1章 はじめに
1 「土」と「土壌」
2 土を語る言葉
参考文献
第2章 土壌はどのようにしてできるか
1 大規模造成農地の土
大規模造成ミカン園の生育不良 / 土を調べる / 生育不良の原因 / 団粒と土壌
2 土壌の働きはどのようにして支えられているのか
土壌を構成しているもの / 容積重と孔隙率 / 団粒モデル / 団粒構造の意味 / 透水と保水の仕組み / 透水性のもう一つの意味
3 自然の土壌はどのようにしてできるか
三原山の植生と土壌 / 母岩−母材−土壌とA−B−C層 / 土壌生成の時間−もう一つの考え方
参考文献
第3章 植物の栄養と土壌の働き
1 土はなくとも木は育つ!
植物生育の秘密 / 無機栄養説の出現 / 水耕栽培 / 土は邪魔者? / 食料の工場生産は可能か
2 土壌の養分供給能
植物の無機養分の貯蔵所としての土 / 岩石の風化と養分の解放 / 風化による養分解放の速さ / 岩質の差異と養分量 / 岩石と鉱物の風化の難易 / 養分の給源としての有機物
3 土壌の養分保持能
化学的風化作用の産物としての粘土 / 粘土鉱物の構造と種類 / 粘土鉱物のもつマイナス荷電 / 腐植のもつマイナス荷電 / 陽イオン交換とその容量 / 無定形粘土と変異荷電 / イオン交換における選択性 / 植物根による養分吸収とイオン交換
4 肥沃度の高い土と低い土
肥沃度をどのように測るか / 粘土の風化序列 / 肥えた土と痩せた土
参考文献
第4章 日本の畑の土
1 日本の土壌はみな酸性!
酸牲土壌とは何か / なぜ土壌は酸性になるのか / 植物の養分吸収と施肥に起因する土壌の酸性化 / 酸性土壌とその改良 / 土壌の酸性のもたらす問題
2 日本の特異な畑土壌−黒ボク土
黒ボク土とは / 黒ボク土のできかた / 黒ポクの性質 / 黒ボクは問題土壌か
3 畑土壌の管理
畑作農業土壌 / 畑土壌の物理性の改良 / 畑作物の連作障害
4 土壌のアルカリ性
石灰質土壌と塩類土壌 / アルカリ土壌またはソーダ質土壌 / わが国における塩類土壌,アルカリ土壌の問題
参考文献
第5章 水田稲作と土
1 稲作圏としてのモンスーンアジア
三つの主要な穀物 / モンスーンアジアの気候と稲作 / モンスーンアジアの地形と稲作
2 水田土壌の特性と灌漑水
湛水下の土の特性 / 灌漑水と水稲の栄養
3 湛水の功罪−窒素とリンの有効化と根腐れ
窒素の循環 / リン酸の有効化 / 水稲の生育障害と土壌
4 水田と畑の優劣比較
水田の土と畑の土 / 水田の生産性の高さと安定性
5 日本の稲作の特殊性
日本の自然と稲作の条件 / 稲作選択の鍵としての不良畑土壌
参考文献
第6章 土の中の生き物たち
1 土壌生物たちの働き
団粒形成と生物 / 分解者としての土壌 / 土壌呼吸 / 土壌動物たちの働き
2 土壌生態系における窒素循環と微生物
万能の手品師−土壌微生物 / 工業的窒素固定と生物的窒素固定 / 硝化と脱窒
3 根圏における微生物たちと植物の根の働き
植物の根圏とは / 植物根と菌根菌 / 内生菌根とリン酸吸収 / 根圏における植物根の反応 / シデロフォアとリン酸吸収
4 連作陣告と土壌管理
連作の意味すること / 連作障害のない水稲栽培 / 畑作における連作障害 / 連作障害への対策 / 抑止型土壌 / 輪作への回帰
参考文献
第7章 世界の土と日本の土
1 土の色と土壌の種類
土は何色? / 土壌の色は何を示すか
2 土壌の分類,調査,作図
土壌の自然分類 / 土壌調査と土壌図作製
3 世界の土壌のいろいろ
温帯圏の土壌 / 日本の土壌
4 世界の土壌のいろいろ
熱帯圏の土壌 / 熱帯土壌の特異性 / 熱帯土壌の古さ / 熱帯土壌の変異の幅の広さ / 熱帯の農業開発と土壌
参考文献
第8章 地球環境問題の中の土壌
1 熱帯林破壊と焼畑
焼畑の実態 / なぜ焼畑をするのか? / 焼畑の合理性と問題点
2 地球温暖化と土壌
炭酸ガス問題と土壌 / 亜酸化窒素の発生と土壌 / 水田土壌とメタンの生成
3 酸性雨と土壌
酸性雨の中和剤としての土壌 / 酸性雨とは何か / 酸性物質の起源 / 乾性降下物と湿性降下物 / 酸性雨のボーダーレス性
4 土壌の塩類化
灌漑農業の光と影 / 灌漑による塩類集積 / 塩類化の危険 / もう一つの塩類化
5 土壌侵食
『怒りの葡萄』の背景としての土壌侵食 / 水食と風食 / 土壌保全 / 先進国の単作農業と土壌侵食 / 開発途上国の農業と土壌侵食
6 砂漠化
砂漠化とは何か / アフリカの農業と牧畜 / アフリカの気候と土壌 / 中国・内モンゴルの砂漠化問題
参考文献
第9章 人間にとって土とは何か
1 生物圏の成り立ちと土壌
生物圏の成立 / 土壌の生成とその生物圏での位置づけ
2 土壌資源の有限性−マングローブと湿地林の開発がもたらすもの
土壌生産力の持続性 / 熱帯泥炭の開発 / 泥炭農地の問題 / マングローブ跡地の問題土壌
3 持続可能な農業と土壌
持続的農業とは何か / アメリカにおける新しい農業への試み / 持続的農業と土壌 / わが国における有機農業と土壌
4 人間にとって土とは何か
森林と土壌 / 水質と土壌 / 人口分布と土壌 / 人の健康と土壌
参考文献
あとがき
索引